第11話 人生の親戚
夕食が終わり、霧矢、トト、公子、サダコの四人は、座敷に集合した。
犯人がふたりいる──この情報は、アドバイザーにも大きな衝撃をもたらした。
霧矢は、
「それって、確実なんですか?」
と、念を入れてきた。
サダコは、
「合理的に考えて、ふたりいます」
と答えた。
そして、トトに教えたのと同じ情報を共有した。
霧矢はなにか言いたげだったが、最後は納得するしかなかった。
「ってことは、今までの推理は、ぜんぶ無意味だったってことですね」
サダコは、そうでもない、と答えた。
「むしろ、大江駿の殺人、すなわち密室殺人については、光明が見えてきました。単独犯では不可能でも、共犯ならなんらかのトリックが考えられます」
どういうトリックが考えられるのか、と霧矢はたずねた。
「私が今考えているのは、影絵です。霧矢さんとトトさんが見たのは、大江駿の影ではなく、なんらかの影細工だったとは考えられないでしょうか。例えば、ろうかに行燈をおいて……」
そこでサダコは、口を閉じた。
ろうかで物音がしたのだ。
タイヤの回るような音に、四人はその正体を悟った。
「霧矢、そこにいるの?」
障子にあらわれたのは、車椅子に乗った少女の影だった。
霧矢は返事をした。
「夏子さん、どうしたの?」
「どうしたってわけじゃないけど……部屋でこそこそなにしてるの?」
返答に窮した霧矢は、ほかの三人を盗み見た。
サダコが代表して答えた。
「殺人犯がうろついてるとあぶないですから、こうして部屋で過ごしているのです。夏子さんもいかがですか?」
「……」
返事はなかった。サダコたちを、警戒しているのだろうか。
トトは障子の影を見つめた。
すると、影の手が動き、ゆっくりと障子を開けた。
公子は入室を手伝おうとした。
しかし、夏子はそれをこばんだ。
自力で車椅子をたたみに乗せた。
「で、なにを話してたの?」
入口のそばに陣取った夏子は、ぶっきらぼうにそうたずねた。
これにもサダコは、ゆうゆうと答えた。
「霧矢さんから、冬美さんのお話を聞いていたんです。すこしでもお悔やみ申し上げられればと思いまして」
サダコのウソに、夏子も悲しげな顔をした。
「そうね……私たちは、子供のころからよく、この屋敷で遊んでいたから……」
このつぶやきに、サダコはするどく反応した。
「この屋敷でですか? ここは、松川さんのご自宅なのでは?」
「ええ、そうよ。松川清は、私たちの祖父にあたるひとですもの」
夏子の口から明かされた意外な事実に、その場の空気が一変した。
トトはちらちらと、サダコの反応を横目でうかがった。
サダコはなるべく、平静をよそおっていた。
一瞬言葉に詰まりながらも、先を続けた。
「そうだったのですか……夏子さんと冬美さんが、松川清のお孫さん……」
「私たちだけじゃないわ。秋恵もそうよ」
二度目の衝撃。
けれども、トトはこの発言をいぶかしく思った。
「じゃあ、なんで秋恵さんは、お手伝いをしてるんですか?」
「それは簡単な話。秋恵は、祖父が囲ってた、妾の孫だからよ」
「……愛人ってことですか?」
トトは言い回しを変えて、たずねかえした。
「そうよ。祖父の妻、つまり私たちの祖母は、ふたりの姉妹を生んだの。長女が私の母親、次女が冬美の母親ってわけ。ふたりとも、私たちが子供のころ、流行病で死んでしまったわ。祖父は祖母が生きているときから愛人を作ってて、その女性の孫が秋恵なの。秋恵の両親も事故で死んじゃったから、祖父は秋恵を引き取ったんだけど、妾の子だし、使用人の立場にしてるの」
「それは……可哀想ですね」
トトの同情めいた発言に、夏子は顔をくもらせた。
「可哀想? 秋恵は、この屋敷に住んでるのよ。正妻の孫の私たちは、別居してるのに。祖父は祖母よりも、愛人のほうを可愛がってたらしいし、使用人あつかいしてるのも、体面だけなんでしょうね。ほんとうは秋恵のほうが、お気に入りなんだわ」
ここでサダコがわりこんだ。
