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無粋なことをやってみた

異世界で金に困った時には服を脱げ

作者: 風待月

 異世界モノの小説で、衣類の価値について考えられていること、ないですよね。


 いやまぁ、考えてみるまでもなく、当然といえば当然なんですが。

 日本人の場合、時代劇で考えればすぐわかります。衣類関連で出てくるのは『呉服屋』『縮緬(ちりめん)問屋』くらい。しかも出てくるのは店構えくらい。実際のドラマには、大店(おおだな)という設定説明だけで充分なのですから。必要なのは、身分を(いつわ)って諸国漫遊の旅をする水戸のご老公であったり、悪巧みする悪人という、キャラクターなのですから。

 『ちりめん問屋』をちりめんじゃこ加工業者と勘違いしそうな人が多い現代社会において、実際江戸時代に布や服がどのような販売加工されていたかなんて描いても、ドラマにはなりません。

 だからこそ、こんな狭いニッチを狙うエッセイにも出番があるというものです。


 さてさて。本題に入るため、語り口を変えたいと思う。こちらのほうが語りやすいので。



 主人公が異世界で、美少女の奴隷を購入。

 みすぼらしい恰好をなんとかするため、衣料品店に引き入れ、服を見繕おうとするのだが、女の子は「奴隷なのに」などと恐縮する。


 中世ヨーロッパ風の世界では、ダサい服しかない。

 そこで主人公が現代風の服、特にその中でも下着を開発し、大評判となる。


 細部は異なるだろうが、このサイトにおいて『テンプレ』と揶揄(やゆ)される作品で、よく見かけられる展開だと思う。


 ぶっちゃけ、ありえないと言っていい。世界設定や物語の展開が大きく絡むため、ゼロとは断言できないが、説明なしなら世界観が破綻していると言っても過言ではない。

 理由は簡単。衣服の価値が現代とまるで違わなければならないからだ。


 またも異世界お約束の中世ヨーロッパ風とは年代も場所も変わる例になる。

 時代劇で博打に大負けした登場人物が身ぐるみはがされ、裸で放り出されるといった場面を見たことないだろうか?

 身ぐるみはがすのは百歩譲って理解できたとしても、服を取り上げたところでどうするのかと思わないだろうか?


 再放送の『ア○プスの少女ハ○ジ』を見た時、なぜ○イジが普段着を脱いだだけでベッドに入るのか、疑問に思ったことはないだろうか?

 パジャマに着替えろなんて思わなかっただろうか?


 その疑問は、し○むら、G○、ユニ○ロなどを知る現代人の価値観と、決定的に違うからだ。

 時代をさかのぼった価値観では、衣服は高級品なのだ。一式でひと財産と言っても過言ではないのだから、着替えを持っているだけでもかなり懐に余裕のある者だ。


 加えて、『衣料品店』の存在そのものが怪しい。

 これまた話をわかりやすくするため、日本人の価値観での話になるが、『呉服屋』と聞くとどんな店だと想像するだろうか?

 現代社会に生きる人は、『着物を売る店』と答えるだろう。

 しかし時代劇で描かれる呉服屋の店先は、着物なんて売っていない。客に見せるのは布を丸めた反物だ。着物に仕立てて渡す場面は、ドラマで描かれることはない。


 ニュアンスの違いと捉えることもできるが、昔の世界では『衣服』を販売するのは雑貨屋や古着屋であり、既製品で新品の服を売る店は存在しないと考えたほうがいい。

 布だけを買ってきて、服に仕立てるのは自分で、あるいは専門の職人に任せるのが、昔は一般的だった。

 S、M、Lなどとサイズごとに統一した規格を作り、服そのものを売ることができるようになったのは、大量生産が可能になってからのこと。

 それ以前は職人の手作業で作るしかなく、客の体型や好みで売れるかどうかわからない服を前もって作るのは、時間と材料の無駄だったからだ。



 学校の社会・歴史・世界史で『産業革命』について学んだと思う。

 ここで改めて出すまでもないので詳しくは触れないが、産業革命を機に出現したもの――というか、なぜ産業革命が起こったか。テストでこの内容に触れるとき、穴埋めかキーワードを使った文章問題として出題されるはずだ。

