第一話 全ての始まり
※この回のみ、主人公の一人称です。次からは三人称に戻ります。
追い詰められるのには、追い詰められるに足る理由がある。
少なくとも私はこの時究極の選択を迫られていた。
手に握られたのはたった一枚の千円札。これが全財産。加えて無職。ちなみに性別は女。年齢は……若くはないということだけ記しておく。
「さて、どうしたものか……」
呟いて、今すぐにでも職を探すべきだと考てから、ふとどこかに盗みに入って、飢えをしのごうかとも考える。――それとも、ここから飛び降りて死ぬか。
春近い冷たい風に吹かれながら、じっとろくに見えない川に視線をやる。こんなことをしていても、夜だし田舎であるため誰も通らない。たぬきくらいは通るかもしれないし、きつねもいるかもしれないが、彼らには私のことは関係ない。
そもそも、こうなったのは自己責任だ。
もちろん、改善のための努力をしなかった訳ではないし、医者にだって行ってみた。それでも、状況を改善できないまま、周囲の人々を失って、ひとりになって、岐路に立たされている。
こうなる前に生活保護を申請すべきだったと思うが、あれには勇気がいった。そして、その勇気が私にはなかったのだ。役所の人間と対峙する勇気が。
病気というのは厄介だ。体だけでなく、精神まで病にしてしまう。つまりは、総合的に社会に適合できなくなることを意味している。そして、支えてくれる家族が今の私にはいない。イコール、社会的には死んだも同然の身なのだ。
「こんな状況で、今更どうしたらいいのか……」
そして何より、――怖い。
それは目の前の暗がりより遥かに強く、私という存在を縛りつける。
ふと、使い古したカーキ色のダウンジャケットから、虎の子の千円札を取り出してみる。良く見えないが、描かれた野口英世を眺めて思う。
せめて私に、優れた才能があれば生きられたのか?
容姿が優れていれば良かったのか?
もっと頭が良ければ良かったのか?
強靭な精神力と体力があれば良かったのか?
金とコネが溢れた場所に生まれれば良かったのか?
しかし、例えそれらを持っていても幸せにはなれないまま、病や事故などで命を落とした人間がいることも知っている。持っていても、持っていなくても、幸せになれるとは限らない。
もうよくわからなくなってきた。
水音がする。遠くに暖かな明かりが見える。たったそれだけのことでみじめな気分になった。何やら空しさをおぼえたその瞬間、一際強い風が吹き、私の手から大切な大切な野口英世が吹き飛んだ。
「――ぁ」
反射的に手を伸ばし、端っこを掴もうと身を乗り出す。
それで、人生が終わった。これで終わり。終わったのだ。あっさりと。間抜けにもほどがあるクソッタレな形で。何て自分らしい死に方なんだか。
そう理解して、私は死んだ――はずだったのだ。
◆
次に目を開けると、何やら霧に包まれた変な世界にいた。
「お~、これがあの世か。それともこっから地獄行きとか? それはマジで勘弁してほしいけど、仕方ないか」
言って、周囲を良く見回してみる。下はふわふわとした雲上のもので、不安この上ないが死んでいるので落ちても死にはしないだろう。
周辺には何やら常緑の木らしきものが見えるが、良く分からない。
自分はと言えば、薄汚れた服装のまま。
ちゃんと葬式出せなかったからこのままなのかと納得したところで、何やら神々しい光が現れた。
「……なにこの、ネット小説のテンプレ展開っぽいのは」
まだネットが利用出来ていた時には良く読んでいた。
何しろほぼタダだ。それに勝る娯楽は、金の無い身では中々無かったのだ。その小説で良く読んでいたいわゆる神様転生という状況に、これは酷似している。
こんな意味不明の出来事が本当に起きるのか?
起きて良いのか?
大体神様とか仏様とかはご多忙極まるはずではないのか。
こんなどうしようもない人間の前に現れたりしている暇があるのか?
