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第2話 奇妙な再会

 夜のとばりが下りた。虫の音が、障子の向こうがわから聞こえてくる。

 何時だろう。時計のない部屋では、知りようもなかった。

 霧矢は布団の中でまんじりともせず、天井の木目をながめていた。

「キリヤさん……起きてますか……?」

 隣の布団から、トトの声が聞こえてきた。

 これが初めてではない。心細いのか、およそ一〇分おきに、同じ質問をしてくるのだ。

 ふつうなら注意するところだが、今の状況では付き合わざるをえなかった。

 その理由はもちろん、となりの部屋のアレだった。

「あのミイラ、まだあそこにあるんですかね……?」

 わかりきった質問だ。ミイラが勝手に移動するわけがないのだから。

 霧矢はそう考えつつも、すこしばかりぼやかして答えた。

「もしかすると、そうなんじゃないかな……」

「うぅ、怖いですぅ……」

 トトはうめくと、布団のなかに頭までもぐりこんでしまった。

 春香の即身仏を紹介されたあと、ふたりは大江駿の勧めにより、この家で一夜を明かすことになった。野宿するかミイラと寝るかという、二者択一をせまられたのだ。前者よりは後者のほうがマシという結論に達するまで、霧矢たちは一時間近い検討を要した。もっともその九割は、トトがイヤだイヤだと駄々をこねていたからなのだが。

 霧矢はまくらをなおして、トトに話しかけた。

「ミイラが襲って来るわけでもないし、だいじょうぶなんじゃない?」

「そういう問題じゃないですよぉ」

 なけなしのなぐさめも、あまり効果はなかったようだ。

 言っている霧矢本人が怖がっているのだから、当然と言えば当然である。彼自身、ミイラをとなりにして寝るなど、とてもではないが気分のよい状況ではなかった。

 しかし、それ以上に霧矢の睡眠をさまたげているのは、彼の思考だった。

 大江春香は、だれかに殺されたのだろうか?

 この問いに答えようと、霧矢の頭はフル回転を続けていた。

 他殺か、自殺か。即身仏になることが自殺だとすれば、の話だが。

「ねえ、トトさん」

 自室で寝ている駿に聞こえないよう、霧矢は声を落とした。

「……なんですか?」

「以前どこかで訊いたおぼえがあるんだけど……警史庁が動くのは、物語のなかで異常が起きたときだけなんだよね?」

 返事がない。

 布団ごしで聞こえなかったのだろうか。

 もうすこし声を大きくしようとしたところで、トトは返事をした。

「そうです……それがどうかしましたか?」

「その『異常』って言うのは、殺人事件とは限らないんだよね?」

 霧矢は、捜査の出発点を確認したかった。

 ここが食い違っていては、どうしようもない。

 室内に静寂がもどった。霧矢は黙って答えを待った。

「……限らないですね。例えば前回の事件だと、警史庁が動いたのは、殺人事件があったからじゃなくて、ヒロインたちが勝手に宇宙へ旅立っちゃったからです」

 そうだ。霧矢は、キーテジ号での事件を思い出した。地球をはなれた段階では、検史官とアドバイザーが行方不明になったこと以外、なにもわかっていなかった。

「ということはだよ……今回も、殺人かどうかはわからないわけだよね?」

「……そうかもしれません」

 あいまいな返事。霧矢はもはや突っ込まず、天井をじっと見上げた。

 トトの説明が正しいなら、これはなにかの事故かもしれない。駿の話によると、大江春香が即身仏になったのは、村の巫女である犬神(いぬがみ)タエの神託が原因だった。この村では長らく飢饉が続いており、その代償として春香が生け贄に選ばれたのだ。

 メチャクチャな話だった。けれども、物語の混乱がどこに由来するのか、霧矢にはおおかたの察しがついていた。だてに二回も異世界探偵をやってはいないのだ。

 矛盾調和症候群。物語に矛盾が存在する場合、世界はそれを調和させようとする。その調和のさせかたは、時としてムリヤリなこともあった。霧矢が最初に解決した人魚の都殺人事件は、その一例だ。そう考えると、いくつか説明のつくことがあった。

 第一に、大江駿の右腕がないこと。あれはまちがいなく「生涯」と「障害」の誤変換が原因だ。作者が校正をきちんとしなかったため、あの青年があおりを食らっているのだ。

 第二に、大江春香が死体で発見されたのは、作中で彼女の存在が言及されているにもかかわらず、登場シーンがどこにも無かったからだろう。霧矢はそう推理した。

(ん……待てよ)

 霧矢は、裸眼でぼやける視界のなか、あの電子書籍の一文を思い出した。

 

