第3話 通訳の時
秋恵は両指を床につき、室内にいる客人に頭をさげた。
こちらがかしこまってしまいそうなほどの丁寧さだ。
そしてその頭を下げた先に、さがしていたふたりの女性がいた。ひとりは、ぼさぼさの髪に瓶底眼鏡をかけた、背の低い女性であった。一見すると、こどもとかんちがいしてしまいそうだが、耳の形状がすごしばかりとがっていて、エルフだとわかった。そして、霧矢の思ったとおり、東アジア系の人間のような外見をしていた。
もうひとりはいかにもお嬢様然とした少女で、気の強そうな眉と、細いあごが特徴的な少女であった。少女は、一条橋公子と名乗って、自己紹介をした。
公子は霧矢たちの来訪を待ちかねていたように、すぐさま声をかけた。
「ずいぶんと、遅いご登場で」
なんとも冷たい第一声であった。
一方、サダコは特に感慨深げもなく、秋恵へと顔を向けた。
「お取り次ぎ、ありがとうございました。キリヤさんたちと話をしたいので、席を外していただけますか?」
「はい、かしこまりました」
秋恵はもう一度頭をさげると、立ち上がって、ろうかの奥へと消えた。
霧矢とトトは、障子のまえから動かなかった。
公子はそれをとがめるように、可憐なくちびるを動かした。
「どうなされたのです? 早くお入りになられては?」
「あ、ああ……ごめん……」
霧矢はたたみのうえに足を乗せ、トトがそれに続いた。
障子をうしろ手で閉めると、ふたりは、勧められた座布団のうえに腰を下ろした。
だれもしゃべろうとはしなかった。
一分ほどそうしたところで、サダコがようやく口をひらいた。
「それでは、作戦会議を始めましょう。自己紹介が遅れました。警史庁刑事部第八課の、サダコ・ヤパノフスカと申します。お見知りおきを」
「作戦会議……?」
サダコの提案に、霧矢は首をかしげた。
「そうです。作戦会議です」
サダコは、ものわかりの悪いこどもをさとすように、台詞をくりかえした。
霧矢はすこしムッとなって、サダコに言葉を返した。
「作戦会議と言っても、まだ話すことが……」
「もちろん、これまでの調査結果を分析するわけではありません。これからどうやって調査していくかを相談するのです」
サダコの説明に、霧矢はようやく合点がいった。
ようするに、スケジュール調整というわけである。
霧矢が黙ったところを見て、サダコは先を続けた。
「合流に丸一日かかるとは、思っていませんでした。トトさん、こちらがイザム・キリヤさんで、よろしいのですね?」
トトは「はい」と答えた。
「トトさんたちは昨日、どちらにいらしたのですか?」
「大江駿っていうひとのところです」
「大江駿……登場人物のひとりですか?」
トトは、かるくうなずきかえした。
その瞬間、霧矢はある疑問にぶつかった。
「サダコさんは、この物語の登場人物を押さえていないんですか?」
皮肉で言ったわけではない。本心からの確認だった。
ベテランと言われるサダコのことだ、登場人物のデータくらいは集めているはず。そう考えた霧矢だが、どうやらその予想はまちがっていたらしい。
サダコは黒い手帳を取り出すと、ポリポリと髪の毛をかいた。
「それがですね……私も緊急呼び出しを受けて、原作を読んでいないのですよ。これはホラー小説ということで、よろしいんでしょうか?」
サダコが知識ゼロの状態からスタートしていることに、霧矢はショックを受けた。
彼女がいるから大丈夫だと思って来たのだ。
うっすらと肌寒い風が、少年の背中をとおりすぎた。
「原作を読んでないって……じゃあ、ゲームのほうは?」
「ゲーム? これは電子書籍だと聞きましたが?」
本当になにも知らないようだ。霧矢はあせって説明を始めた。
「ええ、『常世物語』は電子書籍ですよ。でも、原作はサウンドノベルゲームなんです。小説はメディアミックスの一貫として、あとから売り出されたものですから」
「それは知りませんでした」
サダコは、無知をあっさりと白状した。
霧矢は、不安を通りこして、あきれかえってしまった。
「知りませんでしたって……警史庁は、ちゃんと調査しなかったんですか?」
