みずいろ。
潮見翔×空野春香の場合
四月、夢や希望を抱き新しい生活が始まる。そんな桜舞う季節に公立清宮高等学校の入学式は行われた。
三人の人物が校舎へ向かいながら会話を交わしていた。
「三人ともクラス離れちゃったな」
残念そうに告げる潮見翔。黒髪を短髪にしているいかにも運動部と言った風貌だ。空手をやっていた影響か体型もガタイが良い。
「まあ、選択科目の時点で何となく察してたけどね」
夏目に対して細身な青年は御幸棗。柔らかそうな薄茶色の髪の毛によくあった涼し気で繊細な顔立ちをしている美青年で周りの女子達もきゃあきゃあ色めき立っている。
「早く教室行こうよ。あんまゆっくりしてられないよ」
背がスラリと高く黒髪をショートボブにした切れ長の瞳が特徴の少女は橘結月。
この三人は俗に言う幼なじみで幼稚園からずっと一緒でこの度めでたく高校も同じ学校になった訳だ。
「分かってるって。じゃあまた帰りな」
別れを告げ各自自分の教室に向かう。
***
入学式を終え、翔達は家に帰るため電車に向かって歩いていると道端で男に絡まれている女の子がいた。
「ねえ、その制服清宮高でしょ?可愛いね、新入生?遊ぼうよ」
「離してください!」
「いーじゃん」
「困ってるだろ」
翔が男に声をかける。男はギロリと翔を睨みつけるが背が高くガタイの良い翔にギョッとしてそそくさと逃げていった。
「困っている人を見ると放っておけないお人好しだよな、翔は」
「ま、そこがいい所だよね。あの、大丈夫でした?」
結月が声をかけると女子生徒は涙目になりながら頷いた。
「ありがとうございます。すごい怖くて…」
柔らかそうな茶色の髪をゆるく内巻きにした可愛らしい女の子だ。制服にまだ着られてる雰囲気なのでおそらく同い年だろう。
「私空野春香って言います。1年です」
お互いに自己紹介をしながら駅まで歩く。
駅に着き上りと下りのため別れる。
「今日は助けてくれてありがとう潮見くん。すごく格好よかった」
***
帰りの電車で夏目は上の空だった。
「ねえ翔おかしくない?」
「空野さんに格好よかったって言われてからおかしいね」
もしかしてまた?と二人揃って苦笑する。
翔は惚れっぽい。ちょっと女の子に褒められるとすぐに惚れてしまう。思い込んだら一直線なタイプなため全力でアタックをするが玉砕。振られる理由は99.9パーセント翔の隣にいる棗だ。翔は昔から顔立ちが整っていたため女の子から人気があった。本人は恋愛には興味ないらしいがそんな棗に片思いしている結月から言わせればたまったもんじゃない。
ー女の子はアンタにみんな夢中なんだから
電車の中でも周りの女子高生や女子大生は棗をチラチラと見ては黄色い声を上げている。
「ちょっと翔もう降りるよ?」
「ああ」
心ここに在らずと言った翔がこの後駅の広告にぶつかったのは言うまでもない。
***
翌日結月が自分のクラスに向かうとなんと、春香も同じクラスだったことが判明した。
「おはよう空野さん」
「おはよう!同じクラスだったみたいで嬉しい」
朗らかに笑う春香は可愛い。
「あの、結月ちゃんって呼んでもいい?」
遠慮がちに聞いてきた春香にクスリと微笑む。
「いいよ。私も名前で呼んでいいかな?」
「もちろんだよ!あのね実は結月ちゃんに相談があってね」
ーもしかして棗に一目惚れしたとか?
結月に近寄ってくる女の子は大半がこのタイプが多い。
「実は昨日潮見くんに一目惚れしちゃったみたいなの」
「え、翔に?」
「うん。昨日助けてくれたのがきっかけだけど。カッコよすぎだよぉ」
普通の女の子は棗に行くのにこの子は違うんだ。
「分かった。じゃあ今日どっか寄り道しない?まだ部活始まらないしアイツも暇だと思うし」
「本当?ありがとう!もし結月ちゃんが潮見くんのこと好きだったらどうしようって思ってたよ」
「その心配はしなくて大丈夫」
***
放課後になり学校近くのショッピングモールで遊ぶことになった。清宮高校の他にも近所の私立高校の生徒もチラホラ見受けられる。
安さが売りのカフェに入りそれぞれ好きな物を注文する。
「潮見くん昨日は本当にありがとう」
照れたようにはにかむ春香に翔はうっすら頬を染める。春香に気を遣い棗と結月は少し離れた席に座っている。
「やっぱり空野さん翔に一目惚れだったんだ」
「やっぱりって棗気付いてたの?」
「何となくね。翔も空野さんに好意を持ってるのは明らかだし」
ー棗ってこういうとこ聡いよね。人の機微に敏感で気遣い屋
翔と春香は最初こそ緊張でぎこちなかったがすっかり盛り上がっていて棗達のことなんて忘れているようだ。二人の様子を見て棗は口元に笑みを浮かべた。
「空野さんいい子みたいだし翔にお似合いだよね」
結月はびっくりしたように棗の方を見つめた。
「何?」
その様子が可愛くて棗は思わず吹き出した。
「いや、棗が女の子のこと褒めるの珍しいなって思ってさ」
「翔の良さが分かってる子だからだよ。俺は翔の良さを分かる女の子が結月以外にいて良かったなって」
心から嬉しそうな棗に結月も顔をほころばせた。二人共思ってることは同じだ。
ーお人好しな幼なじみが幸せになるように、と
***
入学式からひと月程経ち季節は五月になった。ゴールデンウィーク前に水族館の割引券をもらった棗は翔、結月、春香に声をかけた。三人共二つ返事でOKだった。
水族館に行く日の前日に翔は棗の自宅に向かう。翔と棗は一軒家で隣同士だ。結月の家は少し離れたファミリー層向けのマンションの三階に住んでいる。
「邪魔するぞー」
「あれ、どうしたの」
「ちょっとな」
翔はしばらく悩んでいたが意をけして棗に向き合う。
「空野に告白する」
突然のカミングアウトに棗は目を丸くする。
「空野と一緒にいると楽しい。同じ女子でも結月といる時とは違うんだ。だから俺はずっと空野に隣にいて欲しいと思う」
「それで?」
「どう告白すれば女子は喜ぶ?お前モテるから告白レパートリーいっぱいあるだろう?」
「そんなモテないよ。それにお前が告白するのはただの女子じゃなくて空野さんだろ。空野さんならお前が一生懸命考えた言葉ならきっと受け止めてくれるよ」
「俺の言葉で…」
翔は棗の肩をガっと掴んでお礼を告げるとダッシュで御幸家を出ていった。ちゃんとお邪魔しましたと挨拶を忘れないのが翔らしい。
***
翌日待ち合わせは午後13時に水族館の最寄り駅になった。男子陣は無難にTシャツとジーンズのシンプルな装いである。
