オルガ海 2
8
「いいいいいいいいいいいやああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
カイは絶叫していた。
それも号泣しながら。
「ちょっとアイちゃん!! もうちょっと抑え――――うわあああああああああああああ!!」
「どうした、急ぐんじゃねえのか? 言っただろ『飛ばす』って」
平気な顔して応対するアイ。
今、三人は空を飛んでいる。
『落ちる』では無く、『飛んでいる』。
「それにしてももうちょっと丁寧に……うああああ、落ちる!!」
カイは『創造』でイカダに作った即席の手すりにしがみつきながら叫ぶ。
ここまで来れば大体予想出来ているであろうが、これはアイの固有魔法『爆破』による移動の真っ最中。以前アイがミュウと闘った時に見せた空気を爆破させることによる飛行を、今回は氷のイカダで実践している。
まるで自分の身体の一部かのようにイカダを飛ばすアイに、足元を凍らせ文字通り身体の一部にすることで安定感を手に入れているミュウ。ちなみにミュウにはカイを助けるつもりは無いらしく、このやり取りにも我関せずと言った様子だ。
こうなることなら最初にアイが『飛ばす』と言った時に止めておけば良かったと思うカイであったが、後悔先に立たず。もはや後の祭りである。
「あんな高層ビルの最上階から落ちても平気だった癖に、なに弱音吐いてんだよ情けない」
露骨に溜息を吐くアイ。
「それとこれとは全く別!! いいから下ろしてえええええええええええ!!!!」
「ちっ、仕方ねえな――――ショット」
けだるそうに唱えるアイの声を聞き、カイが安堵するのも束の間、
「うっ、うわああああああああああああああああああああああああああああ!?」
空気の爆破により叩き落とされたイカダは重力に従順に水面へと激突し、穏やかな海に巨大な水柱が立ち昇った。
「おい、これで満足か」
苛立ちを隠す事もせずにアイはカイに訊く。
「う、うん……ありがとう。それじゃあ、そろそろミュウの話を聞こうか……」
ふらふらと腰をイカダに落ち着ける。
それと同時に、ミュウは魔法を解いて立ち上がり、ゆっくりと話し始めた。
一つ一つ、丁寧に埃被った記憶の引き出しを開いていくように。
「――――では、丁度私達が向かっている琥珀の国に関連して、まずは私とラムダの両親に当たる人物の話から始めましょう」
9
「まず前提として魔法の力、以前カイさんが使っていた言葉を引用させていただくなら『魔力』でしょうか。人がその魔力を持って生まれてくるか否かは遺伝と全く関係が無いと言う話はお二人ともご存知ですよね?
私とラムダは二人とも魔人として生まれてきましたが、両親はそうではなく、魔力を持っていたのは母だけ。父は普通の人間でした。
……アイさんが意外そうな顔をなさるのも分かります。人間は魔人を恐れ、魔人は人間に正体を知られないようお互いが見えない敵に怯えながら暮らしている。しかしこの御時世、魔人と人間の夫婦は別段珍しくも無いのですよ。カイさんの言う通り、私達のような魔法を武器とする兵士でも無い限りその人が魔人かどうかなんて、その人にしか分からないのですから。
でも、私の両親は違いました。父は愛する人が魔人であるのを知った上で結婚を申し込んだのです。大衆の価値観に惑わされない優しく勇敢な男性でした。そしてその性格が後の悲劇を生みだしてしまったのかもしれません。
――――時は十五年ほど流れ、私とラムダもある程度生きていく知恵を身に付け、それでもまだ世の中を疑う事を知らない中途半端な時期の事でした。
当時蒼の国の兵士として国に勤めていた母に、琥珀の国への調査が命じられたのです。国からの命令ではあったのでしたが、すでに何人もの調査員が琥珀の国へ向かったきり帰って来ないことが多くの兵士に知られていたこともあって断ることは出来ました。
