第5話 夜よゆるやかに歩め
ここは離れ。霧矢の部屋。
そこに集まった検史官とアドバイザー四人は、円陣を組んで座っていた。
霧矢だけがあぐらで、ほかの三人は、お行儀よく正座している。
霧矢から時計回りに、トト、サダコ、公子という順番だ。
説明を聞き終えたサダコは、メガネをクイッともちあげた。
「結婚することになった……?」
霧矢は、こくりとうなずきかえした。
「そうなんだ」
「それは……どういう意味ですか?」
「どういう意味って言うか……ぼくが訊きたいくらいなんだけど……」
霧矢は、当惑した表情を浮かべた。
そこへ公子は、ひとつの問いを口にした。
「霧矢十六夢として、ですか? それとも……」
「もちろん、この小説の主人公としてだよ」
「ということは、そのようなシナリオがあると?」
霧矢は肩をすくめ、それから先を続けた。
「ぼくはこの小説を、最後まで読んでないから……原作が恋愛要素アリだから、ありえる展開だとは思う」
公子は、
「だれと結婚するのですか?」
とたずねた。
「それが……」
霧矢は声をひそめ、まわりにいる三人を、順ぐりに見た。
「ぼくが選ぶことになってるらしいんだ」
トトは好奇心丸出しで、
「で、だれを選ぶんですか?」
とたずねた。
霧矢はあきれ気味に、
「だれって……そういう問題じゃないと思うんだけど」
と返した。
トトは、あ、そうですね、と言って、ひっこんだ。
サダコはメモをとりながら、
「松川さんは、それについてなにか説明しましたか? 理由などは?」
とたずねた。霧矢は否定的な答えを返した。
「なにも。というか、説明不要と思われてたみたいなんだ。『話してある通り』とか『すでに聞いてると思うが』とか……秋恵さんが、そう通訳してたから」
「なるほど……主人公は、結婚のために帰郷したわけですね」
合理的な推論。だが、霧矢はそれも否定した。
「それはないと思う」
「なぜですか?」
「主人公に関するくわしい描写は、作中にないはずなんだ。でなきゃ、ぼくと主人公が、入れ替わらないだろうし」
霧矢の説明に、今度は公子が反応した。
「しかし、話を聞いたところ、霧矢さんの……いえ、主人公の実家は、すでに取り壊されているのでしょう? 縁談でなかったとすれば、主人公は、どこでどのように休暇を過ごすつもりだったのでしょうか?」
「……松川さんの家に、泊まる予定だったんじゃない?」
霧矢の推測に、公子は納得しなかった。
「松川さんの家へ泊まると決まったのは、つい先ほどのことです。最初からここへ厄介になる予定なら、連絡のひとつくらい、入れると思います」
なるほど、もっともな話だ。トトは感心したように、うんうんとうなずいた。
けれども、霧矢は反論を用意していた。
「こんな田舎なんだし、連絡のつけようがなくない? 電話もないんだよ。それに、松川さんの家がこれだけ大きいんだから、泊めてくれると当たりをつけた可能性だってあるじゃないか」
公子は口をつぐんだ。
納得したというよりも、水かけ論が面倒だと言った顔をしていた。
それを取りなすように、サダコが口をはさんだ。
「まあまあ、そこはあまり重要な論点とも思えませんし、後回しにしましょう……霧矢さん、花嫁候補は、全部で何人いるのですか?」
「四人です。大江春香、鎌田秋恵、霜野冬美、それから繁山夏子の四人です」
サダコは、
「繁山夏子……? だれですかそれは?」
とたずねた。
霧矢は即答した。
「この村に住んでる女の子ですよ。ヒロインのひとりです」
「つまり、私たちがまだ会っていないだけ、ということですね?」
霧矢は黙って、うなずきかえした。室内をふいに、静寂がおそった。
物語が動き始めている。そのことは、トトにも分かっていた。
