第6話 静かな捜査
午後一〇時半。
松の間につどったメンバーは、いちように口を閉ざしていた。庭やろうかからは、幾人もの男の声がした。警察ではなかった。村の若者たちだった。彼らは自警団のようなものを組織して、大江駿殺しの犯人を追っているのだ。時折、障子の向こうがわに見えるライトの光が、男たちのせわしなさを伝えていた。
外の喧噪とは対照的に、松の間は静まりかえっていた。松川老人は、いつもの床の間の席にいた。そのとなりには、通訳の鎌田秋恵がひかえていた。霧矢たちは、老人と向き合うかっこうで、二列になっていた。一列目に霧矢と冬美、二列目にトトと公子という並びであった。前列が地元の人間、後列が余所者ということだろう。トトはそう推測した。みな座布団に座って、正座をしていた。
霧矢はメガネをかけておらず、やたらと目つきが悪くなっていた。理由は単純で、サダコに貸しているのである。先輩の備品を壊してしまったことについて、トトは深く反省していた。悪気があったわけではないものの、ひらきなおることはできなかった。
長い沈黙が続いた。みな、サダコの帰りを待っていた。
「終わりました」
サダコの声が聞こえて、障子がひらいた。
眼鏡の大きさが合わないのか、ずり落ちそうなフレームを、ゆびで支えていた。
だれも言葉をかけようとはしなかった。
その場を取りつくろうように、松川老人が手話を始めた。
秋恵は、すぐさま通訳に取りかかった。
「……」
「お疲れさまでした。このような事件が我が家で起こり、大変困惑しております。サダコさんは、警察の関係者とうかがっておりますが、事実でしょうか?」
「はい、ほんとうです」
サダコは、あっさりとウソを言ってのけた。もちろん、異世界検史官にはちがいないのだが、それは老人がたずねた意味とはちがっていた。
松川は、それに疑問をさしはさまなかったのか、それともこれまでのサダコの手際を見て、素人とは思えなかったのか、その真偽を確認しなかった。手話を再開し、まったく異なる話題へと舵を切った。
「……」
「大江駿さんが亡くなられたことは、まちがいないのでしょうか?」
「それは間違いありません」
サダコはそれだけ言うと、くわしい説明をひかえた。
その省略に、トトは首をかしげた。なぜ検死報告をしないのだろう。死因や死亡時刻など、重要なことはたくさんあるはずなのだ。
とはいえ、先輩格にあたるサダコに口出しするのは、はばかられた。そう考えたトトは、うしろでおとなしくしていた。サダコの優秀さは、トト自身よく知っていた。ホラーを管轄する第八課所属のベテランで、数々の難事件を解決してきたエース級の検史官。それがサダコであった。万年落第候補だったじぶんとは、住む世界がちがうと、そう思っていた。
松川とサダコは、秋恵を通じて会話を進めた。
まず松川が、おごそかに手話を始めた。
「……」
秋恵は、よどみなく通訳した。
「大江さんのご遺体は、どうなさるおつもりですか?」
サダコはおちついたようすで、
「それについては、まだ検討中です。秋とは言え、腐敗は進みますので……この村には、警察施設がまったくないのですか?」
と答えた。
これは松川が手を動かすまでもなく、秋恵が答えた。
「ございません」
「それは困りましたね……どこか、冷蔵室のようなものはありませんか?」
松川は、しばらく考えたあと、やや複雑な手話をした。
「……」
「離れの地下に氷室がございます。すこしはお役に立ちますかと」
「氷室ですか……わかりました。使わせていただきます」
秋恵は、
「ほかにご質問は?」
とたずねた。
サダコは、首を左右にふった。
この挙動にも、トトは違和感をおぼえた。もっと質問したほうがいいのではないか。なぜサダコがこれほどまでに消極的なのか、トトは疑問に思った。
しかし、サダコの心のなかを見通すことはできなかった。トトは、ひとつまえに座る霧矢の背中を凝視した。緊張からか、シャツがうっすらと汗ばんでいた。
トトがその染みを見ていると、ふたたび松川老人が手話を再開した。
単刀直入な話題だったらしく、秋恵はすぐに通訳をした。
「サダコ様、今回の件については、どうぞご内密に」
「はい、それはわかっています。所轄もちがいますので……では、大江さんの首を、今から氷室へ入れてもよろしいですか?」