結月はビスチェにスキニージーンズ、春香は花柄のワンピースを身にまとっている。
水族館に向かう道中で会話を弾ませながら歩く。
「水族館なんて小学生ぶりだよ。御幸くん今日は誘ってくれてありがとう」
「こちらこそチケットが捌けて良かった」
棗が薄く笑う。涼しげな顔立ちに良く似合う笑みだ。
駅近を謳っているだけあって水族館には五分程で着いた。
「じゃあ俺チケット発行してくるから待ってて」
「あ、私も行く」
結月が棗の近くに移動する。
「気ィ遣ってあげたんだ」
「まあね。春香は今日告白するみたいだし。なるべく二人きりの方が良いかなって」
「空野さんも?翔も昨日言ってたよ」
「棗も相談されたんだ。私も実は相談されてさ。自分の言葉で伝えればきっと翔には伝わるって行っておいた」
ー自分は棗に伝えようとしたこともないのにアドバイスだけは一人前よねと一人苦笑する。
チケットの発行も済みいざ水族館に。
エレベーターを登りお土産屋を通ると大きな水槽にはカラフルな魚が泳いでいる。
「私と棗はペンギンの所にいるから」
***
せっかく結月ちゃんが作ってくれたチャンス!春香は意気込む。
「あっちで海の生き物に触れるんだって。行ってみない?」
「お、それいいな。行こうぜ」
海の生物に触れるコーナーではヒトデやヤドカリなど小さな生き物が触れた。
「きゃあっ!潮見くんってばナマコ持ってこっち来ないでよ!すっごいグロテスクだよ」
「意外にいける。空野も触ってみろよ」
「無理無理!」
ぎゃあぎゃあ言いながらやりとりする二人に若い館内スタッフの女性が声をかける。
「仲良いカップルさんですね。ただいまカップルサービスでカップルだとイルカと無料で写真が取れるんですよー。良かったらどうぞ」
にこやかに告げ翔に「ラブラブフォトサービス」と記入されたカードを渡すと違うフロアに颯爽と向かっていった。
カップルと認識され嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。
ーええい!女は度胸!
「せっかくなら行きたいな。イルカと写真なんて貴重な体験だし。駄目かな…?」
「だ、駄目じゃない。行くか」
ー駄目じゃないってもっとマシな返事の仕方があっただろ俺!
幼馴染の棗のようにスマートには中々上手くいかない。
まあ俺とアイツじゃなあと棗と自分を比べてちょっと凹む。
イルカとの撮影コーナーに向かうと当然のことながらカップルだらけである。
気まずくなった翔と春香はお互いに目を合わせて吹き出した。
***
棗と結月はペンギンコーナーにて各自推しのペンギンを探していた。
「私やっぱりキングペンギンの雛かな。このモコモコ感がたまらないよね」
「アゴヒモペンギンも中々捨てがたいよね」
棗を見て声を掛けようとしている女の子達は隣にいる結月の姿を見ると残念そうにしながら去っていく。
ー周りから見ると付き合ってるように見えるのかな?
内心嬉しいようなでもちょっともやもやするような複雑な気分だ。
「次はどこ行こうか。どっか行きたい所ある?」
「ペンギン見れたし私的にはもう満足なんだよね。棗の行きたい所でいいよ」
「じゃあ俺深海生物のコーナー行きたい」
「渋い所行くねぇ」
ーそんな所も好きなんだけどね
***
イルカとの写真撮影は無事に終えた頃にはもう夕日が綺麗に見える時間になっていた。
二人は水族館から夕日が見えるというスポットに移動した。
「今日は楽しかったね」
「ああ」
春香は意を決したように翔を見た。
「あのね、私入学式の日に潮見くんに助けてもらえて嬉しかったよ。あの時助けてくれたのが潮見くんで本当に良かったって思ってる」
そこで区切り春香がはにかみながら告げる。
「私は潮見くんが好きです」
翔は目を見開いた。自分の聞き間違いだろうか。春香が自分を好きだなんて。
惚けている場合ではない。せっかく勇気を振りしぼって思いを告げてくれたのだから自分も返さなくてはいけない。
「俺も空野が好きだ。初めて会った時に笑った顔を見た時から好きだ。ずっと側にいてほしいと思ったんだ。だからー」
二人の視線が交わる。二人の頬は夕日に負けないくらい赤く染まっていた。
決して視線は逸らさない。
「俺と付き合ってください」
「はい!喜んで!」
春香が勢いよく翔に抱きついた。いきなり抱きつかれるとは思っていなかったが持ちこたえぎこちなく春香の背中に腕を回した。
晴れて恋人として結ばれた。
***
帰りの電車で棗と結月に付き合うことになったことを報告すると二人そろってやれやれと言った表情を見せた。
「二人ともすごい分かりやすかったから」
「そんなに分かりやすかったかな」
結月に指摘され春香が恥ずかしそうに笑った。
春香のこういう表情が翔から見るとたまらなく可愛い。
「翔ってばそのだらしない顔引き締めて」
結月に指摘されるまで翔の口元をだらしなく緩んでいた。指摘されて真顔に戻すがニヤけが止まらずまた緩むと言う流れを繰り返しながらの帰宅になった。
青谷晴臣×花井清良の場合
七月初旬、例により清宮高校も一学期期末考査が行われ本日は考査最終日であった。
ホームルームを終えた教室はテストから解放されたため和気藹々としている。
今日から部活も活動開始のため部に所属している生徒は颯爽と教室を後にした。
教室に残っている生徒は帰宅部の生徒がほとんどだ。
そんな中教室で一人花井清良は部活動の開始時刻まで過ごしていた。
ー同級生の女の子達はきゃぴきゃぴしていてちょっぴり苦手
清良は大人しい性格のため教室で残って駄弁っている女の子達とは仲は良くない。挨拶はするがそれ以上でもそれ以下でもない。
台本のチェックをしようと鞄の中からプリントアウトされた台本を出し読む。
「あれ、清良ちゃんまだいたんだね。部活は?」
「春香ちゃん」
声をかけられてふと頭を上げると可愛らしい笑みを浮かべた少女がいた。
空野春香、体育の背の順が前後だったことがきっかけでよく話す。
「それ新しい劇の台本?」
「そうだよ。脇役だけど役をもらえたから」
「すごいねぇ」
にこにこと言う形容詞がぴったりくる。
春香はおっとりしているので清良からすると話しやすい。
清宮高校は部活動が盛んなことで有名である。
運動部はもちろんのことだが文化部にも力を入れており、中でも演劇部は全国大会の常連だ。
「空野、お待たせ」
入り口から男子生徒の声が聞こえた。
「潮見くん!じゃあ私そろそろ行くね。部活頑張ってね」
