夕日
10月。
俺、青野紺は嬉々としていた。
なぜなら、明日から2日間、文化祭があるからだ。
普通、教員にとって文化祭と言えば、生徒がハメを外しすぎないように注意したり、見回りをしたりと、正直言って面倒くさいものだ。
俺だってそうだった。自クラスの出し物が決定されるまでは…。
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「今日は、来月に迫った文化祭の出し物を決めたいと思います」
クラス委員長が黒板の前に立ち、みんなに説明を始める。
「……では、私たちのクラスは、劇『ロミオとジュリエット』をやることに決定しました」
「次に、主役『ロミオ』『ジュリエット』を決めたいと思います。誰か、やりたい人はいますか?」
ジュリエット役、か。
赤川が演じる姿を想像する。とても似合うと思った。
しかし、そうするとロミオ役は誰になるのか…俺は…ダメだよなぁ。
自分のくだらない妄想に、少し笑った。
「いないようなので、公平にクジ引きで決定したいと思います」
それぞれ主役の名前が書かれた紙と白紙の入った箱が2つ用意された。
男女に分かれ、1人1枚ずつ引いていく。
「では、開けてください」
「…ジュリエット役は、赤川さんに決まりました」
自分の耳を疑った。そして、黒板に書かれた文字を見る。
『ジュリエット役…赤川 紫音』
ああ、麗しい姫君ジュリエットよ。どうして貴女は彼女を選んだのですか?
さながら某有名シーンのように、心の中で1人呟いた。
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それから1ヶ月、クラスのみんなが一丸となって、台詞や動作の練習を一生懸命していた。
ロミオ役はクラスのイケメン男子。少女漫画なら、俺は親友の好きな子に密かに恋する報われない男子だろう。自分でも馬鹿げてると思うが、ロミオ役の男子に嫉妬した日もあった。
今日は、これから最後のリハーサルを行う
赤川は、友人の黒田と話している。
友人…特に、黒田と話している時の赤川は、とても無邪気に笑う。
俺にも、いつかあの笑顔が向けられる日が来るのだろうか。
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リハーサルが終わると、みんな早々に片付けをして帰っていった。
俺は、明日の確認のため学校の見回りをして、最後に自教室に戻った。
ガラガラっと、教室のドアを開ける。
「あれ。赤川、まだ残っていたのか?」
「青野先生!!…はい、台詞の最終確認をしていました」
「相変わらず真面目だなぁ」
「主役をやるからには、成功させたいですから」
「赤川のそういう所が、みんな好きなんだよな。主役が赤川なら納得だ、ってクラスのみんな言ってたよ」
「ふふ、嬉しいですね」
その『みんな』に、俺も入ってるんだよ。
そう、言いたくなった。
「そういえば、台詞の確認をしてるんだったよな?1人じゃやりづらいだろう。俺が台詞の掛け合いをしようか?」
少しでも、ジュリエットと繋がりが欲しいと思っていたら、こんな言葉が口をついて出た。
「えっ、いいんですか?助かります」
「うん。台本貸して」
「はい!」
夢みたいだと思った。教室に2人きりで、台本の読み合わせ。これこそ、少女漫画みたいだ。
「『⋯、────。』」
ジュリエットの台詞を赤川が、ロミオの台詞を俺が、交互に言っていく。
そして、かの有名なシーン。
「『ああ、ロミオ様、ロミオ様。何故あなたは、ロミオ様でいらっしゃいますの?』」
赤川が、真っ直ぐ俺の目を見つめて言う。
「『────⋯。ただ一言、僕を恋人と呼んでください。────⋯、今日からはもう、ロミオではなくなります』」
せめて今だけでも、『先生』ではなくなりたい。
差し込む夕陽で真っ赤に染まった教室に包まれて、赤川の顔はよく見えない。見えないからこそ、彼女を見つめていられる。
正面の開いた窓から少し冷たい秋風が吹き込む。外から聞こえてくる運動部の怒声、吹奏楽部の楽器の音色、帰宅する生徒達の楽しそうな笑い声。
全ての音が止む瞬間。
ほんの一瞬。それでも俺にとっては永遠のように長く、その時俺たちは、確かに世界で2人きりだった。
「赤川、好きだよ」
なんて。
切ない言葉は、台本と一緒に掌で握り締めた。