初めてのブタの彼女
幼馴染が起こしに来てくれる。そんなシチュエーションが目の前に広がっている。
もっと厳密に表現するなら、仰向けに寝ている俺の腰辺りに小葉が跨がっているのだ。それだけを聞いたならうらやまけしからんと思ってしまうだろう。
しかし、残念ながら俺に跨がった小葉は目を瞑ってエアピアノ中だ。そう言えばもうコンクールが近いんだっけか?
「おいおいっ、小葉。俺に跨がって何してるんだ」
「あっ、起きたんだ?」
小葉はエアピアノをやめて俺と視線を絡ませた。年頃の女の子と密着しているのにドキドキ感がないのはなぜなんだろうな?
容姿自体は可愛い部類なんだし、いつも何だかんだ楽しそうにしているから、マイナス要因なんて無いように感じられる。
まぁ、強いて言うなら憂いがないのか?
憂いと言えばマイナスな感情のイメージがあるけど、普段明るい娘のふとした時の憂いの表情はどこか色気を感じさせるものだ。
とは言っても、俺が見慣れた小葉はこんな感じだし、これでいいのだろう。
「ああっ、お陰様でな。で、なんの用だ?」
皮肉たっぷりにそう答えたが、続けて彼女の口から紡ぎ出された言葉に驚きを隠せなかった。
「おめでとう。とうとうあの娘と付き合ったんだね。」
あれ?なぜだ?
まだ、トモヤにも言ってないのに。
「ありがとう、なんで知ってる」
「えっ、、だって教えて‥これ、言っちゃいけないやつだった‥何でもないよ。」
全然誤魔化せてないけど、まぁ、あんまり追及したら可哀想か。
それにしても、俺に先を越されて、イラッとするどころか、素直に祝福できるのは意外と器がデカイのか、それとも俺の器が小さいのか?
まぁ、小葉は浮世離れしているが、どこか自分をしっかり持っている。一本筋が通っているというかそういう感じだ。
まぁ、彼女の場合、その芯を形作っているのは間違いなくピアノ演奏だ。
それに比べて、俺には芯がないのかもな。
「まぁ、いいや。今日も練習頑張れよ。」
「うん、任せておいて。」
小葉は小学生のような見事なVサインをして微笑むと、そのまま去って行った。
本当に祝福しにきただけだったのか。
まぁ、そのまま居座られても困るところだったからよかったな。
俺は身支度を整えて冷蔵庫を開ける。
すると‥‥インターフォンの音が俺の鼓膜を刺激した。まだ、芽愛がくる時間までは30分もある。まさか、また小葉なのか?
俺は戸惑い気味に扉に手をかけた。
「イオ先輩、お待たせ。」
ドアを開けると目の前には愛しい愛しい恋人である芽愛がはにかんでいる。
「いや、まだ約束の30分の前だからね。」
「1秒でも早くイオ先輩に会いた‥‥どうせ先輩の事だから寝坊すると思ったんですよ。」
なぜか俺がディスられているが、あながち間違いでもないので、言い返しづらいな。
「寝てたら起こしてくれるつもりだったのか?」
「先輩の寝顔が見れ‥‥そうですよ。先輩ってば普段はハレンチで怠惰な豚ですから。」
相変わらず、悪戯っぽい笑顔でおもいっきり毒を吐く。
「あははっ、ということは芽愛はブタの彼女ってことだな。」
「もう、先輩って意地悪です。」
『彼女』ってとこを否定されなかったな。
それだけで、胸の中からジワ〜ッと喜びが染み出してくる。
何々、世のリア充ってみんなこんな良い思いをしてるのか?
「先輩?どうしたんですか?」
「あっ、悪い、考え事してた。」
しまった。
俺だけ舞い上がり過ぎなのかもな。
「私と居るのに?何を考えていたんですか?もしかして、別の女のこと考えてました?」
「そっ、そんな訳ないだろ?」
すげぇ、どうしてそうなるんだ?
芽愛の思考回路が全くわからないんだけど。
「先輩の周り、可愛い娘がいっぱいいるし。」
「可愛い娘?あっ、刹那のこと?元婚約者ったって別に‥」
そう言いかけて、自分で地雷を踏んだことに今更ながら気づいてしまった。
そう言えば、刹那との事は芽愛は知らないんだった。わざわざ、話す話でもないのにやっちまったぁ。
「も、も、元婚約者?先輩、浮気ですね。死にますか?」
‥キター、ヤンデレ‥‥ウソだろ?
『死んだら、ずっと私のもの』ってこと?
「いっ、、いやだ。俺はまだ死にたくないんだ。たっ、、頼むよ。」
俺は必死に土下座して命乞いをする。
「‥冗談です。元ですもんね。隠されるよりずっといいです。」
芽愛はひどく悲しそうな表情を浮かべた。
瞳は不安で揺れていて、手はギュッと握りしめられている。
俺はバカだ。
正直に言うとしても、言い方があるだろ。
「いや、子供の時、しかも親同士が決めたっぽいぞ。まぁ、その時の記憶がないから実感もくそもないんだけどな。」
だから、なんとかフォローを試みる。
「本当に?」
芽愛は母親を見つめる子供のように無防備な表情を浮かべている。
正直に言うと『らしくない』と思う。しかし、それをさせてしまってしまっているのは俺なんだよな。
「本当だし、浮気なんて絶対しないって」
「うん、信じてます。」
言った後にボソッと芽愛の独り言が聞こえる。
『私ってこんなに独占欲強かったんだ。先輩に嫌われたりしないかなぁ』
「独占欲強いって事はそれだけ俺が好かれてるってのとだよな?嬉しいけど。」
「えっ?せっ、先輩、今の聞いて‥うそ?やだぁ。」
みるみるうちに芽愛の可愛い顔が朱に染まる。
もちろん、見ほれたい気持ちはあるけど。
「いや、なんか悪い。」
「う〜っ、先輩の変態、ラッキースケベ。」
俺が謝ると、一生懸命に毒舌を吐こうとして吐き損なった中途半端な言葉が宙を漂う。
芽愛のまるで名刀で斬られた時のような、いつもの斬れ味するどい毒舌が完成に影を潜めてしまった。
「いや、芽愛、普通でいいんだぞ。」
「???どういう意味なんですか?」
「だって、、らしくないから」
「私は私ですよぉ。先輩って私の事どう見ているんですか?」
「だって、、芽愛って俺にはそんなに遠慮しないだろ?」
「何言ってるんですか?遠慮なんてしてませんよ。先輩ってば変です。」
‥‥やっぱりおかしい!
芽愛ならその後で『まぁ、先輩って出会った頃から今までず〜っと変ですけどね。』なんてことぐらいは言いそうなのだが。
「だよな‥‥変な事言ってごめん」
俺は結局は見て見ぬ振りをした。
だって、芽愛が泣きそうな顔をしていたから。




