【二創企画】 雪使い、悩む
「うーむ……」
一人の少年が、勉強机に座りながらうなっている。
彼は深刻そうな表情で目をつむって、顔を伏せる。
あと一歩なのだ。あと一歩。
そう、一度決めてしまえば、全てが解決する。
雪野灯輝は、ようやく目を開いた。
「よし……やるぞ」
灯輝は、目の前の問題と向き合った。
机の上に、携帯電話が開かれた状態で置かれていた。
メールの送信画面が表示されている。
宛先は……西塚沙織。
彼が通う高校のクラスメートである。
灯輝はこれまで、彼女と深く関わろうとしなかった。
そうする必要が、あったからだ。
「つかず離れず、適度な距離で」。
それを保ちながら、一年半近くを過ごしてきた。
だが、その距離を大幅に縮める事件が、先日起こった。
沙織は、その時のことを夢として記憶しているだけだ。
しかし、灯輝にとっては大きな……それはもう大きな事件だった。
そして彼は死闘を乗り越え、変わることを選んだ。
「携帯……買ったんだ」
その日彼は、今まで持っていることさえ伏せていた、携帯電話のアドレスを彼女と交換した。
「ようやく今時の高校生になったのね」と喜んでくれた沙織の表情を思い出す。
思わず、頬がゆるむ。
いや、いやいやいや。
灯輝は首を振った。
大事なのは、ここからなのだ。
確かにきょう、アドレスは交換した。しかし、そのアドレスを使ってのメールのやりとりは、まだ一度も行われていない。
ゆゆしき問題であった。
第二歩目をどうすればよいのか。灯輝にはそれがわからなかった。
メール自体は、たまに利用している。
文章を打ち込むのも、手慣れたものである。
だが、相手があの西塚沙織だと思うと、手が止まる。
思えば学校で話をしていても、いつもあちらが延々と話しているだけのような気もする。
沙織自身が話好きということもあってか、自分から何か話題をふることはあまりない。
灯輝は初め、もしかしたら沙織のほうからメールを送って来てくれるのでは、と期待した。それならば話は早い。いつものやりとりと同じ形でメールをスタートできる。
だが、七時を過ぎ、八時をすぎた辺りで、彼は焦り始めた。
アドレス交換した初日に、何もなく終わってしまうなんて。
ようやく決意したその日に、何もなく終わってしまうなんて。
灯輝はそれが、どうしても嫌だった。
かくして、彼は机でうなりだした。
時間はすでに八時三十分。すでに二十分近くは、こうしてメール画面を開いた状態で、机に座っていることになる。
できれば九時を過ぎるのは避けたい。そんな夜遅くにメールするのは、どう考えても失礼だからだ。
とにかく、動かなければ。
灯輝は決意を固め、メールを打ち出した。
「件名:テスト 本文:とりあえず、アドレスが合っているかどうかを確かめるためにメールしてみました」
「とりあえず」な時の王道パターンである。
これなら、問題なくやりとりが始められる。
灯輝は、送信ボタンを押そうとした。
だが、その指が止まった。
……ちょっと待て。
確か彼女とは、赤外線通信でアドレスを交換した。
「アドレスが合っているかどうかを確かめる」必要は、ない。
灯輝はあわてて、文章を消した。
危ない危ない。これでは「仙家くんと違って、灯輝ってバカね」とからかわれるのがオチだ。
仙家正文。彼は訳あって姿を見せることができないが、沙織と交換日記をしている。
そして、どうにも沙織は、この仙家に惹かれている節があるのだ。
彼に負けるわけには、いかない。
そんなこんなで灯輝はいろいろと文章を書いては消し、を繰り返した。
八時五十分。気が付けば、タイムリミット目前である。
灯輝はため息をついた。なぜ、こんな簡単なことができないのか。こんな事で、心を乱してしまっては……。