 産業革命が起こりえた理由は、『製鉄』『蒸気機関』『紡績機・織機(しょっき)』の発達・出現だ。


 この中で『製鉄』『蒸気機関』は、内政チートが主題の異世界モノ小説で、取り沙汰されることはままあると思う。

 だが『紡績機・織機』について取り沙汰されることは、ほとんどない。少なくとも自分は、出現した作品が記憶にない。


 紡績機とは、綿花や羊毛を()り合わせて、糸にする道具。

 その糸を織って生地にするのが織機。

 歴史民族資料館にでも行けば、糸車や機織(はたお)り機の現物を見ることができるだろう。童話の絵本、『眠れる森の美女』や『鶴の恩返し』を開けば、きっと描かれているはず。


 それらが自動機械化され、加工の時間が短縮されないと、低価格衣料品など夢のまた夢で終わる。



 証明するため、Tシャツを作ることを考えてみよう。

 現代では2、3枚のセット1000円で売られているような品だが、これですら中世の技術レベルではとんでもない高級品となる。


 素材や生地の厚み、加工法によって変わるが、一般的なTシャツは、200g程度の重さらしい。

 どれくらい長さの繊維が使われているか調べてみると、過去にテレビ番組の企画でやってみたものが見つかった。紳士用綿TシャツLサイズで5604m33cmの繊維が使われているらしい。

 そして使われている番手 (繊維の太さ)は16番が多いそうだ。テックス (長さ1000mあたりの重さ)に換算すると、約37テックス(g/km)になる。


 5.60433(km)×37(g/km)≒207.36(g)


 計算してみるとこうなるので、正しい数字として扱っていいだろう。


 それを作るために、どのくらいの大きさの生地が必要となるか。

 胴の幅と、肩から腰までの長さを測り、縫い(しろ)のプラスアルファを加味して、前面裏面で2倍した生地があれば、タンクトップは作れる。袖があるなら更に腕の外周×長さ分の面積がプラスされる。

 ここではキリよく、幅1m×長さ2mの生地が必要とする。


 必要な生地を作るのに、どれくらい時間がかかっているのかを算出する。

 原材料の段階からTシャツを作ろうと思えば、綿花やカイコ繭、羊毛、麻の繊維を糸に加工する段階から考える必要がある。

 糸(つむ)ぎにかかる時間は、道具や素材、作業する人間の慣れによって異なるだろう、ネット上で探してみると、『綿10gの糸を紡ぐのに約1時間半かかります 』という記載を見つけたので、これを採用する。


《200gの糸を紡ぐのにかかる時間》


 10(g)=1.5(時間)

 200(g)=X(時間)


 X=(200*1.5)/10=30(時間)


 Tシャツ一着分の糸を紡ぐだけでも、一日では終わらないらしい。



 次に、その糸を織り、布にする作業が必要となる。

 これまた道具と職人の手際、縦糸の本数、目の詰め方やらなんやらで変わってくるが、着物の元になる反物、あれを織るのに1ヶ月はかかったらしい。大きさが幅約37㎝、長さ約12m50cmくらいが標準らしいので、それを元に考える。


 ここで問題になるのが、実作業時間だ。

 機織りを手作業でやるしかない時代に、時間給という概念はない。しかも労働基準法も存在せず、週休2日で8時間労働残業なしなどとのたまったら、(なま)けていると言われただろうから、この時間で作業したとは考えにくい。

 なので少しブラックに、1ヶ月の労働25日間10時間として考える。


《反物1反を織る労働時間》


 25(日)×10(時間)=250(時間)


《反物と、今回のTシャツに必要な生地の面積比》


 0.37(m)×12.5(m)=4.625(㎡)

 1(m) ×2(m)=2(㎡)

 4.625:2=2.3125:1


《面積比からTシャツ分の生地制作時間の算出》


 250(時間)/2.3125≒108(時間)


 自分で布を織った経験などないので、この時間は早いのか遅いのか、よくわからない。



 続いて、生地からTシャツに加工する時間が必要となる。

 ミシンが当たり前にある現代、手縫いで服を縫うのにどれほど時間がかかるのか、調べてもよくわからない。

 両脇での前後ろの縫い合わせ、袖口・(えり)(すそ)の折り返し、袖があるならその接合と、縫わなければいけない部分は決して少なくはない。

 なのでここは思い切って、熟練のお針子さんでも一日仕事(8時間)になると仮定する。


 さて。ここまでに必要な時間を総合すると。


 紡績:30(時間)

