第15話 さようなら、私の物語よ!
秋風の吹く、晴れやかな日の午後だった。公子は庭先にある白いテーブルで、静かに紅茶を飲んでいた。そしてそのとなりで、サダコは緑茶をすすっていた。美しい季節の気配が、庭のすみずみに行き渡っていた。メープルの葉が色づき、常緑の芝生のうえに、赤や黄色の絨毯をしいていた。
平日ということもあってか、東京郊外の有名な喫茶店も、閑散としていた。洋風の建物から、店員がテラス席を一度確認しに来たっきりで、柵のむこうを通る通行人も、まばらだった。
しばらくはふたりとも押し黙り、まるでもう話すことがなにもないかのような面持ちで、秋空を見つめていた。サダコはカップをテーブルにもどし、うんと背伸びをした。
「ひさびさに休暇が取れました。ここのところ、難事件続きでしたからね」
サダコは眼鏡をなおし、ぼんやりと庭先をながめた。
どっと疲れが出たのか、彼女は大きくタメ息をついた。
公子はカップを持ったまま、
「サダコさんは、また眼鏡へおもどしに?」
とたずねた。
サダコはきょとんとふりかえった。
「ええ、眼鏡がないと、なにも見えないですからね」
公子はくすりと笑い、なんでもないかのように首をふった。
「それにしても、まさかアドバイザーにやどった別人格が犯人でしたなんて」
公子は、事件のことをふりかえった。
サダコは眼鏡をなおし、ぽりぽりと頬をかいた。
「意外と言えば意外でしたが……よくよく考えてみれば、ヒントはあったんですよ」
「ええ、後出しではありますが、わたくしも心当たりがあります」
「例えば、玄関先で、犬神タエさんに会ったときですね。私はあの場にいなかったのですが、公子さんの話を聞く限り、霧矢さんと初対面という感じではなかったとか……それに、秋恵さんのアリバイを成立させていたのは、霧矢さんの証言だけだったんですから」
公子はうなずきかえした。けれども、彼女にはまだわからないこともあった。
じぶんたちを散々悩ませた密室。あの密室について、まだ彼女は、十分に話す機会を得ていなかった。犯人が自殺したあと、サダコはすぐに本庁と連絡を取り、推理の部分がうやむやになってしまったのだ。
いい機会だ。
そう考えた公子は、おしとやかに居住まいをただして、こう問うた。
「あの密室は、どうやって作られたのでしょうか?」
サダコの顔からも、くつろぎの色が消えた。
いつもの事務的な雰囲気にもどり、例の手帳を取り出した。
「そこなんですがね……あのあと、私もずいぶんと考えてみたんです。犯人が死んでしまいましたから、もはや裏づけをとることはできないのですが……おそらく……」
おそらく正しいと思う。サダコがそう言いかけたのは、公子にもわかった。
ふたりで検証してみようと、公子は先をうながした。
「主犯が主人公、補助者が秋恵さんということで、よろしいのでしょうか?」
「そうだと思います。霧矢さんの人格と入れ替わった犯人は、鎌田秋恵を犯行の補助者に選んだのでしょう。彼女が一番野心家でしたからね。大江春香殺しの前科もあるわけですし、結婚をエサにすれば、簡単に釣れたかと」
「事件における秋恵さんの役割は、どのていどのものだったのでしょうか?」
それが難しい質問であることを、公子は知っていた。
サダコも、慎重に答えをかえした。
「確定的なことは言えません。彼女も殺されましたから。ひとつ言えるのは、主犯は確実に主人公だったということです。いくら片腕がないとはいえ、大江駿を秋恵さんが殺害したとは思えません。むしろ、主人公が彼を殺害し、秋恵さんはアリバイ工作を担当しただけではないでしょうか」
サダコは、ページを一枚めくった。
ゆびさきでその紙片をなぞって、先をつづけた。
「ひとつひとつ、確認してみましょう。あの日の夕方、食事を終えた大江駿は、その足で離れにもどりました。つまり七時過ぎには、離れの自室にいたのです」
「最初からわたくしたちは、ニセの証言をつかまされていたのですね」
サダコはうなずくと、くやしそうにくちびるをむすんだ。