「……」
「はい、それはサダコ様にお任せ致します」
尋問が始まるかと思っていたトトは、拍子抜けしてしまった。
一方、公子はなんの疑問もいだいていないのか、そのまま腰をあげた。
そして、トトに声をかけてきた。
「トトさん、わたくしたちは、部屋へもどりましょう」
「え、あ、その……く、首はどうするんですか?」
「サダコさんにお任せすれば、よろしいかと」
有無を言わさぬ口調とは、このことだろう。
ていねいな語彙を選んだだけで、公子はトトに、選択の余地を与えなかった。
霧矢も松川にあいさつし、ひざを立てた。
すると、霧矢のそでを引く者があった。
冬美だ。目の見えない彼女は、音を頼りに、霧矢の位置を把握したのだろう。顔は正面に向けたまま、杖を持ち、そっと霧矢に話しかけた。
「霧矢さん、私はこの通りの体ですので、ぜひご案内を」
ところが、秋恵はこれを制した。
「霜野さんは、私がご案内致します。霧矢さんは先にお部屋へ」
秋恵は、冬美の戦略を喝破していた。
ふたりきりにさせてなるものかと、意地の悪い顔をしている。
ところが、そこへサダコが、ろうかから妨害を入れた。
「鎌田さん、氷室の場所へ案内していただきたいのですが」
秋恵はサダコへふりかえり、迷惑そうな顔をした。
だがそれも一瞬のことで、使用人のつつしみ深い表情にもどった。
「……冬美さんをご案内したあとでは、いけませんか?」
やんわりとしたことわりだが、サダコはそれを認めなかった。
「死体の損傷が進むと困ります。今すぐお願いします」
サダコと秋恵のあいだで、微妙なアイコンタクトが交わされた。
けっきょく、秋恵のほうが折れて、ろうかへと出て行った。
それと入れ替わるように、サダコは室内へ足を踏み入れた。
けげんそうな顔をする秋恵。それを無視して、サダコは霧矢に歩み寄った。
「……なんですか?」
「このメガネは、お返しします」
サダコはメガネをはずし、おぼつかない仕草で霧矢に手渡した。
「メガネがないと、困るんじゃないですか?」
「度が合わないんですよ。私のは、もっと強いので……予備のコンタクトレンズがあるので、それを使うことにします。あまり好きではないのですが」
それだけ言って、サダコは廊下へと出た。
「鎌田さん、氷室へお願いします」
「かしこまりました」
秋恵はかるく頭をさげ、室内をふりかえった。
そして、冬美に釘を刺した。
「霧矢さん、霜野さん、すでに夜も更けておりますし、長話など、なさいませんよう」
それだけ言い残して、秋恵はサダコといっしょに消えた。
室内のメンバーは、おたがいに顔を見合わせた。
公子は、
「それではみなさん、同じ方向ですし、部屋へもどると致しましょう」
と言い、松の間を出るようにうながした。
霧矢も、あわてて立ち上がろうとした。その肩に、冬美の手がかかった。ためらいがちだが、妙に力のこもった握りかただった。霧矢は、冬美をていねいに、ろうかへエスコートした。最後にトトが部屋を出て、障子を閉めた。
公子は先頭に立って、
「部屋の位置はおぼえています。わたくしが案内致しましょう」
と言った。
霧矢たちはゆっくりと、ろうかを歩いて行く。冬美に配慮しているのだ。
とちゅうで、何人もの自警団とすれちがった。彼らはみな、霧矢に頭をさげた。片目の見えない者、指の欠けている者。なんの障害を負っているのか、わからない者もいた。トトはそれをできるだけ気にしないようにしながら、男たちにあいさつをした。
「こんばんは」
トトのあいさつは、すべて無視されてしまった。
トトは立腹した。
「ひとがあいさつしたら、ちゃんと返さないとダメなんですよ」
霧矢は、
「まあまあ、トトさんは部外者だし、警戒されてるんだよ」
となだめた。
余所者あつかいされたトトは、ますますいきどおった。
「キリヤさんは、お客さん待遇だからいいかもしれませんけど、これは不公平です」
そう言いながらも、またふたり組の男がすれちがったとき、トトは会釈をした。
「あ、こんばんは」
ふたり組はこれも無視しつつ、なにやらしきりに話し込んでいた。
「なあ、権蔵を見かけんかったか?」
「いんや」
「見回りから帰ってこんのだよ。さぼりくさりよってからに」
男たちは、ろうかの奥の闇に消えた。
