朱の国 商業都市エリアス
1
朱の国。商業都市エリアス。
王都レギニータと隣接するその街は名の示す通り商業的機能が中心となって発達した巨大な街であり、そこにカイとアイの二人は来ていた。
「すごい! これが外の世界か!」
初めて見る光景に、アイは幼子のように目を輝かせながらはしゃぎ回っている。
「あんまり走り回ると仕事している人達に迷惑だから……あ、そうそう。ねえ、アイちゃん」
「何? 今それどころじゃ――――」
忘れていた日課を偶然思い出したかのような気軽さで、突然アイの頬に優しくカイの左手が添えられる。
次の瞬間にはカイの頬にアイの右ストレートが炸裂していた。
「――――っ、何やってんだお前は!! 殺されたいのか!?」
「殴った後に言わないでよ……。ほら、此処」
カイは自分の右頬、つまりアイに先ほど触れた部分を示した。
「さっきの闘いで切ったでしょ?」
そこでようやくアイはカイに盾の破片で傷つけられたはずの傷口が治っている事に気が付いた。
「僕の盾が何で出来ているか憶えてるよね。得意なんだ、回復魔法」
少し得意気に言うカイだったが、
「何『良いことした』みたいな顔してんの? 私だって朱の国の軍人なんだから、自分の怪我くらい自分で治せるわ。馬鹿にすんな。言っとくけど、お前が勝手に触ってきたのが悪いんだから、殴ったことも反省しねえし、謝らねえから」
顔を進行方向へ向き直し、一人で歩き出すアイ。
「別に良いよ。僕も今のは自分が悪かったなって思ってるから。ごめんねアイちゃん」
そう言って今度は自分の頬に手を当て、傷を癒しつつアイの後を追う。
「あと、その『アイちゃん』って呼び方もやめろ。幾つだと思ってんだ。呼ばれたこっちが恥ずかしい」
「いいじゃんそれくらい。それに十年前と同じ呼び方をしていた方が、アイちゃんも何か思い出せるかもしれないでしょ?」
「別に思い出したいわけじゃないし、私はまだお前が十年前一緒に居た幼馴染だって認めたわけじゃねえからな」
こちらを振り向きながらも構わず歩き続けるアイ。
「でも思い出してくれた方が、この先共闘するに当たって何かと便利だし。僕は止めないからね」
「ちっ」
「それとそれ止めない?」
「は?」
カイはアイを指差す。もちろん先の戦闘で彼女が使った爆破を真似ているわけではなく、
「後ろ歩き。危ないよ」
「だから幾つだと思ってるんだよ。進行方向への注意くらいしてるし、そもそも訓練された軍人なんだからこれくらい目隠ししながらでも――――ひゃあっ!」
「あ」
普段の口調とは裏腹に可愛い声を上げながら小石に躓いて後ろ向きに思い切り転び、すぐ傍にあった時計屋のショーケースの巨大なガラス窓を突き破っていった。
「言った傍から……」
「どうかしましたか……ってああ! 困りますお客様、ちゃんと扉をくぐって入店してもらわなきゃ! そんなダイナミック入店かましてくれても何もサービスしませんからね!」
この店の主人らしき大きなシルクハットを被った中年の男性が店の奥から慌てふためきながら現れた。
「あーあ、どうしてくれるんですか……大切なショーケースなのに……」
カイはちら、とアイを見遣った。ショーケースの中に座り込んだまま気まずそうに目を逸らしているが、何か言葉を発する様子は無い。恐らく誰かが事態を収束させるまでずっとだんまりを決め込むつもりなのだろう。
「……はあ、仕方ないなあ。ねえ、店員さん」
「はい?」
「うちの連れがご迷惑をおかけして、誠に申し訳ない。修理代は僕が払います。これで足りますか?」
上着の内ポケットから財布を取り出し、紙幣を数枚抜き出してシルクハットの男に差し出す。
「あ、ああ。そうだね。これだけあればガラスを張り直すことができそうだ」
「あと、そこの腕時計も下さい」
カイはアイの近くに陳列されている時計の中の一つを指差した。
「う、うん……まいど……」
カイの冷静な対処に動揺を隠し切れないまま、言われた通りに腕時計を割れたショーケースから取り出して店の中へと入っていくシルクハット。
「ほら、アイちゃんも行くよ」
「…………」
カイがそう声を掛けると、ようやく立ちあがって彼の後ろに付いて行ったが、彼女が口を開くのはさらにしばらく後のことだった。
2
レストラン『ジェルマーノ』。
商業都市エリアス内にある、庶民派な飲食店で二人は食事をしていた。
「……で、さっきの金は一体どうしたんだ?」
パスタを頬張りながらアイは質問する。
「ああ、これね」