 織り:108(時間)

 加工:8(時間)


 30+108+8=146

 

 合計146時間かかっている。


 これを人件費として考えてみよう。現代日本に当てはめると、平成27年度の地域別最低賃金ワーストは、時間額で677円らしい。


 146(時間)×677(円/時間)=98842(円)


 この時点で、Tシャツ一枚がとんでもない値段なのに、販売時にはもっと高くなる。

 現代だと、委託販売や完全買取など、(おろし)の段階で一律ではない。服でもアパレルショップとメーカー直販では、原価はかなり違う。完全買取だとしてもメーカーだけでなく、伸びる生地と伸びない生地で大きく異なるようだ。ただ原価率50%を超えることはありえないと思っていい様子。

 ここは飲食業の基準同様、原価率30%として考える。

 つまり実際客の手元に届く時には、その3.33倍、約33万円になる。一般人の感覚では、おいそれと買える値段ではない。


 しかもこの値段は、最低価格ではない。必要生地2㎡の紡績加工時間を算出しなければならないのに、そこをTシャツ分最低限にするような大雑把な仮定で算出しているにも関わらず、誰かが赤字で泣きを見ている最低以下の数字だ。

 算出した数字は、加工時の最低賃金の人件費のみ。原材料を採るために必要な羊や綿花の飼育・栽培費用、輸送費といったものは一切加味していない。

 原材料にしても、指定はしていない。現在の価値観では、絹は綿の倍以上の価値があり、ウールは比較的安価だ。

 大元の原材料費を加えた上、名だたる職人が手がけた品であったり、平均賃金の高い場所で作られた製品であれば、当然販売価格は跳ね上がる。今は繊維の色そのままの無地Tシャツだという想定だが、模様を入れたり染めたりすると、その分の加工費が上乗せされる。

 ざっくりとした想像だけでも、40~50万円になることはほぼ間違いない。


 だから新しい服は、貴族や富裕層のもの。一般市民は古着でないと、到底手が届かない。

 機械化がされていない時代、生活必需品でありながら、服がいかに高級品だったか、ご理解いただけただろうか。



 さて。ここで異世界モノ小説に話を戻す。


 美少女奴隷に(高価な)服を何着も買う。

 ホステスに入れ込んで、高級ブランド品を買い与えるシャッチョサンを連想するのは、自分だけだろうか?

 贈り物で喜んでくれるのが嬉しい、という考えは、プレゼントを贈る際には誰しも共通する想いだろうからまぁいい。しかし高級品をポンポン買い与え続けていれば、そのうちナメられ財布扱いされる未来は想像に(かた)くない。


 現代風の(高価な)服を異世界で流行らせる。

 当然貴族階級でしか流行はしない。古着をリメイクするならまだ話は変わるが、一般市民には無縁の殿様商売になる。作者がそんな主人公を描きたいなら別だが、読者ウケを考えると微妙だ。

 そもそも材料の作成に時間がかかり、品薄だから高価になる社会なのだ。根本部分から改革しなければ、自分の得意分野も発揮できない。



 異世界モノを愛する読者さんの多くにとっては、こんな指摘は重箱の隅をつつく、聞く価値のない雑音だろう。

 しかし『美は細部に宿る』を信じる自分にとっては、読書中こういう点が見えてくると引っかかる。

 作者が書きたいのは『中世ヨーロッパ風異世界=なんちゃって』であり、『本物の異世界』を描きたいわけではないのだな、と思ってしまう。

 価値格差をおろそかにしておいて、ガラスのビー玉が途方もない金銭価値を生む展開など出されたら、失笑する。

 農業改革や技術改革を話の中心にしておいて、綿工業や毛織物工業に触れないのは、『想像力がない』『調査力がない』と見なしてしまう。

 まさか『黒色火薬とか製鉄技術はカッコイイけど、布なんて地味じゃん? そんなのどうでもいいよ』なんて理由で触れていないとか? と邪推する。



 そんなツッコミを回避するため、中世ヨーロッパ風異世界で、現代日本並の低価格衣料品を手に入れられる方法を考えてみたい。


 というかだ。そもそも大前提を考えなければならないのだが。


 中世ヨーロッパ風異世界で、繊維業は成長させられるのか?