トトは、
「あれ? ゴンゾウさんって、おそうじしてたひとじゃないですか?」
と霧矢にたずねた。
「え……ああ、そうかもね」
そうこうしているうちに、先頭の公子が立ち止まった。四人は、大きな広間のまえにいた。
そこは今日の夕方、全員で食事をとった場所だ。ようするに客室ではないわけだが、殺人事件があったことを踏まえて、霧矢たちは一ヶ所で眠ることになっていた。離れの部屋は、秋恵も含めて、全員引き払うことになっている。当たり前と言えば、当たり前の処置だった。
障子を開けると、すでに布団が敷かれていた。めいめい、じぶんの取り分を決めた。トトは、部屋の入口近くに場所を占めた。その右どなりに霧矢、さらにその右どなりに冬美という順で腰をおろした。
冬美は、持っている杖をたたみのうえに置き、
「霧矢さんは、大江さんが殺されるところを、ご覧になったのですか?」
と、うつむきかげんにたずねた。
おぞましい質問だった。それは好奇心からというよりも、事実を確認して気をまぎらわせたい、という欲求から来ているようだった。じっさい、精緻に解説された殺人事件よりも、謎めいた日常の謎のほうが、恐ろしい。トトは、そう思っていた。
霧矢は、目の見えない彼女に、ゆっくりと答えた。
「ぼくがトイレに入ったとき、大江さんはもう死んでたよ」
「……そうですか。恐ろしいことです」
冬美はそれだけ言うと、すっかり押し黙ってしまった。
トトはもぞもぞと体を動かし、霧矢の横顔を見た。情報交換したいのは山々だが、この場には冬美がいた。サダコは不在ときている。ここで推理を始めるわけにはいかなかった。
トトは、空気を読もうとした。
けれども、霧矢はそれを無視して、口をひらいた。
「ねえ、トトさん、ぼくたちが見たあの影、駿さんだったよね?」
「影……?」
トトは一瞬、わけがわからないという顔をした。
しかし、あのときの光景が、すぐにフラッシュバックした。
「あ、はい、そうでした」
すると、冬美は、
「影とはなんですか?」
と質問した。
「ぼくがトトさんの部屋にいたとき、ろうかを駿さんが通ったんだよ」
「トトさんの部屋に? 霧矢さんは、トトさんの部屋にいらっしゃったのですか?」
話がいきなり脱線した。
冬美は顔こそあげなかったものの、あまりうれしくなさそうなオーラを出していた。
花婿候補が、見知らぬ女の部屋にいたことを、いぶかしんでいるのだろう。
トトは冬美の気持ちを、そう読んだ。しかし、同情まではできなかった。それは、恋人の行動を、窮屈にしていないだろうか。トトはそんなことを思いつつ、会話に入った。
「それで、駿さんがトイレから、もどって来なかったんですよね」
霧矢もうなずきかえした。
「そう、だから駿さんは、トイレでだれかに襲われたわけだろう? 木戸がひらく音も、一回しかしなかったからね。トイレに入って、それっきりってことだ」
なるほどと、トトは感心した。
そしてその瞬間、トトはあることに気がついた。
「あれ? ……だったら犯人は、どこから逃げたんですかね?」
トトが記憶している限り、駿以外の人影が、ろうかを通ったおぼえはなかった。
ろうかの先には、小さな窓があるだけで、完全に行き止まりだ。
トイレの窓も、脱出不可能なように思われた。
開かずの間は、鍵がかかっていたし、そもそもそこはどこにもつながっていなかった。
そうなると、思い当たる経路は、ひとつしかなかった。
「あれれ? ってことは、あのトイレは……」
霧矢も、むずかしそうな顔でうなずいた。
「密室だったことになるね」
密室──警史庁の講義で、何度も耳にした言葉だ。
トトにとっては、毎回解答に苦労させられた、まさに呪いの言葉だった。
主な理由は、その難解さであった。が、もうひとつ、トトはこの密室トリックが苦手な理由を持っていた。それは、殺人というおぞましい行為に、パズルのようなものを入れる心理が、どうしても理解できないのだった。より正確にいえば、なんの共感もおぼえないのだった。
トトは、しばらく思案したあと、
「……じつは鍵が開いてたとか、そういうオチはないですか?」
と、やや期待のこもった調子でたずねた。
公子は、
「わたくしが見落としていないかぎり、鍵はかかっていました。ただ……」