しかし、今後のプランが思い浮かばなかった。
サダコと公子も、しばらくは物思いにふけった。
長い沈黙をやぶったのは、霧矢だった。
「あ、それともうひとつ……駿さんと冬美さんは、今夜ここに泊まるそうです」
トトは、えッ、とおどろいて、
「どこにですか?」
と、とぼけた調子でたずね返した。
霧矢はトトのほうを向き、一語一語はっきりと口にした。
「駿さんと冬美さんが、今夜、この松川さんの屋敷に泊まるんだよ」
「ええ?」
霧矢の説明に、トトはますます混乱してしまった。
大江駿と霜野冬美には、それぞれ自分の家があるはずだ。トトがそう言おうとしたとき、サダコが先に口をひらいた。
「もしかして、花嫁えらびの一貫、ということですか?」
霧矢は、ぎょっとした表情を浮かべた。
「どうしてわかったんですか?」
「簡単な推理ですよ。花嫁候補は四人。春香さんは死んでいるから除外するとしても、まだ三人残っています。もし霧矢さんがこの屋敷で寝起きするならば、この三人の中では、鎌田秋恵さんが圧倒的に有利になってしまうでしょう。それを見越して、霜野冬美さんが抗議したと考えるのが自然です」
なるほど、たしかに自然だ。トトは感心してしまう。
霧矢もサダコの推理に舌を巻き、ゆっくりと補足した。
「ええ、そういうことです……繁山夏子さんも、明日ここへ来るそうなんです。これは松川さんのアイデアなんですけどね。秋恵さんと冬美さんは、あからさまにイヤそうな顔をしてました」
なんという修羅場だ。トトは、他人事ながら悲しくなってきた。
好きな人のために足を引っ張り合ってどうするのか、トトにはさっぱりわからなかった。
そんなトトに、霧矢が話しかけてきた。
「その件で、トトさんに相談があるんだけど……」
霧矢の顔は、妙に真剣味を帯びていた。
トトも思わず、気を引きしめた。
「はい、なんでしょうか?」
「じつはね、駿さんが、ぼくのとなりの部屋に泊まるって言って、聞かないんだよ」
「え……? あの離れにですか?」
「そう。なんでもあの部屋は、妹の春香さんが生前、使っていたものなんだってさ。松川さんも承諾したし、ぼくは今夜から、駿さんと隣り合わせってわけ」
トトは、ことのあらましを理解した。
しかし、霧矢がなにを相談したいのかまでは、わからなかった。まさか、部屋を変えてくれと言うのだろうか。変えたいのはやまやまだが、あのぼろぼろの部屋を、霧矢に勧めたいとは思わなかった。
霧矢も、トトが理解できていないと気づいたらしく、先を続けた。
「そうなるとさ、離れにふたりの容疑者がいることになるだろう? 駿さんと秋恵さん。それに囲まれて安眠しろなんて、ちょっとムリだよ。ここはちゃんと役割分担して、離れをトトさんとぼくが、母屋をサダコさんと公子さんが、見張ることにしたいんだ」
「あ、それは名案ですね」
トトは、ふたつの意味でうれしかった。ひとつはもちろん、あの薄暗いジメジメとした部屋から、解放されることである。だが、それよりもはるかにトトを喜ばせたのは、じぶんが霧矢に必要とされているという実感であった。
トトは、すぐにオッケーしようと思った。
ところが、公子は口出しをした。
「あの秋恵さんが、了承しますでしょうか?」
霧矢は、
「その点は大丈夫。もう秋恵さんには話をつけてあるから」
と答えた。
公子は、その玲瓏とした表情をくずした。
「話をつけた……? どのように?」
「どのようにって……普通に頼んだけど?」
「秋恵さんは、離れで霧矢さんとふたりきり。ほかのライバルたちと比べて、有利な状況にあります。秋恵さんがこのアドバンテージを捨てるとは、思えないのですけれども」
公子の指摘を受けて、霧矢は困ったような顔をした。