なんという杜撰な機関だ。口にこそしなかったが、霧矢はそう思わざるをえなかった。
自分の所属する組織が非難されたことに気付いたサダコは、すぐに弁明を始めた。
「これでも、できるかぎりの調査はしたんです。そもそも、電子書籍の発売が昨日、それから事件の発生まで、数時間しか経っていません。第八課に捜査依頼が来て、急いでここに来たのです」
事情を察した霧矢は、サダコに対する批判をひかえた。『常世物語』の発売期日まではおぼえていなかったが、新着カテゴリーにあった以上、サダコの発言が正しいのだろう。だとすれば、人物関係を把握しろと言うほうが、無理な相談であった。
「それじゃサダコさんは、この小説を一文字も読んでいないんですか?」
「そういうことになりますね」
サダコは、平然とそう答えた。
霧矢は口もとをゆがめ、公子のほうを盗み見た。
「一条橋さんは?」
名字で呼ばれた公子は、澄まし顔で首を左右にふった。
霧矢はトトにも同じことを質問しかけた。
しかし、無駄足と踏んで、舌の動きをとめた。
四人のあいだに、重苦しい空気が流れた。
サダコはふたたび、司会をつとめた。
「情報不足については、しかたがありません。発売からわずか数時間で事件が起こるケースは、稀なのです。霧矢さんは、この小説に詳しいようですね。読んだのですか?」
霧矢は、トトに同行するまでの事情を、かいつまんで説明した。電子書籍を半分くらいまで読んでいたこと、ゲーム本編はやっていないこと、この二点である。
「なるほど、これですこしは状況を整理できそうです。私たちは、村外れに転送されて、秋恵さんと偶然出会いました。そのあと、この松川邸に連れて来られたのです。松川というのは、村長さんですか?」
霧矢は小説の設定を思いかえした。
「村長じゃないです……なんて言うのかな……名主?」
「村の有力者ですね?」
「はい。ぼくが読んだ限り、この村の行政組織には、言及がありませんでしたね」
「なるほど、それで……」
サダコは、意味深につぶやいた。
霧矢は視線で、その先をうながした。
「じつはですね、ここへ到着してから、村の派出所をさがしたのですが……まったく見当たりませんでした。どうやらこの村には、警察官がひとりもいないようなのです」
「え? 駐在すらいないってことですか?」
サダコは黙ってうなずきかえした。
「そうか……それで春香さんの件について、だれも……」
霧矢の口から漏れたセリフに、サダコは好奇心を示した。
「ハルカというのは?」
「大江駿の妹です。作中では、名前しか出て来ないんですけど、じつは……」
霧矢は、駿の家で体験したことの一部始終を話した。
春香のミイラに話がおよび、さすがのサダコもおどろきを隠せなかった。
「というわけなんです。たぶん、ぼくらが呼び出された原因は、これだと思います」
霧矢の予想が正しければ、大江春香のミイラ化こそ、警史庁が感知した物語の異常にちがいなかった。
しかし、サダコは肯定も否定もせず、逆にいくつかの質問をぶつけてきた。
「霧矢さんは、小説を終わりまで読んでいないんですよね? なぜ大江春香が作中で登場しないと知っているんですか?」
「ダウンロードするとき、注意書きに、大江春香は登場しないって書いてあったんです。半分くらいまで読みましたけど、じっさいに名前以外は出て来てません。多分、読者対策だと思います。キャラ目当てで買ったのに登場しないとなると、クレームが来ますからね」
「そうですか……では、そのミイラが大江春香であるという証拠は?」
霧矢は、はたと答えに窮した。
ミイラが別人である可能性など、考慮していなかったのである。
霧矢はしどろもどろになった。サダコは、さらに話題を転じた。
「まあ、それは追々調べましょう。私が気になるのは、鎌田秋恵さんなんです」
「秋恵さんが……? 彼女がどうかしたんですか?」
「霧矢さんの話によると、矛盾調和症候群が発生した原因は、テキストに『この村の人々は皆、奇怪な障害を送っていた』という一文があったからなんですね?」
「え、ええ……多分それが原因だと思います……あッ!」
霧矢はそこで、昨晩じぶんが考えていたことを思い出した。
