第10話 村の巫女タエ
大江駿の首なし死体が見つかったニュースは、ただちに村中へと広がった。トトたちは死体の管理を村人に任せたあと、聞き込みをおこなうことになった。霧矢は松川老人に呼ばれたまま、もどってこなかったので、トトはひとりでやるハメになった。
秋空のしたを、のんびりと歩く。通行人をみかけたら、事情を説明して、事件に関する情報をあつめた。あつめたと言っても、単に質問してみた、というほうが、正しいかもしれない。トトが聞き込みをしたかぎりでは、有力な情報は、なにも集まらなかった。冬美を村のどこかで見かけたとか、大江駿をいついつどこどこで最後に見かけたとか、そういう村人はいたものの、何日もまえの目撃情報だった。
ひとつだけ気になったことといえば、屋敷からいなくなった権蔵が犯人だと、まことしやかに言う村人がいたことだ。しかし、権蔵を目撃した、というひとはいなかったし、今どこにいるのかを答えられるひともいなかった。トトはこの線について、深く考えないことにした。
すすきの野原を右手に、トトは歩く。民家はなくなり、もはやひとの気配は消えた。
どうやら、村はずれに来てしまったようだ。山も近くなり、紅葉が視界に映えた。
鳥がゆき、雲がゆく。雲はいわし雲だった。
こんなのどかな村で、凄惨な連続殺人事件が起きているとは、信じられなかった。
「暗くならないうちに、帰ったほうがいいですね」
トトの部族、すなわちイブミナーブル族は、古エルフ語で、森の裁縫屋という意味だった。その名前のとおり、部族の大半は、森のなかに住んでいた。だから、暗くなるとあぶないという知恵は、こどものころからそなわっていた。
もどろう。そう考えて、トトは来た道をひきかえした。
秋風が、検史官の制服のすそをなでた。トトの髪も、それになびく。
しばらく歩いていると、ふと、右手のほうに、階段が見えた。
そのまま通り過ぎようとしたところで、トトは足をとめた。
(……そういえば、この階段、上がってなかったですね)
トトは、斜面を見上げた。
すると、上のほうに、なにやら建物があることに気づいた。
民家のようにもみえたが、どうやら神社のようであった。
HISTORICAで時刻を確認する。午後三時。
松川邸までは、一時間ほど歩かなければならない。
ぎりぎりかな、と思いつつ、トトは階段を上がってみることにした。
石造りの階段は、ひとつひとつが、あまりととのっていなかった。
右にかたむいていたり、左にかたむいていたり。
石の大きさがバラバラで、なかには割れてくだけているものもあった。
最後の一段をあがりきると、案の定、境内があらわれた。
秋風に吹かれるそれは、おせじにもみやびとは言えなかった。
がらんとしていて、まるで廃屋のようなのだ。
手水も枯れ葉におおわれていて、杓子は朽ちかけていた。
とりあえず、神社の賽銭箱のほうへ歩いてみた。
……パチリ
トトは歩をとめた。
なにか硬質な音が聞こえたからだ。
きょろきょろと、あたりを見回す。
見渡す限り、ひとかげはなかった。
気のせいかな。トトはふたたび歩き出そうとした。
パチリ
やはりなにか聞こえた。
トトは不安になって、
「だれかいるんですか?」
とたずねた。
返事はなかった。
トトは目を閉じて、耳をすませた──境内のうらから聞こえる。
そう判断したトトは、そちらへ回ってみた。
木の柱からのぞきこむと、巫女服を着た少女が、縁がわに腰をおろしていた。犬神タエだった。タエは、正座をくずしたようなかっこうで、床に座っていた。トトから見て、左半身が見えた。表情は、やや暗い。なにかをゆびではじいていた。トトはどうしたものか迷って、しばらくようすを見た。
「ひとりでしても、つまらん……」
そう言って、タエはいきなり動きをとめた。
なにをしているのか、トトは興味が出てきた。
一歩まえに出て、柱から上半身を出した。
すると、タエはいきなりふりむいた。
「だれじゃッ!?」
トトはびっくりした。
「こ、こんにちは」
「だれじゃ?」
「トトです」
「とと? ……聞かん名じゃ」
トトは、この村に最近来ました、と答えた。
タエはそれを信じたのか、信じなかったのか、ふむ、と息をもらした。
そして、ぷいっと横を向いてしまった。
