回想──蒼の国 アニタの街
11-1
数年前。
蒼の国。アニタの街。
「……父さん帰って来ないな、姉さん」
ぽつり呟く。
「ラムダ。その話はしない約束ですよ」
ミュウは優しく叱った。
母親が琥珀の国へ向かい、彼女を連れ戻す為今度は父が後を追って旅立ってからさらに数カ月が経とうとしていた。
どんなにアルバイトを掛け持っても子供の出来ることには限界がある。さらに冷戦下であるこの国で、アルバイトとは言え子供を雇ってくれるような働き先自体少ないのが現状。
先月の給料で買い溜めておいたパンも、もう底を突こうとしている。
さらに問題はもう一つ、
「それよりラムダ、また仕事を辞めさせられたと聞きましたが、これで十件目ですよ」
「あれはあの客が悪かったんだ! あのまま放っておいたら他の客にまで迷惑が掛かっていた。だから追い出しただけなのに……」
「そうやってすぐ乱暴な考えをするからいけないんですよ。生活が懸かっているんですからいい加減学習してください……」
「でも姉さん。俺、魔法は使わなかったんだよ。最初の頃に比べたら――――」
「人前で魔法を使わないのは当たり前です」
「でも父さんは平気だったって」
「いい加減にしてください!」
思わず声を荒げるミュウ。
「私達の家庭は他とは違うって何回も言いましたよね? 悪事を見過ごさず即座に制裁を下すのはヒーローの仕事です。ラムダの仕事ではありません。もしかしたら勘違いしているのかもしれないので今の内に言っておきますけど、どんなに相手が悪いことをしていようとそれで他の方法を検討せずに、すぐ手を上げるのはヒーローでも何でも無くただの馬鹿です。『悪を退治して他の人を守る自分かっこいい』とでも思っているのでしょうが、そう思っているのはラムダだけ。傍から見たらどちらも同類、どちらも悪です。貴方は仕事を辞めさせられたのではなく、貴方がそうしたように『他の客に迷惑が掛かるから追い出された』に過ぎないのです。そんな簡単なことも分からないのにどうこう言う資格なんて貴方にはありません。自業自得です」
「俺は何もそこまで……」
「私、明日朝早いのでもう寝ます。ラムダも早く次の仕事見つけてください。おやすみなさい」
そう言い残し、ミュウは一人寝室に入って眠りに就いた。
11-2
翌日。
午後まで働いたミュウは帰りに商店街に寄っていた。
「やっぱり昨日は私も少し言い過ぎましたよね……」
いくら日頃の疲れと空腹から少々怒り易くなっていたとは言え、それを弟にぶつけるのは良くなかったと反省したミュウは仲直りも兼ねて何かラムダの好きな料理を作ってあげようと思い、此処へ来たのだ。
「でも緊急時の為に溜めておいたお金……いえ、今が緊急時です。少しくらい奮発したところで罰は当たりませんよね」
自分に言い聞かせながら、手早く食材を購入してラムダの待つ自宅へ向かった。
そう言えばラムダは無事に仕事を見つけられたのだろうか、なんて思いながら。
11-3
「姉さん遅い! 何処行ってたんだよ」
ミュウが家に着くや否や彼女にそんな言葉を浴びせたラムダの表情は、まるで虫でも見つけて母親に見せる幼子のような明るい笑みに満ちていた。
「何処って、ちょっと商店街に……そんなことよりラムダ、昨日のことは怒ってないのですか?」
「怒る? なんでさ。怒るならむしろ姉さんだろ? 俺が悪いんだから。それよりさ、これ見てくれよ」
そう言って彼女に差し出されたのは縦長の封筒。中に何か入っているのか、少し厚みがある。
「新しい内職か何かですか? えーと、…………!! どうしたのですかこれ!?」
彼女が封筒を覗くと、そこには信じられないほど大量の紙幣が。
これまで二人が数カ月稼いできた給料をかき集めたって到底敵わないような金額のそれが、ラムダの手にはあった。
「ちょっと割の良いバイトが見つかったんだよ」
「割の良いって言ったって……一体……?」
「ほら、最初の方のバイト先で魔法使っちゃったことあっただろ? その時の話が魔人のことについて研究している人達に伝わったらしくて、今日街を歩いていたら声掛けられたんだよ。普通魔人は何時も人間の振りをしているせいで、俺みたいな奴は貴重だからって話を聞くだけでこんだけ金くれた。その人達の研究を手伝えば毎週同じ額が貰えるから、これからは明日のパンに困らなくていいな」
ラムダの表情は母親が琥珀の国へ行って以来一度も見せなかったほど明るく、ミュウはつい彼の話に流されてしまってその研究の具体的な内容について詳しく聞き出すことが出来なかった。
もしかしたらこの時点で彼女はその研究が決して表沙汰に出来るようなものでは無いことくらい薄々感付いていたのかもしれない。しかし、生活に困っていた二人にとってこの儲け話は願っても無いことであったのも事実であり、何よりこんな嬉しそうな顔をする弟に『そんな仕事は辞めてちゃんとアルバイトを探しなさい』とは、口が裂けても言えない一言だった。
そして、二人の運命の歯車はこの時から本格的に狂い始めたのであった。
11-4
ラムダが魔人の研究を手伝い始めてから一カ月。二人の生活は見違えるほど豊かになり、自然と笑顔を見せる時間も増えていった。
「どう、姉さん。何か琥珀の国のことで分かったこととかある?」
