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第12話 死者の笑い

 霧矢はそのまま部屋を飛び出し、ほかの三人もろうかへ出た。

 サダコは、

「トトさん、霧矢さんは夏子さんの部屋へ! 私と公子さんは松川さんのようすを!」

 と指示した。

 四人はふたつのペアに分かれて、反対方向へと駆け出した。

 霧矢とトトは、夏子が泊まっている梅の間へいそいだ。

 到着するやいなや、部屋の障子を、霧矢は乱暴に開けた。

「夏子さん!?」

 トトは、霧矢の肩ごしに室内を見回した。

 すると、海老ぞりになった夏子が、床のうえにたおれていた。

 トトからは、背中しか見えなかったが、背骨の曲がり方が異常だった。

 霧矢は、

「夏子さん!?」

 とさけんで部屋へ飛び込み、彼女の顔を引き寄せた。

 霧矢は、メガネがずり落ちそうなほどおどろき、ひざを落としかけた。

 なにごとかと思い、トトも夏子の顔をのぞきこんだ。

「ひッ!?」

 トトは腰が抜けそうになった。

 夏子の顔は、奇妙にゆがんだまま笑っていたのだ。

 よだれを垂らし、目は生気をうしなっていた。

 霧矢とトトは協力して、彼女をだきおこし、呼吸と脈をみた。

 どちらも、死の兆候を示していた。

「トトさん、早くサダコさんたちを呼んで来て!」

 トトが急いで部屋を出たとき、ろうかの奥から、あわただしい足音が聞こえた。

「トトさん! 霧矢さん! 松川さんは無事です!」

 ろうかに突っ立ったままのトトに向かい、サダコはそうさけんだ。

 トトは部屋をゆびさして、

「な、夏子さんが笑ったまま死んでます!」

 と返した。

 サダコは梅の間へとびこんだ。

 彼女も、床のうえで眠る夏子の笑顔に、ギョッと体をすくめた。

「脈は?」

「し、調べたんですが、あ、ありません」

 トトは、しどろもどろにそう答えた。

 サダコは、夏子の生死を確認した。

 呼吸をたしかめ、脈をとり、最後に瞳孔の反応を調べた。

 そして、大きくかぶりをふった。

「ダメです……死んでいます」

 その瞬間、一番後方にひかえていた公子が、床を指し示した。

「サダコさん、あれを見てください」

 サダコがふりむくと、たたみのうえに、小さな湯のみが転がっていた。

 中身がこぼれたのか、液体の染みができていた。

 霧矢もこれを見て、

「まさか……毒殺……?」

 とつぶやき、コップをひろいあげようとした。

 その腕を、サダコがつかんだ。

「さわらないでください。指紋を調べます」

 サダコはHISTORICAをとりだし、カメラ部分を湯のみに合わせた。

 画面が接写モードに切り替わった。サダコはボタンを操作した。

 すると、湯のみの表面に、いくつかの指紋が浮かびあがった。

 サダコはそれを念入りに見比べて、

「……2種類ありますね」

 とつぶやいた。

 トトは、

「2種類?」

 と復唱した。

 サダコは夏子のゆびさきをしらべた。

「……ひとつは、夏子さんのものです」

 そのとき、部屋の外が、にわかに騒がしくなり始めた。

 サダコは急いでHISTORICAを隠し、ろうかへと出た。

 トトもそれに続いた。

 使用人たちが、ろうかの奥から歩いて来るのが見えた。

 サダコは、

「すみません、夏子さんが倒れてます」

 と、使用人のひとりに伝えた。

 とうに死んでいるのだが、ここは穏便に済ませようということなのだろう。

 トトはサダコの老獪さに感心した。

 使用人は驚愕して、

「し、繁山様が!? お医者さんを呼んで参ります!」

 と言い、まわりに声をかけながら、ろうかの奥へと消えて行った。

 夏子の部屋は、あっと言う間に、野次馬で埋めつくされた。

