第4話 探偵よ眼ざめよ
トトはひとり、松川の部屋のまえで、秋恵がもどってくるのを待っていた。
質素な日本庭園をながめながら、しきりに感心したようなことを口にした。
「こういうのが、和のフゼイですか」
奥の池に鯉がいないかどうか、トトは背筋を伸ばしてのぞきこんだ。
水面が暗くて、よくわからなかった。金魚くらいはいるのだろうか。
トトがまえのめりになったところで、右手奥から、小走りな足音が聞こえてきた。
「お待たせしました」
秋恵だった。
待たせては悪いと思ったのか、すこしばかり急いで来たようだ。
「あ、おかまいなく」
ややまちがった日本語で、トトは秋恵の労をねぎらった。
秋恵は、ろうかにトトしかいないことを察し、不思議そうにたずねた。
「……ほかのかたがたは?」
「あ、サダコ先輩たちなら、先に部屋へもどりました」
「……そうですか。では、ご案内致します」
「よろしくお願いします」
秋恵は、サダコたちが去ったのと同じろうかへ足を向けた。
霧矢とは逆方向ということだ。トトは、そのことにがっかりしてしまった。
アドバイザーと行動をともにできない不安もあったが、じつのところ、トトはひとりでいるのが、あまり好きではないのだ。
それにもかかわらず、彼女がサダコたちとの同室を避けたのには、わけがあった。サダコは警史庁でも有名な先輩であり、じぶんのような劣等生が邪魔しては悪いと思ったのだ。
「セシャトさんがいてくれたら、いいんですけどねえ……」
トトのひとりごとに、秋恵はふりかえった。
「なにかおっしゃいましたか?」
トトは両手をふって、今の言葉を打ち消した。
「な、なにも言ってません!」
トトのあわてっぷりに、秋恵はけげんそうな顔をした。
これ以上、口をすべらせないように、トトは口もとをかたくむすんだ。
秋恵はふたたびまえを向き、ろうかを進み始めた。
ちょうど玄関のまえへ来たところで、ふいに男の声がした。
「ごめんくださーい」
聞きおぼえのある声。
それが駿のものであると、トトもすぐに気がついた。
「はーい」
秋恵は返事だけ済ませ、トトへと向きなおった。
「すみません。ちょっとよろしいですか?」
「ええ、ちょっとじゃなくてもいいですよ。ごゆっくり」
トトがそう答えるや否や、秋恵は玄関へ向かった。草履をはき、とびらをひらいた。
予想どおり、そこには大江駿が立っていた。
けれども、玄関にあらわれたのは、駿だけではなかった。白い着物の少女もいた。黒い髪が、腰まで伸びていた。少女は駿の肩に手をかけて、杖をついていた。
少女はうつむいていて、トトにはその顔が見えなかった。トトが秋恵のうしろからのぞき込んでいると、駿が口をひらいた。
「お邪魔してすみません。お時間はありますか?」
「ええ、べつに取り込んでいるわけではありませんが……」
そう言って秋恵は、杖をついた少女へ、視線を移した。
「霜野さんも、ごいっしょなのですか?」
霜野と呼ばれた少女は、ようやく顔をあげた。
雪のように白い、面長な顔立ちだった。
霜野は、色素の薄いくちびるを動かした。
「その声は……鎌田さんですね」
霜野は目を閉じたまま、秋恵の名字を呼んだ。
そのしぐさから、霜野が盲目であることを、トトは悟った。
秋恵は返事をしなかった。びみょうな表情で、霜野の顔を見つめていた。
空気が変わりつつあった。駿は、用件を告げた。
「僕は、霧矢くんを迎えに来ただけです。霜野さんの家のまえを通りかかったとき、庭先で彼女に会ったんですよ。霧矢くんが帰って来たことを伝えたら、どうしても会いたいと言うので、こちらへご案内しました」
秋恵は、そっけない口調で、
「よくいらっしゃいました。あいにくですが、霧矢さんは今晩から、松川様のご客人となられます。お迎えのところ、もうしわけございませんが、ご了承ください」
と返した。
秋恵の口上に、駿は不快そうな顔をした。
「それは、どういうことですか?」
「霧矢さんは、今晩からこちらで寝起きなさる、という意味です」
「そういうことを訊いているのではありません。なぜ他人の客を盗るのですか?」
「霧矢さんは、大江さんの所有物というわけではないと存じますが」
見る見るうちに、雰囲気がよどんでいった。
ようすがおかしい。トトはこっそりまえに出ると、ふたりに話しかけた。
「あの……もうすこし仲良くしたほうが……」
