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第四話 風の恩寵


 床に、すでに血まみれで事切れた母が転がっている。

 幼い弟の首は無かった。


 家の中はぐちゃぐちゃで、大切にしていた食料は根こそぎ奪い取られ、数少ない家具は破壊され尽くしている。


「隊長、こんなところに若い娘がいました!」


「この母親が隠していたのか。なるほど、これはこれは美しい。母親が隠す訳だな。将軍もさぞ喜ぶだろう」


「それには幼過ぎるのでは?」


「連れて帰って育ててから献上すれば良いだろう。連れて行け。その娘はくれぐれも他の兵士に手出しさせるなよ。他の娘は構わんが、献上品にする。もし手出ししたら家族もろとも殺すと伝えろ」


 ごく当たり前のように語られる内容。

 イリスのことをただの価値の高い宝石のように考えているのだとわかった。

 実際、そうなのだろう。

 このクソみたいな世界ではそれが当たり前。弱きを思いやる、人道的な考え方自体が後世で発展したもののはずだ。

 つまり、この世界では、弱いものはただ家畜のように好きにされる。

 弱さこそ罪と言う訳だ。


 そう――弱ければ、だが。


 視界に映るうねるような風の色が濃くなると同時に、イリスの瞳の色も深みを増した。

 それをどう使えばどうなるのか、全てが見えていた。


 後は、やるだけ。


「さあ、こっちへ来い。安心しろ、お前ほどの娘ならこの村より良い暮らしが待っている。大人しく従え」


 腕を掴まれ、食料庫から引っ張り出される。


 イリスはうつむいたまま、手に風が纏わりつくように祈る。すると、冷たい青みを帯びた風が手に集まってきた。それが剣のような鋭さを持つ事は、感覚として理解していた。

 そのまま、その風の刃を兵士に向けて突き出す。


「……ぅえ?」


 薄汚れた鎧を纏った若い兵士は、自身の胸部に突き刺さる白い小さい手に、訳が分からないといった声を漏らした。

 それは、イリスにとってもあまりにも軽い手応え。

 そのまま振りぬけば、音も無く兵士の胴が半分切れる。

 振ったら切れてしまった、という感覚だった。


 重い音を立て、兵士が土間に転がり、しばらく痙攣したのちに絶命した。

 

「……な、何だと。この娘、恩寵の力を使えるのか! 貴様ら、取り押さえろ!」


「は、はっ!」


 兵士たちは隊長の命令にただ反射的に応えた。

 訓練の賜物だろう。これがただ一時的に徴兵されて加わっただけの兵士なら、怖気づいているはずだ。


 イリスは静かに両手をお椀のような形にし、風を集めてからふっと息を吹いた。


 手のひらから、ごく小さな竜巻が放たれる。

 唸るような音を立て、風の刃が躍った。――踊り狂った。


 吹き荒れたのは殺戮の嵐。腕が飛ぶ、首が飛ぶ、肉片が飛ぶ。風の刃が次々と死者を生産していく。その様子を瞬きもせずに眺める。

 今胸に充満しているのは、強い怒り。それだけだった。

 他の感情など全て死んでいた。

 生きていた証すら残させない。

 その思いだけがあった。

 荒れ狂う風は、大切な母と弟の遺体以外の全てを吹き飛ばす。


 大きな破壊音と共に、家が半壊した。


 それで、外の状況が見えるようになる。


「……ぁ」


 イリスの喉から、か細い音が出た。

 それしか出せるものが無かったからだった。

 なぜなら、村が、燃えていたから。

 村の全ての家が、燃え盛る炎に包まれている。


「何だ、どうした! こ、これは……っ!」


 村人を襲っていた兵士が、こちらに目を向けて思わず口を押えた。それほどの惨状に立っていながらも、不思議と動揺が無い。

 こんな場所に生まれさせられた怒りと、村人が弱い存在であると知っていながら、ただ一方的に蹂躙した奴らに対する怒り。


 交渉の余地も無く、ただ奪った。


 これがまだ脅しであるなら、そいつらだけ追い返せば良い。脅して、物資を寄越せというのなら理解出来る。

 しかし、彼らがやったことは何だ?