脳裏には混乱した言葉が溢れ返る。
だって仕方ないじゃないか。
私は頭が悪いのだから。
などと内心嘆いていると、光が感極まったような声を発した。
「なんと不憫な・・・・・・!」
「ここまで追い込まれなければならぬとは、我々は怠慢だったのではないのか?」
「だが、我々は世界に対して過剰干渉してはならぬことになっておるし、そもそも最近この国では年末年始や祭の時くらいしか大多数の人間は寄ってこぬ」
「確かに、ぱわーすぽっと扱いで少し増えたが、所詮一時的なものよ」
「かつては血反吐を吐くほどの勢いで願いをかけにきた人間もいたものを」
「まあ、中には呪いを掛けにきた人間もいたがの」
なんだ、何か勝手に話し合いを始めたぞ。
私はどうすればいいんだ。
仕方ないので、胡乱な目で集まってきた光を眺めてみる。数えてみれば、三体、いやもっとか、五、六体の光が集まって輪になってもぞもぞやっている。
ということは、アレか、神様と言っても一神教の方ではないのか。
そこは日本人なので特に違和感もないが。
声の感じとしては、壮年から老年の男性の声もあれば、落ち着いた女性の声も混じっている。私には金色の光しか見えないので何とも言えないが、とりあえず観察し続ける。
「確かにのぅ」
「それに、この者のような人間は現世に溢れかえっておる」
「戦の時代よりはましじゃろうしな」
「しかし、ただ生きることすら絶たれるのは不憫では?」
「それもそうだが、ここまで無能に生んだのはわし等の責任では?」
「その通りだの、ここまで人の世で何にも生み出せないのも哀れじゃのう」
「必ず長所がひとつくらいはあるようにしておるはずなのだがな」
「ないのう、あの者には何にもないのう」
何だろうな、段々腹が立ってきた。
かといって、地獄に落とされるのだけは嫌だな。
一番良いのは魂の消滅かもしれない。
理由は単純だ。
こんなことになる前に見たニュース。
子どもがいじめで自殺したり親に殺されたり、高齢者は金をむしり取られ、一部のエリートを除いた社会人は会社に使い潰される。
そんなものばかりであふれている。
世界に目を向けても一緒だ。
社会構造の欠陥や、政府がまともに機能していないための内戦、飢餓。それを助けに行った医師もろとも殺されてしまったり、信仰上の違いから起こる争いなどなど。
あちらには銃が普通にあるから、それでごく平凡に生きているだけで狂った輩に大量に殺戮されることさえあるのだ。思い出したように起こるテロ事件など、自分がその場所にいたらと思うとゾッとする。
なので、どうしてわざわざもう一度生き直したいなどと思うのか理解に苦しむ。お話として見ている分にはとても楽しい。特に特殊能力を与えられての転生物語などはとても面白い。しかし、じゃあ現実的に考えて自分がそうなったら、となると全力で断りたい所存。
何だかあそこの神々は私を哀れんでくれているようだし、いっそのこと楽にしてもらうのも手か、と思った時だった。
「人の子よ」
声が掛かった。
どうやら不毛そうな会議は終わったらしい。
「何でしょう?」
一応お返事。
「お主の処遇が決まったぞ」
「おい、名乗り忘れておるぞ」
「……ああ、そうだった!」
神様が神様に突っ込まれて慌てている。
突っ込まれた方は何度か咳払いをしてから、続きを開始した。
「我々は、お主らに神と呼ばれておる存在だ」
知ってるよ、分かってたよ、だって自分達で言っていたじゃないか。
内心突っ込みつつも、出来れば私の望むようになって欲しいという思いから口には出さない。
「それは、凄いですね」
「そうだろう。我々が人の子に直接声を掛けることはまずない。だが、お主の場合は少し他の人の子と違う転生になるゆえ、こうして声を掛けたという訳だ」
「は? 転生!?」
待て待て待て、転生だと?
それは勘弁してもらいたいのだが。
「いえあの、私はてっきり地獄に落とされるか魂が消滅させられるのではないかと」
だって、ほとんどアレは自殺に近い。
自殺は色々な宗教で戒められているような気がするのだが。何より、大して人の役に立つことをした訳でもない。転生させる意味がわからない。
「先ほどから聞こえておるが、お主はそこまで極悪人ではないぞ?」
「あ、心の声がわかるんですねぇ」
そうだろうな、と思ってはいたが、紛らわしいのでやめていただけだ。
「当然だ。我々は神だ。だがお主に合わせて喋ろう。話の続きであるが、お主は今までいた世界とは異なる世界への転生が決定した」
「異世界? ですか……」
ますます作り話じみてきた。
死んだはずなのに、夢でも見ているのではないかと疑いさえ抱く。
「そうだ。お主は自身に何もないことに絶望して命を落とした。それは、全ての人の子にひとつは長所を与えるべき我々の失策である。
ゆえに次の生では我々による恩寵を授けよう。健康な肉体や優れた容姿でも、才能でも、人脈でも。
ただし、努力が足りなかったというお主のあり方にも問題はある。
とるべき行動を怠ったのは事実であろう。
ゆえに、簡単にはくれてやらぬ。
お主が強く願った時にのみ、恩寵を与える。どうしてもこの状況を打破する力が欲しいと願え。その動機や理由が正当なものであると判断すれば、我々の誰かが必ずお主の前に現れるであろう。
だがそれゆえに、お主は簡単に死ぬことは出来ぬ。その人生をまっとうするまで、その世界で生きるのだ。
我々の助けを得てな」
「そ、そんな殺生な……転生も恩寵もいりませんよ! 眠らせて下さいってば!」
「ならぬ」
「生きるのだ」
「生きろ」
「生きて成すべきことを成せ」
「人として成長し、正しきことを成せ」
「我々がいくらでも手助けしよう。まずは、我からの恩寵を授ける」
光が一際強く弾け、私に降り注ぐ。あまりの眩しさに目を閉じれば、意識がそのまま暗転していく。体が浮くような感覚がして、ろうそくの火が吹き消されるように、私の意識も閉じていった。
◆
とまあ、ここまでが日本人だった私の話だ。