「な、なんだこれは……気味の悪い……」

「笑ってるように見えるぞ?」

「大江春香の呪いなのでは……」

 使用人たちは口々に、恐怖の念をしめした。

 トトもうしろのほうで、その輪に加わっていた。

 すると、サダコに声をかけられた。

「トトさん、部屋へもどりましょう」

「え?」

 トトは、おどろきをかくせなかった。

 なぜ現場をはなれなければならないのか、理解できなかったからだ。

「な、夏子さんは、どうするんですか?」

「これだけひとがいては捜査できません。それに……とにかく部屋へ」

 サダコは有無を言わさぬ口調で、トトを部屋へとつれもどした。

 霧矢と公子もそれを追い、四人はふたたび、部屋にもどって来た。

 霧矢は、

「どうして部屋にもどるんです? 現場放棄ですか?」

 と、サダコの行動をなじった。

 サダコは座布団に腰をおろし、冷静に答えを返した。

「現場の調査はあとです。犯人は、とんでもないポカをしました」

 霧矢の動きがとまる。

 トトも思わず息をのんだ。

「順番に説明します。まず夏子さんの死因ですが、あれは毒殺です」

 それは見ればわかる、と霧矢は返した。

 トトもそれに同調した。

「重要なのは、この先です。使用された毒物は、硝酸ストリキニーネと推測されます」

 霧矢は、聞きなれないことばに、眉をひそめた。

「しょう……スト……なんですって?」

「硝酸ストリキニーネです。非常に有名な毒物で、現在でも、ネズミや犬の殺処分に使われるているものです」

「診断もせずに、どうしてそんな……」

「それは簡単です。硝酸ストリキニーネを服用した場合、一五分から三〇分程度で、痙攣けいれんが始まり、体が弓形に湾曲、引きつり笑いなどの症状が出ます。そして、そのまま呼吸困難で死亡するのです」

 トトは、夏子の死体を思い出した。

 弓なりになった体。奇妙な笑い顔。

 すべて、サダコの説明と一致していた。

 霧矢は、

「それがどうして、犯人のポカなんですか?」

 とたずねた。

「今回の件で、犯人は薬物にくわしくないことがわかりました」

「薬物にくわしくない……?」

「霧矢さんは、夏子さんの部屋に落ちていた湯のみを、おぼえていますか?」

「ええ、おぼえてますよ。たぶんあのなかに、そのショウサンなんとかが……」

「入っていません」

 サダコの断言に、霧矢は目を白黒させた。

 一瞬、とまどったような表情をみせた。

「……なぜそう言い切れるんです?」

「硝酸ストリキニーネは、強烈な苦みを持つ薬物です。あの飲みこぼしは、透明でした。おそらくただの水です。あれに硝酸ストリキニーネが入っていたら、夏子さんは異常に気づいて、口をつけなかったはずです」

「ということは……」

 あぜんとする霧矢に、サダコはうなずきかえした。

「そうです。あれはおそらく、犯人が用意したミスディレクションです。犯人はこの屋敷のどこかで、あるいはほかの農家で、動物駆除用の薬品を入手したのでしょう。しかし、効用がよくわからなかった。その成分が硝酸ストリキニーネであることすら、知らなかったのではないかと思います。そんなとき、霧矢さんならどうしますか?」

 サダコの質問に、霧矢は肩をすくめた。

「どうするって……毒物の知識が無いなら、どうしようもないと思いますが……」

 我が意をえたりと、サダコはひとさしゆびを立ててみせた。

「そうです。犯人は毒薬を手に入れたのですが、使いかたがわかりませんでした。どのくらい飲ませれば死ぬのか? どんな味がするのか? どんな症状が出るのか? 味がすれば、吐き出されてしまうかもしれない。ひとくちくらいでは、死なないかもしれない。かといって、じぶんで味見してみるわけにも、いかないのです」