駿はトトをにらみつけた。秋恵もフォローを入れてはくれなかった。
トトはすごすごと、背景にもどった。
駿と秋恵はふたたび対峙した。緊迫した時間が流れる。
そこへ、霜野も乱入した。
「とにかく、霧矢さんに会わせてください」
「……松川様にうかがってまいります。今は、あちらのご婦人のお世話がありますので、しばらくお待ちを」
秋恵は、その場を離れようとした。
霜野は、立ち去らせまいと、秋恵の着物をつかんだ。
目が見えないため、背中をなぐるようなかっこうになってしまった。
秋恵はあからさまに顔をしかめ、霜野の手をふりはらった。
しかし、霜野も負けていなかった。
「なぜ松川さんの許可がいるのですか? 冬美が会いに来たと、お伝えください」
「ですから、先にトト様をお部屋へ……」
そのときだった。四人は一斉に、だれかの気配を察した。
目の見えない霜野ですら、カンをたよりに、その存在を察知したようだ。
トトがふりかえると、そこには松川老人が立っていた。
老人はおだやかな笑みを浮かべ、秋恵に手話で指示をおくった。
それを読み取った秋恵は、くちびるをすぼめたあと、うやうやしく頭をさげた。
「かしこまりました……そのように手配致します」
秋恵の返事に満足したのか、松川老人は、じぶんの部屋へもどって行った。
それを見送る秋恵に、駿が代表して説明を求めた。
「松川さんは、なんと?」
「……霧矢さんをお呼びしますので、松の間でお待ちください」
秋恵はそれだけ伝えると、トトに目で合図をした。
駿と霜野を尻目に、秋恵はそそくさと歩き出した。
トトは、玄関に立ち尽くすふたりを気にしながら、秋恵に声をかけた。
「駿さんたちは、いいんですか?」
「大江さんは、松の間がどこかご存知です。案内する必要はありません」
冷たくそう言いはなつと、秋恵はさらにろうかを進んだ。
だんだんとあたりが暗くなり、ろうかの突き当たりに出たところで、秋恵は歩を止めた。
「こちらです」
秋恵は障子を開けた。
トトは目を見ひらき、それから肩を落とした。
「ここ……ですか……」
トトが案内されたのは、一目で何年も使われていないとわかる部屋だった。
窓がないため薄暗く、たたみも湿気を帯びているように見えた。
それに、空気がほこりっぽい。
「では、ごゆっくりどうぞ」
秋恵はそう言うと、ろうかをもどって行った。
霧矢をむかえに行ったのだろう。トトはそう考え、たたみにその足を乗せた。ぐにゃりとした、たたみにあるまじき感触がした。床が抜けるのではないかとあやぶみながら、トトは部屋の中央にたどりついた。室内を見回す。
天井にクモの巣が張られ、八本脚の生き物が、くつろいでいた。
「く、クモさん……おたがいにおどかしっこはナシです……」
トトはそうつぶやくと、とりあえずその場に腰をおろした。
和風に正座などしてみた。
「……」
しんと静まり返った空気が、トトの気持ちを暗くした。
なにもすることがない。
サダコと同室だったほうが、マシだったか。トトは今さらながらに後悔した。
トトは、サダコが嫌いだったわけではない。公子がきらいだったわけでもない。ただ、さきほどのサダコと公子の会話からして、ふたりはとても優秀だと感じていた。同室して、じぶんの能力のなさを自覚させられるのが、なんとなくイヤだったのだ。もちろん、霧矢の話についていけないこともあったし、セシャトはあからさまに口が悪いこともあったけれど、親しさのほうがそれを上回っていた。
「うぅ……協調性がなくて、バチが当たったんですかね……」
不安になってきたトトは、ほかのメンバーと合流する方法を考えた。
そして、ある重大なことに気がついた。
「あっ! キリヤさんにHISTORICA渡すの、忘れてました!」
トトは大声でさけぶと、腰をあげ、逃げるように部屋を出た。霧矢がどこへ連れて行かれたのかは、それはわからなかった。しかし、おおよその方角はおぼえていた。
玄関まえを通りすぎ、松川の部屋のまえも通りすぎ、さらに奥へと駆けて行く。秋恵をさがすというアイデアは、トトの頭にはなかった。先ほどのやり取りを見て、なんだか話しかける気が失せたのだ。大江と霜野のまえで豹変した彼女の性格が、トトにはショックだった。
「ああいうのを、二重人格って言うんですね」
トトはそうつぶやきながら、ろうかを見境なく進んで行った。