どうやら、隠しごとをしているらしい。トトもそれに気がついた。
ほかの三人がじっと見つめ返していると、少年はあきらめて白状した。
「主人公の立場を利用して、ちょっとムリにお願いしたんだよ。花婿候補だけあって、秋恵さんは、ぼくのごきげんとりを優先したのさ」
ようするに、色目使いというわけだ。
目下の情勢ならば、それも悪くはないだろう。
そんな空気が、室内をただよった。
ひとりトトだけは、それって良くないんじゃないかな、と感じていた。
けれども、口には出さなかった。
サダコも、それしかない、という感じで、首をたてにふった。
「では、そのように手配しましょう。離れはキリヤさんとトトさん、母屋は公子さんと私が担当します。連絡は端末で、密に取り合うこと。いいですね?」
サダコの指揮に、ほかの三人もうなずきかえした。
時刻はすでに夕暮れどき。
霧矢たちは腰をあげ、行動を開始した。
○
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すっかり秋めいてきた夜風。それを受けながら、トトはろうかを歩いていた。いつもの検史官の制服ではない。浴衣を着ている。トトは、風呂上がりなのだった。
屋敷のすみに設けてある温泉から出て、トトは自室へ向かっていた。もちろん、離れのほうである。秋恵のとなりに部屋を借りて、トトはそこに移っていた。
トトは橋を渡って、ろうかを右折した。秋恵の部屋を通りすぎ、障子を開けた。使用人のための窮屈な部屋が、トトのまえにすがたをあらわした。敷かれた布団が、床の半分を占拠している。ほかには小道具入れとタンスがあるだけで、めぼしい家具はなかった。
だがこれでも、あの廃屋のような部屋よりは、ずっと快適であった。
「ふぁあ、眠たいです……」
風呂上がりのトトは、制服のポケットをまさぐった。
HISTORICAの時計を確認する。
デジタル時計の数値は、21:37を示していた。ふつうのおとななら、起きている時間だ。しかし、トトはいつも早寝だった。秋恵が敷いた布団に乗り、長い髪をととのえた。
もう寝よう。そう思った矢先、障子に人影が映った。
トトは飛び上がり、ふるえる声で、その正体をたずねた。
「だ、だれですか……きもだめしはなしですよ……?」
「ぼくだよ、ぼく」
はっきりとした少年の声に、トトは胸をなでおろした。
「キリヤさんですか……びっくりさせないでください」
「入ってもいいかな?」
能天気なトトは、なぜ霧矢が許可を求めているのか、わからなかった。
当然だろうと言った調子で、障子ごしに答えをかえした。
「もちろんですよ。どうぞどうぞ」
その声に合わせて、障子がゆっくりとひらいた。トトとおなじ浴衣姿の少年が、薄暗いろうかに立っていた。霧矢は、ろうかの左右を確認した。それからトトの部屋に入り、うしろ手に障子を閉めた。
トトは、
「こんばんは」
とあいさつした。
霧矢はそれを受け流し、部屋のすみに腰をおろした。遠慮しているというよりは、部屋が狭過ぎて、そうせざるを得ないと言った感じだった。
トトも正座をした。
「こんな時間に、どうしたんですか?」
「あのあと、なにか変わったことはなかった?」
変わったこと──トトはしばらく記憶をたどった。
そして、首を左右にふった。
「なにもないですね」
「そう……だったらいいんだけど」
霧矢はそれだけ言うと、布団のすみに視線を落とした。
「キリヤさんのほうでは、なにかあったんですか?」
「駿さんから、ちょっと事情を聴こうとしたんだ。でも、風呂から出たら、駿さんはすぐに自分の部屋へ閉じこもっちゃって、口も利いてくれないんだよね。どうも、うらまれてるっぽい」
