プロローグ
青く広がる大空。
眼下に雲海を見ながら、その空を進むモノがある。
長く伸びる涙滴状の物を縦に割ったそれを横倒しにしたようなそれは……船だ。
大きな船が、この青い空を航行しているのだ。
その姿は大変奇妙なものでもある。
100メルクル(約120メートル)はあろうかという金属製らしきその船体は、非常にスッキリとした形をしている。
なにしろこの船には、帆はおろかマストも無く、空を飛ぶための翼も無いのだから。
では何があるのか?
空をゆっくり進む船の上には、直方体が乗っかっていた。
それも船体の全長に匹敵するほどのものだ。
これも金属製であることが見てとれるが、不思議なことに上面には木板が張り巡らされていた。
そこに、不思議なものがいくつも鎮座していた。
左右に長く、前後には短い不思議な十字架というべきか。
その十字架の横線……左右に伸びたそれは、交差部より先端の方が若干細目になった板のようだ。それも、ただの板では無く、丸みを帯びた加工がなされていた。
そして、十字架の縦線は短くはあるが、流線型のそれとなっており、優美な曲線を見せていた。
つまり、流線型の本体に板のような翼の生えた人造の鳥。
飛行機である。
だが、それは我々の知る飛行機とは違い、あまりにも小さかった。
なにしろ全長は二メルクル半(約三メートル)。
翼幅は四メルクル(約四.八メートル)しかないのだから。
この小さな飛行機は、飛空騎という。
その飛空騎に、小柄な人物が跨がっていた。
風避け帽を被り、口元を隠すようにマフラーを巻いて、ゴーグルで目を覆っている。上はレザージャケットを羽織り、下は足にぴったりフィットするズボンを履いていた。
飛空騎の流線型の胴体には馬の鞍のような座席があり、そこに跨がり、鐙のようなものに足元を覆うレザーブーツを掛けているのだ。
そして座席の前方には、胴体の流線型を崩さないように透明な風避け板が着いており、手前には金属製の横棒……ハンドルがある。
小柄なその人物は、流線型の胴体に腹這いになり、ハンドルに手をかけた。
ハンドルに付いたレバーとスイッチを操作し、鐙をキックする。
すると、流線型の胴体の前方に光の円盤が現れ回転し始めた。 複雑な紋様が描かれたそれは、魔法陣だ。
それが徐々に回転の速度を上げていく。
それに呼応するように、風が逆巻いていき、流線型の胴体の前後にひとつずつある車輪が回り始め機体が前進し始めた。
そして、魔法陣がさらに高速回転していき、一瞬、大きく広がった。すると、機体がみるみる加速していき甲板上を滑るように駆けた。
だが、甲板の長さは有限。走りゆく機体の行く先は、どこまでもクリアーな空だ。
それでも機体は止まらない。
むしろ速度はぐんぐん上がり、最後には大空へと飛び出した。
マフラーをなびかせた搭乗者を乗せた機体が、重力に従い甲板の下へと姿を消した。
だが、浮かび上がるようにしてふたたび姿を現した。
まるで雲海の奥、奈落の底へ引きずり込まんとするそれを引きちぎるかのように。
その一機目に続き二機、三機と小さな十字架が、つぎつぎに甲板から飛び出していく。
そう、この船は空母だ。
天を翔る航空母艦。
名を“蒼龍”という。
大小合わせて数千もの浮遊大陸、または浮遊島がある、この浮遊大陸世界アルマガリアにおいて、飛空艦という存在は必須と言っても良い存在だ。
数万人も住んでいる大陸もあれば百人に満たない人数しか暮らしていない浮遊島もある。
それらが交流するには、どうしても飛空艦が必要となる。
アルマガリアには魔法も存在するが、それを以てしても島と島、大陸と大陸を行き来するのは容易ではないのだ。
だからこそ、人々は飛空艦を作り上げ、島と島、大陸と大陸を繋いでいったのだ。
だが、人と人が交われば、争いが起こる。それが摂理だろう。
浮遊大陸と呼ばれる巨大な島であっても、様々な資源は限られてしまう。
だが、無人ながらも、さまざまな資源を持つ島も無数にある。
人々は、これらの所有権をめぐって争った。
だが、浮遊大陸同士の戦争というのは、大陸に上陸した時点で勝敗が決しやすかった。
まず、上陸するまでが大変であり、上陸されてしまったら島を傷つけないためにも無闇な攻撃は出来なくなってしまう。
人が住める大地が有限であり、猫の額ほどの土地ですら同じ大きさの金に勝ることを、皆が知っていたのだ。
だからか。
この世界では飛空艦同士での決戦で勝敗を決めることが常となっていった。
そして、飛空艦と共に大空を舞う飛空騎の存在は無くてはならないものとなっていた。
全長100メルクルの蒼龍はこのタイプの空母としては中型艦に分類される。
一世代前の航空母艦ではあるが十分現役で通じるだろう。
その艦首に近い直方体の端はガラス張りの大きな部屋になっていた。
そこが空母蒼龍の頭脳、艦橋司令室だ。
そこに詰めているスタッフはみな一様に若かった。
十代半ばから後半の男女数人が、真剣な様子で操艦している。
なぜか?