 いやもっと単純に、布の材料を確保できるのか?


・作品内で『街の主要産業が繊維業』という設定はまず出てこない。

・広大な綿花畑、羊の放牧地という設定もまず出てこない。

・馬や騎乗用の動物を除く畜産業はほとんど描写されない。


 いわゆるテンプレと呼ばれる作品をいくつか読み解くと、上記のような特徴がある、というか、ない。

 これだけならば、小説内で説明されていないが、産業自体は存在すると言い張ることができる。

 しかし数多くの作品では、細々とした違いはあれど、下記のような特徴も存在する場合が多い。


・城壁に守られた都市を出ると、魔物の危険がある。

・魔物は『魔力を持つ獣』であるなど、その世界における固有進化を遂げた生物である。(魔王という存在が作り出した人造生命体的なものではない)

・野生動物の被害よりも、魔物の被害が深刻。

・農村部に領主の駐留軍は存在せず、冒険者が常にいるとは限らない。

・旅をするなら護衛が必須。それでも危険が伴う。

・魔の森、死の渓谷など、強力な魔物が済み、人間が侵入できない地域がある。


 これらの設定を合わせて考えると、国土面積に対して人間の居住可能域は、とてつもなく狭いと定義するしかない。羊を放牧してたら魔物が食い散らかしそうとか、そういうレベルの問題ではないのだ。

 居住地以外は主食たる小麦・野菜を栽培する農作地であり、綿花の大規模栽培や、大量の羊の放牧が不可能であると、考えたほうが自然なのだ。


 リアルに考えると、中世ヨーロッパ風異世界の農村部は、扱いが相当ひどい。

 例えば、村から魔物の討伐依頼が冒険者ギルドに提出される。内容は畑を荒らすゴブリンの討伐。しかし受けてみるとゴブリンが大繁殖していた。

 よくある設定と展開だろう。

 しかしこの事態は、統治者が無能である可能性が高い。村の自衛能力を超えた事態になったため、緊急的に外部に支援を求めているという風に捉え、特に疑問を抱かない人が多いだろうが、ひとつひとつ考えるとかなり凄まじい。

 現実には即すのはかなり無理があるが、無理矢理でも言い換えてみよう。よく設定されるゴブリンの生態を考えれば、現代でクマが出た時の騒動と同じに考えてはならない。

 ある村では不定期で風土病が発生する。病気は空気感染し、罹患した男性は死亡し、女性は死なないまでも細菌の温床となり精神を病む。有効な薬はあるが、医師免許を持つ者にしか販売できず、常備もできない。

 無医村だけど、たまにボランティアの医者が診察しに来るから、問題ないよね? 感染症が発生した時には連絡してね? 薬持たせた医者を送るから。医療費は自費でお願いね?

 そんなことをのたまう市町村長・県知事がいたら、ネットで大炎上しマスコミに叩かれて、辞任する羽目になるだろう。ついでに当人には土地を離れられない理由があるかもしれないが、他所に住む人間からすれば、村人は自殺願望を持っていると思うだろう。

 中世ヨーロッパ風異世界で描かれる農村部は、多くの場合こういうことだ。せめて魔物が、魔王の使い魔のような超自然的な存在であるなら、想定外の対応遅れということで、許されずとも仕方がない面もある。しかし危険を予測できるのに、戦力設置と常備の監視、地域を隔離して住民を移動させるなどの対策をせず、結果論であっても緊急事態になにもせず全て外部組織が解決している。

 統治者を評価するのに、無能以外にどう呼べと?

 しかもだ。領民を守る義務は果たしていないのに、重い税を課しているのだ。

 領民に『死ね』と言ってるのと同じだ。こんなのが領主なら、あっという間に反乱が起きるか、逃散(ちょうさん)する。あるいは内政的にも外交的にも無様すぎるため、国が領主の身分を即刻剥奪する。物語の中なら、これくらいの悪徳領主は平然といそうだが、人間離れした危機感のなさだ。魔族が化けて人間を滅ぼそうとしてると言われたほうが、まだ納得できる。

 こんな農村が存在するとしたら、都市部から追放された犯罪者が暮らしている隠れ村か、腕に覚えがある者たちが住む未開地の開拓村と考えたほうが自然だ。前者は税など搾取できないし、後者はゴブリン程度は自分たちで対処できなければならないので、矛盾するが。