と、言葉をにごした。
トトは、「ただ?」と訊きながら、ひざをにじりよせた。
「デンプルキーのような、複雑なものではありません。閉めるときは、金属棒の部分を穴に押し込み、開けるときにだけ鍵が必要な、いたって単純なものです。そこにトリックはなかったと、断言はいたしかねます」
トトは、ふんふんとうなずきながら、
「どういうトリックが考えられますか?」
とたずねた。
「それはまだわかりません……しかしながら、鍵がかかっていたという点には、とくに意味がないことになります」
「え、なんでですか? 鍵は母屋にあったんですよね?」
「さきほどももうしあげた通り、鍵が必要なのは、開けるときだけです。閉めるときは必要ありません。したがって、昼間にこっそりと鍵をもちだして、南京錠を開けたあと、鍵をもどしておけばよいのです」
トトは感心した。
「いやあ、さすがはサダコさんのアドバイザーですね」
公子は、せきばらいをした。
冬美の存在を忘れるなと言っているようだ。トトは口もとに手を当てた。
公子は、布団のうえで正座をしたまま、
「わたくしたちは、警察でもなんでもありません。探偵ごっこは、ここまでに致しましょう」
と言って、この推理談義を打ち切らせた。
「……」
どれくらい時間が経っただろうか。トトがだんだんと不安になり始めたところで、ようやく小さな足音が聞こえて来た。こどもっぽい軽さのそれは、サダコのものにちがいいない。トトはそう考え、障子がひらくのを待ちわびた。
木と木のこすれ合う音がして、障子がひらいた。
「お待たせしました」
着物姿で現れた美少女に、室内の空気がかたまった。
使用人かだれかだろう。そう思ったトトは、名前をたずねた。
「あの……どちらさまですか?」
トトの質問に、少女は眉をひそめた。
彼女の目が細くなったところで、トトはその面影に、見覚えが生じた。
「え……? サダコ先輩……じゃないですよね?」
「……そのサダコですが、なにか?」
「ええ!?」
大声を上げたトトに、サダコは動揺して、両手を顔に当てた。
「私の顔……どこか変ですか?」
トトは大げさに首をふった。
こぶしをにぎりしめて、前傾姿勢になった。
「変じゃないですよ! すごくカワイイです!」
ほめたつもりだった。
けれども、サダコの反応はうすかった。
「ああ、そういうのは、やめておきましょう」
いやいや、と、トトはなにか言おうと思った。
ところがふいに、違和感をおぼえた。
「……サダコ先輩、コンタクトがズレてませんか?」
「いえ、そんなことないですよ。ちゃんと見えてます」
「右目と左目で、なんかちがうような……」
なんだそんなことか、と、サダコは手をふった。
「右目にコンタクトはしてません」
「片方だけって、あぶなくないですか?」
サダコは顔をあげた。右目のはじに、ゆびをそえ、
「こっちは義眼なんです」
と言った。
トトは固まった。
「……すみません」
「いえいえ、謝る必要はありません」
トトはますます恐縮してしまった。
一方、公子はそれを知っていたらしく、まったく動じないようすで、
「では、そろそろ就寝と致しましょう」
と告げた。
サダコもうなずいた。
「そうですね、もう夜も遅いですし、寝ることと致しましょう」
サダコは、なんの状況報告もしなかった。
状況が飲み込めない霧矢とトトは、おたがいに顔を見合わせた。
そんなふたりをよそに、サダコは手帳を取り出して、なにやら書きものを始めた。霧矢とトトがいぶかしんでいると、サダコはページをこっそりと二枚破り、それぞれ一枚ずつ、ふたりに手渡した。
そこには、次のように書かれていた。
この事件にはなにか裏があります。あからさまに首を突っ込むのは危険です。興味のないフリをしてください。捜査の続きは、明日の朝食後に。端末は、マナーモードに切り替えておいてください
なるほど、そういうことか。ようやく合点のいったトトは、その紙をポケットにしまった。そして、布団にくるまった。霧矢もおなじ文面を受け取ったらしく、就寝の準備を始めた。
冬美もほかのメンバーの気配を感じとって、布団の中へ横たわった。
「それじゃ、電気を消すよ」
霧矢の声に合わせて、部屋の灯りが消えた。
真っ暗になった天井を見上げながら、トトは眠りについた。