上着の内ポケットから財布を取り出しながら、
「これは此処を出発する時にゼータ様から貰った軍資金。第一次大戦で国が分裂してからそんなに経ってないし、蒼の国や翠の国でも使えるだろうって。でも、まさかあんな形で最初にこの財布の紐を解くことになろうとはね……」
「うっさい」
言いながら二口、三口とフォークに巻き付けたパスタを口へと運んでいく。
「目隠ししながらでも大丈夫なんじゃなかったっけ?」
「ほっとけ。メシが不味くなる……でも……どうしてあの時はお得意の魔法でガラスを直さずに……んぐ……金で事を収めたんだ? それに……はぐっ……あの男、私がこの国の王女だって気付かなかったみたいだが……」
「不味くなるとか言いながら食べまくってるじゃん。せめて喋るか食べるかどっちかにしようよ……まあ、いいか。まず、君が王女だって気付かれなかった理由から話すと、気付かなかったわけじゃくて知らなかったんだと思う」
どうやら喋るか食べるかなら食べる方を選択したらしく、アイは黙々とパスタを食べ続けながらカイの話に耳を傾けた。
「この朱の国の人達は、あまり王室や政治に対して関心が無いんだよ。大々的な殺戮こそ無いにしろ今は大戦中、自分の暮らしだけで精一杯なところもあるんだろう。君のことはもちろん、もしかしたら現国王が行方不明になって今はゼータ様が代理を務めているってことすら知らないでいる人も多いんじゃないかな。そしてあの時、時計屋のショーケースを魔法で直さなかった理由についてなんだけど、これもさっきの王室の話と関係があって――――」
その続きの言葉がアイの耳まで届くことは無かった。
突然の悲鳴と共に鳴り響いた銃声によってかき消されてしまったからだ。
「おいコラ騒いでんじゃねえぞぶっ殺されたいのか!?」
店の出入り口の近く、カウンターの傍にいる大柄な髭男がそう叫びながら手に持った拳銃を女性店員の顔に突き付けている。
怪我人らしき人は見当たらないことから、先ほどの銃声は威嚇射撃、悲鳴は銃口を突き付けられて震えている女性店員のものなのだろう。
「いいから此処に金を詰め込め。あるだけ全部だぞ!」
男に大声で命令され、女性店員は震える手でレジスターから金を抜き出しては男が持っている袋に詰め込む。
「……何あれ、くっだらない」
アイが呟く。その目はつい先ほど見たような、害虫を扱う目つきだ。
「強盗だね。きっと此処みたいな庶民派レストランなら警備も手薄だと踏んだんだろう」
「そういうことじゃねえよ。何で誰も助けに行かねえのかって言ってんだ。私達以外にも魔人は居るんだろう? 軍学校へ通ってなくてもあんな程度の低いおっさんを懲らしめるくらいの力はあるはずだ。それなのに何故?」
「それは……」
「おいそこのクソガキ共! なにぶつぶつ言ってんだ、お前らからぶっ殺したって良いんだぞ!?」
そこで二人の会話に気付いた男が怒鳴り散らしながら拳銃をこちらに向ける。
「……頭来た。あいつ、私がぶっ飛ばす」
手に持っていたフォークを皿の上に叩きつけながらアイが立ち上がろうとするのを、カイは必死で食い止める。
「ちょっと待ってアイちゃん!」
「何で止めるんだよ」
「アイちゃんの固有魔法は攻撃的過ぎだ。こんな狭いところじゃ店や他の人達にも被害が出る!」
「お前はさっき自分が何を受けて吹っ飛ばされたのか憶えてないのか? 別に狭くたって『ピンポイント・ショット』があれば関係無い。それに、あんな奴固有魔法を使うまでも無いだろ」
「良いからちょっと落ち付いて!」
「おい、てめえら。どうやら本気で殺されたいらしいな」
自分が舐められていると勘違いしたのか、顔を真っ赤にして肩を震わせながら低い声で男は口にした。
「い、いえ! とんでもありません! 謝りますからどうか命だけはお助けください!」
「おい馬鹿!」
アイは突然そんなことを叫ぶカイを睨みつけたが、本人に気にする様子は無い。
「ちっ、分かればいいんだよ。これだからガキは……。おい、金は詰め込み終わったか?」
「はははっ、はい!」
女性店員がこくこくと頷きながら答えると、男はその袋の口を固く締め、
「じゃあ俺はずらからせてもらうぜ。てめえら、命拾いしたな。けけっ」
そう捨て台詞を吐いて一目散に逃げ出した。
「おい、どうするんだよ!」
逃げる男の背中を目で追いながら訊くアイの言葉を無視し、カイは男の跡を追うように店から飛び出した。アイもそれに続く。
「きゃっ、何あれ!? 泥棒?」
