3話
「ユリア開けて下さい。ルキアです」
えっ、ルキア様! どうしましょう……。こんな涙でぐしゃぐしゃな顔もヨレヨレのドレス姿も見せられません。それに、ルキア様には恋人がいらっしゃいます。泣く泣く追い返す事にしました。
「お会いできません。どうか、お帰り下さい」
「そんなに具合が悪いのですか? 起き上がれませんか?」
「そうではないのです。でも、胸が痛くて……」
「胸が痛いのですか⁉ ――心臓か⁉ 今、扉を開けます。ユリアは離れていて下さいね!」
えっ、離れる? 疑問に思う間も無く、扉に衝撃が走ります。ドガンドガンという大きな音がして扉が歪み、少し溜めがあった後の一際大きい衝撃で扉が室内に倒れて来ました。
「え、え~~~っ⁉」
高く上げていた片足を下ろしたルキア様が、私の驚きなど意に介さず、急いで室内に入って来ます。
「ユリア、無事ですか⁉ ――いや、動かさない方がいいか……。すぐに医師を連れて来ます!」
ベッドに座り込んで呆然としていると、音に驚いた父上や屋敷の皆が一斉に来てくれました。
「今の音は何だい⁉ ユリア、無事かい?」
「侯爵、それどころではありません。直ぐに医師を」
「えっ、ユリア、具合が悪いのかい?」
「い、いえ、違います。私は大丈夫です」
「大丈夫ではありません! さっき胸が痛いと仰ったではありませんか! 遠慮するのも大概になさい!」
「た、大変だ! 早く医師を!」
どうしましょう、収集が付かなくなってきてしまいました。
「――邪魔するぞ。ユリアの見舞いに来たんだが、何を慌てているんだ? 賊でも入ったか?」
「ダーク様! 助けて下さい!」
その一言に片眉を上げたダーク様が、周りの様子を見て少し考えた後、ルキア様の脳天に手刀を入れました。
「痛っ! 何をされるのですか⁉」
「落ち着け。まず、しっかりとユリアの話を聞け。よく見てみろ。痛そうにしているか?」
「…………していませんね」
「そうだろう。侯爵も落ち着け。親父はドーンと構えていればいいんだ。さぁ、他の奴らも下に行くぞ。ユリアも二人だけの方が話しやすいだろう。ほら、行った行った」
ダーク様に連れられて全員居なくなってしまいました。この後は、ど、どうすれば……。
「本当に大丈夫なのですか?」
「は、はい。体ではなく、心が痛かったのです。とてもショックな事があって……」
「何があったのですか⁉ 誰かにいじめられたのですか⁉」
ギョッとした顔をしたルキア様が私の両腕を少し痛いくらいの力で掴みます。
「いじめられてはおりません。自分が不甲斐なかったばかりに起きた事なのです。悪いのは私です」
「そんなに自分を責めてはいけません。どうか、詳しい話を教えて下さい。一緒に考えれば何か出来る筈だ」
ルキア様の優しさに辛くなってしまいます。あんなに素敵な恋人がいらっしゃるのに、私をこんなにも気遣って下さるなんて。やはり、妹の様に思ってくれているからなのでしょうか?
「ゆっくりでいいのですよ。私は貴女の側でこうして待っていますから」
頭を撫でてくれる優しい手に涙が零れそうになります。この方を私だけのものに出来たのなら……。そんな邪な想いはいけないと分かっていながら、じっと見つめていると、真摯に見つめ返してくれます。
「私……私と……」
「はい」
じっと言葉を待ってくれているルキア様に、勇気を出して言ってみます。
「……ルキア様は、これからも私と会って下さいますか?」
「? 今もこうして会っているではありませんか」
「でも、恋人がいるのですよね?」
「はい? 居ませんよ。何か勘違いをしているのではないですか?」
えっ、勘違い? でも、ルキア様が優しい嘘を仰っているだけかもしれないし……。
「あ、あの、この前に庭園でお会いしていた女性は?」
「庭園? ああ、ユリアの後ろ姿を見掛けた日ですか?」
「気付いていらしたんですか⁉」
「はい、走って行く後ろ姿を見ただけですが。彼女は緑の国の貴族の娘さんで、『具合が悪い両親を助けてくれて、ありがとうございました』とお礼を言いに来て下さったのですよ」
「えっ、でも、す、す――」
「す? 何ですか? よく聞こえません」
きゃーっ、ルキア様、顔が近いです! 綺麗な長いまつげ……って違う! 嬉しいけれど、離れて下さい~! もうっ、ヤケになってやります!
