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約束

「……これはやばい」

 手渡された小テストの結果に愕然とする。確かに手応えは感じなかったけど、もう少し取れているとは思っていたのに。これじゃ黒板に書かれている合格点以下だ。

「点数が悪かったやつは追試に備えてしっかりと復習しておくこと」

 数学の中年教師が言い終わると同時に、チャイムが六限目の終了を告げた。教室はざわめいたまま号令を済ませて、それぞれが帰りの支度を開始する。


 この点数じゃ追試も期待できそうもない……どうしかして勉強しないと。でも数学はどうにも苦手なんだよね。いくら勉強しても理解できる気がしないし。

 ロッカーに鞄を取りに行く途中で水谷さんの席に寄ってみる。水谷さんはまだ小テスト用紙を広げて答案を確認していたようで、不可抗力ながらその点数が視界の端に入ってしまった。当然というか何というか、満点でした。

「……さすが」

 思わず呟くと、水谷さんは用紙を素早く机に隠してこっちに向く。その表情には驚きが浮かんで強張っていたけど、声の主が私であることが分かるとすっと緩んだ。

「勝手に見ちゃってごめん」

「いいのよ」

 微笑んであっさりと許してくれた。追試組の私じゃとてもそんな風には許せない。やっぱり水谷さんには敵わない、と改めて実感する。すると水谷さんは悪気の感じられない調子で尋ねてきた。

「天沢さんはどうだった?」

「…………えっと」

 言い淀んでいると水谷さんは何かを察したのか「ごめんなさい」と顔を青ざめさせた。すぐに「謝ることじゃないから」と落ち着かせる。追試になったのは完全に私の責任だし。


 そう、問題なのは追試なのだ。数学の小テストでは一定の点数に届かなかった場合、ちょうど一週間後に行われる追試を受けなくてはならない。成績にも影響するから軽く見過ごせるものでもないのだ。面倒なことこの上ないけど、決められている以上は仕方がない。

 だから勉強しないと。結局はそこに行き着くのだけど、どうやって勉強すれば良いのかな。今の成績を考えると私の勉強方が正しいとは言えないだろうし。もし叶うなら誰か頭の良い人に教えてもらいたいくらいだ。頭の良い人、ねえ。

「なに? 私、何か変かしら?」

 水谷さんをまじまじと見詰めていたら、両手で恥ずかしそうに頬を隠されてしまった。何か顔についていると受け取られてしまったみたいだ。取り敢えず「何でもないよ」と誤解を解いておく。


 本当は水谷さんに教えて貰えるならすごく嬉しい。何しろ学年トップの成績だし何となく教え方も上手そうだ。それに今回の小テストで満点を取っているのだから、これ以上のはまり役はいないだろう。でも迷惑になっちゃうかなと思うと切り出すことができない。

 ……いや、こんな風に悩むのは私らしくない。訊くだけ訊いてみよう。


「水谷さんさ、迷惑じゃなければ私に数学教えてくれない?」

「えっ……私で良ければいいわよ?」

 即答されて拍子抜けしてしまう。水谷さんの心の広さに感動しそうになった。思わず頭を下げる。

「ありがとう。すごく助かる」

「ううん、だって……その、友達でしょう?」 

 友達。水谷さんが照れながら言った言葉が頭の中で反響する。

 そっか、私は水谷さんと友達なんだ。

 そんな今更の事実が胸の中にじわりと広がっていく。久し振りの感覚だった。どうしよう言葉が上手く出て来ない。そんな私の意識を水谷さんの声が引き戻す。

「追試は来週よね? いつどこで勉強したら良いかしら」

「……うーん」

 できれば集中できる場所でやった方が良いだろう。私にとっても水谷さんにとっても。水谷さんと話すようになってから二週間が経って、最初よりは注目されなくなっているけど、教室ではやはり視線を感じることはある。そしてその大部分が男子から向けられるものだった。十中八九、水谷さんに注がれているものだ。クラスメイトの下校を待ったとしても放課後には鍵を閉められてしまう。

 となると考えられるのは図書館かな。でも図書館は私語厳禁だし教えてもらうには向いていない気がする。あとは空き教室……は許可なしには使用禁止だ。中庭はどう考えても勉強向きの空間ではない。ファミレスやフードコート等の公共の場所は水谷さんが苦手にするところだろうし。

 あれこれと頭を捻って悩んでいると、水谷さんの方から意外な提案があった。

「私の家ってわけには……いかないわよね」


 水谷さんの家。それってつまり、水谷さんの部屋で勉強するってことだよね。

「いいの?」

「ええ……天沢さんが良ければだけど」

 遠慮がちに微笑む水谷さん。私としては何の反対意見もない。集中できる場所で、周囲からの注目もされない。これ以上ないくらい絶好の場所だった。あと個人的に水谷さんがどんな部屋に住んでいるのか興味がある。だから頷いて同意する。

「いいよ。いつだったら都合いい?」

「そうね……明日の二時からとか……どう?」

 明日は土曜日。平日の放課後には部活があるから、どうしても土日になることは避けられない。むしろ土日の方が長時間勉強できるから効率が良いかもしれない。ならこれで決まりだった。


「大丈夫……じゃあ明日の二時、水谷さんの家に行くから」

「ええ、待ってるわね」

 水谷さんは嬉しそうに微笑んで言った。その笑顔に一瞬だけ見惚れてしまいそうになって、慌てて正気に戻る。私は何を考えてるんだ。あの男子たちじゃあるまいし。


 ちょうど決定したところで担任が教室に入ってきて、談笑していたクラスメイトたちも皆、それぞれの席につく。私もロッカーから荷物を取ることを諦めて自分の机に戻る。

 頬杖をついて担任の話をぼんやりと聞きながら、明日に思考を巡らせた。

 まさか水谷さんの家に行くことになるなんて。そういえば学校から割と近いことは知ってるけど、具体的な位置は知らないや。後で教えてもらわないと。

 友達の家に行くなんていつ振りだろう。そう考え始めると小学生時代まで記憶を遡らねばならず、途中で諦めて嘆息する。どうでもいいか。

 お菓子でも持って行った方が良いだろうか。勉強を教えてもらう上に家にまで上がらせてもらうのだから、そこはちゃんとしておきたいところだ。でも水谷さんがどんなお菓子を好きなのかも私は知らない。


 水谷さんと話すようになったこの二週間。お互いに口数は少ないけれど、適度な距離感の良い関係を築けていると思う。でも私はまだ、水谷さんのことを何も知らない。

 もう少しだけ知ってみたい。そう思えるのはどうしてだろう。久し振りにできた友達だからだろうか。それとも、水谷さんだからだろうか。

 そこに答えは出せそうになかった。ある意味、数学よりも難しい問題かもしれない。

 だから今はまず、数学から片付けることにしよう。

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