しかし少しでも情報を持って帰ればそれだけで多額の報酬が出ると言われ、冷戦下で生活に不自由していた我が家を救う為母はその任務を受けてしまうのです。いくらその金額が思わず笑ってしまうほどのものだったとしても、私は父と一緒になって母に思い直すよう説得するべきだったとこのことを思い返す度に後悔します。
結局父の反対を押し切り、母は単身琥珀の国へ行ってしまいました。
『すぐに帰ってくる。そしたら飽きるほど美味しい物を食べさせてあげるよ』
母が私達に言った最後の言葉を、今でもまるでつい昨日のことのようにはっきりと思い出すことが出来ます。
――――この流れですでに予想は出来ているかと思いますが、母がその言葉通りに帰って私達に美味しい料理を振舞うことはありませんでした。それどころか災難とは連鎖するもので、父が勤め先でトラブルに巻き込まれ、仕事を辞めさせられてしまったのです。
出る杭が打たれたと言いますか、彼の優しく勇敢な性格が、周りの価値観に囚われない思考がかえって人間関係で不和を生じさせ、遂に輪の外へ追放されてしまったのです。
父はその後も必死になって新たな職を探しましたが、先ほど言ったように戦時中、そう簡単に仕事が見つかるわけも無く、ただでさえ貧相だった食事がさらに貧しくなっていく一方でした。
最後の方はまだ子供だった私やラムダもアルバイトを探してはこなし、何とか命を繋いでいく日々。そしてそれに心を痛めた父が、ある決心をしたのです。
……その通り、『琥珀の国から母を連れ戻す』ことでした。幸いにもお二人が知るように蒼の国の王スティグマ様は寛容な精神の持ち主だったが故、母の出発から数カ月が経過した当時でも無事に情報を持って帰還することが出来れば予告通り報酬を出すと仰ってくださいました。
そして父は琥珀の国へ旅立ち、それを私達は笑顔で送り出したのです。
あの時の私とラムダにとって優しく勇敢な父はヒーローのような存在でしたから、きっとあの父親なら成し遂げてくれる、きっとあの父親なら無事に母を連れて戻って来てくれる、だからもう少しだけ辛抱して、姉弟二人で生き抜いていこう。そうラムダと励まし合いました。
でも今となっては、父のあの決断は決して優しさでも勇敢でもなく、ただの『逃げ』だったのかもしれないと思うのです。
旅立つ母を止めることが出来ず、自分のせいで明日食べる食事すら儘ならず、さらにはまだ働くには幼い子供までを働かせなければ生活出来ない。
そんな辛い現実から、そんな不甲斐無い自分からの逃げ。
いえ、もしかしたらそれすら私の『こうであってほしい』と言う妄想なのかもしれません。琥珀の国への出発に当たって国からある程度の食糧と資金は支給されますからね。それだけ受け取って何処か他の国へ亡命したのかも。
――――そう、お察しの通り父までも、二度と私達の前に姿を現すことはありませんでした。そして本当の悲劇はここから始まるのです」
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ミュウの話を聞いて、アイは気まずそうに口を開く。
「……なるほどな。あの気に食わない野郎が妙に私に突っかかってきた理由がやっと分かったよ」
気に食わない野郎とは恐らくラムダのことだろう。
「自分達がそんな貧しい生活を送ってきたのに、突然一国の王女なんて自分達とまるで別世界の住人の仲間になって旅をしろなんて言われたら、誰だって『はい、そうですか』と素直に承諾出来る訳ねえよな」
私があいつのことをそう思っていたよりもずっと、あいつは私のことが気に食わなかったんだな。
アイはそう呟き、遣り場に困ったように目を泳がせる。
「道理で、あいつもお前も『お姫様』なんて鼻に付く呼び方をしていた訳だ……もっと優しくしてやれば良かったな」
「事情を知っても上からなのは変わらないんだね……」
そう言うカイも、どこか物憂げな表情だ。
しかし、
「気が早すぎです。言いましたよね、これからが本当の悲劇だと。それにまだお二人が気になっていたことは何一つ片付いていませんよ」
「確かに……」
ラムダの言っていた『あの時』の事。
ミュウのラムダに対する強い想い。
「では、話を続けましょう」