「すみません、ひとつよろしいですか?」
夏子は車椅子のうえで、身をねじった。
上半身を、サダコのほうへ向けた。
「なに?」
「もしかして大江春香さんも、松川清さんのお孫さんですか?」
トトはアッと口もとを押さえた。
その可能性は十二分にある。
そう思ったトトだが、夏子は首を左右にふった。
「春香は祖父の兄の孫よ」
「兄……? 松川さんに、お兄さんがいらしたんですか?」
「松川洋っていう兄がね。そのひとは、私たちが生まれる前に亡くなってる」
複雑な系図が、トトの脳内に立ち上がった。
ヒロインたちは全員、親族関係にあったのだ。
トトはそこに、因縁じみたものを感じた。
こんどは、公子が質問をした。
「ひとつおたずねしても、よろしいでしょうか?」
矢継ぎ早に出される質問にも、夏子はイヤな顔をしなかった。
なんでも訊いてくれと言った態度だった。
公子はそれを受けて、率直に質問をぶつけた。
「夏子さん、秋恵さん、冬美さんが従姉妹同士で、春香さんも遠縁の親戚……この四人が霧矢さんの花嫁候補であることと、関係があるのでしょうか?」
「あら霧矢、そのこと話してないの?」
夏子は霧矢に話をふった。
霧矢は、しどろもどろになった。
「霧矢? どうしたの? ……最近おかしいわよ」
「あ、ちょっと用事を思い出した……」
霧矢はそう言い残して、部屋を出て行った。
夏子はタメ息をついた。
「はぁ……やっぱり秋恵で、決まりなのかしら……」
話が逸れたような逸れていないような、そんなひとことだった。
公子は質問をくりかえした。
「花嫁候補と霧矢さんとのあいだには、どのような関係があるのですか?」
「あなたたちは余所者だけど……まあいいわ。くだらない話だし」
くだらない話。
そう言い切った夏子は、とてつもないひとことをはなった。
「霧矢はね、春香の従兄弟なのよ」
「従兄弟……? 霧矢さんが?」
公子は、そのうるわしい眉をひそめた。
「そのようすだと、やっぱり話してなかったみたいね。松川洋、つまり私の祖父の兄は、一組の兄妹を残したの。兄の息子が霧矢、妹の娘が春香。だから従兄弟同士。祖父の子孫は、私と冬美、それに妾腹の秋恵しか残ってないでしょ。だから霧矢が、松川家の最後の男系ってわけね」
公子は納得したように、
「最後の男系……なるほど、そういうことですか……」
とつぶやいた。
それがなにを意味するのか、異文化出身のトトには、さっぱりわからなかった。
だから、すなおに質問を入れた。
「ダンケイってなんですか?」
公子は、
「男系というのは、代々、男性で家系を継いでいくシステムです。今回の場合は、松川洋、松川洋の息子、そして霧矢さんと、全員が男性になります」
と答えた。
「はあ……ありがとうございます……すると、どうなるんですか?」
「端的に言えば、松川家の次期当主候補は、霧矢さんだということです」
「なるほど……ええッ!?」
トトのおどろきに、夏子はくすりと笑った。
「ふふ、ほんとにバカみたいでしょ? 祖父から霧矢へ家督が移動するなんて。でもこれが、現実なのよ。それに、血のつながった男子が、そもそも霧矢しかいないんだし」
これには、サダコが眉をひそめた。
「霧矢さんしかいない? 大江駿は、春香さんの兄、つまり松川洋の孫なのでは?」
「ああ、それも聞いてないのね……駿と春香は、血がつながってないの」
次々と明かされる秘密に、トトは頭がパニックになりかけていた。
一方、サダコは、淡々と質問をつづけた。
「血がつながっていない? どういうことですか?」
「松川洋の娘は、当時、村の有力者だった大江家に嫁いだの。でも子供ができなかった。世間体もあるし、大江家は養子を取ることにしたのよ。それが大江駿。ところが、そのあとで春香が生まれてしまった。だからふたりは、義兄妹ってわけね」
「なぜ松川清さんは、霧矢さんを、じぶんの孫と結婚させようとしているのですか?」
「それも単純な話……遺産よ」