トトは気まずくなりつつも、近くへ寄った。
逃げ帰るほうが失礼かな、と思ったからだ。
「あのお……なになさってるんですか?」
「ん? 見てわからんのか?」
トトは、縁がわに視線をはしらせた。
いろとりどりの、ガラスの円盤が散らばっていた。
トトは、地球に関する資料集で、見かけたような気がした。
けれども、うまく思い出せなかった。
「すみません、わかんないです」
「おはじきを知らんのか」
「おはじき……なにかのゲームですか?」
トトの質問は、意外な効果をうんだ。
タエの表情が急に明るくなったのだ。
タエは、とうとうと、遊びかたを教えてくれた。
ただ、タエの説明のしかたでは、いまいち要領をえないところがあった。
「ようするに、そのガラスをぶつけて、取っていく遊びですか?」
「そうじゃ」
木の葉落としという遊びに近いな、とトトは思った。
だから、タエの説明が舌足らずでも、なんとなく理解することができた。
「わたしも、ちょっとやっていいですか?」
それは、検史官としては、ほとんど職務怠慢に近い発言だった。
タエは、
「ほ、ほんとか?」
と、にんまり笑った。
「ええ、ええ、こういう遊びは、わたしも好きなんですよ」
「言うておくが、わしは強いぞ」
まあまあ、見てください、とばかりに、トトは先攻しようとした。
「こりゃ、じゃんけんが先じゃ」
「あ、すいません」
ふたりはじゃんけんをした。
タエが勝って、タエの先攻になった。
タエは、おはじきの群れをよーく観察した。
「この黄色で、この青をねらうぞ」
タエは、じぶんのほうに近い黄色いおはじきで、遠くの青をねらった。
かなりやりやすそうなラインだった。
タエはかがんで、よくよく狙いをすませた。
パチリ
おはじきは、狙ったよりも左にそれた。爪の当たりかたが、マズかったようだ。
タエはくちびるをむすんだ。
「むむ……おぬしの番だ」
「これって、今こっちに飛んだ黄色いのを、わたしが使ってもいいんですか?」
「もちろんじゃ」
トトは、タエがはずした黄色いおはじきで、赤いおはじきをねらった。
縁がわにふたりだとせまいので、地面におりて、すこしかがんだ。
「……えい」
パチリ
おはじきは、うまく命中した。
トトはじぶんで拍手した。
「わー、当たりました」
「うむむ、やるのお。こんどはわしの番じゃ」
タエは、もういちど青いおはじきをねらった。
こんどは当たった。
タエはとてもよろこんだ。
ふたりでパチパチやっていき、トトが八枚、タエが七枚になった。
のこりは一枚、透明なおはじきだけがのこった。
そして、トトの番になった。
トトがここで取れば、勝利確定である。
トトは、ねらいをすませ──ちらりと、タエの顔を見た。
タエは苦しそうな表情で、じっとおはじきを凝視していた。
「……」
トトは、ぴんとかるくはじいた。
距離がたらず、おはじきはぶつからなかった。
タエはうでまくりをして、そのおはじきをはじいた。
緊張していたのか、やや飛び過ぎになりかけたものの、かすかに当たった。
「こ、これでひきわけじゃ」
「ですね~」
ふたりはそのあと、おはじきをかたづけて、お茶を飲んだ。
お茶は、正直なところ、そんなにおいしくなかった。
茶葉が古くて、香りがとっくになくなっているのだった。
とはいえ、秋の夕暮れどき、体を温めるには、もってこいだった。
「タエさんは、ここにひとりでお住まいなんですか?」
「そうじゃ」
「さみしくないですか? ご家族は、どちらに?」
タエは、悲しそうな目で、湯呑みをみつめた。
「と、ととさまとかかさまが亡くなってから、わしはひとりなんじゃ」
「……すみません」
なんだか謝ってばかりだな、と、トトは三度反省した。
タエは、いろんなことを教えてくれた。この神社は、もともと犬神家のものであり、代々神主を世襲していたこと、タエの父親も神主だったこと、だが、タエの父親は流行りやまいで急死してしまい、タエがあとを継いだこと。
それぞれのエピソードについて、トトは同情した。
「たいへんなんですね」
「わ、わしは……ほんとは、神主など、やりたくない」
「どうしてですか?」
「み、みんな、わしのことを、は、はくちだと言うんじゃ」
「はくち? はくちってなんですか?」
「わ、わからん」