それは蒼龍の所属に理由があった。
蒼龍の所属は、芙蓉学園島。
そう、学生だけがすむ浮遊島だ。
蒼龍は、芙蓉学園の旗艦なのだ。
旗艦とは言っても、他には旧式護衛駆逐艦が三隻と廃船寸前の軽巡空艦が一隻という小規模戦力でしかない。
それでも、学園という教育機関が戦力を有するには理由がある。
この浮遊大陸群世界でもっとも需要があり、花形であるのは、やはり飛空艦の乗組員だ。
故に飛空艦の運用を学ぶために世界中にある学園島はそれぞれ固有に飛空艦を所持している。
また、学園島での生活にも、やはり飛空艦は必要だ。
交易や輸送、防衛。
そう、世界の脅威は人の国ばかりではない。
はるか下層、雲海の奥に棲む人間達の敵。浮遊大陸を砕き、世界から大地を奪わんとする龍。
その脅威から、学園島は自力で島を守らねばならない。
浮遊大陸を支配する大国のお抱えであるような学園島ならば、軍隊が常駐している場合もあるが、それはやはり大国ならではだ。
この世界において中小国家や小さな浮遊島は龍の脅威から身を守るために、自衛のための戦力を備えておくのは常識なのだ。
また、浮遊島が領有する資源のある小島を他国に奪われないためにも、これらの戦闘艦は必須と言えるだろう。
その芙蓉学園島の旗艦である蒼龍が天空へと乗り出しているなら、それは訓練か実戦しかあり得ない。
そして今、蒼龍は戦いの空にあった。
蒼龍の艦首が向く先に見える影。
龍だ。
大型の龍が一頭に、中型が三頭。
その鱗を深紅に染めた大型の龍は全長が大体20メルクル(約25メートル)。皮膜の翼を広げた幅は25メルクル(約30メートル)はある。
その鱗は鋼鉄の装甲板より硬く、魔法に対しても耐性を発揮する。
特に赤い鱗は火の精霊力に強い耐性があり、生半可な炎では焦げ跡すらつかない。
強靭な前肢の一撃は、飛空艦の装甲を打ち破り、その牙はキールを易々と引きちぎるだろう。
そして口中から吐き出される、体内の核で生成された高圧の火焔ブレスは、強力な飛空戦艦の主砲の一斉射撃に匹敵する威力を発揮するだろう。
その周囲を舞う中型の龍は、前肢の無いワイヴァーン種と呼ばれる全長八メルクル(約十メートル弱)の細身な龍だ。飛行能力に長け、猛毒の針を備えた尾と、太い足の爪による格闘戦を得意とする。
そんな凶悪な龍どもが、芙蓉学園島の領有する浮遊島のひとつに迫っていた。
龍は大地を憎む。
かつて世界にあった地表を砕き尽くし、喰らったのが龍の始祖だと言われている。
そのせいか、龍達は浮遊島を破壊しようと雲海から姿を現すのだ。
人々に残された空に浮かぶ大地すら、彼らは奪おうというのだろう。
だが、人々も座してそれを受け入れたわけではない。
武器を取り、魔法を駆使して龍達に対抗したのだ。
その戦いの中で、打ち倒した龍の核を人間の力とする技術が編み出された。
“龍炉”
龍の核を封じ込め、その力を抽出し、強大な魔力機関と為す。
これこそが、飛空艦の心臓部として船を空に飛ばし、膨大な力を与えてくれる人間の力だ。
龍に対抗するために、龍の力を利用する。
なんと皮肉なことだろうか。
やがて、龍炉の技術を応用した精霊炉も開発され、人々は龍に対抗出来うるだけの力を手に入れた。
「……それが、今度は人間同士の争いを産み出すことになるなんて、龍炉を作った人たちは思いもしなかったんだろうなぁ……」
