プロローグ
プロローグ
今まで生きて、一生忘れたくないと言えるような思い出はあっただろうか?
少なくとも僕――米島涼は特に中学三年間は忘れたい思い出の方が圧倒的に多かった。
小学生の頃、僕はクラスの中心ではなかったが誰一人、分け隔てなく接した。
恐れずに向かっていけば何だってできる。
亡き兄である米島隼人の教えに僕は不器用ながらもクラスメイトを巻き込み、積極的に困ってる子や心の闇を抱えてる子たちを助け、時には先生や大人たちを巻き込んで小学校時代を過ごした。
今思えば正義の味方になったつもりだったかもしれない、楽しかったのは小学生までだった。
中学進学を機に隣の校区に引越し、みんなとは違う学校に行くことになり、僕はそこで陰湿で凄惨ないじめを受けて悲惨な三年間を過ごした。前から僕のことを妬んでた奴が、あることないことをまくし立てて悪い噂を流し、孤立させることから始まった。
そいつは用意周到だった。仲良くなった奴や声をかけた奴に嘘の噂を流し、入学して数ヶ月経つ頃には一人ぼっちになり、あちこちからヒソヒソと話し声が聞えた。その間そいつは優しく接したが全て嘘だった。
ある日を境に豹変し、日常的に暴力、パシリ……思い出すだけでも吐きそうな記憶で埋め尽くされた。その間に兄は自殺とも、変死とも言える最期を遂げた。そいつは「兄が死んだのはお前がしっかりしてないからだ!!」とか「お前は兄を殺した!」と何度も何度も、精神的に追い詰められた。
中学一年の時、僕の人格と心は否定され、壊された。
中学二年の時、僕は何も感じなくなり、ただ弄ばれる日々を送った。
中学三年の時、僕は進学して大学行って一流企業に就職しようと勉強した。
結局第一志望の県立城下高校には行けず、滑り止めの私立細川学院高校(通称:細高)に進学した。そこには中学時代にいじめていた奴らはおらず、ひとまず安堵した。
中学で学んだことの一つとして、出る杭は打たれるということ。
そのせいか、クラスの悪い奴らに目をつけられることなく、中学時代に比べて退屈だが平穏な毎日を送れるようになった。
高校入学以前の頃は意図的に忘れるよう自己暗示をかけた、小学校時代の思い出を犠牲にして。
そして二年生の夏になり、もうすぐ夏休みでクラスメイトたちは浮かれていた。
この学校にはクラス替えがないから三年間一緒だ。入学してすぐにあったスクールカーストの権力争いの時も、一歩引いた所から眺めてるだけでいた。リア充とか、輝かしい青春とはほど遠い学校生活で、退屈な日々を送り、休み時間や昼休みは気の合う土谷大地と駄弁る程度だ。
「なぁ、涼……これから美紀と町に行かないか」
ボソボソと呟くような声で誘う。
いつの間にか土谷大地は自分のことを下の名前で呼び始めていた。涼と同じくらいの一七〇センチの筋肉質、不良のように柄の悪そうな三白眼で、ラフに制服を着ている。
入学して声をかけられた時は正直、またいじめられるんじゃないかとビビッたが、お人好しで人当たりのいい一匹狼だ。
名前で呼ぶ大地に、涼も仕返しとして名前で呼ぶ。
「僕でいいの? 大地、他にもいるんじゃない?」
「そう卑屈になるな。小さい頃……お前と遊んだ時は楽しかった。お前がいいんだ」
ずっと前から大地は涼のことを知ってるという、不思議な奴で最近は彼の幼馴染である木崎美紀と三人で遊ぶのが増え始めていた。
「二人とも! 早く行こう!」
木崎美紀は少し伸びた黒髪ショートカットで浅黒かった肌はすっかり白くなり、長身で引き締まった四肢とくびれのあるプロポーションで、以前は男っぽかったが元々整った顔立ちなので最近は女っぽくなって勝気で明るい美人に変わりはじめてる。
「ああ、わかってる……美紀、すっかり変わったな」
「なぁに? お世辞のつもりかい少年?」
美紀は太陽のように明るい笑顔で言う。本人によれば女子サッカー部にいたがレギュラー争いか何だかで、人間関係に嫌気が刺したという。本人は決して口にしてないが、大地は美紀のことが前から好きなようだ、二人っきりにしてやりたいが余計な「気遣いは無用だ」と言われたものだからなぁ……。
細高を出ると、熊本市電の交通局前停留所で路面電車に乗って通町筋で降りる。いろんな所に寄り、次の店に行こうとしていた時に美紀はこんな話しを持ちかけた。
「ねぇねぇ聞いた聞いた? 明日辺りに転校生がやってくるんだって!」
「……どこからだ?」
大地はあまり興味なさそうな表情で訊くと、美紀は少し不満げになる。
「どこからじゃなくて、男か女か? って普通訊くでしょ!? ねぇ涼!」
「ええっ? ぼ、僕に言われたって……えっと、男? 女?」
いきなり話しを振られた涼は困惑しながら言うと、美紀は言う。
「噂だからどこのクラスになるかわからないけど、女の子らしいよ」
「へぇ……じゃあ噂だからうちのクラスになるとは限らないし、女子とも限らないよ」
涼は思った通りのことを言う。
うちのクラス――二年二組に来るとは限らないし、男かもしれない。もし転校生が絶世の美少女だとしても彼氏持ちかもしれないし、いなくてもどうせすぐどこかのイケメンか運動部のレギュラーとかの奴がモノにするに決まってる。
そう考えてると大地はボソッと鋭く呟いた。
「すぐ卑屈に考えて言うのが今のお前の悪いところだ」
「そうよ、あんたもう少しポジティブに考えなよ! 真夏の太陽より熱い恋とかあるかもよ!」
美紀はワクワクしてる表情で妄想を張り巡らせてるかのように言うと、大地はツッコミを入れながらさりげなく好意を口にする。
「太陽より熱かったら焼け死ぬどころか灰も残らないぞ。でも美紀、お前のそういうところが好きだ。俺も見習わないといけない……それじゃ、今日は用事があるから」
「ああ、気をつけて」
大地はスマホの時計を見てそそくさと雑踏の中に消えて行き、涼はその背中を見送ると美紀は不満げに唇を尖らせた。
「あいつ彼女でもできたのかしら?」
「それは……あり得ないさ」
「なんでそう言えるの?」
美紀はジト目で睨むと、涼は思わず半歩後ずさった。
「いや、あいつ……結構奥手だからさぁ」
「ふぅ~ん、怪しいわね」
完全に疑ってる様子で、涼は全身から冷や汗が出た。決して口を割ってはいけない、それは大地を裏切る行為なのだから。