「ありがとう。バイバイ」
清良も手を振る。
ーあの二人付き合ってるのかな?春香ちゃん可愛いもんなぁ
春香だけではない。春香と仲の良い結月もクラスではダントツで美人である。クールで近寄りがたいので結月とは話したことはないが。
ふと自分のことを客観的に考えてみる。小柄で特別美人でも可愛いわけでもないが、何故自分が演劇部に入ることになったのか。
それは四月の入学式まで遡る。
***
入学式の日は風が強く吹いていて桜吹雪の中清良は桜を見つめていた。
清良の通っていた中学校には珍しく桜の木がなかったため桜を見たのが久しぶりだったので思わず桜の木に足を止めた。
桜には儚げで優しい不思議な魅力があった。しばらくぼうっと桜を見ていると男子生徒に声をかけられたのである。
清宮高校は学年によってネクタイの色が変わる。
三年生は青緑色、二年生は青色、清良達一年生は赤色だ。
ネクタイの色が青色なので二年生だ。
「ヒロインになってくれ」
それが青谷晴臣との出会いだった。
***
当初は彼が演劇部とは知らなかったため「何この上級生?ナンパ?」と怪しんでいたがよくよく話を聞いてみると桜の木を見つめる清良が次回公演のヒロインのイメージにぴったりだったらしい。
最初は大人しく目立つことも苦手な清良は演劇なんて絶対無理と入部を拒んでいたが晴臣のあまりの熱意に根負けし入部を決めたのであった。
過去に思いを馳せているともう部活動が始まる十五分前だったので急いで机の上に出している筆記用具や台本を鞄にしまい部室に向かう。
清宮高校の演劇部は役者は女性だけで編成される。いわば宝塚のようなもので男性役も女子生徒が行う。男子生徒は大道具作成や脚本など担当としている。このスタイルが清宮高校演劇部の伝統である。
「こんにちはー」
「あ、清良ちゃんこんにちは」
「テストどうだった?」
「そこそこ解けました」
稽古が始まるまで部員同士で話している。
「こんにちはー」
涼やかな声がした。振り向かなくても分かる。この声は時期男役候補の駿河遠江。清良と同級生だがクラスが少し離れている。
男子の中に混ぜても見劣りしない程の身長、涼やかな目元にスッと筋の通った鼻梁漆塗りのような黒髪を一つに結んでいる。
誰がどう見ても非の打ち所がない美形だ。
「清ちゃん聞いてよー。さっきの英語のテスト解答欄ずれてたのに終了十分前に気づいてさあ」
「ええ、大丈夫だったの」
「ギリギリで直し終わったけどまたミスがあるかもー」
話してみると意外に気さくで話しやすい。遠江も清良と同じく晴臣に勧誘されたクチである。ちなみにその時のセリフは「清高の光源氏になれるぞお前!」だったそうで。
青谷先輩って脚本担当なだけあって台詞がちょっとロマンチックだよねと内心微笑む。
***
「部活動終了時刻です。生徒の皆さんは後片付けをしすみやかに帰宅してください」
放送がかかる。
「よし、じゃあ今日はここまでな。片付けて帰るぞ」
部長の声が響き急いで片付けを始める。
今日は小道具しか出していないので片付けはものの数分で終わった。
「お疲れしたー」
「お疲れー」
清良と遠江は仲が良いので一緒に帰ることが多い。
校門を出た所で青谷の後ろ姿を発見すると
「青谷せんぱーい」
遠江が大声で呼び止める。
「おい馬鹿でかい声で呼ぶな」
「すいませんつい」
「お、花井もいたのか」
「はい。遠江ちゃんの後ろにいたので隠れちゃったみたいです」
「お前らぱっと見カレカノみたいだもんな。次の公演は駿河と花井の時代物もいいかもな」
「それ賛成!清良ちゃんとのラブシーンてんこ盛りにしてくださいよ!」
「身分違いの恋とかどうだ」
「萌えるー!大正浪漫とかにしてください!」
清良を置いてぼりにして晴臣と遠江が盛り上がる。
でも大正浪漫かぁ。ちょっと良いかも。
想像してみてうっとり。
相手役に出てきたのは何故か晴臣だった。
ー何で青谷先輩?
理由は何故だか分らなかったが晴臣以外の相手を想像することは出来なかった。
***
終業式を終え本格的に夏休みが始まるとどこの部活動も精を出す。もちろん演劇部も例外ではないく朝から夕方まで活動している。
「アイスの割引券今日までのがあるんだ。帰りに行こうよ、清ちゃん」
「いいよー」
「おおーい小ちゃいものコンビー」
演劇部の小ちゃいものコンビとは清良と晴臣のことである。清良も小柄だが晴臣も男子生徒にしては小柄な生徒のため演劇部でのあだ名になった。
「小ちゃい言うな!」
「ハルが小ちゃいのは事実じゃん」
「うっせー」
「花井ちゃんこっちちょっと手伝ってほしい」
「あ、すぐ行きます」
「あれくらいハルも素直になってほしいよ」
「お前いつかぜってえ抜かしてやっからな」
先輩は同級生の男子と話すとちょっと口が悪くなるんだな。私達後輩には見せない顔だ。
清良の胸がトクンと跳ねた。
何でまた先輩のこと…。自分の行動に首を傾げたがすぐに先輩の手伝いに向かった。
***
初めてその姿を見た時まるで桜の妖精かと思った。
桜吹雪が舞う中で一人の少女がじっと気を見つめている。
澄んだ瞳は何故だか少し泣きそうに見えてー
ちょうど次の公演の脚本を書いている最中だった。まるでその物語のヒロインがいるみたいでー
晴臣は思わず声をかけた。
「ヒロインになってくれ」
今思うととんだ不審人物である。初対面の男にこんなセリフを言われたら女の子は普通引くだろう。
最初は入部を拒否されたが根気よく通い詰めたら熱意に負けたのか入部をしてくれた。
男子の中でも小柄な部類に入る(身長百六十五センチ)自分から見ても清良は小柄だった。焦げ茶色の髪の毛を肩まで伸ばしていて澄んだ瞳が特徴の少し照れ屋な女の子。
最初はただの後輩と思っていたどんどん接していくうちに自分の中で何かが変わった。
ただの後輩ではなく特別な女の子に。
ーいやいやいや、待て待て待て俺。どっちかって言うと俺は年上の方が好みなんだけどな。
よく色んな人が言う好みのタイプと好きになった人は別と言う言葉の意味がよく分かった。
好きと言う気持ちは制御出来ないのだ。
***
部活動を終えいざ遠江とアイスを食べに行こうとしたら遠江は家の用事で早く帰らなくていけない事になってしまったのでまた今度行く約束をした。自分は行けないからと言って遠江はアイスの割引券を二枚とも清良にくれた。二個はさすがに食べれないからもう一枚をどうしようと考えていると青谷と目が合う。
ーそうだ!