 【この村の人々は皆、奇怪な障害を送っていた。】

 

 何気なく見落としていた全称形容詞の存在に、少年は身震いした。

 もし調和が駿だけでなく、村人全員におよんでいるとしたら──

 その可能性を、霧矢は必死にふりはらおうとした。

 気をまぎらわせるため、トトに話しかけた。

「ねえ、大江さんはぼくを村人と勘違いしてるみたいだけど、なんでなんだろう?」

 このことも、霧矢に不眠を強いていた。

 これまでの事件では、潜入後に登場人物とまちがわれたことはなかった。

 唐突にあらわれた部外者、というのが、異世界探偵のポジションだったからだ。

「……わかりません」

「そういう事例っていうのは、ないの?」

 トトは布団のなかで二転三転したあと、ふいに、

「アカデミーの教科書に、そういうケースが載っていた気がします」

 と答えた。

「原因は?」

「えーとですね……記述がとてもあいまいなキャラがいて、そのキャラの登場シーンにアドバイザーが居合わせると、乗っ取りが起こっちゃうらしいです」

 霧矢は、小説のなかでじぶんが読んだシーンを思い返した。

「……わかった、主人公だ」

 トトは、「え?」と吃驚した。

「主人公は、あいまいじゃないですよね?」

「正確にはゲームの主人公。この小説はサウンドノベルゲームが元ネタだけど、ゲームのほうの主人公は、小説に一回……いや、二回しか出て来ないんだ。あの山のなかで、大江駿と出会うシーンが一回、ラストで列車に乗るシーンが一回。そこだけ原作とリンクしてる。そのとき、名前も容姿の描写もなかった。っていうか、原作のほうでも、主人公はただのシルエット表示なんだよ。デフォルトネームすらないから、実質的にはプレイヤーの分身みたいな感じ。設定自体はいろいろあるんだけど、活かされてない感じかな。例えば原作は、都会の医学部に通ってることになってて、そこへ死体洗いのバイトの少女があらわれる、っていうストーリー。ノベライズ版では、この少女はまったく出てこない」

 まったく個性のない主人公を、霧矢が乗っ取った。

 これで、謎のひとつは解決した。彼は今、原作ゲームの主人公なのだ。

「ここって、日本のどこなんですかぁ?」

「……架空の村じゃない?」

「モデルとかありますよねぇ?」

 霧矢は、ないと思う、と答えた。

「これは因習村いんしゅうむらなんだよ」

「いんしゅーむら?」

「古いしきたりが残っている、人間関係のドロドロした田舎のことだよ」

 トトは、まくらのうえで首をうごかした。

 そして不安げに、

「そういうのが日本にいっぱいあるんですか?」

 とたずねた。

「因習村っていうのは、昭和のころにできた、田舎に対する偏見だよ。まあ、偏見っていうか、わざとそういうイメージを作り上げた、って言うほうが正しいかな」

 トトは、よくわからない、と白状した。

「『Xファイル』って観たことある?」

「ないです」

「アメリカの古い超常現象ドラマ。宇宙人とか、そういうのが出てくるやつね。このドラマでは、田舎と都会が交互に舞台になるんだ。なんでだと思う?」

 トトは天井をみあげて、考えにふけった。

 が、薄暗い空間が怖くなってきたので、横を向きなおした。

「……じぶんが住んでるところが映ると、うれしいからですかね」

「うん、そういう解釈も可能。だけどたぶん、逆なんだよ」

「逆?」

「都会のひとは田舎を、田舎のひとは都会を軽蔑したいから、そのニーズを満たしてるんだ。古い因習に染まった田舎でおこる、陰惨な事件。欲望にまみれた都会でおこる、陰謀論的な事件。日本の因習村も、おそらくは都会のひとが田舎をイメージとして消費するために作ったんだ。で、僕たちは今、その消費につきあわされてるってわけ。しかも、犬神いぬがみタエっていうキャラは、このバグと関係なく、原作でも知的障がい者なんだ。意味もなく。陰湿だよ、陰湿。作者の人格をうたがうね」

 会話がまた途切れてしまい、静寂がもどってきた。

 霧矢は、それに耐えかねた。

「トトさん、サダコさんっていうひとは、どこに……」

 そう言いながら顔を横にむけた瞬間、霧矢は口をつぐんだ。

 規則的に上下する布団。静かな寝息。

 トトは、いつの間にか寝入ってしまっていた。

「なんだい、眠れないのは、ぼくだけか……」

 霧矢はそう言うと、両手を頭と枕のあいだに入れた。ふすまを凝視する。あの奥に、大江春香のミイラが安置してあった。テレビで見たことがあるとは言え、小説中のヒロインが即身仏になるなど、予想だにしないシチェーションだった。

 今回も面倒なことになりそうだ。

 そう思いながら、霧矢はいつしか眠りについていた。

  

  ○

   。

    .


