第五話 神官たちの見たもの
彼、トビアス・ヴェランデルはその日、自分の目を疑った。
少し離れた場所から、自分の持つ恩寵と同じ神力を感じ取り、思わず空を仰ぐ。
それだけならば時々あることだ。
自分たちと同じように各地を巡回し、困った人を助けながら神官としての力を磨いている者たちが魔物などに遭遇して戦っているのだと考えられるからだ。
基本的に、癒しの力を持つとされるバルドテウス神に仕える神官を除いて、人間が神から与えられる力というのは、人ならざるモノに対抗するためのものだ。
つまり、戦う力である。
こればかりは神殿に籠っていては成長しない。
そのため、ある一定のレベルに到達するまでは、必ず旅に出て人助けをしなくてはならないという決まりがあった。
これは神殿連盟の話し合いで決まっている。
その際に、同じ理由で巡回している神官と出会った時には協力することになっていた。とはいえ、現場の感覚で言えば、苦戦しているようならば手助けに向かうが、そうでもないなら放っておくのが常だった。
せいぜい、その日の話の種にする程度。せっかく急いで行っても、もう終わったよなんて言われることが相次いだため、状況の読み取れる同じ神に仕える同士の場合は、それで済ませる。
人間の体力と気力には限界があるのだ。
ただし、あくまでも同じ神の力を使える者同士に限るのだが。
他の神の恩寵を得ている神官の場合だと、全く読み取れないため、面倒でも行かなくてはならない。
しかし、今トビアスが読み取ったのは同じヴァルフリーダ神の恩寵を受ける者の力だった。特に苦戦している様子もなく、ただ淡々と何かを壊しているようだ。
本来なら放置すればいい。
しかし、あまりにもその力が強大であったため、本当にこれが恩寵の力なのか、トビアスには今一つ確信が持てなかった。
だからこそ、その場所へと行かなければならないと彼は確信していた。
遠くで、暴風の荒れ狂う音がしている。
「う、嘘だろ……?」
街道を行きながら、彼は思わず声を漏らしてしまっていた。
同行する同じ巡回神官の仲間も、唖然としているのがわかる。
当然だ。
ここまで強大な神力が発現するなど、神が奇跡を起こすために降臨した時くらいだろう。それさえ、文献に残っているものを読んだ程度であり、実際に目にした訳ではない。
それほどまでに、強力な力が使われたのだ。
「あっちの方角だったな?」
「ああ、まさか、あちらで何か起こったのかもしれん。神がご降臨されるような、深刻な事態が」
「確か、小さい村があったはずだが」
彼らは三人組で旅をしていた。これも決まりのひとつだ。巡回神官は、決してひとりで旅をしてはならないと定められている。何かあったときに、助けが得られないばかりか、呼びに行くことも出来なくなるためだ。
その一人、いつも頭が痛そうな短い黒髪で細身の神官、アドリアン・ミュレが所持している地図を広げる。そして、これから訪れる予定であった村の場所を示した。
今まで、何かに襲われることもなかった平和な村なので、ちょっと寝台を借りられたら良いなあと考えていたくらいの、そんな場所だった。
彼らにとっては初めて訪れる村である。
「とにかく、急ごう……。日が暮れる前にはつかないとな」
「ああ、そうだな」
神官三人は頷き合い、いつもより心持ち急ぎ足で村へと向かった。
旅慣れている彼らの足は速い。村へ続く街道にほどなくしてさしかかると、広がる惨状に目を疑わざるを得なかった。
「な、何だこれは」
「魔物でも出たんじゃないのか。でなければ、こんなことにはならんだろう」
彼の仲間のひとり、坊主頭で体格の良いジルド・バランディンがため息交じりに言う。
トビアスは「まあ、そうだけど」と呟きつつ目の前の現実離れした光景に目をやる。普通の神経をしていれば吐くなり泣くなり腰を抜かすなりするほどの光景。
人が人であっただけの状態になっている。
戦場の方がましかもしれない。
しかし、彼らは魔物や死霊などと戦う中で、こういう惨状を見慣れてしまっていた。
悲しいかな、人とはどんな悲惨な出来事や光景であっても、自身に降り掛かってこない限りは慣れるものだ。嫌なことに。
「この様子からすると、どこかの敗残兵か?」
アドリアンは散らばる死体が辛うじて身に纏っている鎧や、落ちている剣、荷車の紋章を検分しながら言う。
そういうものがあるということは、少なくとも傭兵や山賊ではないはずだ。
「ああ、かもしれん。確かこの近くで戦があったはずだが……」
「この冬で食料が尽きたとかで、隣国に攻め込んだんだったか」
寄った村や町で得た情報なので、あながち間違いでもないだろう。
と言うことはすでに決着がついたらしい。
今トビアスたちのいる国が勝ったという事だ。それもそうだろう。この国は小さい国だが、肥沃な大地とその恵みをもたらす大河があり、豊富な食料がある上に鉱物もとれるため武器にも事欠かない。その余裕によって傭兵に大金を積むことも可能。かつ、心変わりしやすい騎士たちの心を捕えることも出来る。食料や武器、金銭面での余裕があるために農民を兵にとっても飢餓の心配が少なく済む。
そのため、他とは士気が全く異なるのだ。
勝てると思う方が不思議ではある。
「つまり、最後の悪あがきで略奪行為に走ったという訳か」
アドリアンが苦い顔で周辺を見渡しながら言う。
そこにはまだ新しい死体が散らばっている。最早人間だったのかどうかも良くわからないが、彼らも必死だっという訳だ。
とは言え、こうなってはもう何一つ、自分の身体すら国へ帰れない訳だが。
