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9話 召喚されたし食欲に訴える

前回のあらすじ:もこみち

 『人間』、私が魔王を初めて見て思ったのが、その言葉だった。私は、いやこの国に住む人たちは全員、魔王とは人間ではない、残忍で残酷で、人間とは全く違う生き物として教わってきた。お父様には、『滅ぼさねばならない神の敵』と、お母様には、『私たちを苦しめる、許してはいけないもの』と、そうずっと聞かされ続けた私は、魔王はどれほど恐ろしい姿なのだろうと想像し、いつも怖くなっていた。

 けれど目の前にいる、自らを魔王と名乗った男はどうだろう? 若い男性という、この国にしては珍しい姿ではあるものの、どこをどう見ても、私たちと同じ、ただの人間だった。

 ……ただ、雰囲気は違う。見たこともないような、スラっとした真っ黒な服を身に付けた、長身痩躯のその姿。それは確かに、どこか得体の知れない恐ろしさを漂わせていた。まるで、全く違う世界から来たかのような……


「……なにを言うかと思えば、美味しい食事? どういう意味ですか?」


「いやなに、そのままの意味ですよ。確かにこの料理は素晴らしいですが、魔界にも負けず劣らずの良いものがたくさんあります。きっと姫様にも気に入っていただけるかと」


「それは、これからのお話に関係のあることなのですか?」


「ええ、大いに」


「……もう配膳はよろしいです。下がりなさい」


 これから本題に入ることになり、給仕に来たメイドを下がらせた。彼女を危険にさらすわけにはいかない。


「おや、できれば彼女にも、聞いていただきたいと思ったのですが……」


「……ずいぶんと余裕ですね。自分の立場をおわかりになっているのですか?」


「理解はしているつもりです。なればこそ、ですよ……」


 魔王は、静かなしぐさで、私に話しかける。まるでそれは、泣いている子どもを優しくあやす大人のようだった。

 ここまで魔王は、我々に何も危害を加えることなく、大人しく指示に従った。少なくとも粗野な男ではなかった。どころか、その丁寧な立ち振る舞いは、下手な貴族よりも礼儀正しいかもしれない。そう思ってしまった。

 魔王は私を静かに見つめて、少しだけ微笑んだ。緊迫か警戒心からかはわからないけれど、私は、その一挙一動に目をそらすことができない。彼はまた、静かに話し始めた。


「今一度問います。最高に美味い、良質な食事。それを味わってみたいとは思いませんか?」


「仰っていることが理解できませんね。良質な食事ならば、今ここにあるでしょう? そもそも、食物とは日々の糧として主が我々に与えてくださったもの。それに不満を告げるなど、冒涜でしかありません」


「……フフフ」


「……何がおかしいのです?」


 私の答えを聞いた途端、魔王は口角を上げ、思わずといった様子で笑い出す。その様子はとても異様で、私は無意識に剣呑な声を発してしまう。


「いえいえ、ただ、神に強要され、食の喜びも知らないとは、少々かわいそうだと思いましてね。アナタも、この国の方々も」


「なんですってッ……神を冒涜する気ですか!」


「まあ、そういきり立たないでくださいよ。そちらこそ、優位な側なのですから、少し余裕を持って接していただいてもよろしいのでは?」


「!……」


 一体なんだと言うのだろう、この状況は? 彼の言う通り、この会談は圧倒的に人間側(私たち)が有利、魔界は従うしかなすすべがないはず。なのに今、私は彼の言葉ひとつひとつに焦燥と怒りを覚え、彼はその私を、まるで楽しむかのように見ている。

 異様だ……あんなに下手に出てるのに、それがかえって得体の知れなさを増しているような、そんな感じがする。


「……誤解されぬよう申し上げますが、私は別にあなた方の宗教をどうこう言うつもりはありません。ただ、取引をしたいのです」


「……取引ですって? あなた方にそのような余地がまだあると?」


「まあまあ、とりあえず、話だけでも聞いていただきたい。せっかくの会談なのですから、ね……」


「……いいでしょう、言ってごらんなさい」


 つまり、彼は私を誘惑して、少しでも魔界側に都合のいい条件を引き出そうとでもいうのだろうか? だとしたらその手には乗ったりしない。魔界は何としても人間の支配下に置かなければ。でないと、平和は決して訪れない。