この文章には、「皆」という全称が入っているのだ。
これが意味するところは、ひとつしかなかった。
「で、でも、秋恵さんは、障害者には見えませんでしたけど……」
「そうです。だから、私と公子さんも、不思議に思ったのです」
「まあ、健常者のひとも、いるんじゃないですか」
「しかしキリヤさん、ひとくちに障害と言っても、色々と種類があるのです。秋恵さんの場合、目に見えないだけなのかもしれません。例えば松川さんは、どうやら話すことができないようなのです」
「え?」
喫驚を上げる霧矢。
だが、少年はある事実に思い当たった。
「そ、そうか……松川清は作中に登場するけど、台詞がないんだ……」
「台詞がない? またどうして?」
「たぶんなんですけど……小説中の誤字の多さからして、そうとう手抜きで作られた小説みたいなんですよ。だから、シナリオも練り込まれていないんだと思います」
「なるほど、どういう出版事情があったのかは知りませんが、そのようですね」
サダコは、霧矢の推理に同意した。
いずれにせよ、障害が四肢の欠損に限らないとすれば、秋恵のそれについても、本格的に疑わなければならなかった。だが、これまで見た限り、鎌田秋恵は五体満足だ。霧矢は、首をひねらざるをえなかった。会話をしているあいだ、精神障害や知的障害をうたがわせるそぶりもなかった。
霧矢がそんなことを考えていると、ふとろうかの奥から、足音が聞こえた。
四人は会話をやめた。
「……」
足音は、どんどんこちらへ近付いて来た。
ちょうどサダコたちの部屋のまえで止まり、障子に秋恵のシルエットが映った。
「お話中すみません。主人の松川が、霧矢さんに、ぜひお会いしたいと……」
霧矢は返事を保留し、サダコに視線を向けた。
サダコは、「なぜあなたが呼ばれるのですか?」と問いたげな目をしていた。
霧矢はこの場で事情を説明できなかった。
かといって返事をしないのも妙なので、霧矢は障子ごしに、
「わかりました……トトさんたちもいいですか?」
と返した。
「はい。ほかのかたがたも、ぜひいらしてくださいとのことです」
「では、すぐ行きますから、ちょっと待ってもらえますか」
霧矢はサダコと公子を手招きし、ふたりに耳打ちした。
そして、じぶんが登場人物と誤解されていることを打ち明けた。
少年からの説明を聞いたサダコは、眉間にしわをよせた。
が、この場で議論することもできないと思ったのか、うなずいたっきりだった。
「霧矢さん、どうかなさいましたか?」
これ以上の時間はかせげない。霧矢はそう判断した。
障子を開ける。
四人は秋恵に連れられて、松川のもとへと向かった。
曲がりくねったろうかを進み、静かな中庭に面した部屋へと案内された。
秋恵はひざをつくと、使用人らしく、へりくだった調子で到着を告げた。
「霧矢様がお出でです」
すると、肉声の代わりに、小さな鈴の音が聞こえた。
松川がしゃべれないというのは、ほんとうのようだ。
霧矢は、緊張をおぼえた。
「失礼致します」
秋恵が障子を開けると、薄暗い和室が、彼らの目のまえに広がった。
頭頂部の禿げあがったひとの良さそうな老人が、掛け軸を背に正座していた。
秋恵は深く頭をさげて、霧矢たちに入室をうながした。
「し、失礼します」
霧矢は室内へ足を踏み入れた。
用意されていた座布団のうえに、腰をおろす。
秋恵は霧矢の左右に、三枚の座布団を追加した。トトたちも、めいめいそこへ席を占めた。霧矢の右側にトト、左側に公子、サダコという順番だ。
老人は能面のような顔つきで、正面に座った霧矢をじっとながめていた。
どう話しかければいいのか、わからなかった。少年は口をつぐんだ。
秋恵は、座布団をもう一枚取り出し、松川のすぐそばに正座した。
彼女が通訳人だとわかるまで、霧矢はしばらくの時間を要した。
「ご主人様、ご用件を」
秋恵の問いに、老人は両手を上げ、器用に手話を始めた。
手話の心得がない霧矢には、老人の動きがただのパントマイムに見えてしまった。
一方、秋恵は軽くあいづちを打ちながら、指の動きを正確に読み取っていった。