三人は少しずつ状況を理解する。
「その略奪行為の最中、先ほどの神力の発現があったらしいな」
「と言うことは、たまたま通りがかった高位の神官が野蛮な略奪行為を止めるために神力を使ったと?」
「可能性は高いが……」
基本的に、神殿は特定の国に属することはない。
国家よりも強力な力を有する上、人々の信仰の対象でもある。全ての人々にとって、神殿は中立でなければならない。
かつて、特定の国に加担した神殿が無かった訳ではない。
しかし、その神殿の人々には神罰が下った。結果全ての神官達と国家が滅びる事態となった。関わりのない民草以外は全て死に絶え、神殿そのものも消し飛んだという事実がある。
国からの依頼で困り事を解決することはあるが、国に属することは決してない。
基本的に、神官が力を行使する際には、その仕える神によって決まりごとがある。あるが、人殺しをしてはいけないという決まりは無かった。
特に、弱いものが殺されるような場面に遭遇したら助けるのが当然のことだとみなされている。
「とにかく、生き残りを探してみよう。誰かいれば話が聞けるだろう」
「そうだな」
トビアスはジルドの言葉に頷いて、村の中心部へと向かう。
そちらからは焦げ臭い臭いがしていて、村が焼かれたことを示している。トビアスは顔を顰めながら、増える死体を見た。
不思議な事に、村人の死体は綺麗な状態を保っている。
「これは……」
それがあまりにあり得ない状態だと、彼らの脳が理解するのにそれほど時間はかからなかった。
「特定の部分にだけ術を使った、という事か?」
「それか、破壊したくないものに保護する術式を使ったうえで、術を使ったか」
どちらにせよ、余程高位の神官でなければ出来ない芸当。現在、ヴァルフリーダ神に仕える者たちの中に、ここまでの才覚があるものがいただろうか。
トビアスらは首をひねる。
それでも現場に残された神力の残滓は、なじんだヴァルフリーダ神のもの。
一体誰が――?
トビアスとアドリアンは、ほとんど同時にその疑問を抱いていた。
すると、少し離れた場所からジルドが呼ぶ声がした。そちらに目をやれば、最も破壊されて消失している家が見える。
呼ばれるままにその家へ入り、ジルドの悄然とした様子を見て彼の視線の先を追う。そこには、焼け焦げた布が広げられていた。その下には明らかに誰かの遺体があるようだった。
だが、ジルドが見ているのはそこではない。
その側に立っている小さな影だった。
ほとんど白に近い美しい金色の髪が背を覆い、粗末な麻と革を組み合わせた服は血でかなり汚れている。顔は俯いていて良く見えないが、十~十一歳程度の少女であることはわかった。
その彼女から、ヴァルフリーダ神の力が感じられる。
それは、村中に充満しているものと全く同質のものだった。
つまり、あれを行ったのはこの幼い少女だということだ。
不意に、その少女が振り向いた。
美しい少女だ。整った容貌に白い肌、子ども特有の大きな瞳は碧い。ただ、今その瞳は輝きを失い、胡乱な目でトビアスたちを刺すように見てくる。
自分たちが、彼女にとっての敵か否かを見極めようとする視線。
トビアスたちは中々声を出せない。
先に口を開いたのは少女の方だった。
「誰ですか?」
子どもらしい高い声なのに、誰何する言葉の裏に警戒が見える。
「わ、私たちは君の敵ではない。巡回神官だ……一体、何があったんだい?」
ジルドがようやく我に返った、という体で慌てて言った。
少女はジルドを観察するようにしばらく見る。次いでトビアス達にも目を向け、頭の天辺から足の先まで眺め尽くすようした後、ようやく警戒が薄らいだらしい。それまでの緊張がやや和らぐ。
恐らくは神官衣で騙りかどうか確認したのだと分かった。
「見ての通りです。どこかの国の兵士が襲ってきました……」
少女はそう返事して、すぐに興味を失ったように眼前の布に目をやる。しばらく、場には沈黙が流れた。
またしても、それを破ったのは少女の方だった。
「……神官様、お願いがあります」
「な、何だい?」
トビアスは咄嗟に返事し、向けられたガラス玉のような少女の瞳に息を忘れる。そんなトビアスには構わず、少女は静かな声で言った。
「村の、皆の、お墓を作るのを手伝って下さい。私ひとりでは、難しいので……」
彼女が遠慮がちに言った言葉の意味を理解した瞬間、三人がそれまで抱いていた少女に対する印象が一変する。
――この子は、いい子だ!
神が降りているのではないか、変な事を言ったら神罰を食らうのではないか、と怯えていた三人は、自分たちの考えを恥じた。
確かに、神官として桁外れの才覚があるのは間違いないが、まだこんなに幼いのである。上手く使えずに暴走させただけなのだ。この子は、大切な村の人々を守りたかっただけなのだ。
だから村人たちの遺体は損壊していないのだ。
そうだ、そうに決まっているじゃないか。
こんなに綺麗で可愛い幼子が、わざと兵士だけ肉片にするなどあり得ない。
「もちろんだとも! アドリアン、ジルド、今日はこの場所に留まり、ここの者たちを埋葬しよう。食料はまだあったよな?」
「ああ! あるとも。今日はここで野宿して、明日もやろう!」
ジルドが涙ぐみながら返事した。
「そうだな。それがいい。ええと、君の名前を聞いてもいいかな?」
アドリアンが優しく少女に声を掛ける。
少女は少しだけ警戒心が解けた様子で、
「ありがとうございます」
と言ってから名乗った。
「私はイリス・ティファートです」