 こういった事情に鑑みると、街道沿いは軍・委託を受けた冒険者がほぼ毎日の見回り・行軍演習を行い、実質的な常備戦力が存在している。それ以外では、都市部から数キロ~十数キロしか離れていない、非常事態にはすぐに避難・兵力を送り込める範囲にしか農村がないと見るしかない。そういった対策がなされた上で、冒険者ギルドに頼らざるをえなかったのは、戦力が無人となる偶然が積み重なった不幸だったと。

 だから人間が守れる土地面積は非常に狭く、都市の需要に応える食糧生産が精一杯。確保できる放牧地は、騎乗用動物の飼育にしか使えないため、個人で細々と家畜を飼っているだけ。麻や木綿は食用としてわずかに栽培され、不食箇所を利用しているに過ぎない。


 それだと食肉も衣類も到底足りないが、解決策はなくもない。

 魔物の肉や皮の利用は、当たり前のように出現する設定ではないか。しかも普通の野生動物が駆逐されていないのが不思議なほど、魔物は大量に出現するではないか。

 供給量が充分ならば、都市ではまずありえない半狩猟半農耕社会が成り立ちえる。

 つまり中世ヨーロッパ風異世界における『服』とは、繊維製品ではなく皮革製品なのだ。鎧やマント、靴、生活雑貨などへの利用も当然のように行われているので、技術的にはなんら問題はない。現実には存在しない、特異な生命体反応を示す魔物の皮までも平然と扱うため、皮革加工技術は二一世紀を上回っている可能性までもある。


 素晴らしいことに、この設定ならば、ある程度は服の低価格に貢献できる。

 現代では布製品よりも皮革製品が高価だが、算出したように技術の問題で、中世ヨーロッパ風異世界では布がデタラメに高いのだ。一方皮革製品は、現代と大差ない価値でも不思議はない。皮ジャンならば安くても1万円、大抵は3万円以上だが、布がウン十万なことを考えればはるかに安く、決して手が出せない値段ではない。

 唯一の問題は、どことなくファンタジーよりも世紀末な雰囲気が漂うくらいだろう。街娘はエナメルファッション、御婦人はセレブリティな毛皮を着て歩き、酒場に行けば皮ジャン・皮パンなライダーススタイルのオヤジがいっぱい、なんてことになりうるが、大した問題ではあるまい。


 雰囲気を大事にしたいならば、仕方がない。皮革製品はこまめな手入れが必要で、加工のしやすさは布製品が優れているのだし。あとタオル・ハンカチが作れないのでトイレ・風呂の後に困る。

 過去の勇者が俺Tueeeして人類の生存圏を拡大し、一部地域で生態系を破壊して魔物を殲滅し、麻・木綿の大規模栽培と羊の飼育が可能になったとでも仮定して、布の材料は問題ないことにして話を続ける。



 算出した通り、服が高くなる原因は人件費だ。

 だから単純に削ればいいと考えるかもしれない。中世ヨーロッパ風世界観なら、奴隷がいて当たり前。使えば現代日本の最低賃金以下に抑えられるなどと。

 だが現実的ではない。奴隷が売買されている社会なら、手に入れるための原価がかかる。最低限であっても衣食住が必要だ。その費用の回収は、生地の販売価格に上乗せするしかない。

 つまり人件費は結局かかる。初期投資に差があるだけで、人を雇っているのと変わりない。

 

 ファンタジーならば、人件費のかからない、あるいはお供え物だけで働いてくれる労働力が存在しうる。

 妖精だ。ヨーロッパの民話に出てくるブラウニーなど、夜中に勝手に家事をしてくれる存在は、ポピュラーな存在だ。

 しかし人件費が必要ではなくても、生産力向上に寄与してくれるか、怪しいと言わざるをえない。

 童話や民話に出てくる妖精は、大抵気まぐれな存在として定義されている。しかも利用しようとした人間には容赦ない。姿を見られただけで家から消え、家主に不幸が訪れるという妖精も少なくない。

 そんな労働力を、安定供給が絶対的に必要な低価格衣料品製造の主軸に据えるのは、危険すぎる。最初は上手くいっても、トラブルが起きた時に対処不能になるのは、目に見えている。