「ええ……大江駿が離れに来たのは『八半過ぎだった』と、霧矢さんは証言しました。アドバイザーの発言だったので、私も深く考えなかったのです。しかし、大江駿を七時以降に屋敷で目撃した人は、実際にはいないのです。もっと早く調査していれば……」
サダコはペン先を、かるく噛んだ。
公子は質問をつないだ。
「離れにもどったあと、大江駿はすぐに殺害されたのでしょうか?」
「ここからは憶測になってしまいますが、首を切りはなした場合、大量の出血が予想されます。それをなんとかして防がないといけません。そこで犯人は、ふとんに目をつけました。ふとんをガーゼ代わりにして、大量の血を吸収させたのです」
「すると、『部屋に入ったら布団が敷いてなかった』というのは……」
「主人公のウソです。あれは、ふとんを二人分用意するための口実ですね。それプラス、トトさんを部屋へもどらせないようにする目的もありました。巨大なガーゼを用意した主人公は、大江駿を端末の催眠弾で眠らせ、切断の準備をしました。これが七時半から八時までのあいだです」
八時──ここからの犯人の行動は、公子にもおぼろげながらにみえてきた。
「風呂場のあの人影は、秋恵さんだったのですか?」
「まちがいないと思います。秋恵さんは主人公にたのまれて、HISTORICAの通知を消しに来たのです。通知が残れば、大江さんがいつ殺されたのか、簡単にバレてしまいますからね。彼女は風呂場へタオルを持ちこむフリをし、私たちの衣服から端末を抜きとって、通知を停止しました。そして秋恵さんは、トトさんの端末から霧矢さんの端末へ連絡を送って、準備完了を伝えたのです。もちろん、トトさんの端末も通知をオフにしてあります」
トトはいつも、制服の上着にHISTORICAをしまっていた。公子は、そのことを思い出した。
サダコが盗難の危険性を指摘したのは、残念なことに犯行のあとであった。
サダコはさらに、推理をすすめた。
「準備完了の連絡をうけた主人公は、大江駿を殺害しました。首を切りとったあと、こんどは秋恵さんに連絡を返します。秋恵さんは、私たちの端末をもとにもどしてから、離れへと移動したのです」
「それが八時から八時半のあいだですか?」
「おそらく。トトさんがもどってきた八時半よりもまえに、犯行は終わっていたはずです。合流した主人公と秋恵さんは、大江駿の胴体をふとんでくるみ、ふたりがかりで小川の小舟に乗せました。それから、室内に血痕がないかどうか、チェックしつつ、定刻通り見回りに来た権蔵も、催眠弾で眠らせ、開かずの間に押し込みました。権蔵が時間に厳格だったことには、やはり意味があったのですよ。公子さんたちが開かずの間で嗅いだ匂いは、肉体労働をしてかいた権蔵の汗の匂いです」
「最後に秋恵さんは、トトさんに声をかけて、お風呂へ入ってもらった、と?」
サダコはうなずきかえし、さらにページをめくった。
「秋恵さんはトトさんに、ゆかたへ着替えるよう言いました。トトさんは言われたとおり、うわぎを部屋に残してしまいます。そこで秋恵さんは、あらかじめ盗んでおいた端末をポケットにもどし、じぶんは部屋でかつらの準備を終えます。主人公は、血が垂れないように気をつけながら、トイレに首をセット。これで、密室トリックは完成しました」
「しかし、これには一時間もかからないと思いますが?」
公子の疑問に、サダコは意味深な笑みを浮かべた。
「トトさんの長湯は、主人公にとっても誤算だったのです。いくら霧矢さんの記憶を共有しているとはいえ、お風呂に入ったシーンは見ていないはずですからね。幸か不幸か、この長湯は、事件には影響をおよぼしませんでした。というのも、これについては、犯人の準備が念入りだったのです」
「準備? なんですかそれは?」
「首と胴を切りはなしたことです」
サダコの回答に、公子は首をかしげた。
なぜそれが入浴時間と関係するのか、すぐには察しがつかなかったのである。公子は無意識のうちに、紅茶のカップへ指を伸ばしていた。話に夢中になっていたせいで、カップは冷たくなっていた。
そしてそのゆびさきの感触が、切断の理由を告げ知らせた。
「わかりました……死体の体温です」