老人が手を休めたところで、秋恵はすぐに口をひらいた。
「四年ぶりの帰郷、村の者として大変うれしく思います。本日、霧矢様をここへお呼びしたのは、今後のお住まいについて相談するため。霧矢様、現在はどちらへお泊まりですか?」
その答えを、秋恵は知っているはずだった。玄関で話したのだ。
とはいえ、出しゃばる気がないのだろう。そう考えた霧矢は、松川老人の質問に答えた。
「昨晩は、大江駿さんに、一晩泊めていただきました」
その瞬間、部屋の空気が変わったような気がした。
老人の顔に、わずかな影がさした。
霧矢は、その変化の意味を理解できなかった。
老人は、すぐに手話を始めた。
それは先ほどよりも短時間で終わり、秋恵は口語へと変換した。
「今晩からは、ぜひこの屋敷に泊まっていただきたいと、そうおっしゃっています」
「今晩からですか? 大江さんは、今日も泊めてくれるらしいのですが……」
老人は、すこしばかり手を動かした。
「それはお断りしてください、とのことです」
松川の強引な催促に、霧矢は首をひねった。この村の住人は、なぜじぶんにやたらと好意を示すのだろうか。少人数の共同体にありがちな連帯感なのか、それともなにか、べつの理由があるのか。
霧矢はサダコたちに目を向け、おうかがいを立てた。
しかし、老人がそうはさせてくれなかった。素早く手を動かし、秋恵に通訳させた。
「大江さんには、松川様のほうで話をつけるとのことです。ぜひ屋敷へお移りください」
こうなっては、霧矢にことわるすべはなかった。まさか異世界から来たので、すこし相談させてくれとも言えない。それに、大江の家にはミイラがいるのだから、寝心地は松川邸のほうがよいに決まっているのだ。
そう考えた霧矢は、なんとなくうなずき返してしまった。
「わ、わかりました。荷物もないですし、今晩はこちらで……」
霧矢の答えに満足したのか、老人は秋恵に、あごで合図した。
それを見計らい、秋恵は霧矢たちのほうに向きなおった。
「では、お部屋をご用意致します」
秋恵は腰をあげた。トトの横を迂回して、障子を開けた。
どうやら、ろうかへ出ろということらしかった。これではまるで、宿泊場所を変更させるためだけに呼び出したようなものだ。霧矢は、老人の行動を、ますますいぶかしく思った。
しぶしぶ立ち上がると、正座でしびれる足を引きずって、部屋をあとにした。
四人が廊下へ出たところで、秋恵は障子を静かに閉めた。
そして、霧矢にこう語りかけた。
「もうしわけございませんが、ご婦人方との同室は禁じられております。ご容赦ください」
「え、ってことは……」
霧矢は、ほかの三人と顔を見合わせた。
公子は、
「霧矢さんだけが別室ですか」
と、まるでひとごとのように、そうつぶやいた。
霧矢としてもそれで文句はないのだが、ひとりだけ不満げな人物がいた。
トトである。
「えー、わたしはキリヤさんといっしょでも、いいんですけど……」
今度は、霧矢がおどろいた。
「え、なんで? 別々のほうがよくない?」
べつにトトのことがきらいなわけではなかった。
ただ、トトはトトで、なかなかの容姿をしており、女性といっしょに寝る習慣がない霧矢には、すこしばかり刺激が強過ぎるのだった。快眠するなら、一人部屋がいい。それが、少年の素直な感想だった。
それにしても、なぜトトは、同室がいいと言うのだろうか。その理由もわからなかった。
霧矢が疑問に思っていると、公子が口をひらいた。
「トトさんは、わたくしたちと同室するのが、おイヤなのですか?」
トトはぎくりと肩をすくめ、あわててそれを否定した。
「そ、そんなことないです!」
どう見てもウソだった。内心を隠せないトトに、霧矢は少々同情してしまった。トトは、霧矢と同室したいのではなく、公子たちと同室したくないのだ。霧矢はそう解釈した。
とはいえ、疑問の中身が入れ替わっただけだった。トトはなぜ、公子たちと同室したくないのだろうか。そもそも、公子と同室したくないのか、サダコと同室したくないのか、その両方なのか、それすらもはっきりしなかった。
ここで、秋恵が割って入った。