「うらまれてる? どうしてキリヤさんが、うらまれるんですか?」
「いや、ぼくじゃなくて、主人公ね」
大江駿は、大江春香のミイラ化が、主人公のせいだと思っている。霧矢は、そう説明した。
「なんでそうなるんですか?」
「花嫁えらびが、遅れたからじゃないかな。主人公がもっと早く帰郷していれば、春香さんはミイラにならずに済んだのかもしれない」
なるほど、と、トトは思った。
その瞬間、べつの部屋で、障子のひらく音がした。
トトは、秋恵が部屋を出たのかと思い、しばらく口をつぐんだ。
足音が、トトの部屋へと近づく。障子に大きな人影が映った。
トトは、とくに考えもなく、
「秋恵さん?」
と声をかけた。
だが、返事はなかった。
影は障子を通りすぎて、それから木戸のひらく音がした。
ふたたび静寂がもどった。
トトは嘆息して、
「秋恵さんも、話をしてくれませんね」
とつぶやいた。
「秋恵さん? どこに?」
霧矢は、けげんそうな顔をした。
「え? さっき通りましたよね?」
「さっきのは駿さんじゃない? 髪が短かったし、障子を開ける音も、駿さんの部屋から聞こえたよ?」
自分の思いちがいに、トトは恥ずかしくなってしまった。
どうにも観察力が足りない。そう反省しつつ、トトは話題を変えた。
「えーと、なんの話でしたっけ?」
「ん? ……ああ、ぼくがうらまれてるって話ね」
「そうですそうです。シュンさんからうらまれてるなら、なにか解決策を……」
霧矢は、ひとさしゆびをくちびるに当てた。
トトはその仕草を疑問に思って、
「どうしたんですか?」
とたずねた。
霧矢は布団ににじり寄り、トトの耳もとでささやいた。
「駿さんがトイレにいるんだから、今話しちゃマズい」
霧矢は顔を遠ざけた。トトはうなづきかえした。
トイレはこの部屋のとなり、壁一枚でへだてられた空間にあるのだ。
声が漏れないとも限らなかった。
「じゃあ、もっと楽しい話をしましょう」
「楽しい話? 例えば?」
トトは、じぶんから話をきりだした。
「このまえ、第七課でおもしろいことがありましてね……」
トトは、世間話を始めた。第七課で起こった珍妙な事件を、トトは長々と話した。まさに立て板に水と言った感じで、身ぶり手ぶりをまじえて、言葉をつむいでいく。
「というわけで、第七課のロキさんがですね、あ、ロキさんは知ってますか? すっごくひょうきんなひとで、コメディ作品の捜査では、まるで登場人物みたいなんですよ。それで……」
「……ねえ、トトさん、ちょっとおかしくない?」
おかしい。そのひとことに、トトはきょとんとした。
「わたしの話、どこかおかしかったですか?」
「ちがうよ。駿さんだよ」
霧矢は、障子に視線を走らせた。
トトにはあいかわらず、その言葉の意味が飲み込めなかった。
「駿さんが、どうかしたんですか?」
「さっきトイレに行ってから、もう一五分以上経ってる」
トトはHISTORICAを取り出して、時計を見た。
下二桁は、五七という数字をきざんでいた。一〇時になろうとしているのだ。
「たしかに長いですね……便秘じゃないですか?」
「ちょっとようすを見に行こう」
霧矢は腰をあげて、障子をひらいた。
トトはとまどいながらも、ろうかに出た。
「他人のトイレを邪魔しちゃダメですよ」
影のさした霧矢の背中に、トトはそう忠告した。
だが、霧矢はさっと右手に進み、かわやの木戸のまえに立った。
息をととのえてから、霧矢は木戸を二度たたいた。
コン コン
返事がない。
霧矢はもう一度たたいてみた。やはり反応はなかった。
「駿さん? いるんですか? 返事をしてください」
静寂──霧矢とトトは、顔を見合わせた。
「駿さんが部屋にもどったところ、トトさんは見た?」
トトは首を水平にふった。