「寛大なお言葉、幸甚の至り。では……」


 そう言って彼は、荷物の中から、丸い箱のようなものを取り出し、何やら弄っている。そして次の瞬間、プシュッという音がしたと思ったら、その丸い箱から湯気のようなものが出てきた。魔法とわかった瞬間、私は身構え、臨戦態勢に入る。


「!ッ……」


「ああ、落ち着いて、ただの発熱魔法です。害はありませんよ」


 彼は立ち上がった私を見て、座るようなだめたが、私はいつでも攻撃魔法が放てるよう、立ちながらその様子を見ていた。発熱魔法? なぜ? あれは武器の威力向上や、溶鉄作業などに使われるものだったはず。あんな箱に使う意味はないはずだ。一体何を……


「……そろそろ、出来上がったかな?」


 出来上がった? 彼は一体何を言っているのだ? しかしそんな私の疑問をあざ笑うかのように、彼は再び、箱を取り、その蓋を開けた。その中には。




 黄金のスープのようなものが、入っていた。




「おお、できてるね」


「!? な、なんですか、それは……」


 見たこともないものだった。開けた瞬間それは湯気が立ち上り、高温であることが伺える。スープの中心には刻まれた葉のようなものがあり、それがどこか上品さを思わせた。匂いが強いのだろう。私の方にまでその香りが漂ってきた。でも決して嫌ではない。優しく、温かい香りだった。


「卵雑炊ってやつです。見たことありませんか?」


「……それは、一体……」


 次に、魔王は席を立ち、私のところまでそのスープをもって近づいてきた。近寄らせないようけん制しなければいけないのに、私はただその様子を、茫然と眺めることしかできないでいた。魔王が私のそばまで来て、スープを私の前に差し出して、再び囁く。


「魔界の食糧ですよ。まずは一口、食べて頂けませんか?」


「!……だ、だけが魔界のものなどッ」


「私だって、人間(あなた方)のものを口にしたのです。食べてもらってもいいでしょう? ご安心ください。毒は入っていませんよ」


「……」


 私は出されたスープ……タマゴゾウスイといったかしら? それに解析の魔法を使って、中身を調べる。確かに、毒となるものは入っていないようだった。むしろ栄養価がそこそこあるようだ。


「こちらの、スプーンですくってお食べください。お熱いので気を付けて」


「私は……」


 食べるべきではない、魔界のものなど食べてはいけない。それはわかっているはずなのに、私はいつの間にかスプーンを手に取って、それを口に運んでいた。一口、それを食べた。



 気が付くと私は、無我夢中でそれを食べていた。



 なぜ? なんで? 頭では食べてはいけないと思っているのに、体がそれを許してくれない。まるで体に直接『食べろ』と命令されているように、私の口は咀嚼することを止めてはくれない。