「青谷先輩、アイス行きません?遠江ちゃんから割引券もらったんです」
「お、いいな」
***
駅前のアイス屋はちらほらと人がいたがすんありと買えた。清良はレモンシャーベット、晴臣はソーダをチョイスした。
近くの公園のベンチに座りアイスを食べる。お互いに何も話はないがこの無言が返って気持ちよかった。
青谷先輩といると遠江ちゃんといる時とは違う。
楽しいけどどこかくすぐったくて照れ臭い。
夕暮れで二人の伸びる影を見ながら晴臣は思った。
今はまだこの距離がちょうどいいので何か行動を起こす気にはなれない。
でも、いつかきっと男として意識をしてもらいたい。
そして恋人同士になれれば良いと思う。
二人の影が重なるまであとー
出水恭也×蓮見夏帆の場合
どこの学校も女子の方がクラスの権力を握っていることが多いが、清宮高校二年三組は特に女子が強いことで有名である。
四字熟語で例えるならば女尊男卑。
カーストは必然的に女子の下になる。
学生の束の間の癒しの休み時間にある男女グループは会話を楽しんでいた。
「今年の一年可愛い子多いよな」
「分かる。俺あの背の高くてクールビューティっぽい子いいと思う」
「まあでも俺らの代には敵わないだろ。何たってあの更科さんだぜ」
更科栞ー二年どころか学校一美人と言っても過言ではない。
色が白く真っ直ぐ伸びた黒髪に朱色の唇。触れたら折れそうなたおやかな雰囲気の美人でその人気は近隣の学校の生徒なら誰もが知っている。文化祭の時には更科目当てに来る男子生徒も多い。
「アンタら本当更科さん好きだよね」
口を挟んだのは蓮見夏帆。そばかすと勝気そうな瞳が特徴で実際に気が強い。ピンクブラウンに染めた髪の毛を外ハネショートにしている。
「そりゃあ普段こんなおっかねえクラスメイトの女子よりは学校のマドンナの更科さんだろ」
そう夏帆に告げ出水恭也はイタズラっぽく笑う。
「うっせぇ出水!」
そう反論するのは夏帆の友達の久遠梨花だ。夏帆と同様髪の毛をライトブラウンに染めており、髪の毛が長いためポニーテールにしている。
「イズミだっつの」
最初梨花は出水の苗字が読めずにそのままでみずと呼んだことがきっかけでちょくちょくそのあだ名が使われることになったのだ。
「てゆうかぁ、出水にはもう夏帆がいるじゃん」
他のメンバーに気を遣いながら梨花が恭也に囁く。
「ばっか違えよ。蓮見は中学からの付き合いなだけだっての」
「えぇ〜、とか言ってぇ〜?」
「うっわ超うぜえ。久遠ぜってえ彼氏出来ないタイプだろ」
「ちょっと!純情可憐な乙女に向かって超失礼!
「おいどこに純情可憐な乙女がいるんだ」
あまりに失礼なことを言うので梨花は迷わず脛を蹴る。
出水撃沈ざまあ。
この男ってば隣にこんな可愛い夏帆がいんのに…。
「さっすが梨花!クリティカルヒットだね」
「いえーい!」
ー女子怖え。
三組男子の声が一つになった瞬間であった。
***
三組の火曜の六限は体育だった。
体育が二クラス合同で四組と一緒に行う。
四組には学校のマドンナである更科がいる。
「今日の体育男女合同だってよ」
「よっしゃあ更科さんが見れる!」
マドンナ更科と同じ授業と言うこともあり男子達はいつも以上に張り切っておりそれを冷めた目で見つめる女子。
「夏帆準備出来た?」
「ごめん今行く」
グラウンドに向かう途中にふと前を見ると男子の憧れの更科だ。体育のため艶の黒髪を一つの結んでいる。追い越す時に少し顔を見るとやっぱりその顔は夏帆とは比べものにならないくらいに綺麗だ。
そばかすなんてない真っ白な肌丸くて大きな瞳に思わずため息を吐く。
前世でどれだけ徳をつめばそんな美人になるのよ!
もしあたしが更科のような美人だったら出水はあたしのことを好きになってくれたのだろうか。
今のように軽口を叩いたりはしないだろう。
きっと、もっと女の子扱いしてくれるはずだ。
どうしよもない嫉妬心が渦を巻いてしまった。
今日の体育はクラス対抗のソフトボールだったので遠慮なくホームランを打つ。元々運動は得意である。
「夏帆すっごーい!」
「さすが夏帆ちゃんだね」
胸のモヤモヤはホームランを打てたおかげがいつの間にかなくなっていた。
***
授業を終え掃除を済ませると放課後になる。
体育祭が近いため居残り練習をするクラスもある。夏帆達三組も例外ではない。
夏帆は運動神経が良いため男女混合選抜リレーと百メートル走に出場する。
「おーい早く早く!」
「すぐ行く!」
グラウンドに向かい軽く準備運動をしてリレーの走順に並びバトンパスの練習をする。
夏帆はアンカーの恭也にバトンを渡す。
「出水ってそんな足速かったんだねぇ」
梨花が感心したように呟く。
「俺実は中学時代陸上部だったからさ」
「そうなんだ。でも今は部活入ってないよね?」
夏帆は中学時代恭也が陸上部だったのは知っていた。てっきり高校でも続けると思っていたので不思議そうな顔で理由を伺った。
「膝痛めちゃってさ。普通に授業とかで走る分には構わないみたいだけど」
夏帆と梨花は思わず表情を曇らせた。普段明るい二人のそんな表情を見て恭也はわざと明るく告げる。
「もう今は気にしてないからさ」
安心させるように笑う。すると夏帆もぎこちなく笑みを返してくれた。
ー気を遣わせちゃったな。本当はそんな顔をさせたかった訳じゃないんだけど…。
笑顔が似合う夏帆には笑っていて欲しかったが上手い言葉が思い浮かばなかった。
グラウンドの使用時間は十六時までのため五分前になるとどこのクラスも片付けを始める。
グラウンドを使用する部活動がわらわらと準備を始める。
陸上部の姿を見つけ思わず目を細めた。
本当は陸上を続けたかった。風を感じて走るのは心地良かった。練習すればするだけタイムは縮まった。だがある日突然スランプに陥った。中々タイムが縮まらず最期の大会の予選まで時間もなく焦っていた。オーバーワークを重ねて膝を壊した。医者に尋ねるとこのまま陸上を続けるのは難しいと言われた。思い切り泣いた。あんなに走るのが好きだったのに。
引退試合を前に恭也は引退した。
三年生になりある女の子と仲良くなった。
それが夏帆だった。
当時はまだ黒髪で髪の毛も今より少し長かった。勝気な瞳とそばかすは健在。
勝気な性格で男子と口喧嘩をしても負けない(むしろ勝つ)気丈で笑顔が可愛い女の子。
そんな彼女に恭也は救われていた。
落ち込んだことがあっても夏帆は励ましてくれたし面白い話を聞かせてくれた。
いつも側にいた。偶然高校も一緒で二年生では同じクラスにもなれて。ずっと変わらずに友達でいれると思っていた。自分達の関係を言い表すとしたら悪友がぴったりくるだろう。
だから気付かずにいた。自分にとってどれだけ大切な女の子か。
***
「あの、俺ずっと蓮見さんのこと可愛いなって思っててさ。もしよかったら付き合ってくれない?」
放課後の中庭ー告白スポットに夏帆は呼び出されていた。
隣のクラスの爽やかサッカー部員に。
ーもしかしてモテ期!?モテ期!?しかも佐野くんにだなんて!