蒼龍の艦橋内の、一段高い司令官の席で、その少年は小さくぼやいていた。
この空における脅威は、龍だけではない。
嵐に満たされた雲海の中から溢れ出る異常気象。
浮遊島に棲む魔物。
そして……人間。
人間が飛空艦という力を得てからしばらくすると、空賊という存在が現れ始めた。
ようは空を行く盗賊……いや海賊だ。
彼らは物資を積載して浮遊島間をゆく飛空船を狙う。
これを退けるためにも、島の生活を支えている飛空船の定期便に護衛の飛空艦は必須である。
そのため、蒼龍を守るはずの三隻の護衛駆逐艦は、この迎撃戦に同行していない。
また、浮遊島自体を空にするわけにはいかない為、軽巡空艦は島に張り付いている状態だ。
したがって本来後方にあるべき空母という艦種でありながら、最大戦力でもある芙蓉学園島艦隊旗艦、飛空騎母艦蒼龍が前線に出ざる終えないのだ。
本末転倒ではあるが、旧式の軽巡空艦に大型龍の相手は荷が重いのも事実だ。
そんな訳でこの少年が指揮する蒼龍は、大型龍種“赤龍甲種”の迎撃出動に出てきているのだ。
「……はあ」
司令官席に着いている少年、山口 成美は憂鬱そうに息を吐いた。
その身長は五ルセリル(約150センチ)と十代後半に差し掛かった男子にしては小柄だ。
腹は少し出っ張り、頬も丸くもちっとした感じで、やわらかそうだ。その黒髪は少々伸ばし気味だが、不潔な感じではないし、大きくて垂れ気味の黒目は愛嬌がある。
成美はそんなポッチャリ少年だ。
彼こそが、この蒼龍の艦長であり部隊の指揮官でもある。
学生の身分である彼がなぜそんなことをしているのかといえば、この世界の学園島は基本的には学生が島を維持運営していく事になっているからだ。
学生達には自主独立の精神が求められている。
無論、学園島に所属する教師達はその道のプロやベテランばかりだ。
だが、彼らは知識を授け、助言するだけの存在だ。
島の運営に関する決定権も責任もすべて学生が担っている。
対外的な交渉などもだ。
学園島に住む学生達は、学生でありながらも浮遊島ひとつからなる都市国家の運営に携わっているのだ。
そうまでして即戦力となる人材を促成栽培しなければならないほどに、人間達は追い込まれてもいるのだ。
それでも、人間達は合い争うことをやめられない。
現在残された七つの浮遊大陸をそれぞれ支配する国々は、限られた資源を奪い合っている。
土地が有限である以上、掘り出される資源も、耕せる農地も、家畜を育てる牧場も、限られたものとなる。
人が生きていくのに必要な大地が失われたこの世界で豊かになるために、大陸の外にある浮遊島はいくらあっても困らないほどだ。
そして、浮遊島国家を運営していくノウハウを実践的に詰め込むために、学園島は作られた。
その学園島は、世界に十ほどある。
大国お抱えの七大学園。
そして、各国が共同出資している三つの学園。
以上、十の学園だ。
七大学園は、各浮遊大陸国家の肝いりで、みずからの国の人材を育てることを目的としている。
残りの三つは大国と、中小国家の人材が派遣されて作られた学園であり、様々な国の人間や人種が所属しているのが特徴だ。
蒼龍の所属する芙蓉学園島は、後者のタイプの学園である。
そのせいか蒼龍の乗組員は実にバラエティ豊かである。
