6-1
「冬岸 奏汰 (Kanata Fuyugishi)」
胸の名札には、聞き覚えのない名前が、粗いゴシック体で書かれていた。
「……フユギシ・カナタ。これが俺の名前? っ?! あ痛ぅ!」
何かを思い出そうと記憶の隅を突つくと、後頭部を刺すような痛みに襲われる。おかげで何も思い出せず、イライラだけが募っていく。
「……ここは何処だ?」
思い出せない。
薄暗い小部屋。今まで眠っていたベッドに腰掛けている。向こうの机の上には、厚めの瓶に入った錠剤と、水の注がれたコップが置いてある。
窓と扉があり、窓には、あからさまな鉄格子。その奥は、向こうから打ち付けてあるのだろう、木の板で塞がれているのが見える。
「扉……。も、開かないか」
扉には鍵が掛かっているようだ。少し錆びてザラつくノブを、左右に何度か回すが、押しても引いても、開かない。
机の前の椅子に腰掛けると、ギシリとイヤな音を立てる。クッションの悪い椅子だ。肘置きの位置は、なかなかだが。さて……。
「薬と、水と……」
……メモだ。黄色い付箋に、赤い文字で、何やら書いてある。
『必ず2錠飲め。不安ならポケットを見る。飲んだら正の字に2本足して、一番下の引き出しを確認すること』
その文字の下に、"正一"と書いてある。俺は既にこの薬を、6錠も飲んだという事か?
「飲めと言われて、"はいわかりました"って飲めるかよ。こんな得体の知れない物……」
不安なら、ポケット……?
自分の服装を確認する。パジャマだ。素足に、ベッドの前にあったスリッパを履いている。
「ポケットなんか無いぞ?」
手探りで体中を確認するが、このパジャマにはポケットが無い。まあ、パジャマのポケットなんて、あっても飾りだが。
……しかしこのパジャマにだけは、ポケットが無いと困るのだ。
「"不安なら" って……、余計不安になったぞ。こういう場合はどうしてくれるんだ」
ふと、ベッドの上に目をやると、白いふわふわのガウンがあった。俺が着ていた物だろうか。……そうか。もしかして。
「このポケットか?」
ガウンに、左右、計2つのポケットがあった。ここに何も無ければ、もうあの薬を飲むのはヤメだ。
そっとポケットに手を入れると、向かって右側のポケットから、赤い鉛筆、左からは、ガラス製の平たくて丸い物が出てきた。何だこれ?
「付箋の文字は、この赤鉛筆で書いたんだな?」
という事は、これを書いたのは……、俺か?
……じゃあ、このガラスは何だろう。灰皿? 置物?
「いや、これは……」
机の上の薬瓶を持ち、ガラスを重ねる。ピタリと合った。これは薬瓶のフタだ。
「しかし、これだけで、この薬を安全だと思えって、ちょっと無理があるんじゃないか?」
まあ、誰かが何らかの危害を加えるつもりなら、こんな回りくどいことはしないか。
コップをくゆらせ、水を見る。何か浮いているという事もない、きれいに澄んだ水だ。瓶から薬を2錠取り出し、口に含むと、水で流し込む。
まあ、俺自身の指示なら、何か理由があるんだろう。赤い鉛筆で、"一"に2本足しておく。
「さて、と」
机の一番下の引き出しに手を掛ける。
……しかし、よく考えたら、薬を飲む前にこっちを確認するだろう。普通。
「まあいいや。飲んでしまったものは仕方がない」
引き出しを引くと、中には懐中電灯、電波塔のような、ライトアップされた、"鉄塔"が写った絵葉書、ノート、青く錆びた無骨な鍵が入っていた。
全て取り出し、机の上に並べる。
絵葉書には切手が貼られており、消印も押されている。それなのに、宛名も差出人も書かれていない。……いや? 差出人の郵便番号枠には、「907-1542」と書かれている。消印の日付は、「横浜中央・30・6・11」とある。
「横浜……? えっと。こっちの郵便番号は、どこのだろう」
深く思い出そうとすると、きっと例の頭痛が来るのでやめておいた。
「えっと、懐中電灯は……」
大きめの懐中電灯だ。スイッチを操作するが、光は灯らない。というか、妙に軽いぞ?
……そして、ノート。表紙には黒い文字で、「感想」とある。何だろう? 何らかのヒントになるような事が書かれているかもしれないな。俺はそっと、ノートを開いた。