 翌朝、霧矢は駿に起こされ、寝ぼけまなこで新しい一日をむかえた。

 仏間から少し離れたところにある広間で、三人きりの朝食。日本食でよいかどうか尋ねられたトトは、笑顔で「大好きです!」と答えた。ミイラのことは頭にない様子であった。

 いつもながらな切り替えの早さに、霧矢も気分が楽になった。こういうときは、トトのような能天気な人物がいてくれた方がいい。少年はそんなことを思いながら、米とみそ汁、それにいくつかの漬け物だけの食事を終えた。

「ごちそうさまです」

 トト手を合わせて、ていねいにお辞儀をした。

 霧矢もそれをマネてから、食膳を洗い場に持参した。

 そして、じぶんでじぶんの食器を洗おうとしたところ、駿はそれをこばんだ。

「え、手伝いますけど……」

「いいんだよ。きみたちは客人だからね」

 客人。そのとおりだ。駿が考えているのとは、ちがう意味でだが。

 慣れているのか、右腕がない駿は器用に食器を洗い、次々とそれを片付けていった。

 もうしわけなく思いながらも、霧矢は駿の背中にさりげなく声をかけた。

「すみません、ちょっとよろしいですか?」

 駿は洗い物の手をとめて、霧矢の方へと首を曲げた。

「……どうしたんだい? ずいぶんと他人行儀なんだね」

「あ、その……質問があるんですが……」

「質問? ……春香のことかい?」

「いえ、ちがいます」

 話題が春香のことにおよばなかったせいか、駿は悲しげな顔をした。

 しかし霧矢には、ミイラへ話をもどすつもりなどなかった。そばにいるトトも、思い出したくないと言う顔をしていた。

 霧矢は、えりをただして、なるべく遠回しな言いかたで質問をした。

「最近この村に、若い女のひとが来ませんでしたか? ふたりほど」

 駿は返事をせず、最後の食器を洗いつづけた。

 なにかマズいことを訊いてしまったのだろうか。不安になる霧矢をよそに、駿は背中を向けたまま、片手で茶碗を水から流した。

 そしてそれを逆さまに置き、ようやく言葉を返した。

「ああ、来てるよ……知らない女の人が、ふたりね」

 霧矢とトトは、おたがいに顔を見合わせた。

 サダコとそのアドバイザーだ。そう確信した霧矢は、さらに質問をかさねた。

「そのふたりは今、どこに?」

「……知り合いなのかい?」

 駿は、質問を質問で返してきた。

 霧矢はどう答えたものか、迷った。

 やや逡巡したあと、

「ええ、トトさんの友達です」

 と答えた。

 駿は相変わらずふたりに背を向け、その表情を見せてはくれなかった。

 さすがに怪しまれたのだろうか。

 霧矢が次の言いわけを考えていると、駿は口をひらいた。

「彼女たちなら、松川まつかわさんのところにいるよ。客人として」

 客人。霧矢はそれが、余所者という意味で使われていることに気づいた。

 証拠があるわけではない。口調から、なんとなくそう感じたのである。昨日、彼が客人と呼ばれたのも、おなじような意味だったのかもしれない。霧矢がなりすましている主人公は、設定上、この村の出身だった。しかし、この村をはなれて、東京で生活している。数年の不在が、主人公を、この共同体と無縁な存在に仕立て上げていた。

 霧矢は駿と距離をたもちながら、質問を続けた。

「松川さんの家は、どこでしたっけ?」

 狭い村だ。探せば見つかるのかもしれない。

 しかし、それはそれで人目についてしまう。そう考えた霧矢は、駿から怪しまれることをもはや気にせず、得られるだけ情報を得ておこうと考えた。捜査の方法としてはまちがっているのかもしれないが、今はサダコたちと合流するのが先決だった。仲間がトトだけというのは、あまりにも不安過ぎた。