夏子の答えに、サダコは目を光らせた。
「遺産? ……松川さんは、霧矢さんに遺産を残したい、と?」
サダコの推測に、夏子は笑い声を上げた。
「ちがうのですか?」
「逆よ逆。まったく逆」
「逆?」
笑いをこらえながら、夏子は目もちの涙をふいた。
「祖父は、霧矢さんの遺産が欲しいのよ」
「霧矢さんの遺産? ……なんですかそれは?」
「うふふ……あなたたちが今いる場所」
サダコは室内に目を走らせ、そして、すべてを悟ったような顔をした。
「そうよ、この屋敷は、松川洋の所有だったの。だから、今は霧矢の名義。祖父は後見人として居座ってるだけ」
「しかし、霧矢さんの自宅は取り壊されたと……」
「それは、松川洋の息子の家よ。本家とは別」
夏子はそこでひと息つくと、室内を見回した。
「ここはお茶もないのね……のどがかわいたわ」
トトは腰をあげた。
「あ、わたしがもらってきますね」
そのとき、ろうかから足音が聞こえて来た。
霧矢が帰って来たのだろうか。
そう思ったトトは、立ち上がったついでに、障子を開けた。
ところが、あらわれたのは霧矢ではなかった。
「あ、秋恵さん!」
トトの大声に、秋恵は目をぱちくりとさせた。
「……お取り込み中でしたか?」
秋恵はそう言うと、手に持っていたお盆をさしだした。
「お茶を入れに参りました」
トトは、
「あ、どうもありがとうございます。グッドタイミングですよ」
と言って、お盆を受け取ろうとした。
ところが、秋恵はその手をこばんだ。
「使用人がやる仕事ですので……お心づかい、ありがとうございます」
秋恵はトトを脇にどかせると、室内に足を踏み入れた。
入口のそばで腰を下ろし、持って来た湯のみに、お茶を入れていく。
「どうぞ」
秋恵は、湯のみを手渡すようなことはせず、まとめてお盆でさしだした。
だれも手を出そうとはしなかった。
「……いかがなさいました?」
秋恵はけげんそうに、客人を見回した。
すると、夏子は、
「それ、毒が入ってるんじゃない?」
と、からかい半分でたずねた。
秋恵は、あからさまに不快そうな顔をした。
「毒味してさしあげましょうか?」
そう言うと、周囲が止める間もなく、秋恵は湯のみに口をつけた。
三分の一ほど飲み干し、それから夏子のまえにさしだした。
「どうぞ」
「……ごめんなさい、私、今から薬を飲むの。お水じゃないとね」
秋恵は、やれやれと言ったようすで、のこりの湯のみをわけた。
そのひとつを手にしたトトは、
「あれ? 冷たいんですね」
と、おどろいた。
というのも、急須に入れられていたから、温かいものだと思っていたからだ。
「もうしわけありません。冷蔵庫の麦茶を、急須に入れて来たもので……ところで、霧矢さんはどちらへ?」
これには夏子が答えた。
「霧矢なら、用事があるとか言って、どこかへ行っちゃったわよ」
「そうですか……では、失礼致しました」
秋恵は、空になった急須をお盆に乗せ、部屋を出て行った。
夏子はそれを見送ったあと、湯のみに視線を落とした。
「ふぅ……ちょっとからかっただけなのに……どうせなら、温かいお茶にすればいいのに。もう秋なんだから、冷たい麦茶なんて、お客さんに出すものじゃないわ」
夏子は、タイヤを動かし始めた。
トトは、どこへ行くのかとたずねた。
「じぶんの部屋よ。なんだか話しつかれちゃった……明日の朝、また会いましょう」
車椅子のタイヤの音が遠ざかり、夏子は母屋の奥へと消えた。
しばらくして、同じ方向のろうかから、足音が聞こえてきた。
それはトトにとって、馴染みのリズムだった。
霧矢だ。案の定、障子を開けて、霧矢が入ってきた。
手には、白い湯のみを持っていた。
トトは不思議に思って、
「どこ行ってたんですか?」
とたずねた。
霧矢は肩をすくめて見せた。
「行ってたんじゃなくて、待ってたんだよ、夏子さんが帰るのを。あの場にいたら、ぼくが主人公じゃないって疑われちゃうからね。いきなり知らない話をふられて、困ったし」