 仮に妖精たちと協力関係が築けたとすれば、話はまた変わってくるのだが、生産能力が定義できないという問題がある。

 おとぎ話に出てくる妖精たちは、一晩に靴を一足仕上げる、家事を完璧にするなど、人間の労働を肩代わりするレベルの話しかない。

 本気を出せば人間以上の能力を発揮するのか、わからない。わからない以上は人間とほぼ同等の労働力と思うほかない。

 なのでお供え物という低賃金で働いてくれる他は、人間を雇っているのと同じになってしまう。価格転化するには弱い。


 ならば人件費をかけずとも、大量の材料が入手できる世界を設定するしかない。

 RPGなどでおなじみの、ドロップだ。敵を倒せばアイテムを手に入れられるシステム。

 それで村人Aでも倒せるモンスターが生地を落とすため、大量に確保できる。毛皮とは違い、剥がす手間もなめす手間もなく、すぐ使える生地そのものが手に入るように。既に魔物は食料・皮革に貢献してもらっているので、繊維にも貢献してもらおう。

 生地がそのまま手に入るのであれば、服の加工時間と人件費のみに抑えられる。


 8(時間)×677(円/時間)=5416(円)


 18分の1という低価格が実現した。

 販売価格は1万8000円以上という高価なTシャツだが、ブランド品ならば現代日本でもありえる、一般人でも手が届く現実的な範囲だろう。



 これ以上価格を低下させようと思えば、ミシンの発明が必須だ。1日に1枚しか縫えないシャツを、機械で縫うことで作業時間を短縮し、大量生産することで価格を抑える。

 なにせ中世ヨーロッパ風異世界には、主人公が現代知識をちょっと教えただけで、短期間のうちに高精度・高信頼性の試作品を作るチート種族・ドワーフがいるのだ。

 刀も銃もクロスボウも簡単に作れるのならば、足踏みミシンの量産くらい余裕だろう。

 しかし技術論とは異なる、別の問題が発生する。

 主人公が簡単に服を手に入れられる世界ということは、その世界は主人公が技術革命を起こす以前に、独自に機械化が進んでいることになる。

 つまり、俺Sugeeできる余地があるとは考えにくい。ストーリー展開としての問題が生まれるのだ。

 『ミシンはあるけど他は機械化されていない』などという世界を作ろうものなら、確実に読者からツッコまれる。短編であれば『そういう世界』で許されても、長期連載すれば絶対にどこかでアラが出て、作者当人にも収集がつかなくなる。


 機械を魔法に置き換える方法も論外だ。設定矛盾が起こる。

 魔法を使える人間が少数の世界観であれば、たった一人が現代テクノロジー並の生産能力を発揮できたとしても、全体では価格低下を起こすほどの生産力にならない。小さな町の中くらいであればありえるが、都市の需要をまかない、経済破壊と言えるほどの改革ができるか考えると、非常に怪しい。仮にできたところで、魔法とは個人の才だ。その魔法使いが病気で寝込んだだけで産業全体が大打撃を受ける、脆弱極まりない社会を予想できないようでは、想像力が欠如していると言うほかない。

 逆に全ての人間が魔法を使える世界観で、生産力はカバーできても、ご都合主義満載の(いびつ)な世界となる。綿工業・毛織物工業での職人仕事をカバーする、現代技術と変わらない生産力を生み出す魔法があるとすれば、機械の代わりに魔法文明が栄えた世界ということだ。ならば他の職人仕事でも同様の生産性を発揮する魔法がなければならない。重機の代わりにできる土属性魔法、石材を加工する水属性魔法、金属を容易に溶解させる火属性魔法、触れずに精密加工を可能にする風属性・無属性魔法など、そういったものを。

 そんなものが当たり前に存在する、魔法で発展した文明であれば、主人公が現代知識Sugeeする機会を確実に奪う。軍事的価値も充分あるレベルの魔法を一般人が使えるなら、俺Tueeeも無理だろう。

 繊維産業分野の生産魔法のみ突出しているなら、その理由が説明ができなければ、ご都合主義乙となる。服を作り上げる高速精密作業可能な魔法の手だけでも存在するなら、他の分野に転用できるはずだ。『理屈はよくわからないけど念じたら服が作られる魔法』が存在しても、『理屈はよくわからないけど念じたら○○が作られる魔法』が存在しないとなると、その異世界は想像力のないおバカさんばかりとなる。神秘学的概念を排除して簡単に説明すると、魔法は『理屈はよくわからないけど○○できる』方法だ。○○の部分に想像できるだけのものを入れることが可能なのだ。なのに裁縫魔法しかないとなると、その世界は裁縫を極めたものが世界を制し、問題の解決方法は全てパッチワークの決闘とかいう、料理マンガやカードゲームアニメでよくある設定の裁縫版なのか?


