琥珀の国 スラム街
21
琥珀の国。スラム街。
ローに導かれたのは一軒の小さなバーだった。
「マスター、水三つくれ」
「あいよ」
カウンター席に水の注がれたグラスが三杯置かれる。
三人はそれぞれグラスの置かれた席の椅子に腰を掛けた。
「すまないな。碌に奢ってやる金も無いんだ」
「大丈夫です、気にしないでください」
「そう言ってくれると助かるよ。じゃあ、何から話せばいい? 君たちが一体何を何処まで把握しているか分からないからな」
「では、ローさん。まずは貴方が此処に来た時の一部始終を教えてもらえますか」
「よし、分かった。最初に、俺が何を目的に此処へ向かったのかは知っているか?」
「国からの命令で先に琥珀の国へ向かったミュウ達の母親を探しに、ですよね」
「その通り。俺は門衛にその旨を伝えると、国の決まりでまず王に謁見しなければならないと言われて、城に連れて行かれたんだ」
「そこに居た王って言うのはミュウより一回りくらい小さな女の子でしたか?」
「いや、普通に人の良さそうな俺より年上の男だったよ」
と言うことは、その時はまだ死んでいなかったと言うことか。
「それで妻を探しに行きたいと言ったら、客人に何かあると困るからとガンマとか言う男と一緒に行動することを言われ、渋々それに従ったよ。でもあの野郎に付いて行って辿り着いたのは此処、スラム街。『お前は此処で一生働くんだ』とか突然訳の分からないことを言い出してきた。もちろん反抗したが、相手は魔人。赤子の手を捻るように簡単に俺は捻じ伏せられた。それからと言うもの、働かなきゃ食べ物を買う金も手に入らないから仕方なく労働に勤しんでいるってわけ」
「お母さんは?」
「無事に見つかったよ。働く合間に必死でスラム街中を走り回ったからな。母さんも俺と同じように働かされていたが、まだ何もかもを諦めちゃいなかった。俺を見つけるなり『一緒に帰ろう』と力強く説得されたが、すでに此処から逃げ出そうとした者全員が謎の失踪を遂げていると言う噂を俺も聞いていたから、必死に止めようとしたよ。それでもあいつ聞く耳を持たなくてさ。そんな芯の強さが母さんらしくもあったんだけど、あの時だけは何としてもその芯を折るべきだったと今でも後悔している。母さんは止めようとする俺にこう言ったんだ」
『貴方、しばらく見ない内にずいぶん変わったのですね。昔はあんなに勇敢だったのに、すっかり弱くなった。そんな貴方は、見たくなかった』
「……きつい一言だった。今でも根深く俺の心に突き刺さっている言葉だ。確かに、その一言で母さんを引きとめることを止めてしまった辺り、俺は意志が弱かった。結果、自分だけでも出て行こうとした母さんは――――死んだよ」
カイはその一言に強く違和感を覚えた。
細かく過程を説明していたはずなのに、結果が唐突すぎる。
「実際唐突だったんだよ。過程なんて無かった。母さんはまるで、大事な糸がぷつんと切れてしまったかのように何の前触れも無く、事切れた。俺は驚いたよ。突然自分の目の前で母さんが地面に崩れ落ちるんだから、そりゃあもう生きてきた中で一番ってほど焦った。どんなに呼び掛けても反応を示さないし、身体を揺すってもぴくりともしない。まさかと思い首筋に手を当ててみたら、すでに脈は無かった」
「…………」
「でもそれで終わりじゃ無かった。言っただろ、噂では此処から出て行こうとする者の末路は『失踪』。死じゃないんだ。母さんの身体はこれまた突然発光しだしたかと思えば、光の塊に姿を変えて、招き猫に吸収された」
「……え?」
ミュウは思わずそんな間の抜けた声を発してしまう。
無理も無いだろう、唐突すぎる展開が連続したかと思えば、仕舞いには『招き猫に吸収された』だ。何か悪い冗談を言われているのではと疑って当然だ。