 これは、虐殺だ。


 息苦しいほどの動悸に苛まれながら、イリスは狼狽えている兵士たちを睨んだ。そこにいるのは、馬に食料を積みこんでいる兵士たち。もう少し遠くには、太い縄でこの村の少女たちを縛りあげて連れて行こうとしている奴らの姿もある。

 どうやら三十人前後で村を襲ったらしい。


 まずは、食料を積んでいる奴らへ向けて、右手を突き出す。

 先ほどと同じように、風が集まってくる。


「神よ、この犯罪者(クソッタレ)どもに罰を与えたまえ!」


 言い放つ。放つと同時に、手に集積していた風の渦が、呆然としている兵士たちに襲い掛かった。無数のカッターが空を舞うようなものだ。

 彼らは逃げる間もなく肉と鉄の塊へ変貌する。


 ただし、馬は殺されてしまった家畜の代わりに頂こうと思い、生かすことにした。

 何より、馬に責任はない。

 私が屠りたいのは、人の姿をした獣の方だ。


「あぁぁあ! に、逃げろ――っ!」


「化け物、化け物だ――!」


 何を言うかと思えば、とイリスは鼻を鳴らした。

 化け物はお前たちだろうが。


 軽鎧を着込んだ兵士たちが、仲間の元へと逃げていく。


 イリスは風を自身に纏い、浮かび上がった。少し恐怖はあったが背に羽が生えたような軽さで簡単に舞い上がれる。

 憎たらしいが、神の力は凄まじいものだと再認識せざるを得ない。


 それに、神らしく有言実行だった。

 強く願えば恩寵を与えると。


 神々はイリスに復讐の機会を与えてくれたのだ。

 感謝しなければならないだろう。


「逃げても無駄だ。絶対に、許さない!」


 飛びながら、逃げ惑う背に向かい、圧縮した風の刃を投射。それは的目掛けて真っ直ぐに飛び、正確に心の臓を射抜いた。

 かつて、ボールさえまともに投げられなかった自分との差に恨めしささえ感じるが、今はそれは置いておく。


 遠くに、見慣れたラーラ達を連れた奴らが見えた。


 彼らはイリスの姿を見つけ、かつ仲間が簡単に殺されたことに驚いているようだった。イリスは空から彼らを追う。追いつけばすぐにでも殺してやる。

 そして、辛うじて生き残ってくれたラーラたちを救い出すのだ。


 ほどなくして彼らに追いつく。

 これで村の少女たちだけ術式から除外すればいい。そう思った矢先だった。

 どうやらもう一人いた隊長らしき目立つ兜をかぶった男が命じた。


「女は殺して各自ばらばらに逃げろ! 相手は魔物だ!」


「は、はっ!」


 その行為を――止めるには、術式の完成はあまりに遅かった。顔見知りの少女の口が、こう動いたような気がした。


 ――イリス、助けて……。


 次いで、風の渦が手から放たれる。間に合わなかったかもしれない、と思いながらも、風の渦は兵士たちを肉片に変えた。

 しかし、三人ほど取り逃がす。

 だが、イリスにそちらを見やる余裕は無かった。


 風の渦が殺戮を済ませた後、イリスの視界に映ったのは残酷な現実だった。


 村の少女三人は、すでに事切れていた。


 風の力を操り、地面へ降りる。そのまま、良く見知ったラーラのところへ行く。心臓を一突きされて倒れたラーラの頬には、涙が伝い、口は苦痛と驚きに開かれたままだった。いつも強く輝いていた瞳孔は光を失い、柔らかな髪は地面に散っている。

 他の子も、似た有様だった。


 ――ようやく、仲良くやっていけそうだったのに。


 今日、少しだけ和解出来たような気がしていたのだ。いつもいじわるばかりする彼女が、ほんのわずか、歩み寄りを見せてくれた。

 これで、村の暮らしも安泰だ、と思ったばかりだというのに。


 イリスはガラス玉のようになった瞳をそっと閉じさせてから、豆粒大にしか見えないほどの距離へばらばらに逃げている生き残りに目を向ける。


 ――ひとりも、逃がしてやるものか。


 右足の先で地面を蹴り、すぐさま空へ舞い上がると右手に風を集めて弓矢のようなものを作る。それは淡く緑に輝きながらすんなりイリスの手に納まった。今度は左手で風の弓矢を作る。作り上げた矢をつがえ、イリスは何の迷いもなく撃った。


 空間を切り裂く甲高い音と共に、矢は狙い通り飛んで逃げていた兵に刺さって爆ぜた。それを二回、淡々と繰り返す。


 それだけで、全てが終わった。


 イリスは遠くで事切れている兵士たちを確認すると、ラーラたちのもとへ戻った。戻って改めてその顔を見て、ため息をつく。


 本当に、どうしてこんな場所に転生させられねばならなかったのだろう。


 人の死を知らない訳ではない。

 前世でも大切な人を亡くしたし、見送っても来た。

 しかし、それはあくまでも穏やかな寿命や病による死であり、こういう無残さとはまた違う死だ。


 もう一度、ため息が出る。


 気持ちとして落とし込むには、あまりにも時間がかかりそうだった。

 何より、これからどうしたら良いのか、わからなかったし、ひどく疲れていた。イリスはその場に座り込み、小さく嗚咽した。


 

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