第六話 埋葬
心が事態を受け入れてくれないまま、日が暮れようとしていた。
何をどうしたら良いかもわからないまま、とりあえず焼け残っていた布地を見つけて来て、母と弟に掛けてあげた。その際村の様子を見たのだが、生存者はイリスだけのようだった。
ごく小さな村。むしろイリスの感覚では集落と呼ぶ方が違和感がないと常々思ってはいたが、このどこまでも小さな村を蹂躙するのに、大した手間はかからなかったのだろう。
さらに、襲って来た兵士たちはすでにどこかで略奪して来たらしき荷を積んでいた。同じような小さな村が幾つか襲われた可能性があった。
そうして見ていくうちに、ベルントもその母親も死んでいるのを見つけた。隣の気の良いおじさん夫婦。孫の帰りを楽しみにしていた老婦人。他にも、口は悪いが困っていたら手を貸してくれる近所の兄さんたちが倒れていた。
父親も見つけた。
抵抗したのだろう。兵士がひとり斧で切り殺されているのを見つけた。
一矢でも報いたのだと思うと、父親が誇らしく思える。
見て回るうち、ここで暮らせなくなったことが心から悔しくなった。
「いい、場所だったのに」
記憶を持ったまま生きるのは意外と面倒だ。時にこの世界の人間からすれば変な行動に出ることもあるし、知っていることの多さに驚かれる。
ちょっとした計算がすぐに出来るようになってしまい、気味悪がられたこともあるのだ。
それでも、村の人たちはイリスのことを受け入れてくれた。
ここでなら生きられると思った場所を奪われたのだ。
ふらふらとしながら家へ戻り、母と弟に布を掛けたら動けなくなってしまった。
途方に暮れるというのはこういうことか、と思いながらぼんやりしていると、後ろから気配を感じた。
「まさか、兵の生き残り?」
小声で呟き、様子を見る。
しかし、彼らは術についてどうだとか、神力がどうとかの話をしているようだ。口振りからして、兵士ではないように思える。
しばらくそのまま動かないでいると、遠慮がちに家へ入ってくるのが分かった。
イリスは誰何した。
「誰ですか?」
「わ、私たちは君の敵ではない。巡回神官だ……一体、何があったんだい?」
三人の中で最も体格の良い人物が慌てたように言った。岩を削ったような顔立ちで、頬のあたりに傷がある。髪色は黒色で短く刈っている。
服装からして神官か。
それぞれ仕える神によって若干の差異はあるが、神官たちはほぼ必ず露出の少ない白い神官衣と呼ばれるものを着ている。
肌に触れる部分はゆったりとした綿の一枚衣。その上に、丈夫で光沢のある筒形の服を重ねている。この筒形衣に、それぞれの神を象徴する文様を刺繍してあることが多い。色はそれぞれ異なるが、彼らは銀と青を用いていた。
と言っても、どこの神なのだかはわからないが。
とりあえず危害を加えるつもりはないようだと判断。シンプルに答えを返す。
「見ての通りです。どこかの国の兵士が襲ってきました……」
彼らが、ここに至るまでの光景を目にしていないはずはない。
そう思って言ったのだが、彼らはどこかおろおろしている様子だ。それを見て、どうも悪い人間ではないらしいと確信した。
今までにも神官は見てきたが、話の出来ない輩は滅多にいなかった。
それなら、ひとつ彼らに手助けして貰おうと考えたのだ。
「神官様、お願いがあります」
「な、何だい?」
三人の中で最も若く、癖のある茶色い髪をした、中肉中背の優しそうな印象を与える青年神官が応えてくれた。
「村の、皆の、お墓を作るのを手伝って下さい。私ひとりでは、難しいので……」
実際、このままという訳には行かないだろう。
何しろ力の加減が分からなかったため、この辺り一帯には血の匂いが充満してしまっている。
夜になれば、絶対に魔物や獣がそれを嗅ぎつけてやって来る。
そうなったら、遺体を葬ってやることも出来ないのだ。
しかし、男性三人の力を借りれば何とかなるかもしれない。
そう思って彼らを見れば、何だろう。少し涙ぐんでいるように見える。
――私は何か変なことを言っただろうか?