オブザーバーとして成美の右後方の席に座る女教師などは、少数民族のエルフ族だ。
女教師はリラックスしているようだが、蒼龍の指揮を任されている成美は緊張しっぱなしである。
自分が下手を打てば、何人かの芙蓉の生徒が犠牲になるかもしれない。いや、蒼龍が沈めばこの船に乗り組んでいる百五十六人と飛空騎隊二十四人が死に、さらに芙蓉学園が危機にさらされてしまう。
そのことを考えただけで成美は、ぽっこりお腹の奥がシクシク痛むような気がした。
「……それに」
ふと、前方の窓を見やる。
空は青々と広がり、眼下には雲海がどこまでも続いている。
そして蒼龍の前を飛空騎の部隊が飛翔する。
「……美代」
彼の一番守りたいモノは、彼が座乗している船の前を飛んでいるのだ。
と、不意に一騎の飛空騎が横へスライドし、蒼龍の艦橋前へと横滑りするように入ってきた。
その騎手が、艦橋側を振り返りながら左手を振った。
艦橋でオペレート中の学生達が、一斉にざわついた。
成美には、それが誰だか解ってしまい、苦笑が漏れた。だが、すぐに表情を引き締めると、座席の横にぶら下げておいたヘッドセットを取ると、息を吸い込んだ。
『加藤! 加藤 美代空士長! 編隊を乱さないように!』
成美は、ことさら艦橋全体に聞こえるよう、マイクに向かって声を張り上げた。
それに応えるように、飛空騎を駆る騎士は前を向いた。飛空騎を揺らすように翼を振らせて返答し、騎体を横ロールさせながら彼女は蒼龍の前から離脱していった。
「……まったく」
困ったものだと言わんばかりに息を吐く。
そんな司令の姿に、学生達は緊張感を取り戻してオペレートに戻った。
その表情とは裏腹に、成美の胸中は嬉しさに満ちていた。
彼に注意された飛空騎の騎士、加藤美代は芙蓉学園島のエースパイロットの一人で、成美の幼馴染みだ。
小さい頃から多くの精霊に好かれ、彼女が制御する精霊炉は通常より高い性能を誇る。
飛空騎は騎体が小さいため、飛空艦のように龍炉を搭載することは出来ない。
代わりに飛空騎の心臓部となるのが精霊炉だ。
だからか、美代は学園に入学してすぐ飛空騎科へ移った。
成美も移りたかったが、彼には精霊炉を制御する才能は無かった。
仕方無しに、飛空艦戦略戦術科に入った。
勉強も運動も凡庸な成美だったが、飛空艦の指揮運用に光るものがあった。
さらに、先日行われた上位生飛空艦模擬戦戯盤訓練においてトップを獲ってしまった。当人は目立ちたくなかったのだが、一緒に組んだ生徒達の成績にも関わるため手は抜けなかった。
お陰で蒼龍の学生艦長に抜擢されてしまったのだ。
美代は万歳三唱するほど喜んでくれたのだが、成美自身は憂鬱なことこの上なかった。
学園島旗艦の艦長など、自分の手には余ると彼は考えていたのだ。また、指揮官としての実戦での判断を冷静に下せる自信も彼には無かった。
指揮官は、勝つために人の生き死にすら冷徹に計算に入れなければならない。
成美はいざというときに、その断を下す自信が無かったのだ。
その矢先の赤龍襲撃である。
正直頭を抱えた彼だが、上位生にとっては実戦も授業の内だ。
やらない訳にはいかない。
なにより、龍に近接火力戦を挑む飛空騎兵部隊に配属されている美代の事を思えば、部隊を動かせる立場になれたのは曉幸ではあったのだ。
そんな複雑な心情を抱えたまま、成美は作戦の開始を告げたのだった。