照れたようにはにかむ笑顔が眩しい。
見たか!?三組の男連中!特に出水!あたしはあの爽やかサッカー部エースに告られたぞ!
心の中で三組男子達に自慢をしたが今はそれは置いといて、ごほんと咳払い。
「佐野くんってサッカー部のエースだし女の子選り取り見取りでしょう?何であたしなの?」
ー四組には男子の憧れの更科もいるのに。
これは心の中で付け足す。
「前から笑顔が可愛い子だなって思ってんだけど」
やだ。笑顔が可愛いだなんて照れる。
「体育の時に本気で取り組んでる蓮見さんを見て一生懸命で良いなぁって。こんな子と付き合えたら毎日楽しそうだなって」
うわ、あのホームランぶっ放しを見られたのか。ちょっと女子として忸怩たるものがある。
四組の佐野に見られてたと言うことは当然出水にも見られていたと言う訳で。
「すぐに返事してとは言わないから考えてみてくれないかな?」
「あ、うん」
「今スマホある?連絡先交換したいなって」
「いいよ」
トークアプリの友達追加をして別れる。彼はそのまま部活に向かう。夏帆はと言うとしばらくその場でぼーっとしてた。
まさかサッカー部のイケメンに告白されるなんて。
やば今日日直じゃん。日誌を書いていないことを思い出し急いで教室に向かった。当番は出水と一緒だ。あいつ怒ってんだろうなぁ。
「ごめん。日誌急いで書く」
「どこ行ってたんだよ」
案の定少し膨れていた。
「んーちょっと呼び出し」
日誌を開きながら何気なく答える。
今日の一時間目何やったっけな。
「呼び出しって何?夏帆ってば怒られるようなことしたの?」
「いや四組の佐野くんにさぁ。付き合ってって」
あれ?あたし今何言った?
「ええええええええ」
梨花の叫びが木霊した。後日談だがこの叫びは隣の棟の職員室まで響いたそうだ。
「佐野くんに告られたの!?すごいじゃん」
「おいおい佐野ってば見る目ないな」
「失礼だなおい」
日誌を適当に書きながら返す。
「じゃあこれ先生に渡してくるから」
「帰ってきたら尋問だぞ!」
***
「つか佐野に告られたってマジ?」
出水とつるんでいる男子の一人が驚いたように言う。
「夏帆って可愛いから結構他クラスの男子には人気なんだよ」
三組の男子には本性がバレているためモテない(それは梨花にも言える)。
「サッカー部のイケメンに告られたみたいですけどそこんところどうなんですか出水さん」
ニヤニヤと茶化したように梨花は出水を肘で突く。
「別に何とも」
「嘘つけ!何とも思ってない顔じゃないよ。もし夏帆が佐野くんと付き合うことになったら気軽にうちらとは遊べないよ」
「何で?」
「分かってないなあ。女の子は彼氏が出来たら普通彼氏を優先するんだよ。彼氏がいるのに他の男と遊ぶなんて駄目でしょう」
恋愛に関してはやはり女の子の方が詳しいので男子は感心している。
もし夏帆と佐野が付き合ってしまえば気兼ねなく遊びに誘えなくなる。
きっとこれまで通りの関係ではいられない。
その事実だけが胸に残った。
夏帆が戻ってきて梨花による尋問が始まる。
夏帆は照れたように話をしていた。
そんな照れたような顔初めて見た。
いつも接しているのにまるで全然違う女の子を見ているようだ。
思わずその腕を掴んだ。
自分のものとは圧倒的に違い細く柔らかい。
「佐野と付き合うのか」
「え」
真っ直ぐに勝気な瞳を見つめる。だがその瞳は少し潤んでいて不安気に揺れてる。
「付き合わないよ」
その返事を満足したのかほっとしたように笑うと掴んでいた手首を離す。離すのが少し名残惜しかった。
少し照れくさくなり鞄を持ち席を立つ。
「帰るぞ。本当はお前がさっさと日誌書いてりゃもう帰れたし」
「何よそれー!あたしのせいな訳ェ!?」
「あー、はいはい。帰りどっか寄ろうぜ」
「わーい賛成!」
そんな二人を慌てて追いかける梨花達は顔を見合わせて吹き出した。
恭也の耳が赤くなっていること、夏帆が頬を赤く染めいつもとは違う笑みを浮かべていることに気付いた。
ぎこちなく恭也が右手を差し出し何か夏帆に囁く。夏帆はびっくりしたように目を見開いたかと思うと嬉しそうに笑い手を乗せる。
悪友同士の恋は始まったばっかりー
吉野涼介×鹿島ありさの場合
十一月。ハロウィンが終わり世間はもうクリスマスモードだになっている。
鹿島ありさは都内のIT企業の経理事務として勤めているOLだ。年齢は二十五歳。
交際している彼氏とは三年目で今は少し倦怠気味だった。このままだと駄目だと思い今日は彼氏の好物のカレーを作りに行こうと思っていた。
仕事帰りなので色気もへったくれもないスーツに踵の低いパンプスなのはご愛嬌と言うことで。
彼の家の最寄駅のスーパーで材料を購入しアパートに向かう。右手には通勤鞄、左手にスーパーの袋をぶら下げて階段を登る。
二階の一号室が彼の部屋だ。合鍵を使い玄関に入るとまだ帰って来ていないのか部屋は薄暗かった。
玄関に見慣れないヒールがある。ありさが履くことのない可愛らしいピンク色の踵の高いヒール。
ー嫌な予感がする。でも確かめずには帰れない。
今思えばここで帰れば良かったのかもしれない。
「知久ー?」
彼の部屋を開けた時に絶句した。
自分の彼氏と自分ではない女がまぐわっていたのだから。
スーパーの袋がありさの手から滑り落ちた。
よくドラマで彼氏の浮気現場を目撃した彼女達の気持ちが分かった。
男は焦ったように、女は勝ち誇ったようにありさを見つめた。
何となく予感はしていたが実際に浮気現場を見るのはキツイ。ありさは合鍵をぶん投げると急いで彼の家から逃げ出した。
トボトボと家に帰る。ご飯も食べる気力なくシャワーを浴びてそのまま寝た。
翌朝を目覚ましがなる前に目が覚めてた。スマホで時間を確認すると四時。あと二時間は眠れる。だが眠る気にはなれなかった。スマホのトークアプリに通知が来ていた。それは彼からだった。
『酔った勢いだった。ごめん。俺が一番好きなのはありさだけだよ』
白々しい。そう思いつつもう別れようと返信をして彼の連絡先を消した。彼との写真を片っ端から削除した。幸いなことにありさも彼も写真を撮りたがるタイプではないのですぐにデータはなくなった。
だが昨日の光景がどうしよもなくフラッシュバックしてしまう。
しょうがない早く会社行っちゃおう。
いつもより一時間も早く家を出た。
仕事をしているうちはきっと昨日のことを思い出さずにすむ。
***
給湯室で自分のマグカップにコーヒーを入れていると声をかけられる。
「あれ、鹿島さん?早いね。おはよう」
「吉野さんおはようございます」
相手は吉野涼介。年齢はありさの二つ歳上で営業部の中では一番若い。歳もありさと近いためちょくちょく話す。
「今日は早く目が覚めちゃって。吉野さんはいつもこんな早いんですか?」
始業時間まであと一時間もある。
「普段はもうちょっと遅いんだけどね。今日は取引先に挨拶に行くから資料作り」
「営業さんは大変ですねえ」
「まあ俺が一番新人だからね。どうしても雑務は俺に回ってきちゃうよね」
若造に雑務が回ってくるのは経理部も営業部も一緒みたいだ。
お互いに苦労が絶えないみたいだ。
「あ、もしよかったら吉野さんもコーヒー飲みます?ついでに入れましょうか?」
「本当?じゃあお願いします」
「はーい」
コーヒーを注ぎ、渡すとありがとうとお礼を言われる。椅子に踏ん反り返って例も言わないおっさん上司共!少しは彼を見習えっ!