 サダコの長々とした説明に、霧矢は黙って聞き入っていた。

 トトも、アカデミーでの毒物学の講義を思い出していた。

「さて、犯人はどうするでしょうか? ふたつ考えられます。ひとつ、確実性がないので、その毒薬は使わない。そしてもうひとつ……敢えて賭けに出るという選択です」

「じゃあ、犯人は後者を選んだ、ってことですか?」

 霧矢の問いに、サダコはしばらく口をつぐんだ。

 その答えは、彼女のなかでも、まだ決着がついていないらしかった。

「それはわかりません……今回の犯人は、相当なキレ者です。それでいて、大胆な性格を持ち合わせている。しかし、今回はそれが裏目に出ました。なぜ夏子さんを杜撰な手段で殺さなければならなかったのか、その点はまだ未解決ですが……私たちをあなどったのか、それとも……いずれにせよ、毒物の摂取経路は、夏子さんの部屋を調べれば、すぐにわかるはずです。カプセル状の常備薬かなにかだと思います。味のわからない犯人にとっては、それが一番安全なので」

 説明はそこで終わった。

 サダコは、ほかの三人を見回した。

 すると、公子が口をはさんだ。

「ストリキニーネで思い出しましたが、全身痙攣の発作が起こるならば、夏子さんは悲鳴を上げたのではないですか? そのようなものは、聞こえませんでしたが」

「それも説明がつきます。ストリキニーネの発作が起こったとき、発声自体が困難になることもあるのです。狙ってできるものではありませんから、今回はたまたまそういう症状が出たのだと思われます。これも、犯人の知識不足の証左です。絶叫の可能性を知っていれば、この毒は使わなかったでしょう」

 トトは、サダコの推理にうなった。

 そして、あることに気づいた。

「あれ? ってことは、その湯のみも……」

 トトは、夏子が飲み干した湯のみをまなざした。

 サダコは、トトの疑問を、瞬時に読み取った。

「ええ、それも関係ありません。硝酸ストリキニーネは、熱湯には溶けますが、冷水には溶けない性質を持っているのです。これも犯人の調査不足かと」

 湯のみ。犯人の調査不足。

 その関連性に気づき、公子はハッとなった。

「サダコさんは、犯人のひとりが、鎌田秋恵だとお思いなのですか?」

「断定はできませんが、最有力候補になりましたね。わざわざ毒味をしたのも、私たちの捜査を混乱させるための、パフォーマンスかと。あとは、夏子さんの部屋の湯のみに付着していた指紋を調べて、そこに秋恵さんのものがなければ、状況証拠はそろいます」

 トトは、きょとんとして、

「え? 指紋のないことが、状況証拠になるんですか?」

 とたずねた。

「先ほども言ったように、あの湯のみはミスディレクションです。偽の犯人をでっち上げるために置かれたとしか、考えられません。逆に言えば、そこに着いている指紋の持ち主は、犯人ではないのです」

 サダコの説明に、霧矢は小声で突っ込みを入れた。

「なんというか……仮定に仮定を重ね過ぎてませんか? とくに、指紋がないイコール無罪というのは、乱暴過ぎる気もするんですが……端末で指紋のチェックができるなんて、それこそこの世界の住人には、わからないわけで……」

「もちろん、断定はしません。あくまでも状況証拠です。いずれにせよ、捜査方針は明確になってきました。犯人としては、今回の毒殺事件で時間をかせぐつもりだったのでしょうが、そうはさせません」

 ここまでの説明は、サダコはやや興奮気味に語った。

 ベテランでもそういう心境になるんだな、と、トトは思った。

 けれども、次のひとことは、やや気落ちした調子に変わった。

「残る問題は、あの密室です……あれさえ解ければ……」

 密室。

 何度話し合っても、トトたちは、あの密室へと舞い戻ってしまうのだ。

 トトもちょくちょく考えをめぐらせていたが、なんの成果も上げていなかった。

 高揚したあとの、やや重苦しい沈黙。

 ここで、霧矢が声をあげた。

「すみません、ちょっといいですか?」

 サダコは、なんですか、とたずねた。

「もしも、もしもですよ……ここまでの推理が正しくて、秋恵さんが犯人、動機が遺産相続だとしたら、もう事件は起こらないんじゃ……」

 公子は、なやましげにうなずき返した。

「そういうことになりますわね」

 なぜそうなるのか、トトはよくわからなかった。

 そんなトトの表情を見抜いて、公子はみずから説明をくわえた。

「松川洋の遺産を相続する可能性があったのは、主人公、大江春香、鎌田秋恵、繁山夏子、霜野冬美、そして大江家の養子になった大江駿の六人。そのうち、四人がこの世からいなくなっています。残るは、霧矢さんが演じている主人公と、鎌田秋恵のみ。彼女が犯人ならば、目的はすでに達成されたことになります」