「そのとおりです。この時間差トリックには、ひとつだけ難点がありました。死体の特徴から、死亡推定時刻を割り出せてしまうことです。体温、死後硬直など、死亡時刻を示すものは、いくらでもあります。検死の結果と通知の記録が大幅にズレると、このトリックは気づかれるおそれがありました。犯人は霧矢さんの記憶をたどり、私たちがただの素人でないことも知っていました。そこで考え出したのが、目撃者をおどろかせる、という手法だったのです」
サダコの説明は、こうであった。首が切りはなされていなければ、トトは死体に触れたはずである。生死を確認しなければならないからだ。そのときに死体が冷たくなっていれば、トイレの人影との因果関係が消滅してしまう。そこで犯人は、生首というおばけじみた演出をおこない、死体のチェックをしないように仕向けた。トトはもともと死体が嫌いなこともあって、この効果はてきめんだった。さらに、血液の大部分が失われるので、生首の状態に多少不自然な点があっても、ごまかすことができた。
公子はこの話を聞くと、にわかに、
「すると、胴体を小舟で流すという、一見不十分な隠しかたも……」
と言いよどんだ。
「そうです。犯人にとっては、あとで胴体が見つかろうが、どうでもよかったのです。半日後の死体では、死亡推定時刻を正確に割り出すなど、不可能ですから。九時四七分に殺されていないことの証明なんて、できっこありません。犯人たちにとって必要だったのは、死体の発見直後に死亡推定時刻を検証されないこと、これだけでした」
犯人の用意周到な犯行計画に、公子はおどろきを隠せなかった。
胴体を小舟で流すという行為が雑に見えるからこそ、真意がうまく隠れてしまっていた。
公子は、紅茶の琥珀色に視線をとどめた。
サダコは次のセリフで、密室トリックの解説をしめくくった。
「あとは単純です。トトさんが帰ってきたところで、主人公は彼女の部屋をおとずれます。すこし間を置いてから、秋恵さんが自室を抜け、障子のまえを通過し、開かずの間へ身を隠します。霧矢さんがトトさんをさそってトイレのようすを見に行き、頃合いを見計らって、秋恵さんは眠っている権蔵を殺害。おそらくは絞殺です。HISTORICAが鳴ったら、トイレのドアを開け、トトさんは私たちを呼びに母屋へ。そのあいだに、秋恵さんは開かずの間から出て自室にもどり、カツラの付け替え。霧矢さんは権蔵の死体を小舟に乗せ、流します。現場には共犯者の主人公しかいないのですから、いくら見られてもかまわないわけですね。小舟を使って死体を流したのは、手っ取り早さもあったのでしょうが、一番の理由は、死体をふたつも運べなかったからです」
ふたりは、おたがいを見つめ合った。
最大の難問が解消した安堵と、言い切れないじぶんたちのミスが、公子にかなしげな気持ちをうえつけた。
「霜野冬美については?」
「あれは簡単です。主人公は言っていたでしょう。食事をしに広間へ最後に来たのは、松川清とじぶんだった、って。なんのことはありません。ようするに彼が突き落として、何喰わぬ顔で食事に向かったのです。単に鈍器で殴ったのか、それとも念入りに端末の催眠弾を使ったのか、それはわかりませんけれども」
「繁山夏子もですか? わたくし、あれについてはいまだに犯行の背景が……」
サダコは、ペン先を公子にむけた。
一見失礼に見えるその行為にも、公子は慣れっこであった。
「私も、これについては相当悩みました。密室トリックであれだけ綿密な計画を練った犯人が、なぜ確信のない毒殺という杜撰な方法を選んだのか……しかし、その動機を、私たちは目の前で見ているのですよ」
公子は、その形の良い眉毛を持ち上げた。
「目の前で、ですか?」
「はい。夏子さんは、殺される前に、私たちの部屋へ来たではないですか」
該当するシーンがフラッシュバックし、公子はハッとなった。
「私たちに正体がバレかけたから、と?」
「そうです。夏子さんはおしゃべり過ぎました。あのままでは、主人公と春香さんとの恋愛関係にも言及しかねない勢いです。夏子さんを殺害する方法は、もっとほかに考えてあったのでしょう。しかし、それまで待てなくなりました。すぐに口を封じなければならない。そこでしかたなく、あの効き目のわからない毒薬を使うことにしたのです」
