赤色の秘密
彼、青野紺先生とは高校の入学式で出会った。
「あお、遅いなー…」
校門に立て掛けられた『◯◯高校入学式』と書かれた看板の横で1人佇む私は、大好きな親友を待っていた。
春らしい暖かい風が吹き、桜吹雪が舞う。桜の木を見上げ、これからの高校生活に夢と希望を抱き、私は軽く微笑んだ。
ふと、誰かの視線を感じた。校舎の方を見ると、先生らしき人物がこちらを眺めている。きっと、私たち新入生を見ているのだろう。
「紫音、お待たせ!!」
聞き覚えのある声にハッと振り向く。
「…お前かよ、志葵」
「あからさまに嫌な顔をするな」
「だって嫌だし…あっ、あお!!もー、遅いよー」
他愛もない会話をしながら、私たち3人は新しい学校生活に向けて校舎へ歩んでいった。
「あの人が担任だったらいいな…」
ただ何となく、そう思った。
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無事に入学式も終わり、私は新しいクラスへと戻る。
蒼とも志葵とも別々のクラスになってしまった。
名前順に割り当てられた席につき、先生が来るのを待つ。
ドアが開き、騒がしかった室内が一瞬で静かになった。
「えー、今年このクラスを担当することになりました、青野紺です。主に数学を教えています。みんな、よろしく」
直感的に、今朝の先生だと分かった。
自己紹介を続ける先生をジッと見つめる。
高い身長。ふわふわした猫っ毛。細い指。聞いていて落ち着く低い声。
青野先生、か…。
彼に対する胸のざわめきを感じた。大好きな彼女に対するものとは違う、別の何か。その時の私にはよく分からない感情だった。
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その後はクラス全員が1人ずつ自己紹介をして、明日からの予定を聞いて解散となった。
しかし、日直だけは今日から始まるらしい。私は教室に残っていた。
ガラッと、ドアの開く音がする。
「紫音、一緒に帰ろー」
大好きな蒼からのお誘い。しかし私には日直の仕事が残っている。この時ばかりは自分の苗字を呪った。
「うー…あお、ごめん。日直だから、先に帰ってていいよ…」
「そっかぁ。分かった。じゃあ、また後でLINEするね〜」
そう言って蒼は帰っていった。
「すまんな、今日から日直で」
「あっ、いえいえ。名字が『あかがわ』だから仕方ないですよ」
唐突に先生に話しかけられ、少なからず動揺する。
その時風が強く吹いて、窓の外で桜の花びらが沢山舞った。
「わぁ…!先生、綺麗ですね!」
窓際に駆け寄り、手を伸ばした。
「ん…もう少しで、花びら、捕まえられそ…よしっ」
「先生、見てください。花びらキャッチ成功!」
「おお、よかったな」
「手、出してください」
「うん?」
「はい。この花びら、先生にあげます。初めて先生とお話した記念に」
そう言って私は先生の手のひらに桜の花びらを置いた。暖かい春の陽射しに包まれた先生の微笑み、私に向けられた優しい眼差しに、胸がきゅうっと締め付けられた。
初めて恋に落ちる音を聞いた。
少し切なくて、苦しくなるような音だった。
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それから月日が経ち、2度目の春がやって来た。
今年も私は青野先生が担任のクラスになった。
「青野先生。この問題、どうやって解くんですか?」
いつも通りの言葉と共に、先生に問題を見せる。
「んー、これはここをこうして……ということだ。分かったか?」
「あぁ!なるほど~」
「赤川は本当に数学が好きだなぁ」
「数学が好きなんじゃなくて、先生が好きなんです。好きな先生の教科は必然と好きになるものですよ。数学とか、世界史とか…って、何回か同じこと言ってますよね!?」
なんて、照れ隠しの答え。このまま『先生が好きです』と言えたらいいのに。
「いやぁ、何回聞いてもぶれないから、もしかしたらいつか違う答えが返ってくるんじゃないかと…」
「もう、からかわないでください!」
すまんな、と言い、眉を下げて笑う先生。
普段先生は無愛想で、他の生徒からは少し敬遠されている。この笑顔を知っているのは、私くらいだろう。そう思うと、自然と顔が綻んだ。
その頃の私は、青野先生への恋心を悟られまいと、隠すのに必死だった。
「職員室までお供します」
その言葉を合図に私たちは教室を後にする。
何回聞いただろう。背後から、先生の声がする。
「数学、好き?」
もちろん、好き。数学も、先生も。
ああ、この気持ちだけは、絶対に知られてはいけない。私だけの秘密にしなければ。
きっと私は、この叶うことのない恋に儚い希望を抱いて、何回も貴方に同じことを言うのでしょう。
「好きですよ、先生のこと」