「でもミュウ、君のお父さんの言っていることは全て事実だよ」
「事実って……こんな突拍子もない話を信じられると言うのですか?」
「君だって自分のお父さんを全面的に疑っているわけじゃないでしょ?」
「そうですが、それとこれとは話が別です」
「じゃあ君のお父さんの話を裏付けする、もっと現実的な話をしようか」
そう言ってカイは、ミュウが従えている手乗りドラゴンを指差す。
その様子を見てローが口を挟んだ。
「訊きそびれていたけど、それはミュウの召喚獣なのか?」
「その通り。そして、その召喚獣がミュウの母親の失踪に関わる重大なヒントだったんですよ」
「ヒント……?」
「ミュウ、最初に魔法訓練所でたくさんの召喚獣が飛び交っていたのを見てどう思った?」
「どうって、それはもちろんこの世の光景とは、まさか私達が普通に使う魔法と同じ物だとは到底思えませんでした」
でもそれはカイさんだって同じですよね? といまいち質問の意図を汲み取れずにいる様子のミュウ。
「そう、僕も同じことを思った。そしてそれが正しい感想だったんだよ」
正しい感想。
「端的に言うと、あれは僕達の使う魔法とは本質から異なるものだ」
未だに言っている意味が分からないと言った風に首を傾げるミュウに、カイは
「あの訓練所に居たたくさんの龍も、此処で労働を強いられている魔人が使う召喚獣も、そこにいる手乗りドラゴンも――――皆、元は僕らと同じ人間だった」
淡々とその事実を告げた。
「元は……人間?」
「正しくは『人類』かな。つまり、魔人も人間も関係なく無差別に、この国では召喚獣にされる」
「意味が分かりません……此処に居る人達を、召喚獣に?」
「そう。恐らくキーはクリスタルだ。クリスタル、又はその末端である招き猫の傍で朽ちた生命は、土ではなくクリスタルに還る。そして巡り巡って、その生命は幻獣としてこの世に再び召喚されるんだ」
朽ちた生命を幻獣として再び召喚する。
召喚獣。
「まず前提から色々とおかしかったんだ。魔法訓練所でガンマさんは『魔法の性質上完全な生命を生み出すことは不可能だが、それに近い物を再現することには成功した』と言っていた。確かに魔法で生命を生み出すことは出来ない。それには僕も同意する他ないけれど、それに近い物だって再現出来るはずがないんだよ。魔法はあくまで生活の足しでしかない。でも、そこに魔法以外の物が関与すれば話は大きく変わってくる。例えば使えなくなった服を風呂敷に使うみたいに、使えなくなった魂を別の生き物として再利用すれば、あるいは」
そして此処から去ろうとする、つまり『戦力としても労働力としても見込みの無くなった者』を殺してクリスタルに還すことで、強制的に別の戦力、労働力として再利用する。
この国が鎖国をしている理由もそれだ。物資にしろ、情報にしろ、外へ運び出すには必ず誰かが琥珀の国を出入りする必要がある。それは、クリスタルが決して許さない。
「クリスタルによる『生命のリサイクル』。それが君の母親の死、そして此処に来た者が戻って来ない謎の答えだ」
22
「今日はありがとう。まさか生きている内にもう一度愛娘に会えるなんて思わなかった」
「こちらこそ御協力いただきありがとうございました。お陰で貴重な情報が手に入りました」
ローとカイが互いに御辞儀をするが、そこで思い出したように
「そう言えば、これを渡すのを忘れていました」
とカイが懐から何かを取り出した。
「そのキーホルダーは……」
「生前、ラムダから預かっていた物です。もし自分の両親に会うことがあったら返しておいて欲しいと」
スティグマ城で語り明かしたあの晩にラムダはカイにそのキーホルダーを渡していた。両親が見つかるころには、きっと自分の命は尽きているだろうと一言添えて。
「それはラムダが好きだった……」