「でしたら、主人公が部屋を抜け出したのは……」
「夏子さんの部屋の薬を入れ替えるためです。主人公は夏子さんの部屋へ行き、彼女の常備薬をさがし、中身を硝酸ストリキニーネに詰め替えました。それから秋恵さんと合流し、お茶のパフォーマンスを頼んだのです」
公子は、もういちどあのときの情景を思い浮かべた。
そして、ある疑問にぶつかった。
「夏子さんの部屋にあった湯のみは? あれも主人公が?」
「あの湯のみは、夏子さんを発見したあと、主人公が置いたものです。彼が台所で松川清からお茶をもらったのは、本当なのでしょう。松川清も湯のみでお茶を飲んでいたわけですから、それには当然指紋がついています。主人公はハンカチかなにかを使い、それをふところに回収しました。トトさんには私たちを呼ぶよう指示し、厄介ばらいをしました。湯のみを床に置き、さらにビニール袋かなにかに移しておいた緑茶をこぼします。主人公は、松川清からもらったお茶を半分飲んだと言っていましたが、あれはウソです。飲んだのではなく、床にこぼすために使ったのだと思います」
「少々お待ちください。あのときわたくしたちは、ふたてに分かれました。しかし、あれは主人公の指示ではなく、サダコさんの指示だったような……?」
サダコは頭をかき、もうしわけなさそうに答えを返した。
「あれはしてやられました……あのとき一番最初に部屋を出た人物を、おぼえてますか?」
「一番最初ですか……たしか……」
公子は、くちびるの動きをとめた。
サダコは、うなずき返した。
「そうなんですよ……霧矢さんなんです。あれはほかでもない、夏子さんの部屋へ続くろうかを確保するためでした。あとから出た私たちは、松の間の方向へ出ざるをえません。その状況でふたてに分かれるのですから、どうなるかは予想がつきます。この点ではうまくやられてしまいましたが、結果的には、これが裏目に出たわけですね。繁山夏子を毒殺できなかった世界線のほうが、延命できた可能性がありますから。もちろん、神のみぞ知る結末ですが」
完全犯罪は存在しない。
公子は、その原則を思い起こした。
「今回のイレギュラーは、繁山夏子だったわけですか」
「ええ、そういうことになります。ただ、全体として、ほころびはいくつかありました。ひとつは、小舟が川岸に引っかかったことです。これで、二人一組の犯行だとバレました。もうひとつは、小舟から権蔵の死体をおろして隠すとき、隠し場所がじっさいにはなかったことです。山辺に住むひとは山に死体を隠さず、海辺に住むひとは海に死体を隠さない、という格言をご存じですか? 自然というものは、案外に死体の隠し場所としては不向きなのです。そこで暮らしているひとたちは、そのことをよく知っているわけですね。都会に行っていた主人公は、このことを忘れていたのかもしれません」
しゃべり過ぎてのどがかわいたのか、サダコは湯のみをかたむけた。しかし、茶はつきていた。サダコは公子に遠慮することなく、紅茶をそこへ入れなおして、ひとくちすすった。
サダコは先をつづけた。
「このイレギュラーは、主人公にとって致命的でした。毒殺があっさりと判明し、どうしようもなくなった彼は、死を決心します。私たちを犬神神社に追いやり、屋敷で松川清と鎌田秋恵を殺害。その後、恋人だった春香さんのミイラのそばで、自殺したのです。これについては、トトさんの報告通りです」
トトの名前に、公子は心配そうな顔を浮かべた。
「彼女は、だいじょうぶでしょうか?」
サダコはカップをひざのうえにおいて、しぶい顔をした。
「私も報告書では、なるべく擁護しました……なんとかなると思います。犯人に同情して自殺を見逃す行為は、懲戒免職ものなのですが……」
公子は、祈るようにひとみを閉じた。
トトの顔が思い浮かぶ。あのおどおどとした、人生のなにかについて、常に馴染めないような雰囲気をたたえた顔が。
そしてその面影のなかで、またひとつの疑問が生まれた。
「犯人は……主人公は、なぜトトさんに、すべてを告白したのでしょうか?」
サダコは、きょとんと顔をあげた。
「それは先ほども言ったように、逃げ場がなくなったので……」