「では、トトさんにも、別室を用意させていただきます。三人一部屋は、手狭だと思いますので」
妙案。手狭というのが口実なのは、霧矢にも察しがついた。本当の目的は、トトを別室にして、この場のいざこざをおさめるためだ。秋恵の機転に、霧矢は感謝した。
公子とサダコもそれで納得したのか、反対する者はいなかった。
「では、霧矢さんからご案内致します。トトさんは、ここでお待ちください」
霧矢は三人に別れを告げ、来た方向とは逆に案内された。
秋恵を先頭に、中庭沿いのろうかを進む。
どこからともなく、川のせせらぎが聞こえてきた。
霧矢は奇妙に思った。すると、ろうかが弧を描き、小川に架かる橋へと変じた。
おどろいたことに、敷地内を水が流れていた。
「こんなところに川があるの?」
そうつぶやいた霧矢に、秋恵はふりかえった。
「え、昔からあるじゃない」
ふたりきりになったせいか、秋恵は急にタメ口になった。
もっとも、そんなことはたいして気にならなかった。霧矢は橋のすみっこから、小川の水に顔を映した。深さと幅からして、人工的に作ったものではなかった。屋敷のなかを川が流れているというよりは、既存の川にろうかを渡したと言うほうが、正しいのだろう。
そんなことを考えていた霧矢に、秋恵は声をかけた。
「先に行くわよ」
秋恵にうながされ、霧矢は橋を渡りきった。
秋恵は数メートル進んだところで、すぐに右折した。
そこから屋内へと続くろうかになっていた。
左右には障子が四枚ずつ並んでいた。二枚一組だと仮定すれば、部屋は全部で四つという計算になる。その奥には、木戸の部屋が、これまた左右にひとつずつ見えた。
計六つの部屋からなる、まさに離れと言った空間だった。
廊下の奥の壁は行きどまりで、小さな窓がひとつだけ穿たれていた。
「霧矢は、そちらの部屋へどうぞ」
そう言って秋恵がゆびさしたのは、左奥の障子の部屋だった。
「こっちの、入口に近い部屋じゃダメなの?」
霧矢は、左手前の障子をゆびさした。
「あ、そこはちょっと……」
なにがちょっとなのか、霧矢にはわからなかった。畳がくさっているのだろうか。霧矢は肩をすくめ、秋恵の指定した部屋の障子を開けた。
なかはこざっぱりとした和室で、左手はふすまになっていた。ようするに、ふすまをへだてて、先ほどの部屋へとつながっているのだ。
奥はガラス戸になっており、そのまま縁がわへ出る構造になっていた。
「こっちの反対側の部屋は?」
霧矢はうしろをふりかえり、ろうかの右側にある部屋を一瞥した。
「あ、こっちは使用人部屋だから、すごく狭いのよ。ちなみに……」
秋恵は、入口に近いほうの、使用人部屋をゆびさした。
「ここが私の部屋。となりはだれもいないわ。それと、トイレはそこね」
秋恵がトイレと呼んだのは、ろうかの右奥の木戸だった。
なるほど、言われてみれば、トイレのような雰囲気がした。
だがそうなると、左側の木戸はなんだろうか。霧矢は、あえて質問してみることにした。
「そっちのとびらは?」
霧矢の問いに、秋恵はおどろいたような顔をした。
「もう忘れたの? ……開かずの間よ」
「開かずの間?」
霧矢はぎょっとして、木戸を見やった。そんなもののとなりに寝かせるのか。非常識にもほどがあると、霧矢は思った。
ところが、秋恵は手を上下にふって、笑った。
「またまた本気にしちゃって。ただの倉庫よ。昔、かくれんぼとかしてたじゃない」
知りようもない設定に、霧矢は憮然とした。
なんだか気分が悪い。この村の異様な空気のせいだろうか。かるい頭痛もした。
霧矢は自室の障子に手をかけつつ、秋恵に話しかけた。
「ぼくはちょっと休むよ。トトさんをお願い」
「わかってるわよ。ゆっくりしていきなさい。それじゃ、またあとで」
秋恵はそう言い残し、ろうかをもどって行った。
霧矢は障子を閉めると、壁によりかかるようにあぐらをかいた。
たった一日しか経っていないのに、ずいぶんと色々あった。
霧矢はこれまでの情報を分析しようと。目を閉じた。
そしてそのまま、眠りについてしまった。
※濡れ縁:屋外へ剥き出しになった、雨風を凌ぐもののない縁側。