するとどこからか、水の流れる音が聞こえてきた。
「……? シャワーの音ですか?」
トトのかんちがいは、すぐに訂正をこうむった。
ろうかが橋に変わった。小川があるのだ。
家のなかに川があることを、トトはいぶかった。
しかし、立ち止まる意味もないので、さらに奥へと進んだ。
屋内へのろうかへは右折せず、そのまま縁がわぞいに歩いて行った。
「……あれれ?」
縁がわを右折したところで、トトはついに足をとめた。
数メートル先で、ろうかがとぎれていた。
周囲には庭が広がるばかりで、そばには古びた井戸が見えた。
「これは道をまちがえましたよ……困りましたね……」
冗談ではなく、ほんとうに困ってしまった。
やはり秋恵をさがそう。トトが踵を返したところで、奇妙な音が聞こえた。
規則正しい低音。トトは最初、カエルの鳴き声かと思った。
しかし、それは庭からではなく、となりのガラス戸からもれている。
トトはガラスごしに、室内を見た。
すると、いびきを立てて寝る霧矢の姿が見えた。
「キリヤさん!」
トトはうれしさのあまり、ガラス戸をいきなり開けた。
室内に堂々と押し入り、霧矢の肩を揺さぶった。
「キリヤさん! 起きてください!」
よほど眠りが深いのか、霧矢はむにゃむにゃと寝言を言うだけで、目を覚まそうとはしなかった。
トトはさらに力を込め、耳元にくちびるを近づけた。
「起きてくださいってば! キリヤさん!」
さすがの大声に、霧矢はうっすらと目を開けた。
左右を見回したあと、トトの顔に視線を固定した。
「……もう朝なの?」
「ちがいますよ。まだお昼です」
霧矢は、ずり落ちていたメガネをなおした。
それから大きく背伸びをすると、ほほをかいた。
「うーんと……なんの用?」
「用事ですか? ……あっ、思い出しました!」
トトはポケットから、黒いスマートフォンのような物体をとりだした。
HISTORICAだ。トトはそれを霧矢にさしだし、反応を待った。
霧矢はまだ眠いのか、しばらくそれを見つめたあと、トトの顔をまなざした。
「ぼくに?」
「はい、アドバイザー用の端末を、渡し忘れてました」
霧矢はそれを受け取ると、液晶をしばらく見つめ、ポケットに仕舞い込んだ。
そして、ふたたびトトの顔を凝視した。
「ほかには?」
「え、ほかにですか?」
不意を突かれたトトは、ひとさしゆびをくちびるに当て、天井を見上げた。
「……ほかにはなにもありません」
「これを渡すためだけに来たの?」
霧矢のセリフに、トトはほっぺたをふくらませた。
「これは重要なことですよ! 規則にも書いてありますし!」
霧矢は両手をあげて、トトをなだめた。
「まあまあ……てっきり、事件が起こったのかと思ったんだ。トトさんは、どこの部屋になったの? 公子さんたちの近く?」
部屋に話がおよび、トトは泣き出しそうな顔をした。
霧矢がわけをたずねると、トトはことのあらましを伝えた。
「え、駿さんが来てるの?」
突っ込んで欲しいのは、そこではなかった。トトが訴えたかったのは、自分だけ粗末な部屋に回されてしまったことである。待遇上の差別だ。
とはいえ、駿の訪問が重要なことにも、変わりはなかった。
トトはこくりとうなずきかえした。
「はい、どこかで待ってるはずなんですけど……」
「この屋敷の? それとも屋敷の外?」
トトは、じぶんの舌足らずな説明を恥じた。
「屋敷のなかだと思います。マツの間とか言ってました。マツって言うのは、松の木でいいんですかね?」
「たぶんね」
霧矢はそう言うと、HISTORICAを起動させた。
無言で画面をタッチし始める。
トトは、しまったな、と心のかたすみで起こった。ふたりっきりのとき、相方がだらだらとスマホを眺めているような、そんな気まずさを感じてしまったからだ。トトはわざとそわそわしてみせて、霧矢の気を引こうとしたが、霧矢はまったく頓着しなかった。
「……トトさん、これってマナーモードないの?」
「え……あ、はい、あります」
トトはやりかたを教えたが、最後に、
「ただ、あんまりオススメしません。事件で動いていると、振動を見逃すことがあるので」
と、じぶんの体験談もふくめて伝えた。
「そっか……舞台が因習村だし、あの通知音って、目立つと思うんだよね」
「キリヤさんの判断で、いいですよ」