自分のデスクに戻りメールチェックをしたり会計ソフトを使用し残高の確認をしているとあっという間に始業のチャイムが鳴った。
この日は特に問題もなく業務を全う出来た。
金曜日の夜と言うこともあり、同期の女子達で飲みに行くことになりいそいそと退社する。会社の近くにある安い居酒屋で早速愚痴を言う。
「でさあっ、あいつ他の女と情事の最中だったの」
「うっわ信じらんない!最っ低!」
「普通浮気すんならバレないようにホテルとかに行けよっ!」
「男って馬鹿だよね。自宅で浮気って絶対バレるに決まってんじゃん!」
酒もどんどん進む。割といけるクチだがこの日はやたらハイペースで飲んでいた。
帰る頃にはもうベロベロに酔っ払っていた。
「ちょっと鹿島ってば飲みすぎだよ」
「帰れるー?」
「んー」
「駄目だこりゃあ。あたし途中まで送って行ってあげるよ」
「あれ、鹿島さん?」
「吉野さん」
「どうしたの?随分潰れちゃってるみたいだけど」
「あー、彼氏に浮気されてヤケ酒しちゃって」
「なるほどね。俺送って行こうか?使ってる路線一緒だし」
「本当ですかぁ!助かります」
「鹿島さん大丈夫?歩ける?」
「だいじょーぶですよー」
千鳥足だがまだ意識はある。吉野に迷惑はかけられない。
「いいよ。ついてく。心配だし」
ありさの最寄駅に着きここまでで良いと断ると心配だから家まで送ると言われた。
何故だかその優しさに無性に泣きたくなった。
何でそんなに優しく出来るの?ただの後輩なのに。
酔っ払ったせいかそんなことを口走った気がする。
そこからの記憶はない。
***
翌朝目が覚めると異様に酒臭い。
あたしシャワーも浴びずに寝ちゃったんだ。
ていうかあたしどうやって家まで来たの!?
水を飲もうとキッチンに向かうとソファに吉野の姿がありギョッとした。
えっ!?何で吉野さん!?昨日いなかったよね!?
自室に戻りスマホを確認すると同期からメッセージが来てた。
「あ、鹿島さん起きた?」
「ぎゃあっ」
女としてこの悲鳴はどうなんだあたしっ!もっと可愛くきゃあっとか言えるだろ!
だから浮気されたのかなとちょっと胸がチクリと痛む。
「大丈夫?具合悪くはない?」
「いや、あの大丈夫です。吉野さんこそご迷惑おかけしたみたいですみませんでした」
「気にしなくていいよ。俺も彼女にフラれてヤケ酒とかしたし」
彼氏に浮気されてヤケ酒したのもバレてるー!?
吉野さんみたいな優しい人をフルなんてもったいない人だな。
「あ、あのもしよければ朝ごはん食べて行って下さい。もう九時なのに何も食べれてないでしょう?」
「実はお腹ペコペコでさ。出来れば頂きたいな」
「すぐ作りますね!」
朝食は味噌汁と野菜炒めと言うシンプルな物になった。
「いただきます」
「どうぞ」
お腹が空いていたのか吉野は箸を進める。
「鹿島さん料理上手なんだね。すごい美味しいよ」
「ありがとうございます」
ありさは思わず照れる。美味しいなんて言ってもらえたのいつぶりだろう。
あの男は作っても何の感想もなかった。
「おかわりもあるので気軽に言ってくださいね」
吉野はご飯を二膳も平らげた。その食べっぷりがありさには嬉しかった。
「すっかりご馳走になっちゃてごめんね。美味しかったよ」
「いえ。こちらこそご迷惑をお掛けしちゃったので。ここから駅まで分かりますか?」
「大丈夫。じゃあまた月曜に会社で」
「はい。お気をつけて」
吉野の姿が見えなくなるまで見送り部屋に戻り食器を洗う。
酔っ払ってたとは言え職場の先輩に迷惑をかけてしまった。
***
月曜日。ありさは少し早く出勤して営業部の吉野のデスクに向かった。
「おはようございます」
「あ、おはよう」
「これ金曜日のお詫びです。良かったらどうぞ」
「気にしなくていいのに。でもありがとう」
吉野に渡したのは会社の近くにある有名なケーキ屋のクッキーだ。甘さも控えめなため男性でも食べやすい。
「ここ会社の近所の店のだよね」
「そうです」
「俺も取引先に持ってく時あるよ。結構評判いいんだよね。安いし手頃だから結構重宝してる」
クシャリと笑う。笑うと笑い皺が出来るのが吉野のチャームポイントだ。
思わず胸が弾む。しばらく恋愛はこりごりなんだから。きっとこれは気の迷いだ!落ち込んでる時に慰められるとキュンとしちゃうやつだ!