 答えてもらえるだろうか。そんな不安とはうらはらに、駿はすぐさま答えを返した。

「それなら、僕が案内するよ」

「い、いえ、だいたいのことを教えてもらえれば、あとはじぶんで……」

「僕も村へ行くからね。そのついでさ。玄関で待っていてくれ」

 駿はそう言うと、台所を出て、じぶんの部屋へともどって行った。

 霧矢たちはどうしていいのかわからず、てきとうに玄関へ向かった。荷物もなく、手持ち無沙汰で、前庭に立ち尽くした。今日もいい天気になりそうな、そんな朝だった。

 しばらくして、風呂敷を持った駿が、玄関から出て来た。

「それじゃ、行こうか」

 駿が歩き始めたところで、トトが声をかけた。

「鍵をかけ忘れてますよ」

 トトの注意に、駿はふりむきもせず答えた。

「ここじゃ泥棒なんて出ないさ。みんな顔見知りだからね」

 駿はそう言って門をくぐり、畦道あぜみちを踏みしめた。

 霧矢たちも、すぐにその後を追った。

 トトは感心したように、

「ずいぶんと平和な村なんですねぇ」

 とそう言った。しかし、少女を生け贄に捧げるような村が、平和だと言えるのだろうか。霧矢は同意できなかった。

 駿はそんな霧矢の疑問を無視して、どんどん畦道を歩いて行った。途中、森へと続く小道を通り過ぎ、曲がりくねった下り坂をたどった。

 昨日は小さく見えていた家々が近づき、霧矢たちは、村の中心部へと案内された。中心部と言っても、特になにかがあるわけでもなかった。この村で一番大きな屋敷が、四方を田んぼに囲まれて、静かにたたずんでいるだけだった。

 門を見ると、松川の二文字。いつの間にか、霧矢は目的地に着いていた。

「僕は寄って行くところがあるから、ここで分かれよう。もし先に用事が済んだら、遠慮なく僕の家へ帰ってくれ。住居が見つかるまでは、うちにいていいからね」

「あ、ありがとうございます」

 霧矢は礼を述べた。なぜ駿がここまで優しくしてくれるのか、彼には見当がつかなかった。小説を読んだ限りでは、そのような印象を受けなかったのだが。

 霧矢は、過度の親切に疑問をいだいてしまった。

 しかし、そんな霧矢を置き去りにし、駿は去ってしまった。

 あとには、検史官とそのアドバイザーだけが残された。

 トトは、

「どうしましょうか?」

 と、いきなりアドバイスを求めてきた。

 ここまで来たら、やることはひとつしかなかった。

「とりあえず、サダコさんたちに会わないと……」

 門の柱を調べてみたものの、インターホンらしきものは見当たらなかった。

 勝手に入れというのだろうか。霧矢はしばらく、昭和の映画などを思い出し、門の前で大声を上げた。

「すみませーん、霧矢ですけれどもー、誰かいらっしゃいますかー!?」

 返事はなかった。けれども、失望はしていなかった。

 これだけ大きな屋敷なら、すぐに対応ができるはずもないのだ。

 霧矢は、門の前で出迎えを待つことにした。

 すると、トトは口もとに手をあてて、

「あッ」

 と吃驚した。

 霧矢は、トトの視線を追った。門の奥、やや左手のほうに、小柄な男がいた。男だというのは、その容姿からなんとなく察しただけだ。顔はわからなかった。というのも、真っ白な仮面が──霧矢はしばらく魅入ったあと、それがゴムのようなものであることに気づいた──顔一面をおおっていたからだ。ふたつの穴から、生気のあるひとみがのぞいていた。やや白髪のまじった髪をざんばらに切って、中庭をホウキではいていた。背は曲がっており、紺色の使いこんだ和服を羽織っていた。

 さきほどからいたのだろうか。いたかもしれない。

 霧矢は、もういちど声をかけた。しかし、返事はなかった。

 無視されているのかと思ったが、どうにもそれ以上のものを感じた。

 みたび声をかけるかどうか迷っているところへ、若い女の声が聞こえた。

「はーい、少々お待ちくださーい」

 新たな登場人物の出現に、霧矢は心の準備をした。

 玄関がひらき、メガネをかけた、お下げの少女が飛び出して来た。

「お待たせ……ととッ!?」

 少女は庭先の石につまずき、霧矢が助ける間もなく、地面に転倒した。

 霧矢とトトは少女に駆け寄り、立ち上がるのを手伝った。そのとき霧矢はふと、少女の容姿に違和感をおぼえた。玄関を出た瞬間と、転倒後のイメージが一致しなかったのだ。しかし、その差異がなんであるかまでは、わからなかった。

