あの頃キミは若かった
時の流れというのは、極めて残酷なものだ。
ほんの数年前まで「ウェーイ」とか言ってた奴が、今やスーツを着て会社に通っていたりする。
「いや、ウェーイとか言ったことないし」
落ちているエロ本を見つけては拾い上げて「ぐへへ」と笑っていたあの頃のあいつはもう戻ってこない。
「拾ったことねーし。ぐへへなんて笑ったことねーし。というか、そんな黒歴史に戻る必要ないだろ」
そう、五年前、たった五年前のことだ。
「おい、人の話聞けよ」
彼が当時最も欲したもの、それは腕時計だった。
なかなかお高いブランド物で、就職活動に箔がつくという理由でだ。言ってしまえば見栄の産物、猫に小判、豚に真珠、ウンコの後に鼻セレブ。
「散々な言われようだな。というかバラすな、コラ」
それが今やどうだ。
欲しいものは何ですかと問われて出た答えがアナタ、食器洗い乾燥機ですよ。あの頃のギラギラとした男気はどこへやってしまったのか。
実に嘆かわしい限りである。
「いや、だってホラ、洗い物とか面倒じゃん」
そもそも彼は大学時代、自炊など女々しいと言い放って全て外食で済ませていたような男であったというのに、それがどうだ。スーパーでピーマンの袋を両手に持ってどっちが重いだろうなどと悩んでいる始末である。
嘆かわしい。実に嘆かわしい。
「今ちょっと野菜が高いんだよ。少しでも多い方がいいだろーが」
かつて彼は言っていた。
掃除なんていうのは彼女にさせるものだ、と。
「いやまぁ、あの頃はホラ、ちょっと声かければついてくる女がたくさんいたし。お互いにな、そういう関係を楽しんでたっていうかさ」
そんな彼の現在の相棒は、ルンバである。
「別にいいだろ。便利なんだよ!」
ちなみに最近の大きな買い物はノンオイルフライヤーである。
「何か悪いのか?」
スマホが四年目に突入したのに買い替えもしないクセに、炊飯器は買い替えるという体たらくだ。そんなに台所が好きなのだろうか。もうすっかり自炊の虜である。
「仕方ないだろ。壊れたんだから」
五年前、彼は結婚などせずに一生独身のまま遊び続けるとのたまっていた。
現在、どんどん結婚が遠のいているようではあるが、その理由は女遊びではなく炊事洗濯に目覚めてしまったからである。
嘆かわしいにも程がある。
「うるさいな。健全な趣味だろ」
ちなみに最近彼女と別れているが、その発端は煮物の味付けだったらしい。
嫁姑争いだろうか。
「アイツ、調味料を目分量で入れるんだよ。大して上手くもないのに」
彼のキッチンには計量カップとはかりがいつでもスタンバっている。
ちょっとドン引きである。
「お前な、計量は料理の基本だぞ」
さて、そんな彼ではあるが、異性にあまり興味がなくなったとはいえ、それでも男としての本能が失われたワケではない。腕時計ほど高価なものではないが、それでもファッションアイテムに私財を投じることはやめていない。
ハズだ。
「引っかかる言い方をするな。それと、別に女への興味がなくなったワケじゃないぞ」
すっかり牙を抜かれた草食系になったのではないというのなら、まだ肉食系だった頃の自分を有していると主張するのなら、こちらの質問に模範的な回答を寄越していただきたいものである。
「いいだろう。望むところだ」
ちなみに肉食系というのは、スーパーのお肉とは関係ありません。
「そのくらいわかっとるわ!」
100グラム幾らかを知っていても、肉食系ではありません。
「いいから早くしろ」
では、最近買った男らしい小物があれば教えていただきたい。
「包丁だな。うむ、男らしい」
はいはい、男らしい男らしい。
「何だ、その反応はっ」
では、もっとも最近買った衣類を教えていただきたい。
「一番最近……エプロンだな」
もはや男らしさの欠片もない。
「何を言うか、エプロンというのはな、キッチンという戦場を勝ち抜くための防具であり、キッチンという舞台で輝くためのドレスであり、キッチンという聖域で生きるための正装なのだぞ!」
これはもう手遅れですね。
かように、時の流れというのは残酷である。
ちなみに私は、五年前も現在も自宅を警備している。