「なぜ犯人は、トトさんに……わたくしでもサダコさんでも、あるいはほかの村人でもなく、トトさんにすべてを話したのでしょう? 自白せずにそのまま命を断つ、という選択肢もあったはずです」
サダコは、質問の意図を理解したらしかった。
空をふりあおぎ、しばらく口をつぐんだ。
公子は、じぶんから答えを出した。
「主人公は、トトさんと春香さんを……重ね合わせたのではないでしょうか?」
「春香さんとトトさんを? ふたりは似ていないと思いますが?」
公子は首を左右にふった。
「主人公はトトさんのなかに、春香さんの……春香さんに似たものを見たのですよ」
公子のひとことに、サダコは首をかしげた。
少女はあきらめたように笑い、冷めた紅茶を口にした。
のどをうるおし、気を取りなおした彼女は、さらに話をつづけた。
「ところで、物語の修復は終わったのでしょうか? あれだけバグがありますと……」
「ああ、それなら必要なくなりました」
少女の手のなかで、カップがゆれた。
紅茶の波紋が、いくえにも広がった。
「それは、どういう……」
「誤植が多過ぎて、読者からクレームが来たみたいなんです。電子書籍ですから、改版も簡単ですし、先日第二版が出ました。『生涯』と『障害』の誤植も直っていましたし、設定にも大幅な改変が加えられたようですね。あの村は、もう存在しないのです」
公子は呆然としながら、あの村の人々を思い出した。大江春香、繁山夏子、鎌田秋恵、霜野冬美、大江駿、松川清、そして犬神タエ──彼らの面影が去来し、そしてどこかへと消えた。
公子が押し黙っているなか、サダコはカップを口にはこんだ。
そして、急になにかを思い出したように、
「そういえば、報酬の件をお聞きになりませんね?」
とたずねた。
「報酬?」
「解決認定になるのかどうか、です。もしかして、聞くのが怖かったですか? 犯人が自殺しましたからね……ご安心ください。公子さんは解決認定になります。三回目ということで、よみがえり確定です。おめでとうございます」
公子は表情を変えずに、
「霧矢さんは?」
とたずね返した。
「犯人に憑依されていたのでは、解決に貢献したとはいえません」
公子は、そうですか、とだけ答えた。
サダコは、
「あ、ちなみに、四回目の参加を禁止する趣旨ではありませんので、もしよろしければ、またどこかの現場でお会いしましょう。次からは、金銭的な報酬が出ます」
とつけくわえた。
公子は内心、苦笑してしまった。
死の危険に飛び込んで来いと、そうさそわれたからだ。
足もとに風が舞う。秋が深まる。無意味に、ただひたすらに無意味に。
公子は席を立った。
「短いあいだでしたが、これにて……」
「次回はない、と?」
「ええ」
公子はうしろ髪をかきあげて、風になびかせた。
「では、サダコさん、おげんきで」
サダコはつかのま、公子の顔を見上げたあと、じぶんも席を立った。
名残惜しそうな気配はなかった。事務的で、簡素だった。
「おげんきで」
ふたりは紅茶ののこりを背に、立ち去ろうとした。
公子は、二、三歩進んだところで、ふりかえった。
「サダコさん」
サダコは検史官の帽子のつばをつまみ、顔をむけた。
「はい」
「わたくし、余命三ヶ月ですの」
サダコの義眼は一切の感情を排して、少女を見つめた。
公子もまた、淡々と言葉をつむいだ。
「一度死ぬまえから、わずらっていたのです。警史庁は、ひとをよみがえらせても、病気はなおしてくれないのですね……いえ、うらみごとではありません。この一年、とても楽しい日々でした。今思い返せば、あの村にはトトさんをのぞいて、ひとりの健常者もいなかったのだと気づき、なんだか不思議な気分です」
「……」
「ひとつだけ教えてください。ひとの魂は、死後、どこへ行くのですか?」
「……それはだれも知りません」
公子は、重ねて問うことをしなかった。
ただひとり、静かにほほえんだ。
「さようなら、サダコさん……どうか、お元気で」
サダコは公子へ向きなおり、帽子を左手で脱ぐと、高くかかげた。
それはサダコの部族において、永遠の別れと敬意を示す仕草だった。
「さようなら、儚きひと」