美味しい

オイシイ

おいしい


 初めて経験した感情のはずなのに、私はそれを明確に言葉にすることができた。その意味を考える余裕もない。食べちゃいけない。でも……一口だけ、あともう一口だけ……


「ククッ……」


「ッ!?」


 嗤い声がした。見ると、魔王が私を見て、ただただ、楽しそうに私を見下ろしていた。


「あ……あ………」


「どうです、美味しいでしょう?」


「!……ちが、私は」


「温かい食事というのは、良いものでしょう?」


「わ、私……は……」


「よいのです、無理に我慢しなくても。今まで辛かったでしょう?」


「違う……ちがう……」


「大丈夫ですよ。思うままにすればいい」


 やめて、そんな優しい声で囁かないで……そんな甘い声で語りかけないで……私を保っていた何かが、音を立てて壊れていく気がした。



「さあ、まだ残っていますよ? 冷めないうちに……」



 その言葉を皮切りに、私はまた食べ始めてしまう。食べて食べて、気が付いたら、空になった容器が、目の前にあった。


「綺麗にお食べになりましたね。流石はお姫様です」


「……取引とは、なんですか?」


「聞いていただけるのですか?」


「聞くだけです。早く申し上げてください」


 私は何を言っているの? ダメだ、こんなこと、完全に魔王の思うつぼだ。……けれど、聞くだけ……聞くだけなら……


「……まず要求を申し上げます。魔界を植民地にすることを取りやめてもらい、エイレックス王国には我々魔界に与していただきたいのです」


「なっ……!?」


 要求は、あまりにもばかげたものだった。この男は、降服するどころか、私たちに魔界側に寝返ろと、魔界の傘下に入れと言ってきたのだ。


「ふ、ふざけないで! そんな要求が通ると」


「もし受けてくれたのならば、魔界の食糧を毎日提供いたします」


 ……え? 毎日? これを、毎日?


「姫様だけではありません。この国の人達全員に提供することを約束しましょう。まあ、その際に、少しばかりの資金援助はして頂くこともあるかもしれませんが……」


「いえ、で、でも……」


「無論、先程の卵雑炊以外にも、提供できる料理はたくさんあります。もっと美味しいものが、魔界にはたくさんあるのですよ」


 これ以外にも、たくさん? もっと、食べれる……?


「……姫様、こちらを」


 そう言って魔王は、懐から何か、紙きれのようなものを渡してきた。これは一体……


「もし要求を承諾して下さったなら、姫様には特別に、魔界へご招待いたします。そのチケットを持ってきていただければ、最高のごちそうでおもてなし致しますよ」


 魔界……この紙は、魔界に行くためのものなのかしら? ごちそうって、いったいどんな……


「貴女の決断で、この国の人々が豊かな生活をできるかどうかが決まります。どうか、賢明なご判断を……」


「……要求は以上ですか?」


「はい……」


「……現状では決めかねます。また後日、改めてお返事をいたしますので、お待ちいただけますか?」


「ええ、もちろん。いいお返事を期待していますよ」


 その言葉を最後に、その会談は終わりを告げた。結局最後の最後まで、魔王は私を、子供でも相手にするかのように、穏やかに接していた。





 ◇





 あの会談の後、特に何があるわけでもなく、俺たちは普通に返してもらえた。帰りも勇者御一行に見張られながら馬車で送られたため、俺たちは馬車を降りて、魔界のゲートに着くまで話すことができなかった。


「フゥ……で、どうだった? いけそう?」


 勇者たちの監視から逃れ、ようやく一息ついたとき、リリスさんは俺にそんなことを聞いてきた。


「さあ……とりあえずイブにつくってもらった卵雑炊とクーポンあげて、これで勘弁してくださいって感じのことは言ったけど」


「え、逆になんでそれでいけると踏んだのこのナメクジは? だからアンタナメクジなのよ」


 なんだもうこの人、ことあるごとに人を無脊椎動物みたいに呼びやがって。仕方ないだろまずカードが弱すぎるんだよ。あんなんバーサーカーソウルあっても無理だわ。


「ねえヨシ君、俺たち待ってる間にオリーブオイルの塊みたいなの出されたんだけど、何あれいやがらせ?」


「あ、そうそうびっくりしたわあれ。人間ってあんな風にオリーブオイル使うのね」


「いや使わねーから、あれを人間のデフォルトだと思わないで」


 いやホントびっくりしたわあれには。なんか足りない栄養素は魔法で補っているらしいけど、やばいんじゃないかなアレ? 言っちゃえばサプリがメイン栄養素になってるようなもんだろうし……実際魔法が苦手な男性はみんな死んじゃってるらしいし……


「それで、どういう取引になったの?」


 リリスさんが俺にそう聞いてくる、やっぱりその辺は気になるよな。


「えーと、なんか植民地化の話が出てたんで、それをやめてもらうように言って、あとできればエイレックス王国の傘下において庇護してくれませんか的なことは言った」


「どんな風に?」


「魔界を植民地にすることを取りやめてもらい、エイレックス王国には我々魔界に与してくれって……」


「……ねえヨシカゲ君」


「え?」


「その言い方だとエイレックスが私たちの傘下に入れって言ってるように捉えられそうなんだけど……」


 ……あ


「……え、やべどうしよう」


「どうしようじゃないわよこのクソナメクジ! 絶対受け入れてくれないわよそんなの! あーもう知らない! 私もうしーらない!」


「ま、まあまあ姐さん。ヨシ君も頑張ったんだし、こうなった以上しゃーないっすよ。なるようになるっすよ……なあもう今日は飲むっしょ、これからいつ飲めるようになるかわかんないし……」


