朱の国 王都レギニータ 2
3
カイがゼータに要求した条件。それは、
「旅にアイを同伴させたい?」
「はい」
カイにとって国王代理であるゼータが叔父的存在だった理由。それは至極単純なことで、ゼータの実兄であるところの国王アルパの娘、アイ。彼女にとってゼータは実の伯父であるため、幼少期のアイが一緒に遊ぶ機会の多かったカイとも自然と接点が生まれたから。アイが噂の対象として他の生徒の好奇の目に晒される理由には、国王代理の姪だからということも手伝っている。
「もちろん大事な姪っ子さんの事を心配なさる気持ちも分かります。しかし、彼女だってこの軍学校で訓練を受けた軍人。しかもかなりの優等生とも聞きます。この一大任務、僕に期待していただけるそのお気持ちはとても嬉しいのですが、だからこそ、その期待に添えるよう万全を期すことが大切かと。それにご存知の通り、僕と彼女は幼馴染。連携だって取れます。これ以上心強い味方は他におりません。『可愛い子には旅をさせよ』、此処は一つ、心を鬼にしてどうか彼女を僕に任せてはいただけないでしょうか?」
「……確かに、彼女の戦闘の腕前はこの私でも目を見張るものがある。外でも十分通用するだろう。それに朱の国の王女という肩書は同盟国である蒼の国でもそれなりに機能する。……よし、分かった。今回の任務にアイを連れて行くことを許可しよう。彼女には私からグラウンドへ来るよう言っておく」
ゼータは渋々ながらといった面持ちで了承した。
4
「どういうことだ?」
グラウンドの中央、そこでアイは目を丸くして尋ねた。
「外の世界……?」
「そう、外の世界。この軍学校、いやそんな小さいスケールの話じゃない。朱の国から外の、この広い世界のことに、興味は無い?」
余裕を保った表情で語り掛けるカイだったが、内心では少し焦っていた。
アイの記憶が無い。軍学校で彼女のことを調べている過程で耳にしたその噂を、カイはほとんど信じていなかった。如何にも子供が好きそうな、適当な出鱈目だと決めつけて無視していたが、まさか本当だったとは。
自分と過ごした記憶の一切が彼女から失われている。これは大きな痛手であると彼は苦慮した。ゼータに宣言した彼女との連携も、自分に対する信頼が零である現状では話にならないからというのももちろんのこと、それ以外にも共に旅をする仲間として色々と支障を来たすことだろう。
しかし逆にチャンスでもあると同時にカイは思った。
「さっき君自身が言った通り、君には十年前、つまりこの軍学校に入学する以前の君を君は知らない。今此処に居る『アイ』の人生は、この軍学校で訓練した十年のみ。この閉鎖され、最低限の自由すら制限された此処では外の世界の情報なんて教科書からでしか得ることが出来ない。そんな外の世界を実際に、自分の目で見られたら――――なんて、思ったことは無い?」
「そ、そんなこと……」
初めてアイは動揺する様子を見せた。
「此処で君と会ってからまだ少し話をしただけだけど、学校で流されている噂の話題の時は決まって鬱陶しそうな、飽き飽きとした顔をしていた。逆に、僕と闘っている時の君の表情、すごくやりがいを感じているように僕には見えた。アイちゃん、此処での生活にうんざりしてるんじゃない? 毎日同じ事の繰り返し、個人情報なんてお構い無しと言わんばかりに学校中に流布される根も葉も無い噂話。でもね、此処から外にはずっと強い魔人がわんさかいる。僕でも全く歯が立たないような奴だっているだろう。こんなところで何時終わるかも分からない戦争の為に腐っていくより、僕と一緒に一歩外の世界へ踏み出してみる勇気は、無い?」
アイはその場で俯いてずっと黙っていた。
もちろんカイの提案にまるで魅力を感じていないわけではないだろう。ただ、こんな一戦交えただけの誰とも知れぬ少年について行ってもいいのか、そんな葛藤が彼女の中では巻き起こっていた。
そんな彼女に対し、カイは決定打を放った。
「――――君のお父さんと、会ってみたくはない?」
「……え」
「ほら、十年前。君が記憶を失くしたきっかけになったであろうあの事件以来、君の父親であるアルパ国王は帰って来ない。君は『何処かでくたばっている』なんて言っていたけど、実際どんな人か興味が無いなんて言わせないよ。あれでも偉大なる国王様だ。まあ、僕が任された任務とは逸れてしまうんだけど」
アイの顔が上がった。その目には、覚悟の光が宿っていたとその時カイは思った。
「『あれでも』って、お前は私の父を知っているのか?」
「そりゃあ、十年前は一緒に遊んでいた仲だからね」
その一言を聞くとアイは再び俯いたが、くくくっ、とその体は小刻みに上下している。
「……はははっ、面白い! いいよ、ついて行ってやるよ。確かに何処かで無様にくたばっている顔も知らない馬鹿親父に、『ざまあねえな』って一言言ってやりたい気分だ!」
「そうこなくちゃ」
とりあえずひと段落とカイは思った。
しかし、
「ただ、私はまだお前のことを全面的に信用した訳じゃないからな。隙があれば何時でも殺す。精々背中を刺されないよう気を付けるんだな」
「……分かったよ」
思っていたよりも大変な旅路になりそうだと彼は半ば先を思いやられながらも、その表情は笑みに満ちていた。
「そう言えば、その任された任務ってのは何だ?」
「お、よく聞いてくれたね」
全ては此処から始まる。
少年は始まりの一歩を、しっかりと踏み締めた。
「行こうか、この戦争を終わらせに!」