「……『オメガマン』」
ラムダとミュウの母親が琥珀の国へ旅立つずっと昔、彼が熱心に観ていたテレビの特撮番組。
弱きを助け強きを挫く正義のヒーロー。悪は正義の前では無力であり、どんなに追い込まれようと最後には必ず正義が勝つ。そんな勧善懲悪の精神は幼心に強い影響を及ぼし、この世界でも同じように必ず正義が勝つと信じて止まなかった。
その結果があの人体実験と直接的に繋がっているかどうかは定かではない。しかし、最後にはやはりミュウというヒーローが助けに来てくれた。
そんな彼女や何処かで悪に脅かされている弱きを今度は自らが助ける為、彼は兵士への道へ進んだのだ。
そのような意味では『オメガマン』とは彼の原点である。
しかし現実は彼の思い描く物とは大きく異なっていた。
戦争に明確な悪など存在しない。それぞれがそれぞれの正義を貫いた結果がこの醜い争いである。
もし彼が生きていたならこの正義の衝突をどのように見て、どのような結末を望んだのだろうか。
「懐かしいなあ。このキーホルダー、何年も前にラムダからねだられて買った物なんだ。まさか大事に持っていてくれていたとは」
カイからキーホルダーを受け取り、物思いに沈むようにしみじみと眺める。
そして、
「これはミュウが持って行け」
と、娘にそれを手渡した。
「いいのですか? ラムダはお父さんに返してほしいと言っていたのでしょう?」
「返してほしい、と言うことはそれの所有権は俺にあるんだろ? だったらそれを誰にあげようと文句は言えないはずだ。……その、まああれだ。俺が言うことじゃないかもしれないが、それをラムダだと思って大事に持っていてやれ」
「……ありがとうございます」
ミュウは目尻に涙を浮かべて言った。
「私、決めました」
「決めたって?」
「この子の名前は『オメガマン』です」
そう言ってミュウが手乗りドラゴンの方を向くと、嬉しそうにきゅーと一声鳴いた。
「はは、そりゃあいい。――――じゃあ、気を付けてな」
「はい、ありがとうございました。お互い、また会えたら」
「おう。待ってるぜ」
父と娘の再会は、そうして幕を引いた。
夜はまだ長い。
23
城への道を歩きながらミュウは呟く。
「召喚獣のことや人が帰って来ないことについては分かりましたけど、それでもまだ解けていない謎がありますよね」
気付けば声に刺々しさが無くなっている。
どうやら父との再会で、彼女の中で気持ちの決着が付いたようだ。
「謎?」
「こんなことを言うと嫌味に聞こえるかもしれませんが、何故私だけが出来てアイさんやカイさんには召喚獣が使えなかったのでしょうか」
つい数時間前のミュウなら確実に嫌味のつもりで言っていたであろうその言葉を、彼女は口にする。
「その質問は、どうしてミュウにだけ召喚獣が使えたのかって言った方が正確だね。それに、アイちゃんにもちゃんと召喚獣が使えていたんだよ」
「そうなのですか?」
目を丸くするミュウ。
「うん。そのことに触れる前に、まずミュウに琥珀の国の技術である基礎魔法『召喚獣』が使えた理由から話そうか。まず、僕が世界に点在する四つのクリスタルを壊そうとしているのは憶えてるよね?」
「はい。全ての争いの根源である魔法を滅ぼす為、でしたよね」
「じゃあまず始めに翠の国のクリスタルから壊そうとしていたことについては?」
「魔法を使う為の力、すなわち魔力はそれぞれの国のクリスタルから供給されているとした場合、真っ先に脅威になる翠の国を無力化する為」
「その通り。此処に来る前まで僕が考えていた仮説では、クリスタルからの魔力供給はその魔人の生まれた地、又はその魔人の居る場所から最も近いクリスタルに依存するものだと考えていた。でもそれは基礎魔法『召喚獣』によって否定された。なら、召喚獣の使えなかった僕と、使えたアイちゃんとミュウとの違いは何か?」
