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遭遇

「……水谷さん?」


 見間違えようがない。あの並でない顔の良さと人目を引く長身は、間違いなく水谷鈴愛本人だった。通路の隅、何かから隠れるように立ち尽くす彼女。驚きに見開かれた目で、私を真っ直ぐに見つめている。

 まさかショッピングモールで彼女に会うなんて想像もしていなくて、私はしばらく通路の真ん中で呆けてしまう。しかし背後から誰かにぶつかられてしまい、謝りながら水谷さんの元に歩いた。


 彼女の隣に立ち、見上げるようにしながら声をかける。何故だか顔を直視できない。

「ひ、久し振り……だね」

「……そう? 学校で会ったばかりだと思うけれど」

 動揺のあまりおかしなことを口走ったらしい。

 ちょっと待って。私どうしてこんなに動揺してるの。ただ水谷さんに会っただけなのに。

 そこで思い出してしまう。さっき、日和に着せ替え人形にされたばかりなのだ。今はやたら可愛いワンピースを着せられて、それは百歩譲って良いとしても、前髪をピンで留められてしまっている。試着室で日和に無理やり着けられたものだった。こっちの方が可愛いよ! とか何とか言って。

 普段より顔を見られている感覚があるせいか、平常心が保てない。何か言わないと。口を開いて言葉を探す。

「……あ、いやその」

「……綺麗」


 ふいに、そんなことを言われた。

 聞き間違えではないと思う。

 つい口をついて出たような口調で、水谷さんは私にそう言ったのだ。言葉の意味を理解するのに数十秒の時間を要して、羞恥に顔が熱くなるのを感じる。

「な、何をいきなり……っ」

「え……あ、ち、違うの! いや違くはないけれど……目の色が、凄く綺麗だったから」

「……目?」

 ああ、そういうことか。

 普段は前髪をわざと長めにしている所為で、ちゃんと見せたことはないかもしれない。別に隠すほどの価値があるものではないけれど、思うところはあるのだ。カラコン入れてるのかとか、理不尽に怒られたこともあるし。


「……これは生まれつき。大したものじゃないよ」

 時によって黄色や金色に見える琥珀色アンバーの瞳。人と明らかに違うその色彩のせいで、昔から人目を引くことは多かった。

 良い意味でも、悪い意味でも。


 水谷さんは優しく微笑みながら。

「いいえ、凄く綺麗だと思うわ……普段から前髪を上げていれば良いと思うけれど」

「……それはちょっと。ところで」

 多少無理やりに話題を転換する。


「水谷さんはどうしてここにいるの?」

「……あ」

 忘れていた、と言わんばかりに、彼女はハッとする。私はむしろ最初からそれが気になっていたのだけど。

 このショッピングモールには人が多い。人混みを避けたがる彼女がこの場にいることに、どうしても違和感が拭えない。だからこそ私は最初に驚いたのだ。他の知り合いなら兎も角、水谷さんがここにいるなんてと。

 周囲を見回してから、彼女は少し困ったように提案する。

「……えっと、とりあえず場所を変えましょう?」

 


 移動したのはエレベーター近くの休憩スペース。近くに人がいない場所を選び、二人並んで腰掛けた。

 水谷さんは照れたように微笑みながら説明する。

「今日はね、プレゼントを選びに来たの」

「プレゼント?」

「ええ、もうすぐ叔母のお誕生日なの」

 なるほど、そういうこと。

 でもそれならお母さんと一緒に来るとか、色々方法はあっただろうに。そこまで考えて、ふと気づく。

「……叔母さん?」

「ええ……天沢さんも、会ったでしょう?」


 前に水谷さんの家に行った際、途中で帰ってきたあの綺麗な人は、彼女の叔母さんだったのか。母親にしてはやたら若いなと思ったけれど、ようやく合点がいった。

 つまり水谷さんの家には、叔母さんも同居してるということなのかな。ああいや、家庭の事情は人それぞれだし、深く詮索するつもりはない。


「……だけど、何を買えばいいのか分からなくて」

 しゅんと落ち込む水谷さん。

 プレゼント選びは私も苦手だ。そもそも人に何かを贈るという機会があまりない。だから正直、あまり力になれそうではないのだけど、このまま放っておくのは少し心配だった。

「……私も手伝おうか?」

「そんな、悪いわよ。天沢さんも用事があって来ているのでしょう?」

「いやそういうわけでは……あっ」

 思い出してしまう……日和の存在を。


「舞ちゃん! 探したよー!」

 声の聞こえた方向に振り向くと、半泣きの日和が駆け寄ってきていた。周囲の注目をかなり浴びている。思わず他人のふりをしようかと思ったけれど、既に遅かった。目の前に到着した日和は私の手をギュッと握る。