「好きって言われていました!」
「誰が誰にですか?」
「その女性に『好き』だと言われて、ルキア様が『私も好きです』と返していらしゃったではないですか!」
「……好き? ああ、確かに言いましたが――」
「ほら、やっぱり! 私の事はいいので、彼女さんの所に行ってあげて下さい」
「だから、彼女は居ないと言っているでしょう。あの時にしていた会話は白身魚についてですよ」
「……えっ?」
「この前お出しした白身魚の料理を伯爵が気に入ったそうなのです。私も好きな料理だったので、私も好きですよと話していただけです」
体から力が抜けていきます。そんな話だったのですか……。非常に恥ずかしくなってきました。沢山の方にご迷惑とご心配をお掛けしてしまいました。ああっ、どうしましょう!
「それに、私はユリア以外の女性の事は考えられません」
「えっ!」
い、いま、私以外は考えられないって言いましたか⁉ 更なる混乱が私を襲います。
「何かおかしな事を言いましたか?」
「ど、どういう意味ですか?」
「そのままですよ。ユリアは目が離せませんからね。私が居ないと、すぐにこうやって問題を起こす。私はユリアだけで手一杯です」
そう言って、いたずらっぽい笑みで私を見てきます。
「酷いです! 私はしっかりしているって、皆さんに言って貰えるのですよ」
「ほぉ、誰が言ってくれたのですか?」
「あっ、信じていませんね! この前はお城のメイドさんに言って頂けましたし、後は庭師さんと門番さんと、それから――」
「ははは、うちの城の者達ばかりではないですか。それは、社交辞令というやつです」
「また、そうやって意地悪を仰るのですね。もう知りません!」
ぷいっとそっぽを向くと、クスクスと笑っていらっしゃいます。
「元気が出て来たようですね。先程、胸が痛いと言われた時は本当に焦りました。ユリアを失うかと思ったら、火事場の馬鹿力が出ましたよ。修理代はきちんとお支払いしますね。申し訳ない」
「いえ、きちんと説明しなかった私がいけなかったのです」
「そんな事はありませんよ。それで、ショックな事というのは何があったのですか?」
きゃ~、また覗き込まないで! びっくりして忘れていましたが、私の顔も服も酷い状態です。
「ルキア様、離れて下さい。私、こんな状態で恥ずかしいです……」
「落ち込んで何も手に付かなかったのでしょう? それに、顔色は悪いですが、いつも通りに可愛いですよ」
勘違いしてしまうのは、きっとルキア様の所為です! さらっと可愛いとか言うだなんて。あ~、もうっ、赤面です!
「うん? 顔色も良くなってきましたね。じっくりお話を聞く前に食事をしましょうか。何も口にしていないのでしょう?」
「そうですけど、それよりも離れて下さい」
「お断りします。倒れたら一大事だ。これ以上、私に心配を掛けないで下さい。食堂まで運びましょう」
お姫様抱っこに慌てていると、執事が来てくれました。
「ルキア様、せめてお嬢様のお召し替えをさせて下さい。女性にその姿で食堂へというのは酷な事でございます」
「そうか、済まない事をしました。配慮が足りていませんでしたね。だが、扉が――」
「こちらのお部屋へお願い出来ますか?」
頷いたルキア様が、苦も無く運んで下さいます。細身な方だと思っていたのですが、やはり男性なだけあって力持ちです。