「カイさんと、アイさんと私との違い……?」
ミュウは思考を巡らせるが、特にそれらしい物は思いつかない。此処に来てから三人は基本常に行動を共にしていたはずだ。
「確かに行動は共にしていた。でも、二人はして僕はしなかったことがあったでしょ?」
「私達はして、カイさんは……あっ」
「どうやら気付いたみたいだね」
カイは得意気に笑ってみせ、
「僕は此処に来てから一切飲食をしていない」
「その地の食べ物を食べることが、クリスタルから恩恵を受ける条件……?」
「一見魔法とは全く関係ないように思えるかもしれないけど、物を食べると言うことはある意味人にとって最も欠かすことの出来ない行為だからね。いくら無尽蔵とは言え使う人が戦える状態に無いと魔法はその意味を成さない。そう考えると妥当な条件とも言える」
「では、此処で食事をした私は『召喚獣』、最後の食事がスティグマ城だったカイさんは『超魔法』が使えると言うことですか?」
「それはまた少し違うかな。朱の国の『回復』、蒼の国の『超魔法』はクリスタルから魔力を受け取った『魔人』が編み出した業であるのに対し、琥珀の国の『召喚獣』は『クリスタル』側ですでにベースとなる生命が出来上がっている。だから最後に食事したのが蒼の国であろうと今の僕に『超魔法』が使えるわけではないし、琥珀の国で物を食べてしまったからと言ってミュウが『超魔法』を使えなくなったわけではない。その辺は安心していいよ」
カイのその言葉を聞いて、何か閃いたのかミュウの表情に光が差す。
「だったら、蒼の国の兵士を全員此処へ連れて来て何かを食べさせればそれだけで一気に大きな戦力になると言うことではないでしょうか。そうすればクリスタルの破壊も一気に楽になりますし、この戦争だってすぐに終わらせられるのでは――――」
「忘れたの? 此処に来た人は外に出ようとした時点で殺されるんだよ」
「あ……」
どうやら本当に忘れていたらしい。
「でも、その話通りならまず私達が此処から出られないじゃないですか」
「問題はそこなんだよね。最初こそ僕も、理由さえ突き止めればこの国から脱出することが出来ると思っていた。でも『行動に起こそうとした時点で無条件に死ぬ』なんて非現実染みたことを言われたら……もしくはそれ自体にもまだ理由があるのかもしれないけど」
「『失踪』、でしたか。そう言えばアイさんの御父君であるところの朱の国国王も失踪したと言っていましたよね」
「そう。思わぬところで繋がったって感じだけど、実はその辺の真偽はもうすぐ分かるはずなんだ」
「どういうことです?」
「僕達が解かなければならない謎、『何故此処から出ようとするだけで死ぬのか』。それを中心としたあれこれは、僕の推測が正しければ今晩中に全部白日の下に晒されるはずだ」
白日と言っても、晒したところで今は真っ暗なんだけどね。
そんな冗談を交えながら。
「ところで、まだミュウの固有魔法について詳しく聞いたこと無かったんだけど、どんなの?」
「唐突ですね。……これです」
そう言ってミュウの右手に一丁の銃が握られる。
「固有魔法『魔法銃』。此処に装鎮された基礎魔法の威力を数倍にして射出する魔法です」
「それってもしかして攻撃以外にも使えたりする? 例えば基礎魔法『回復』とかをそれに装鎮した場合、どうなるの?」
「鋭いですね。さすがあのアイさんを負かしたと言うだけのことはあります」
「別に僕が言った憶えは無いけどね……」
ミュウは蒼の国でアイと闘った時に使った戦法を説明した。
「……なるほど。そんな使い方があるんだね」
「それがどうかしたのですか?」
「いや、もしかしたらこれから必要になってくる知識だったから知っておきたかっただけ。聞いたついでで悪いんだけどさ――――」