 他の方法となると、アイテムドロップの段階で、服そのものが容易に手に入れられる世界にするくらいだろうか。

 しかし、またまた物語を作る上で、別の問題が起こる。

 簡単に服が手に入るなら、『みすぼらしい恰好』が設定矛盾になりうる上、『革新的な服』が入り込む余地があるか疑問だ。

 そもそも『大した手間もなく生活必需品が手に入る』というスローライフうってつけの環境で、奴隷制度や競争社会のようなものが生まれるか、はなはだ疑問でもある。南国気質の平和な社会であれば、俺Sugeeしようとする主人公は、自己満足で社会を混乱させる異物でしかない。


 だったらもう、魔法なり機械なりで文明を発展させて、産業革命した世界ということにするしかない。

 しかし、これまた物語を作る上で、問題が起こる。というかもう前提が崩壊している。

 主人公がなにかを起こすわけではないのだ。既に起こっている世界なのだ。

 民間にも広く制服という概念が広まり、服を与えることはむしろ当然で、ブラジャーが既に開発されている可能性も充分ある。

 もうここまで来れば、現代日本の主人公を異世界に行かせて美少女奴隷に服を与えるより、異世界から現代日本に来た美少女奴隷に服を与えたほうがよくないか?


 他に方法があるだろうか? 自分の想像では、『中世ヨーロッパ風異世界』と『低価格衣料品』は、相性が最悪と言っていいと思うのだが。

 現実において、大量生産と価格破壊は、進歩したテクノロジーの恩恵だ。こと毛織物・綿では、やはり工業化が(まぬが)れようがないように思う。

 もし想像力で補える別手段があるなら、是非とも教えていただきたい。

 ないならば、異世界においても衣料品は高級だと結論づけるしかない。



 視点を変え、具体的には不明なものの、方法があるという仮定で考える。

 つまり『細かいことはいいんだよ』『そういう世界』で流した場合、現実的に存在しえるのか、ということだ。

 前提を定義しないとならないので、少し話が迂遠になるのは勘弁してもらいたい。


 このサイトの小説での異世界モノで、現代知識Sugeeをやる時は、傾向がおおよそ定まっているように思う。

 そういった作品で取り上げられるのは、鍛冶などの製造業、料理などの飲食業、運輸、その他サービス業などだろう。

 つまり主人公が行うのは、二次産業ないし三次産業の発展だ。原材料を生産する一次産業を含めて、総合的に発展しなければならないのは、なんとなくでも理解できると思うのだが、せいぜい畑に堆肥や腐葉土を使って水路を敷設するくらいしか記憶にない。

 いくら現代知識で美味い料理が作れるとしても、品種改良の進んでいない肉や野菜、生産法が未熟な調味料、運送に時間がかかって腐りかけた生鮮食料品を使っていては、そこそこの味までしか作れはしない。客の異世界人が絶賛したところで、現代人の味覚を持つ料理人は満足できない出来になるのは、想像できるだろう。

 それを変えようと思えば、自分で作物や家畜を育てて加工し、自分で素早く輸送する技術を確立させて、自分で満足できる料理を作る、六次産業化を進めるしかない。


 衣類についても同じだ。

 いくら金を持っていようと、いくら斬新なアイディアがあろうと、布の生産量が少ないために高価になる社会なのだから、需要に対する供給が不足する。服そのものがないのだから、おいそれと奴隷に買い与えることは不可能で、いくら現代風の衣服が大流行しようと、生産が追いつかないから一般市民には縁遠いものに終わる。

 それを変えようと思えば、綿花農家や羊の畜産家を助成して拡大化させ、家内制手工業だった繊維と生地の生産を一大産業に変えるべく工場制機械工業にし、服が大量生産されて一般市民に出回る社会にする。その後で奴隷に買い与えるなり、ブラジャーを開発すればいい。