霧矢と話すとき、トトは障子のほうを向いていた。大江駿が通過すれば、すぐにわかったはずだ。それがトトの単純な結論だった。
霧矢は深刻な顔になった。
「……もしかして、このトイレ、どっかにつながってるのかな?」
「つながってる?」
「抜け穴があって、駿さんはそこから出て行ったのかもしれない」
霧矢は、木戸のくぼみに指をかけた。
トトはあわてて、
「トイレをのぞいちゃダメですよ」
ととめた。
「いや、そう言われても……」
霧矢がそう返した瞬間、HISTORICAからけたたましい音が鳴った。
それは、この物語のなかで、だれかが被害にあったときの音だった。
トトはパニックになり、
「じじじ、事件です!」
とさけんだ。
霧矢は、
「場所はわかる?」
とたずねた。
「わ、わかんないです」
HISTORICAには、事件の場所を特定する機能がなかった。物語の全体的なゆがみを分析しているので、具体的にどの座標が発信源なのか、すぐにはつきとめられないからだ。
トトがそのことをしどろもどろに説明していると、霧矢は、
「まさか……」
と言い、目のまえの厠を見つめた。
とびらへ手を伸ばし、トトが止める間もなく、霧矢は手前に引いた。
軽い木の質感をともなって、木戸はなんなくひらいた。鍵がかかっていなかった。
電気もついていない。もしかしてだれもいないのかと、トトは奥をのぞきこんだ。
そして、屋敷全体に響くような悲鳴をあげた。
「あわわわ……」
気を失いかけるトトの体を、霧矢はあわててささえた。
ほほをペチペチとたたき、トトが気絶しないように全力をつくした。
トトはよろよろと立ち上がって、ろうかの壁に飛びのいた。
彼女がトイレの中で見たもの、それは──大江駿の生首だった。
「く、く、首! 首が!」
「トトさん、お、落ち着いて、サダコさんたちに連絡を」
サダコの名前が出て、トトはじぶんが検史官であることを思い出した。
「ぼくが見張ってるから、トトさんはみんなを起こして来て! 早く!」
「は、はい!」
トトはその場を駆け出し、ろうかを全速力で走った。
何度かすべりそうになりながらも、サダコの部屋へと邁進する。
あとひと息というところで、トトは人影と正面衝突した。
だれかが曲がり角から飛び出してきたのだ。
「きゃッ!?」
トトはよろめいて、障子にたおれこんだ。紙のやぶれる音。
だが、トトよりも悲惨だったのは、ぶつかった相手のほうだった。
体重差でふき飛ばされたらしく、ろうかに転倒する音が聞こえた。
「いたたた……」
ろうかに倒れた小さな人影は、上半身を起こすと、床をまさぐり始めた。
その正体は、サダコだった。すこしうしろに、公子も立っていた。
公子はHISTORICAの液晶ライトで、床を照らした。
「め、メガネ……メガネが……」
どうやらサダコは、メガネを落としてしまったらしい。
この闇では、見つけるのも大変だ。
トトは手を貸そうとした。
その瞬間、トトの足もとで、パリンとガラスの割れる音がした。
トトが恐る恐る足をあげると、パラパラという乾いた音がした。
サダコは目をほそめながら、
「なんですか、今のは? ……ま、まさか!」
と絶句した。
「あ、その……踏んじゃいました……」
すみません、すみませんと、トトは平謝りだった。
サダコは音の方向から、メガネの残骸をひろいあげた。
公子は無表情に、それを照らした。右のレンズが大破していた。
これでは危なくて、かけることもできない。
大事な視力をうばわれ、サダコはわなわなとふるえた。
が、今はそれどころではなかった。
サダコはメガネをポケットに突っ込み、トトを見あげた。
「HISTORICAが反応しました。そちらで、なにか見つけましたか? 悲鳴が聞こえましたが」