 霧矢は痛がる少女をだきかかえて、ケガの有無を確認した。

「あいたたた……」

「だいじょうぶですか?」

 心配する霧矢の顔を見た少女は、突然、顔色を変えた。

「霧矢じゃない!」

 少女の笑顔が、霧矢を動揺させた。

 彼は、少女の名前を知らないのだ。

 年齢からして、ヒロインのだれかにちがいなかった。

 けれどもその動揺は、霧矢の持ち前の機転で、すぐに解消された。

「……秋恵(あきえ)さん?」

 鎌田(かまた)秋恵(あきえ)。ヒロインのひとりで、松川家の奉公人であった。

 メガネをかけているヒロインは彼女しかいないというのが、霧矢の推理だった。

 霧矢の予想通り、少女はその顔を輝かせた。

「よかった。おぼえててくれたんだ」

「ま、まあね……」

「うれしい……四年ぶりかな?」

 主人公が何年この町を離れていたのか、霧矢は正確なところを知らなかった。

 小説のなかには単に、数年とだけあったような気がする。

「いつ帰って来たの?」

「き、昨日だよ……森で駿さんに会って、一晩泊めてもらったんだ……」

「そうなんだ……あら、うしろの女のひとは?」

 秋恵の関心は、霧矢の背後に立つトトへと移った。彼女の容姿を見れば、無理からぬことである。この場にふさわしいかっこうとも言えなかった。全身黒づくめで、ところどころに金の刺繍がしてあるだけなのだから。

 霧矢はトトを紹介した。秋恵は、彼女にも笑顔を向けた。

「私は鎌田秋恵って言います。トトさんって、めずらしい名前ですね。外国のおかた?」

「はい、正確に言うとエル……」

「あー、自己紹介のところ悪いんだけど、こっちに女のひとが来てない?」

 霧矢はトトの失言をキャンセルして、肝心な用件を切り出した。

 不意を突かれた秋恵は、一瞬おどろいた顔を見せたものの、すぐに答えを返した。

「ええ、来てるわよ。公子さんとサダコさんってかたが」

 ビンゴだ。霧矢は、さらに言葉をつづけた。

「そのひとたちに、伝えてもらえないかな。トトさんが来たって」

 秋恵はもう一度、トトの顔を見た。なぜそこまで凝視するのか、霧矢はしばし疑問に思った。

 けれども、よくよく考えてみれば、キミコはおそらく日本人なのだ。サダコがどのような種族のエルフなのか、霧矢は知らなかったけれども、名前から察するに、もしかすると東アジア系の外見をしているのかもしれない。コーカソイドに見えるトトだけが、このノスタルジックな日本風景に合っていなかった。秋恵もそのことをいぶかったのだろう。しばらく沈黙が続いた。

「……ダメかな?」

 霧矢は念を押した。秋恵は我にかえった。

「だ、だいじょうぶだと思う。ちょっと待ってて」

 そう言って秋恵は、屋敷のなかへと消えかけた。

 が、さきほどの清掃人のほうへ、先に駆け寄った。

権蔵ごんぞうさん、あっちのほうをお願い」

 秋恵はそう言いながら、両手を複雑にうごかした。手話だった。

 霧矢はようやく、じぶんたちがなぜ無視されたのかに気づいた。

 ゴンゾウと呼ばれた男は、うなずくと、その場を去った。

 秋恵はもういちど、待っててね、と言ってから、玄関へ消えた。

 取り残された霧矢は、秋風に身をまかせ、左に広がる庭を観賞した。

 トトも興味深そうに、和風庭園をしげしげとながめた。

 松葉がゆれ、パチパチと音を立てていた。

「すごいおうちですね。時代劇みたいです」

「……時代劇なんて観てるの?」

 霧矢は意外に思った。

 トトは、ええ、ええ、としきりにうなずいて、

「時代劇は面白いんですよ。ラストが決まってるから、安心して観れますしね」

 と返した。

「まあ、基本は勧善懲悪だからね。水戸黄門も、パターンは全部同じだし……」

「そうです。そういうお約束の重要性をですね……」

 よくわからないドラマ論が始まりかけたとき、秋恵がもどって来た。

 急いでくれたのか、すこしばかり息を切らしていた。

 霧矢は、彼女の印象が再度変わったことに気がついた。なにかがおかしい。だがその原因を探る間もなく、秋恵は口をひらいた。

「ふたりともお会いするそうです。どうぞお屋敷のなかへ」

 秋恵は霧矢たちを屋敷に入れ、迷路のような廊下を連れ立って進んだ。

 トトは、駿の家のときと同じように、やたらとキョロキョロしていた。

 もしかすると、迷子になるのを怖がっているのかもしれない。

 霧矢も、この複雑な家の構造を、一発で覚える自信は無かった。

 行き当たりのろうかを右に曲がったところで、大きな客間にとおされた。

 秋恵は障子の横へ、ひざをついてひかえ、両手で開けた。

「失礼いたします。霧矢さんたちをおつれしました」

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