霧矢は障子を閉めて、じぶんの席にもどった。
「ああ、そうでしたか」
霧矢の言葉に、トトは納得した。
そして、口をつけていないじぶんの湯のみを、まえに出した。
「だれか飲みますか? わたし、のどがかわいてないんです」
トトの手を、サダコがつかんだ。
「それは飲まないでください」
「え? ……どうしてですか?」
「私たちは今、この作品の登場人物たちにとって、出過ぎたマネをしています。おそらく犯人は、私たちが捜査活動をしていることを察知したはず。鎌田秋恵さんが容疑者のひとりである以上、飲食物にも、十分注意しなければなりません」
サダコの忠告を受け、トトは湯のみに視線を落とした。
冷たい麦茶が、なんだかおぞましいものに思えてきた。
「うわ、ぼくもう、半分飲んじゃったよ……」
霧矢はそう言って、手にした湯のみをかたむけた。
トトがのぞき込むと、中身は半分ほどなくなっていた。
その色は、トトたちがもらった麦茶とはちがっていた。
「なんですかそれ?」
「緑茶。台所でもらって来たんだ」
霧矢の返事に、公子が顔を上げた。
「秋恵さんからですか?」
「ちがうよ。松川さんから」
意外な人物の名前に、公子の表情はかたくなった。
「松川さんが台所にいたのですか……?」
「うん、お茶を淹れてて、ぼくにも一杯くれたんだ」
霧矢は湯のみを、たたみのうえに置いた。
四人がふたたびそろったところで、サダコは霧矢に、これまでの事情を説明した。込み入った話のため、これだけで一〇分近い時間を消費した。
サダコの話を聞き終えた霧矢は、黙って聞き終え、
「ぼくが大江春香の従兄弟……」
とつぶやいた。
「ええ、小説のなかの設定というだけですが、これは重要な情報だと思います」
サダコはそう言って、松川家の家系図を書き出した。
サダコは、
「これまでは、動機がさっぱり見えなかったのですが、ようやく……」
と、みなまでは言わなかった。
霧矢は、それを補完するように、
「遺産争い、ですか?」
と、横合いからたずねた。
トトも、遺産争いが最有力なのではないかと感じ始めていた。
それどころか、ほかに動機が思い浮かばなかった。
しかし、サダコはまだ決めかねているのか、ペン先でひたいをかいた。
「その可能性が一番高いのは、事実です。ただ……結論を出すのは性急かと」
霧矢は、
「でも、殺された大江駿と霜野冬美は、どちらもこの遺産争いと関係してますよね?」
とたずねた。
「ええ、その通りです」
サダコはそれだけ言って、手帳をめくり始めた。
そして、犯人候補の名前を口にした。
「遺産争いと仮定した場合、一番あやしいのは、鎌田秋恵ということになります」
サダコの推理に、霧矢は疑問を投げかけた。
「え、夏子さんもいますよね? 彼女も花嫁候補でしょう?」
「夏子さんは足が不自由です。小舟の近くで見つけた足あとには、ひきずったような形跡はありませんでした」
サダコの理由づけに、霧矢は納得し、こうつけくわえた。
「あとは、松川さんですね」
サダコもうなずいた。
「犯人は、二人一組です。となれば、松川老人と、愛人の孫である秋恵さん、このペアである可能性は、濃厚になってきました。松川老人の手話を、秋恵さんは完璧に理解できます。おたがいの意思疎通には、困らないはずです」
サダコはそう言いながら、パラパラとページをめくった。
二ページほどいったところで、サダコの顔がくもった。
不思議に思ったトトは、横合いから手帳をのぞきこんだ。
箇条書きになったそれは、疑問点を書きとめたもののようだ。
サダコの視線は、その一番上に固定されていた。
「夏子さんに、一番重要なことを訊き忘れていました……」
トトは身をのりだした。
「なんですか、忘れてたことって?」
「秋恵さんの障……」
そのときだった。四人のポケットで、一斉に端末が震動し始めた。
トトの顔色が変わり、サダコと公子はおたがいに視線を交わした。
霧矢は立ち上がってさけんだ。
「事件だ!」