自分に必死に言い聞かせて首をブンブンふる。
そんなありさを吉野は優し気な目で見つめていた。
***
少し残業をしてデスク周りを綺麗にしタイムカードを押して退社する。ビルを出るとそこには元彼の姿があった。
「何で、ここに」
「メールも電話も出てくれないから」
ありさのスマホは連絡先に登録していない電話は着拒にするように設定しているせいだ。
「今更何」
「悪かった。もう一度ありさとやり直したいんだ」
「無理だって!一回でも浮気をしたような人とあたしはもう付き合えない!」
「男は浮気する生き物なんだよ。一番好きなのはありさだよ」
強引に肩を掴み迫ってくる。
男は浮気する生き物だぁっ!?ぶっ飛ばすぞテメェ。開き直りにも程があんだろ!
「やめて離してっ!」
「嫌だ。やり直そう!」
しつこい!気持ち悪い!だが男の力には逆らえず振り切れない。どうしよう…。
「僕の彼女に触らないでもらえますか」
「え」
突然後ろに引かれて抱きしめられた。その正体は吉野だ。
「申し訳ないのですが彼女はもう僕と付き合ってますから」
「何だよテメエ!」
「離れろって言ってるだろう。彼女のこと傷付けておいて今更やり直そうなんて虫が良すぎるんじゃないのか」
普段温厚な吉野からは想像できない声で凄む。
「あまりしつこいと警察を呼ぶぞ」
「な、なんだよ!そんな女くれてやるよ!」
典型的な捨て台詞を吐き去って行った。
しばらく呆然としていると声をかけられる。
「大丈夫?」
「あ、は、はい。ありがとうございました」
声が少し震えた。自分でも分かる怖かったみたいだ。
「怖かったよね。どこかでお茶でもして落ち着こうか」
連れて行かれたのは駅の近くのチェーン店に入る。吉野はコーヒー、ありさは紅茶を注文した。注文した物が来て吉野は口を開いた。
「余計なことしちゃったかな」
「いえ!そんなことはないです!すごい怖かったので吉野さんが来てくれて本当によかったです」
あのまま吉野が来なかったらと想像するとゾッとした。
「俺さ」
吉野が真っ直ぐありさを見つめる。
「鹿島さんが好きだよ。こんなタイミングで言うのもあれだけど」
思わず目を見開く。
ーえっ。今何て?
「鹿島さんってさ取引先の資料とか分かりやすく並び替えてくれてたでしょ」
「何でそれを」
「他にも皆のマグカップを洗ってくれたり花瓶の水を替えたり。気の利く人だなって思ってたらいつのまにか目で追ってた。彼氏がいるみたいだから気持ちを伝えるのはやめようって思ったんだ」
でも、と告げる。
「フリーならガンガンいかせてもらうから覚悟しといて」
「もうとっくに惹かれてますよ。あたしの料理を美味しいって笑ってくれた時から好きになっちゃいましたよ」
「じゃあ俺達とっくに同じ気持ちなんだね」
嬉しそうに笑うと伝票を持って立つ。
「帰ろう家まで送るよ」
家まで送ってもらいお礼の挨拶をしようと顔をあげると唇に噛み付かれた。
今あたし吉野さんとキスしてる。
「今日はここまでだな。続きはまた後日。まお休み」
ニヤリと悪戯っぽく笑う。
うわあ何その顔。狡い。あたしにしか見せない顔ってことでしょう。
ありさの胸はまるで少女時代に戻ってしまったようにドキドキと音が鳴っていた。
御幸棗×橘結月の場合
潮見翔と空野春香が恋人同士になったから初めてのバレンタインがやってくる。
二月に入ると世間はすっかりバレンタインモードでどこもかしこもバレンタイン特集だ。
「潮見くんはどんなチョコが食べたい?」
「そうだな。ナッツとか入ってるやつがいいな」
「食感重視だね!分かった」
帰宅路で浮かれている二人を見つめながら歩く整った顔立ちをした男女が二人。
「御幸くんと結月ちゃんは何食べたい?」
「俺には気を遣わなくて大丈夫だよ」
こう返すのは御幸棗。
「私も。翔の余り物とかでいいから」
橘結月も棗のようにそっけなく返す。
そっけない訳ではない。二人は幼馴染である翔に気を遣っているのだ。
「そういう訳にもいかないよ!二人とも大事な友達なんだから!」
「じゃあ、俺も結月も甘さ控えめなのをお願い」
当然のように結月の苦手なものも覚えている。気が効く男だ。
「分かった!」
「棗は毎年大変だよね。女の子からすごいもらうから」
「そんなにもらってないよ。基本断ってるし」
そう。棗は涼し気で端正な顔立ちをしているため女子生徒にとても人気がある。
二月に入ってから「御幸くんってどんなチョコ好き?」とクラスメイトに何度行かれたか分からない。
棗は基本チョコは断っている。下駄箱や机の上に置いてあり送り主が分からない物は仕方がないのか持ち帰っているみたいだがそれを食べている所を結月は見たことがない。
幼馴染の特権で結月のチョコは毎年受け取ってもらってはいる。
ー今年は手作りしてみようかな。
乙女思考に突入したが自分の不器用さを思い出しやっぱり今年も市販のやつにしようと再び決意する。
そんな結月を春香は何とも言えない表情で見つめた。
***
その日の夜結月が部屋で読書をしていると」スマホに春香から電話があった。
「もしもし」
『もしもし結月ちゃん今大丈夫?』
「大丈夫だよ。どうしたの?何かあった?」
『よかったらバレンタインのチョコ一緒に作ろうよ』
思いがけない提案に結月は目をしばたたいた。
『今日の帰り道ちょっと難しそうな顔してたから』
バレてる。そんなに分かりやすかったかな。
「じゃあ一緒に作りたいな。私お菓子作りっってほとんどしたことなくて。迷惑かけると思うけどよろしく」
『じゃあ来週木曜!バレンタインの前日の放課後にうちに来てよ!』
約束を交わし通話を切る。
いっそのこと思いを告げてしまうのもいいのかもしれない。
その後気まずくなったらと思うと中々進めない。
幼馴染との恋愛が上手くいくなんて所詮少女漫画だけの世界だ。
ベッドに入りそっと目を瞑る。
***
時間が過ぎるのはあっという間でチョコを作る木曜日になった。
事前に今日は一緒に帰れないと伝えておいたため珍しく四人では帰らない。
「スーパーで材料買ってから行こうね」
スーパーでホットケーキミックス、ココアパウダー、チョコペンなど必要な材料を買い揃え空野家に向かう。
「お邪魔します」
「どうぞどうぞ」
春香の家はごく一般的な一軒家で小ちゃい庭がついていた。
ホットケーキミックスと言うものは万能でクッキーやパウンドケーキも作れるらしい。