 つまり人類が有史以来、今日まで多大な時間をかけて発展してきた産業を、現代知識や神様チートで一朝一夕にやる。


 しかし多くの異世界モノ小説は、主人公が介入するまでもなく、そんな社会ではない。衣服や生地に限らず、材料はよほど特殊なものでない限り、容易に入手できる前提である場合が多いように思う。

 金属は不純物を考慮しなくて済む程度に高い純度で精錬されて、充分な量が存在する。木材は厚さも幅も均一な板材が、大した手間でも価格でもなく入手できる。食材は現代人の味覚でも満足できる味が既に存在しているので、探せば入手できる。ゴムはなくてもモンスターのなにかが代用可能。半導体や電子機器はなくても魔石に魔法(プログラム)を書き込める。布の入手も容易だから、衣料品店だってある。これらが入手できない場合は、主人公に活躍するためのイベントだろう。

 特別物語の中で触れられていなくても、主人公がすぐに俺Sugeeするための下地が、既に整っているのだ。


 小説の書き方とすれば当然のこと。不要な内容を排斥し、必要な内容を書くのが普通だ。動植物の品種改良や、金属精錬の話をするのでなければ、それらは『ある』という前提で物語を作っていく。

 同時にこの前提は、現実の中世~近世の技術レベルでは作れない、現代と変わらないオーバーテクノロジーが、見えない場所に存在すると定義づけることになる。

 そのオーバーテクノロジーがなにかは、定義できない。ある時は工作機械になり、ある時は保冷車になり、ある時は最新のバイオテクノロジーになる。小説での描写という形で主人公が確かめたら、その時代相応の技術になるか、設定矛盾や読者のツッコミになる、概念的なものだ。

 これが『具体的には不明なものの、方法があるという仮定』の社会だ。


 つまり、見えないオーバーテクノロジーにより、一次産業と一部の二次産業はもともと成熟し、あとは未熟で主人公の改革を待っているという、(いびつ)な社会なのだ。

 これだけだと原材料だけは高品質なモノが溢れ、しかし加工法が限られていて消費もほどほどで、需要と供給のバランスが取れていない。

 主人公が現代知識Sugeeすることで、思いもよらなかった物が作られ、売れるようになり、ようやくバランスが取れるのだ。

 ただしこの状況は、主人公が出現する前から起こっている。


 健全な発展をしていない、作者という名の神がポンと置いた、たった一人の人間が現れることを前提とした社会経済などという、現実にはありえない状況だ。

 経済学などアテにならないから、想像するしかない。この現象が起こっている経済的不健全社会が、健全な社会の中に存在するのか否か、そうだとすればどの程度の規模なのかでも話が変わってくるはず。

 だから誰がどのように想像するかで、この思考実験は結果が変わると思う。


 自分なりの推論を述べるならば。

 豊作で作物の価格が暴落し、農家が困窮する、『豊作貧乏』と呼ばれる状態に近いのではないかと思う。

 農業以外の産業ではどう呼ぶのか不明だが、同じ状況である可能性が高い。

 もしそうであれば、物を作っても売れないため生産者は廃業し、産業そのものが徐々に衰退していく。


 『布なら需要があるからそうはならないだろう』と思われる方がいるかもしれないが、結果は変わらないだろう。

 『豊作貧乏』は一つの産業ではなく、関連するほとんどの業種で起こると考えるからだ。

 国全体、世界全体、文明全体が衰退するという、恐ろしい状態なのだ。

 そんな中で服の需要だけが守られて、服飾産業が安泰という話はありえない。誰がどう考えても、服より先に食費と居住費・光熱費を優先する。

 結果として服飾に携わる人々は少なくなり、需要が減るため出回らず、単価は上がるだろう。

 やはり主人公が出現する頃には、衣料品が品薄で高価になっていると結論づける。



 なので異世界に唐突に旅立ってしまった主人公御一統に、一言申し上げたい。

 金に困った時は、脱げ。

 これで召喚の間で王女様の前に出現しなくとも大丈夫。換金できるものを身につけているのだから、文字通り裸一貫から異世界生活を始めるのが、一番確実な方法だ。ひとまず全裸かパンイチで武装し、魔物を倒して資金を稼げ。

 入浴時、人里離れた場所に出た時は、諦めるしかない。


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