「おう……ごめんな、2人とも」


「はあ……もうヤケよ。今日は飲みまくってやるわ。朝まで付き合ってもらうからね」


 何次会まで発生するかわからない最後の晩餐の話をしながら、俺たちはゲートをくぐる。ゲートを出ると、目の前にイブがいた。出迎えに来てくれたんだろうか。


「お帰り魔王様……」


「……ただいま。魔王様」


 俺が人間界で魔王を演じたからだろう。互いにそう呼び合って、それが何故か、ちょっとだけ可笑しかった。1日も経ってないのに、イブに会ったのは久しぶりな気がする。


「イブ~聞いて~このクソ雑魚ナメクジったらね~」


「ああ、大体わかった。上手くいかなかったんだな」


「……ごめんな、イブ」


「……まあ、やるだけのことはやったんだろ? じゃあしょうがないよ」


 あれ? もっとボロカスにナメクジナメクジ言ってくると思ったのに、なんか凄いしおらしいぞ。どうしたんだ一体?


「なあどうしたんだイブ? 悪いもんでも食ったか?」


「お前私のことなんだと思ってるんだ! ……別に、ただみんな、帰ってきただけでも上等だって思っただけだよ」


「イブ……」


「あれ、魔王様、もしかして寂しかったんすか? 俺たちが行っちゃって寂しかったんっすね!」


「お前は帰ってこなくてよかったけどなこのパリピフクロウ」


「魔王様、さすがに俺も泣くっすよ?」


 ギャーギャーと騒ぎながら、俺たちは魔界の道を歩く……コイツらも、俺も、世界が崩壊する日でもなんだかこうして騒いでそうだなと、ふとそう思った。

 

「……な、なあヨシカゲ、ところでさ」


「ん?」


「き、今日持ってった弁当、どうだった?」


「ああ、スゲエよかったよ。特に卵雑炊が良かった」


「そ、そうか……自信作だしな、美味かったろ?」


「ああ、姫様にあげたら全部食ってたぞ」


「このクソナメクジィ!」


 そしてコイツは今際のときまで俺をナメクジ呼ばわりするのだろうと、そう思った。





 ◆





「……」


 食べたい、あの味が忘れられない。


「……いえ、でもッ」


 仮にも国の支配者が、自分の欲望で国を動かすなどあってはならない。そんなことをしたら、それこそ暴君ではないか。


「……魔界への、招待状」


 あれ以上に、美味しい食事、ごちそう……要求さえのめば、私がただ一言、『はい』と言えば……

 だめ、だめよ。私は一国の主、神に従い、民を守らねばいけない存在。民を守り、エイレックスをより豊かにしなくては……豊か、に……?





 『貴女の決断で、この国の人々が豊かな生活をできるかどうかが決まります。どうか、賢明なご判断を……』





「……そ、そう、そうよね。これは私のためじゃない。民のため、民により豊かな生活をしてもらうため、仕方なく……そう仕方なくよ。決して私利私欲のためなんかじゃない。そうよ……王なら当然の選択……」





「ですよね、魔王『様』」





 気づくと私は、魔界に向けての魔術手紙を、誰に話すこともなく書いていた。





 ◇





 数日後、魔界にて


「姐さん、ヨシ君! エイレックスから返事の手紙が来たっすよ!」


「!……ついにか」


「なんて書いてるの!?」


「えーっと……『エイレックスは要求をのみ、魔界の傘下となることをここに示す』……え?」


「「ファ!?」」




 どういうことなの……?



卵雑炊なんかに負けたりしない!→卵雑炊には勝てなかったよ……


食事はきちんと摂りましょう。

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