「ごめんね舞ちゃん! お願いだから許してええええ!」

「あ、もういいから……離れて」

 勘弁してほしかった。隣の水谷さんも言葉を失ってるし。

 そんな彼女の存在に気がついた日和は首を傾げる。

「……ん? んん?」

 彼女の顔をまじまじと見つめ、何度も私と見比べる。すると突然、何かに思い至ったような青ざめた顔をして、私にこそこそと耳打ちした。

「舞ちゃん! いくら美人だからってナンパは駄目だよ!」

「……してないし」

 日和は私をどんな女だと思っているんだ。


「高校の友、達……の、水谷さんだよ」

 友達と口にするのに躊躇してしまう。私ごときが水谷さんの友達を名乗って良いものかと、未だに考えてしまうのだ。

 日和は「友……達?」と呟き、改めて水谷さんを見る。彼女は俯いたまま視線を合わせようとしない。というよりも、完全に硬直していた。しかし日和は笑顔で自己紹介する。


「初めまして水谷ちゃん。私、舞ちゃんの姉の天沢日和です!」

「……平然と嘘を吐くな。従姉でしょ」

「お姉ちゃんみたいなものだし?」

 全く悪びれる様子がない。本当にこいつは。

 水谷さんはというと、依然として硬直している。日和も違和感に気付いたらしい。彼女の顔を覗き込んで様子を窺う。

「あれ……水谷ちゃん?」


 当然といえば当然だ。

 水谷さんは他人を怖がっている。それも必要以上に。だから友達も作らず、一人を貫いてきた。私が友達になれたのは単に、性質が似ているからだと思う。簡単に言えばお互いぼっち同士だったから。

 しかし日和は違う。彼女は社交的で、友達がたくさんいる人間だ。私たちとは明らかに違う空気を纏っている。自分とは対極に位置する人間と相対した時、水谷さんが怖がるのは当然だろう。


 彼女はスカートの裾をギュッと握る。

 それでも逃げはしなかった。沈黙の中、彼女が何を考えていたのか私には分からない。

 しかし何かを決意したのは確かだ。ゆっくりと顔を上げ、口元に微笑みを作りながら。


「……はい、よろしくお願いします、天沢日和さん」

「…………ヒッ」

 日和の顔が急に真っ青になる。

 恐怖に竦むのが私からでも分かった。


 ––––以前から不思議だったことがある。

 私は水谷さんと知り合うまで、彼女はクールな女の子なのだと思っていた。美術部に入部して間もない頃、何度か言葉を交わしたことはあるけれど、その印象は変わらなかった。少なくとも今のように、怖がりな子、などと思ったことはない。


 それは何故か。彼女は人と話すとき、常に冷静であるように努めているのだろう。怯えていることを表に出さないよう、必死で無表情を作り、声のトーンを落として。それはきっと、彼女がこれまでの生活で培ってきた世渡りの方法なのだ。

 他人との間に壁を作り、それ以上深く関わらないようにする。それは私にも身に覚えがある方法だ。

 だけど水谷さんのものは度が過ぎている。他人を恐れるあまり、無意識のうちに威圧しているのだ。クラスメイトが彼女に話しかけないのもそれが理由だろう。


 言うなればそれは鉄壁の要塞。

 見たものを恐れさせ、それ以上踏み込めば危険だと感じさせる無言の圧力。


「……どうしましたか?」

「あ、いえ……ナンデモナイデス」


 高嶺の花。住む世界が違う完璧超人。

 その圧倒的な容姿も手伝って、水谷さんは単純に、恐れられている。

 きっと本人の自覚はないままに。

 

 緊張のあまり明らかに笑っていない目も、無理に作ったせいで冷たく見える微笑みも、噛まないのを意識するあまり感情がなく、低くなりすぎたトーンも、他人を威圧するのには十分すぎるものだった。

 私はようやく水谷さんが友達を作れなかった本当の理由に気づいたのだった。


 日和が私の肩を抱き寄せて耳打ちする。

「わ、私、怒らせるようなことしちゃったかな!?」

「……いや、あれは違うと思う」

 チラリと水谷さんに視線を向ける。相変わらず硬直した表情。しかしよく見ると脚がぷるぷると震えている。

「怒ってるわけじゃないよ……多分」

「で、でも……ううん、舞ちゃんのお友達だもんね」

 日和はぐっと気合いを入れると再び水谷さんに向き直る。


「ね、ねえ! 一人で来てるならほら、一緒に回らない? 私も水谷ちゃんのこと知りたいな〜」

「……いえ、それはご迷惑になりそうなので」

「そ、そんなこと……ない、よ?」

 あの日和が困惑している光景はそれなりに楽しかったけれど、流石に可哀想なので助け船を出すことにする。


「私は水谷さんの力になりたい……と思ってるよ」

「……天沢さん」

 水谷さんから緊張が抜けたように見えた。その柔らかい表情を見て、日和は目を丸くしている。

 自分でも不思議なのだ。どうして彼女は私とだけ普通に話してくれるのか。思えば最初に話した時から、彼女を怖いと思ったことは一度もない。少し近寄りがたさを感じていたのは確かだけれど、さっきのように警戒心を剥き出しにされたこともまたなかったと思う。

 どうして私は大丈夫なのか。ちゃんと理由を聞くのは自意識過剰だろうか。


 水谷さんは少しの間考えて、申し訳なさそうに微笑んだ。

「なら、お願いしても良いかしら。本当は心細かったの」

「私が役に立つかは分からないけど、頑張るよ」

 こうして水谷さんと休日にお買い物をすることになったのだった。


 話が纏まったのを見た日和が、ぱんと手を叩いて言う。

「よし、じゃあ行こうか!」

「……え、日和も来るの?」

 なぜか余計なのも付いて来る気満々だけど。


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