霧矢はしばらく、HISTORICAを見つめていた。
「……やめとくか。あ、この【通知停止】っていうのは?」
霧矢は、設定アプリのなかにある、文字列をゆびさした。
それは【消音】のすぐ下にあった。
「それは、事件の発生の通知それ自体を止めるボタンです」
「通知を止める? 事件がわかんなくなっちゃわない?」
「えーとですね、それは原則的にオンにしちゃダメなんですが、戦争映画みたいに、ものすごい勢いでキャラが死んじゃうときは、通知が鳴りっぱなしで困ることがあるんです。そういうときは、例外的にオンにできます。ただ、あとで本部に釈明しないといけないので、ここでは押さないでくださいね」
じつのところ、トトはまちがって押してしまったことがあり、あとで始末書を書かされたことがあるのだった。あのときは課長にこっぴどく怒られてしまい、今でも軽くトラウマだった。
霧矢は、ようやくHISTORICAをポケットにしまった。
「とりあえず、駿さんに会おうか」
霧矢は、のっそりと立ち上がった。トトもそれに従った。
トトが入って来た縁がわのほうに出て、ぐるりと迂回しながら、ふたりは橋を渡った。そのまま母屋のほうへ、歩いていく。
松川老人の部屋のまえに到着したところで、霧矢は足をとめた。
「どうしました?」
霧矢はひとさしゆびをくちびるに当てた。
静かにしろ、ということらしい。
トトは押し黙った。すると、どこからともなく、話し声が聞こえた。
それは、同じ中庭に面した、ひとつとなりの部屋からだった。
トトは霧矢の耳もとで、
「駿さんじゃないですか?」
と、できるかぎり声を落とした。
霧矢はうなずきもせず、となりの部屋の障子を、じっと見つめていた。
「……近くに寄ってみよう」
「え?」
トトのおどろきを無視して、霧矢はぬき足さし足、その部屋へと向かった。
トトもそろそろと歩き、部屋の柱を確認した。【松の間】というプレートがかけられていた。やみくもに歩いていたような気もするが、目的地に到着したのだ。じぶんたちの幸運に感謝しながら、トトは聞き耳を立てた。盗み聞きは趣味ではなかったものの、捜査には必要だった。
トトよりも前にいる霧矢は、よつんばいになりながら、
「……聞こえないな」
とつぶやいた。
「だいじょうぶです。わたしが行きます」
もしトトが人間だったなら、室内の会話を聞き取るのは、困難だっただろう。それくらいのボリュームだった。トトはエルフだから、声の主は、秋恵と駿であることがわかった。
しかし、会話の仕方が妙だった。やたらと間が空いていた。ふたりが直接話し合っているわけではなく、秋恵のほうは、松川の通訳をしているらしい。
そのことに気付いたトトは、霧矢を追い越して、前に出た。
障子へ耳を近づけてみる。
最初に聞こえたのは、駿の声だった。
「霧矢さんの面倒は、松川さんが見るというのですか?」
「……」
「はい、最初からそのような取り決めだったと、おっしゃられています」
「あのときの約束は、嫁選びを松川さんが取り仕切るというだけで、宿泊場所等については、なにも決めていなかったでしょう? 春香の件を私に任せきりで、なにも分け前がないというのは、おかしいと思うのですが?」
「……」
「大江さんの取り分についても、すでに約束が為されているものと……」
そこで、会話が止まった。
足音が聞こえ、障子がひらく。
トトは支えを失い、前のめりに倒れ込んでしまった。
「なにを為さっているのですか?」
ドスの利いた秋恵の声に、トトはあわてて上体を起こした。
見上げれば、いつもの笑顔を失った秋恵が、メガネごしにトトをにらみつけていた。
トトは、板張りのろうかに正座した。愛想笑いを浮かべて、ほほをかいてみる。室内からも、三人の視線が、トトに向けられていた。床の間に、松川老人。その正面に、駿と霜野のふたりがひかえていた。
「えーと……道に迷ってしまいまして……」
トトは、てきとうなウソを試みた。それがまったく通じていないことは、秋恵の表情から明らかだった。
秋恵は、くちびるを動かしかけた。ところが、彼女の肩に、だれかがふれた。
「……」
松川老人だった。
老人は、柔和な笑みを浮かべて、手話をおこなった。
秋恵の表情が、みるみる変わった。
「し、しかし、それは……」
秋恵が老人に口答えしたのを、トトは初めて目撃した。
松川はさらに手話を続けた。