「今日もそれらしき記事は載っていませんね……」
そして大きく変わったことが、新聞の購読を始めたことだ。
大きな収入源が出来てからも決して浪費することなく非常時の為節約に努めていた二人だったが、両親が帰ってきた際真っ先に迎えに行けるようにとラムダの提案により購読を始めた二人。しかしその成果は芳しく無く、一向にその手の報せは入って来なかった。
「まあでも、これだけお金もあれば何時二人が帰ってきても安心して迎えられるな」
「そうですね。でもラムダ、そろそろ仕事に行かなくてもいいのですか?」
「あ、本当だ! じゃあ行ってくるよ姉さん!」
そう言って慌ただしく家を出て行くラムダを見送り、ミュウは一息吐く。
「私もそろそろアルバイト行かないと。何時までもラムダに頼りっ放しじゃいけませんよね」
前と比べれば格段に生活の不便は払拭されたが、魔人の研究だって何時まで続くかは分からない。研究が完成してしまえばラムダは容赦なくお払い箱にされてしまうだろう。その時の為にも、今から出来ることは全部やって金を蓄えておかなければ。
その日の午後のこと。
いつも通り業務をこなしていたミュウの元へ、何やら不審な噂話が舞い込んできた。
ある客同士の会話である。
「此処の近くに古い研究所があるじゃない?」
「うん、あるね」
「それが今すごい大火事らしくて」
「何かの比喩?」
「いやいや本物。あの火がぼうぼうなってるアレ」
「え? でもあそこってもう何年も使われてなかったんじゃ?」
「実はそうでも無かったらしいよ。表向きは使われてない施設なんだけど、裏で怪しい研究がされているって結構前から噂にはあって。どうやら本当だったってことみたいね」
「でも今頃それも消防隊が消火しちゃっているでしょ?」
「それがこれまた違うらしくて、どんなに水を浴びせても消えないんだって」
「それってまさか」
「そう、その噂の続き。あの施設は『魔法について研究』されているんじゃないかって――――」
その一言で、ミュウの手が止まる。
「おい、ミュウどうした?」
「……ごめんなさい」
「あ?」
隣に居たシフトメンバーに声を掛けられるも、彼女の目は見開かれたままその客に釘付けだった。
そして、
「ごめんなさい、私今日はこれで抜けます!」
「あ、おい!」
制服のエプロンを脱ぎ捨て、仲間の制止を振り切って店から飛び出すミュウ。
目指すのはもちろん、例の研究所。
11-5
蒼の国。シュメルツァー研究所。
確かそんな名前だったとミュウは思う。
正直場所には自信が無かった。最後にその名前と住所を見たのは、数日前の新聞の小さな記事。先ほどの客が話していた噂と同じ物が取り上げられていたのをちらと見ただけだ。その時は眉唾物だと大してまともに読みもしなかったその記事だが、こんなことになるならしっかり読んでおくべきだったとミュウは走りながら思った。少なくとも『弟が通っている所と同じ場所かもしれない』と疑問に持つくらいしても良かったはずなのに。
しかし今更悔やんでも仕方無い。ミュウは全力で疾走した。
果たして、あの客が話していたことは本当だった。
「……………………」
赤く燃え上がる研究所。
それを前に立ち往生する消防隊。
その様子を見物する野次馬達。
見たところその炎は本当に魔法で生み出された物らしい。ならそれを消すにもやはり魔法を使うしかないのだが、
「ど、どうしましょう……」
一番早い方法はミュウが魔法を使って消火することだが、そんなことをすれば大勢の人に自分が魔人であることが知られてしまう。そうなってしまうと此処からそう遠くない今務めているアルバイト先を辞めさせられてしまうのはもちろんのこと、ようやく安定してきた自分達の生活さえも崩壊してしまいかねない。
一応この国には魔法による問題を解決するための部隊も存在するが、魔人は自身の正体を隠す理由で魔法を使う機会自体が滅多に無い所為で部隊が出動するほどの問題に発展すると言うことがまず無い。それ故にその部隊は基本国を守る兵士によって構成され、普段は国の中枢であるクリスタルやスティグマ城に勤務している。つまり、あの迷路のような街を抜けてこなければならない為到着までにもの凄い時間が掛かる。もしあの炎の中にラムダが居るのなら、待っていられる余裕など無い。
「どうすれば……」
ミュウが躊躇していると、一カ月前ラムダが新しい仕事を見つけ、これからは明日のパンに困ることも無いと言われた時の場面が頭をよぎった。
厳しいことを言った後だと言うのに、姉を喜ばせるためわざわざ玄関でずっと帰りを待っていたラムダ。そして得意気に封筒を見せる彼の顔はとても優しさに満ちていて、何よりも温かった。
「おい、あれ見ろ……」
気が付けば彼女の手には銃が握られていた。
「まさかあれって……」
無意識的に彼女は燃え盛る炎へ照準を合わせていた。
「マジかよ……」
引き金はすでに、引かれている。
「凍りつけ!!」
銃口から発射された銃弾が炎の中へ呑みこまれて行ったと同時、金属音に似た大きな音と共に炎が一瞬で巨大な氷と化した。
「魔人だ!!」
「皆逃げないと殺されるぞ!!」
大勢の人の流れに逆らう形で、ミュウは建物の中へ突入した。