もしかしたら出来ないとか言われてしまうのでは。
そうだ、そもそも彼らはこの国の人間ではないのだから、勝手にそういう行為をしてはいけないのかもしれない。
しかし、何とか出来ないものかと考えはじめた時、優しそうな青年が鼻をすすりながら大きめの声を上げた。
「もちろんだとも! アドリアン、ジルド、今日はこの場所に留まり、ここの者たちを埋葬しよう。食料はまだあったよな?」
「ああ! あるとも。今日はここで野宿して、明日もやろう!」
何やら意見が一致してやる気に燃え出す神官たち。
イリスは呆気にとられながら彼らをただ眺めるしか出来なかった。
「そうだな。それがいい。ええと、君の名前を聞いてもいいかな?」
三人の中で一番知性的な印象を受ける神官が穏やかに声を掛けてきた。
彼は痩せていて、黒い短めの髪に細い鋭い目つきをしている。
イリスは我に返った。
どうやら、彼らは助けてくれることにしたらしい。ならばまずはお礼を言わなければなるまい。
「ありがとうございます」
それから、ちゃんと名乗る。
「私はイリス・ティファートです」
告げれば、彼らも自己紹介してくれる。
一番若い青年がトビアス、体格の良い中年男性がジルド、知性的な三十路くらいの男性がアドリアンだと言う。
イリスは急いで彼らの名前を頭に叩き込んだ。
「それじゃあ、お願いします」
「ああ、任せて置け! 早速やってしまおう」
「おお!」
やる気に満ち満ちている彼らの背を見ながら、イリスはとりあえずのところ安堵した。それでも、まだまだ問題はある。山積していると言ってもいい。
しかし、一度に片付けられる事柄は限られている。
まずは、片付けられることから終わらせよう。
そう思い、イリスは彼らの背を追った。
◆
朝の光の中で、せっせと墓穴を掘る。
何とも言えない光景だが、これもまた仕方ないことだ。この世界がそういう場所なのだから如何ともしがたい。
だからと言って、気分がいい訳ではない。
それでも、一生懸命に『お願い』を聞いて土を掘り起こしてくれている神官たちの姿は、自分にとっては救いだった。
それだけではなく、彼らは丁度恩寵を与えに来たあの神に仕えている神官たちなのだそうだ。
彼らはこれからどう暮らせばいいのか途方に暮れていたイリスに、神殿に来て神官になればいいと言ってくれた。
この力があれば神殿が面倒を見てくれるらしい。
まさに、地獄に仏。
これから浮浪児になるかもしれないという恐怖に頭を抱えていたイリスは、ようやく少しだけ息がつけたような気がした。
もちろん、本当ならここで暮らしているのが一番だった。
最早叶うこともないが、生きている以上はこれからのことも考えねばならない。しかし、自分ひとりで何かしなければならないなどという事態にならなかったことだけは不幸中の幸いかと思われた。
どちらにせよ簡単には死ねないようだ。
そう思うのはあの神々の声を耳にした時、おぼろげながら死んだ直後のやり取りが思い出されてきたからだ。
簡単には死ぬことはないとか抜かしていたのだ、あの神々は。
まさにその通りになった。
この状況で生き残ったのがイリスだけというのがその証拠だ。
だからと言ってしんどくない訳がない。気がついたら髪が凄い白くなっていた。元々色素が薄めの体ではあるが、もう少し色がついていたような気がするのだが。十歳で白髪とか嫌な事極まりない。
しかし、治し方がわからないので諦めた。
人生にはある程度諦めが必要で、そうしなければ苦しいばかりだからだ。
プライドなんて時にはとっととドブに捨て去るくらいじゃないと病気になる。特に精神が。それは前世の教訓で痛いほど理解している。
とにかく、生きなければならないのだから生きよう。
イリスはそれだけを考えることにした。
◆
全ての埋葬が済んだその日の夜。
神官たちは手持ちの食料と、まだ燃えていなかった村の食料を使ってスープを作ってくれた。焚火の様子をぼんやり眺めながら、使い込んだ鍋の中身が煮える音に耳を澄ませる。
大して食欲はないが、体が冷え切っていたし胃は空っぽだった。
「そろそろ出来るからな……よし、もういいだろ」
見た感じ料理っぽいことが不得手そうなジルドという神官が木の椀によそってくれたのは、肉と根菜、麦をまとめて煮込んだだけの料理だ。以前自分で採っておいたものの中で無事だったスパイスも入っている。他の味付けは塩とハーブだけ。
それでも、湯気が顔にかかるとお腹が鳴った。
「ははは、さあ、食べろ食べろ」
「ありがとうございます」
言って、一口啜る。
じんわりと温度が胃に沁みていく。思いの以上に空腹だったようだ。素朴すぎる料理だが、これほど美味しいと感じることもないだろう。
「美味しい」
「良かった。味がわかるうちは大丈夫だ」
トビアスという神官が微笑んだ。
やがて全員に椀が回ると、しばらくは食べる音だけが響く。
一応、周辺に獣や魔物が来ないような術式を張っているのを見たので、安心しても良いようだ。遠くで夜行性の鳥が鳴く声がする。
まだ肌寒いが、かき集めてきた毛皮を着ているので何とかなっている。
全て食べ終えると、横になる。
土の上で寝るなんて初めての経験だ。明日身体が痛そうだと思いながらも、横になると疲れが一気に押し寄せる。
まさか、こんな状況で、知らない男性三人と一緒に地べたで焚火を囲んで眠ることになろうとは、夢にも思わなかった。
そもそも、こんな世界へ転生させられること自体が想定外なのだ。想定外の状況で想定外の事が幾つも重なってこうなっている訳だ。
ああ、何でこんなことになったのだろう。
眠りに落ちながら、こんな訳の分からない人生がまだまだ続くのかと思い、憂鬱になったのだった。