秋恵はとまどったようにうなずきながら、ついに通訳をした。
「トトさん、すぐにお部屋へおもどりください」
「へ?」
助かったのだろうか。無罪放免になったトトは、しばらく正座をしたまま、秋恵の顔を見上げていた。
秋恵はそんなトトの視線を無視して、今度は霧矢へ向きなおった。
「霧矢さんは、ここへお残りください」
「え? ……ぼくひとりですか?」
「はい、ご相談しなければならないことがあります」
秋恵は霧矢をじっと見つめ、室内へ入るようにうながした。
霧矢はしぶしぶ立ち上がると、トトに視線を落とした。
もうしわけなさそうに、後頭部をかいて、
「じゃあ、またあとで……」
と告げ、室内に入った。
秋恵は障子に手をかて、トトに念をおした。
「トトさんは、お部屋へおもどりください。盗み聞きは、なさいませんよう」
そう言って秋恵は、ぴしゃりと障子を閉めた。
ろうかに残されたトトは、腰をあげた。どうしたものかと迷う。このまま盗み聞きできないこともなかった。というのも、エルフは耳がいいから、ちょっと離れたところからでも、聞き取れる可能性があったからだ。
しかし、今度バレたら、屋敷から追い出されてしまうかもしれない。それに、トトの気配を察知しているのか、会話が再開されるようすもなかった。
「……それでは、またあとで」
トトはそう言い残して、じぶんの部屋へともどった。あのボロ部屋だ。
あいかわらず居心地のいい場所ではない。
霧矢が解放されるまで、どのくらいかかるのだろうか。
見当がつかなかった。
そのあいだ、すこしくらいはじぶんで推理してみようと、トトは考えをめぐらせた。
「うーん……」
どこから手をつけていいのか、わからない。
そもそも、事件が発生しているのかすら、トトにはおぼつかなかった。じぶんがこの世界に派遣された以上、なんらかの異変は起きているはずだ。組織への信頼をたもちつつ、トトはここまでのストーリーを、最初から思い出してみる。
(たしか、最初に森に出て……シュンさんに、道案内してもらったんですよね……それから、ハルカさんのミイラを見つけて……あれ? ハルカさんかどうかは、わからないんでしたっけ?)
思考を整理するトト。
サダコが発した問いにぶつかり、トトは目をつむって、左右に首をかしげた。
(あれがハルカさんの死体じゃないとすると、だれなんですかね……? あ、シュンさんはさっき、じぶんがハルカさんを押しつけられたとか言ってたような……やっぱり、あれはハルカさんのミイラなんですかねぇ?)
ミイラの素性を判定するために、なにかいいアイデアはないだろうか。
トトはしきりにうめいたあと、急に目を見ひらき、ポンと手をたたいた。
「そうです! ミイラの身体的特徴を調べればいいんですよ!」
我ながら名案だ。
そう考えたトトだが、ひとりで大江駿の家にもどるわけにもいかなかった。
正確に言うと、ひとりでは心細かった。
あとで霧矢と相談しよう。そう決めた途端、ろうかから足音が聞こえた。
先ほどの秋恵の顔を思い出し、トトは軽く身がまえた。
「おーい、トトさーん? どこにいるのー?」
少年の声に、トトの顔が明るくなる。
「あ、キリヤさん、ここですよー! ここです!」
トトは障子を開けて、ろうかへ出た。
すると、ちょうど曲がり角のところに、霧矢の背中が見えた。
霧矢はうしろをふりかえると、びっくりしたように、トトの顔を直視した。
「え、そこにいたの?」
「はい、さっきからいましたよ」
霧矢はきびすを返し、トトへと歩み寄った。
トトもうれしそうに、じぶんから歩を進めた。
そして、こうたずねた。
「どうでしたか? なんの話をしてたんですか?」
トトの質問に、霧矢の顔がくもった。
「それなんだけど……サダコさんたちと、一回集まれないかな?」
「サダコさんとですか?」
じぶんでは相談相手にならない、ということだろうか。頼りにされていないと思ったトトは、ふたたび気分を暗くした。
しかし、持ちまえの切り替えの早さで、にこりと笑みをとりもどした。
「サダコさんたちなら、部屋にいるんじゃないでしょうか?」
「そうかも……じつは、すごくマズいことになったんだ」
霧矢のセリフに、トトは首をかしげた。
しばらく躊躇したあと、霧矢はおもむろに、こう答えた。
「ぼく……結婚することになってるらしいんだ」