スマホでレシピを見ながら二人で奮闘している(奮闘しているのは不器用な結月だけだが)。
生地を寝かせている間に春香が伺うように結月に質問した。
「ずっと思ってたんだけどね、結月ちゃんって御幸くんのことが好きなの?」
その質問はあまりにも突然で思わず持っていたゴムヘラを落としそうになった。
「ずっと結月ちゃんの御幸くんを見る目は違うなって思ってたけれど今日確信したの。結月ちゃん恋する乙女の顔をしてるから」
恋する乙女なんて自分には一番縁のない言葉だと思った。
でもー
「うん。好き」
絞り出すように囁いた。
「ずっと好きなの」
好きになった日のことを思い出す。あれはまだ小学生三、四年生の頃だ。
昔から結月は女の子にしては背が高くそのことで男の子達にからかわれたりした。
当時は翔、棗、結月の中では結月がズバ抜けて背が高かった。
からかわれ落ち込んでいた時に棗は結月に伝えてくれた。
「結月の方が背が高いから皆羨ましいだけだよ」
そう言って笑う。
「俺は結月の真っ直ぐ伸びた背中が好きだよ」
あの日をきっかけに結月の世界は変わった。
「そんなことがあったんだね」
春香がうっとりとしている。
「やっぱり小ちゃい時から御幸くんは優しいんだね」
それとも結月ちゃんだからかな?こう言えばきっと結月は否定する。だけど春香は知っている。時々結月を見つめる棗の視線が蕩けるように優しく甘いことを。
知らないのは本人達だけ。
自分と翔の恋を応援してくれた二人なのだ。結ばれてほしい。
胸中で思いお菓子作りを再開した。
ちょっと失敗したのもあるが初めてのお菓子作りは中々の出来だった。
ラッピングをする。ラッピング用品もスーパーで買ってきたものだ。
一番上手に出来たパウンドケーキは棗のにした。ラッピングも一番時間をかけた。時間はもう八時を過ぎていた。
「すっかり遅くまでいてごめんね」
「大丈夫だよ。もう暗いけど大丈夫?」
「うん。親には連絡してあるし。春香の家から駅近いしね」
そう言ってローファーを履き春香に向き合う。
「これ1日早いけどハッピーバレンタイン」
「わあ、ありがとう!私も持ってくるね」
いそいそとキッチンに向かい結月の分を渡す。
「じゃあお邪魔しました」
「気をつけてね」
空野家から駅まで徒歩十分なのですぐに駅に着き電車で自宅へ向かう。
自宅の最寄りまで着き自宅まで歩く。
自宅nマンションに向かう時には潮見家と御幸家を必ず通る。
棗の部屋電気ついてる。ふと立ち止まると急に窓が開く。そして棗と目が合う。
このタイミングで出て来られるとは思わず結月は硬直した。
「今行くから待ってて」
数秒で棗が結月のいる外まで来るコートにジーンズというシンプルな格好だがそんな格好でもよく似合う。
「今日遅いね」
「う、うん。春香の家でバレンタインのチョコ作ってたから」
「家まで送るよ。明日バレンタインだもんね」
結月は気恥ずかしくなりパウンドケーキの入っている紙袋を棗の反対側に持ち替えた。
「結月今年は手作りってことだよね」
「そうだよ」
「楽しみ」
涼やかに笑う。結月は赤くなった顔を隠すようにそっぽを向いてつっけんどんに言う。
「棗にあげるなんて言ってないよ」
「くれないの?」
寂しそうな子犬のような瞳で覗き込まれ思わず固まる。
「あ、あげるよ!」
「よかった」
嬉しそうに笑う。対照的に結月は唇を尖らせる。
この二人は教室ではクールであまり表情が変わらないと思われがちだが意外にも顔に出やすい。棗は結構笑うし結月は結構拗ねる。
そんなやりとりをしているうちに結月の住んでるマンションに着いた。
「送ってくれてありがとう」
「うん。じゃあまた明日」
「お休み」
自宅に帰り思わず制服のままベッドにダイブした。
ーこれ以上好きにさせないでよ、バカ
***
女の子達の決戦日のバレンタイン。どこのクラスもどことなく浮ついている。
教室でもクラスメイト同士チョコの交換をしている。
結月もクラスメイトと交換をする。
その日の授業は全く身に入らなかった。
お昼を春香と清良と一緒に食べる。
「清良ちゃんは演劇部の先輩に渡すの?」
「う、うん。お世話になってるから世話チョコみたいな感じだけど」
「とか言って?とか言って?」
「ゆづちゃん悪ノリしないでよー」
「ごめんね。でも世話チョコってい名前だね」
「私も思った。世話チョコかあ。ナイスネーミング!」
褒められ清良が嬉しそうに笑う。
清良も結月も放課後からが本番だ。
睡魔と戦いながら午後の授業を終えいざ放課後!
いつも通り翔、春香、棗、結月で帰宅する。
今日は春香は翔の家に遊びに行くので帰り道は一緒だ。
翔達の最寄り駅に着き気を遣ったのか春香と翔(春香に連行されたと言う)はお邪魔するのにお菓子を買っていないと言ってスーパーに寄ってくれた。
二人きりの帰り道は何だか緊張してしまう。
もうすぐ棗の家だ。せっかく春香が二人きりにしてくれたんだから。意を決して棗の方を向く。
「これバレンタイン。味は期待しないで」
「ありがとう」
棗は嬉しそうに目を細めた。
「それ義理じゃないから」
「え」
「じゃあ月曜日に!」
恥ずかしくなりダッシュした。
「言い逃げかよ」
棗は思わず顔を赤くして頭を掻いた。
義理じゃないってことは期待してもいいんだよな。
長年の片思いも身を結べそうだ。
口元に笑みが自然に浮かぶ。
やばいこれは相当嬉しい。
翔にだらしない顔するななんて言えないな。
鏡を見なくても自分の顔はさぞ緩んでいることだろう。
やばい、勢いに任せて義理じゃないなって言っちゃたけどもっと可愛い言い方あったよね!?
月曜日どんな顔して会えばいいんだろう。
今の私絶対顔赤い。鏡を見なくても分かる。
***
月曜日の朝マンションの入り口から出ると棗がいて思わず悲鳴をあげそうになったが堪える。
「おはよ」
「お、おはよう」
「俺は結月のことずっと好きだよ。ただの幼馴染としてなんか見てない」
棗が柔らかく笑う。綺麗な顔立ちをしているのでそう言った表情がよく似合う。
「私も棗がずっと好き」
そう言って結月は笑った。今までで一番綺麗な笑顔だった。
どちらからともなく唇を重ねた。
初めてのキスは冬の乾燥のせいか唇がカサカサしていてロマンチックなものではなかった。唇を離すと棗は幸せそうに笑った。
「俺にとって結月は特別な女の子だよ。今も昔も」
一部始終を見ていたマンションの管理人や通学途中の小学生に冷やかされて頬を染めたのは言うまでもない。