 霧矢は、

「だったら、もう逮捕しても、いいんじゃないですか? もうひとりの犯人は、どうせ松川清ですよね。松川清は、兄の遺産が欲しくて、孫娘とぼくを結婚させようとした。秋恵さんは松川清の愛人の血を引いていて、正妻の孫よりもかわいがっていた。だから、ほかの孫娘を殺害して、お気に入りを残した。これで話がまとまります」

 もっともらしかった。もっともらしすぎる、と言ってもよかった。

 だが、サダコと公子は、この推理に肯定も否定も見せなかった。

 霧矢はそのことに不満そうだったが、それ以上強弁はしなかった。

 四人はたたみのうえに視線を落とし、めいめい物思いにふけった。

 数分ほど沈黙が続いたあとで、サダコはとうとつにHISTORICAを取り出した。

「霧矢さん、あの緑茶は、松川清さんからもらったんですね?」

 サダコは、霧矢のそばに置かれた湯のみをしめした。

「ええ、そうですよ」

「いちおう、松川さんの指紋も取らせてください」

 サダコは、湯のみに照準を合わせた。

 撮影ボタンが押され、液晶画面に指紋が浮かびあがった。

「……え?」

 三人が見守るなか、サダコは困惑した。

「夏子さんの部屋にあった湯のみの指紋……もうひとつは、松川清のものです。この湯のみの指紋と、一致しています」

 サダコはHISTORICAを持ったまま、思案にふけった。

 トトも混乱してくる。

 鎌田秋恵は、松川清に犯行をなすりつけようとしたのだろうか。

 霧矢と公子も、指紋の意味について、理解しかねているようだった。

 沈黙に続く沈黙。

 その静寂を破るように、霧矢はくちびるを動かした。

「こ、これからどうするんですか?」

 だれも答えなど持ってはいない──トトには、そう見受けられた。

「そうですね……秋恵さんが犯人であることの決定的な証拠を……」

 そこでふたたび、霧矢が口をひらいた。

「まだくわしく話を聴いていない人物がいますよね?」

「……松川清ですか?」

「犬神タエです。もしかして、彼女もなにか、目撃して……」

 霧矢はごにょごにょと言葉を濁し、そのまま口をつぐんだ。

 サダコはあごに手を当て、じっと考え込んだ。

「……なるほど、手抜かりでした。今晩早速……」

 ところが、これには公子が反対した。

「松川さんが、わたくしたちと個人的な話をしてくれるとは、思えません。それに、秋恵さんが通訳を担当するのですから、うかつな質問もできません」

 公子のもっともな指摘を受けて、サダコは今の案を撤回した。

 トトはなにも言わず、この場の流れに身をまかせた。

 すると再度、霧矢がアイデアを出した。

「こうしませんか? ぼくは松川さんの親戚あつかいですから、ぼくとなら話してくれると思います。明日の朝、サダコさんと公子さんは、犬神タエさんの神社に行き、僕とトトさんが屋敷にのこるというのは? これなら、ぼくたちが秋恵さんと松川さんに狙いを定めたことも、ごまかせるんじゃないでしょうか?」

 トトは、

「ははあ、さえてますねえ」

 と賛息をもらした。

 サダコと公子も、これを妙案と受け取ったようだった。

「霧矢さんの案を採用しましょう。私と公子さんは、朝食後に散歩へ出かけます。そのあいだに、霧矢さんたちは松川清と、なんとかコンタクトを取ってください……まだ犯人が特定されたわけではありません。くれぐれもご用心を」

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