ようやくトトは、じぶんがここへ来た目的を思い出した。
「しゅ、シュンさんが、生首になっちゃいました!」
サダコと公子は顔を見合わせ、すぐに事情を察した。
サダコは、
「大江さんが死んだんですか?」
と確認を入れた。
「あ、あれは絶対死んでます! 首チョンパですからね!」
トトは、めちゃくちゃな言い回しをもちいた。
サダコと公子は、混乱する彼女を引き連れ、離れへと走った。
極度の近眼なせいか、サダコは足下がおぼつかなかった。
「トトさん、具体的な現場は?」
「は、離れのトイレです!」
三人はあたうかぎり、駆け足になった。
川を渡り、ろうかを右折したところで、四つの目がトトたちをまなざした。
ひとつは霧矢のもの、もうひとつは秋恵のものだった。
秋恵は自室から出て来たのか、右手前の障子が開いていた。
霧矢は、
「おそいよ! なにやってたの!?」
と、すこしばかり怒っているようだった。
「す、すみません」
トトが謝るなか、公子はほかの部屋の障子を開け放った。
サダコは、トイレのまえに駆け寄り、中をのぞきこんだ。
おぞましい光景が浮かび上がった。生首が、天井のランプから、ひもでぶら下げられていた。窓から射し込む月明かりに照らし出されて、ぽたぽたと血を垂らしていた。
サダコは、
「公子さん、各部屋のチェックを。鎌田さん、電気はどこですか?」
と、スイッチの場所をたずねた。
秋恵は、ふるえるゆびで、
「ひ、左手のところに……」
と答えた。
サダコは、ランプのスイッチを入れた。
パッと明るくなり、秋恵とトトは、ふたたび悲鳴をあげた。
苦痛に満ちた生首の顔は、大江駿のそれであった。切り口は見るも無惨で、力任せにムリヤリ切断した形跡があった。赤く染まった骨と筋繊維が、露骨にはみ出していた。
サダコは生首に近寄り、念入りにその状態を確認した。
トトは顔に両手を当て、指のすきまからちらちらと、それを盗み見ていた。
公子は最後、開かずの間を開けようとした──が、開かなかった。
みれば、南京錠がついており、文字通りの【開かず】となっていた。
「サダコさん、この部屋は開きません」
サダコはふりかえらず、
「鎌田さん、その部屋をすぐに開けてください」
と指示した。
「え、あ、はい」
秋恵は、その場をはなれようとした。
公子はこれを見咎めた。
「どちらへ?」
「か、鍵を取りに」
「わたくしもいっしょに参ります」
ふたりは、離れから立ち去った。
サダコはしばらくのあいだ、検死を続けた。
五分ほどして、公子と秋恵がもどってきた。秋恵は南京錠をてぎわよく開けて、引き戸を横にスライドさせた。開かずの間は、幅一メートル、奥行き二メートルほどしかない、きわめて狭い空間だった。部屋というよりも、もともとは物置に使われていたようすだった。備品はなく、板張りの床ががらんと広がっているばかりだった。
ふたりはHISTORICAのライトで、壁や天井を調べてみた。これといった抜け穴はなかった。しかし、トトは視覚ではなく嗅覚で、ある違和感に気づいた。
「なんか汗くさくないですか?」
公子も、
「ええ……体育館の匂いのような……」
と返した。
体育館の匂いがどういう匂いなのか、人間でないトトには、わからなかった。
運動のあとの匂いを喩えたものだろうと、察しはついた。
しかし、その発生源はわからなかったし、むしろそれはどこかへ行ってしまっていて、ただ残り香だけがただよっているようにも思われた。
トトはそのことを、霧矢とサダコに伝えようとした。
が、ふりかえったところで、サダコと目が合った。
サダコはメガネの奥から、事務的な光をはなっていた。
「主な関係者を、一ヶ所に集めてください」