「もしかしたら強盗じゃねえか!?」
店の外はすでにちょっとした騒ぎになっていた。今ならまだ男の姿を視野に捉えることができる。
「この大通りは直線の一本道だし、此処でなら多くの人目に付く。……ねえアイちゃん。これから起きることをしっかりとその目に焼き付けてね」
そう言うとカイは開いた左手を前へ突き出し、唱えた。
「シールドケージ」
直後、目の前を走る強盗犯の四方と上空に透明な板が現れ、彼を包囲し閉じ込めた。さながら檻の如く。
「なっ、魔法!?」
男は突破しようと目の前の壁に拳銃を向けて発砲するが、先ほどアイが破ったガラスとは違いまるで変化は無い。
「……結局自分が手柄を得たかっただけかよ」
その様子を見ながら心底退屈そうに呟くアイだったが、カイは答えない。
別の箇所で動きがあったからだ。
「ま、魔法……てことは!?」
「魔人だー!!」
「逃げろ、殺されるぞー!!」
その現場を目撃した通行人や、つい先ほどまでカイ達と同じようにレストランで食事をしていた人達が皆大声を上げて逃げ惑う。強盗が現れた時とは比べ物にならないくらいの慌てぶりで。中には捕らえられた強盗を逃がそうと檻の破壊を試みる輩までも居る。
「どういう、ことだよ…………」
その様子を呆然と眺め、言葉を漏らすアイ。
「これがこの街、世界の本性さ」
冷静に、冷酷に、冷徹にカイは言う。
「第一次大戦で世界が分かれてからも、魔人と人間の関係が良くなったわけではなかった。むしろ悪化したくらいだ。一次的にとは言え戦争が終わったと言うのに、魔人が魔法を使って人間を虐殺する事件が後を絶たなかったらしい。きっと味を占めてしまったんだろう。力を持つ者が、持たざる者へ一方的に力を振り下ろすことの愉しさに。それを見て逃げ惑う人間を眺めることが。それからと言うもの、この国の人間にとって魔人は恐怖の対象でしか無くなった」
アイは言葉を返さなかった。
「さっき、聞いたよね? どうして時計屋のショーケースを魔法で直さなかったのかって。どうして強盗に襲われた時、誰も魔法を使って撃退しなかったのかって。今の話で分かっただろう? この国の魔人は、人間の振りをしていないとまともに生活することさえ出来ないんだ。誰だって平穏に生きたい。大戦中ともあれば尚更だ」
一体彼女は、どんな想いでこの言葉を聞いているのか。
「そもそも、どうして魔法が使える者を『魔人』、使えない者を『人間』と区別するのか考えたことある? 力があろうと無かろうとどちらも同じ人間なのに。区別するにしても、どうして片方が『人間』なのか」
ずっと黙っていたアイが、何かに気付いたようにはっとした顔になる。
「…………まさか」
「そう、誰も僕達魔法使いを同じ『人間』だなんて思っていないんだよ。人間の皮を被り、人間と同じ言葉を扱い、そして人間の世界の主導権を奪い去る化物だと思っている。それも、第一次大戦よりずっと昔。一六五年も前からずっとね。君がこれまで知らずに生きて、僕達がこれから救おうとしているのは、そういう世界だ。この事実を目の当たりにしても、戦い続ける覚悟はある? さっきみたいに、僕に止められようと構わずに闘う覚悟がある?」
自分で聞いておきながら、返ってくる答えはすでに分かっていた。
「――――馬鹿なのお前?」
やっぱりだ。
「そもそも、私の目的はどっかでくたばっている親父を見つけ出して、一言嘲笑ってやることだけ。さっきあの強盗をぶっ飛ばそうとしたのも、別に正義がどうとか名声がどうとかそういうのじゃなくてただ気に食わない奴を一発殴ってやりたかっただけ。周りが私達のことをどう思おうと関係無い。私達を同じ人間だと思ってない? 知らねえよ。私は私だし、お前はお前。それでいいじゃん……とか言おうと思ってたんだけど――――」
「?」
首を傾げるカイに、アイはこう言い放つのだった。
「くっだらない。そんな臭い台詞言ってられるかよ。そうだよ、私達は化物さ。そんな化物が非力で可哀そうな人間達を戦争から救おうと言っているんだ。まるでどこかのおとぎ話みたいで、かっこいいだろ」
アイは得意気に笑って見せながら、
「とりあえずまずはあのおっさんを一発殴る」
「ははっ、やっぱり君は最高だよ。でも、あんまりやりすぎないようにね」
二人は前方で盾の壁に囲まれ、もはや万策尽きたのか意気消沈している強盗犯を見据える。
世界を救う第一歩を踏み出した。
「そういえばさっきのおとぎ話みたいってやつ。あれも大概臭かったよ」
「お前本当に殺す……!」