これ以上は迷っていられない。
もう、あれをやるしかない。
灯輝は椅子をおりて、部屋の中心に立つ。
彼は息を小さくはきながら、部屋の天井を見た。
彼の吐く息が、白く立ち上りはじめた。
現在……四月下旬に見られるような光景ではない。
雪野灯輝は、凍気を操る力を持つ忍者の末裔である。
厳しい修行を経て、彼はその術を身につけ、現在も人の見知らぬ所で、様々な仕事を行っている。
これが、彼が沙織と距離を取っていた大きな理由である。
だんだん、自分の体の芯までが凍っていくのがわかる。
そうだ、この調子。
どんどん凍らせてしまえ。
冷静に、冷静になれ。
全部凍ってしまえば、ありのままの自分で、文章が書ける。
焦ることなど、なくなるだろう。
凍らせろ。心の奥底まで、凍り付け。
十分に能力が発揮できたところで、灯輝は再び椅子に腰掛ける。すでに髪が凍りついてばりばりになっている。
そのまま、雪うさぎのストラップがついた携帯電話に、手をのばす。
だが、誤算が生じた。
携帯電話は触れたとたんにぱきぱきと音を立てて凍りつき、画面がブラックアウトした。
「あ……」
思わず声を上げる。
マイナス何十度の手でさわったのだろうか。機械にダメージが行くのは当然の事だった。
これ以上能力を使うのはまずい。
だが、今できることをやらなければ。
灯輝はペン立てから鉛筆を取り出し、文字通り無心で、机に思いの丈を書いた。
ひとしきり書いたところで、能力を解除する。
携帯電話はなんとか無事だったようで、待ち受け画面が表示されていた。
我ながらばかなことをしてしまった。
しかし、自分が書きたいことは、机に書くことができた。
この中からピックアップして、メールすることを選ぼう。
灯輝は机を見た。
同時刻。西塚沙織は、机に突っ伏して自分の小説を書き進めていた。
彼女は先日見た夢の中で、自分の作品「戦乙女ユウガオ戦記」の新たなアイデアをたくさん得た。制作はのりに乗っている。
その時、ベッドからメールの着信音が聞こえた。
沙織は、それを手に取る。
差出人は……雪野灯輝。
そういえば、自分から何かメールしてやろうかと思っていたのだが、「ユウガオ戦記」に熱中していて忘れていた。
それにしてもちょっぴり、意外だった。
灯輝は自分から、こういうことをしてくるタイプの人間ではない。
沙織は、受信フォルダを開いた。
「件名:なし 本文:おやすみ。」
沙織は、それをしばらく見つめたあと、ちょっと笑った。
きっと、慣れない携帯電話に悪戦苦闘しながら、この四文字を打ち込んできてくれたのだろう。
彼女は、よどみないスピードで文章を打ち込んで返信した。
灯輝は、ベッドの中にもぐっていた。
机の上には、たくさんの消しゴムのカスが残されていた。
「忘れよう……」
灯輝は、恥ずかしくて死にそうだった。
自分が心を凍り付かせて、本能のまま書いた文章……。
それは先日の戦いの中で、彼が沙織に言ったせりふ、そのものだった。
危うく、一通目のメールでいきなり告白するところだった。
けっきょく彼は、ただの挨拶を打ち込んだ。
そのとき、灯輝の携帯電話が小刻みに震えた。
彼は布団からはね起きて、充電中の携帯を開いた。
沙織からだ。
「件名:Re: 本文:おつかれさま、どうもありがとね。また明日。」
灯輝は、ちょっと面食らった。
自分が苦心していたことが見透かされているのだろうか。
そんな訳は、ないとは思うが……。
たった一言だが、うれしかった。
灯輝は少しばかりほほえんで「また明日」とつぶやいてから、布団へと戻った。
雪使いの忍・灯輝たちが活躍する「忍び奥手の雪使い」の原作で起こった事件の翌日を描きました。
とても面白い作品なので、ぜひ一度読んでみてくださいませ。