ぜったいに悪口だと、タエはつけくわえた。
「巫女さんも、たいへんなんですね」
「巫女ではない。神主じゃ」
「あ、すいません」
そのあとは、いろいろと世間話をした。
世間話と言っても、村や事件のことについてではなかった。
タエはなぜか、村のことを話したがらなかったし、トトもムリには聞かなかった。
カラスがカーと鳴いたところで、トトはじぶんの長居に気づいた。
あたりは、薄暗くなり始めていた。
「そろそろ失礼します」
「もう帰るのか」
「はい、ほかのひとが心配するといけないので」
このひとことに、タエは残念そうな顔をした。
「そうか……では、鳥居まで送ろう」
トトは、鳥居のところまで見送ってもらった。
階段をおりるあいだ、タエは右手を高くふっていた。
「また遊ぶんじゃぞ~」
「はーい」
トトは、松川邸のほうへ、歩き始めた。
日暮れが早い。太陽は、山に端に沈んでしまった。
「すっかり暗くなっちゃいました」
イブミナーブル族は、森に棲んでいるだけあって、夜には強かった。
けれども、心細さだけは、いかんともしがたい。
トトは、なるべくあたりに気をくばりながら、家路をいそいだ。
大きな松の木のそばまで来たとき、ふいに明かりがともった。
トトは悲鳴をあげた。
みると、サダコがHISTORICAの液晶ライトで、こちらを照らしていた。
「あ、やっぱりトトさんでしたか」
「サダコさん、おどかしっこなしですよ」
「ずいぶん遅かったですね」
サダコは、HISTORICAの位置機能で、むかえに来たらしかった。
トトは、タエのところにいたことを伝えた。
「なにか収穫はありましたか?」
収穫と言われて、トトはすこし困ってしまった。
おはじきで遊んだあと、雑談をしていただけなのだ。
とはいえ、わかったこともあった。
「タエさんは、村人のことが、あんまり好きじゃないみたいです」
「好きじゃない? ……どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。もしかして、いじめられてるのかもしれないです」
サダコは、この情報をどうしたものか、迷ったようだった。
HISTORICAを手にしたまま、しばらく考え込んだ。
「サダコさん、バッテリーが減りますよ」
サダコはホームボタンを押した。液晶が暗くなり、あたりも暗くなった。
ふたりは、松川邸のほうへ、ならんで歩いた。
二、三分ほどして、サダコは急に口をひらいた。
「こちらでも、ふたつほど重要なことがわかりました」
「なんですか?」
「ひとつは、あの首なし死体が、大江駿のものだったことです。バラバラ殺人の場合、すり替えトリックがまっさきに思いつきますが、今回はちがうようです」
トトは、そうなんですね、と答えた。
「もうひとつは、なんですか?」
「犯人はふたりいる、ということです」
トトはびっくりして、その場にたちどまった。
「ふたり?」
「はい、ふたりです」
「なんでふたりだってわかるんですか?」
サダコは、大江駿の死体について、もういちど説明をした。大江駿は、離れで首を切断されたあと、小舟に乗せられ、そのまま流された。ところがここで、犯人にとって、ひとつの誤算が生じた。それは、小舟がとちゅうの池にひっかかって、それ以上進まなかったこと。なぜそう言い切れるのかというと、あの池のふちに、小舟が引っかかったあとが見つかったからだった。乾いた泥のかたちが、小舟の船底と、完全に一致した。
それにもかかわらず、小舟はその先で発見された。犯人が小舟を流しなおしたからだ。つまり、池に引っかかった小舟を動かし、奥のほうへ押した。
「そのとき、犯人の動き回った足跡が見つかりました」
「だったら靴を調べれば、犯人がわかりますねッ!」
「いえ、それはできませんでした。犯人は、靴跡でバレることに気づいていて、草履をはいていたようです。使用人がみな履いているものなので、特定ができません。足のサイズも、変えていると思います」
トトはがっかりした。けれども、進展はあった。
「その足あとが、二種類あったんですか?」
「そうです。動きからして、明らかに協力していました。犯人……いえ、犯人たちは、その点も注意して、草履のサイズとかたちを、きちんとそろえたつもりだったようです。しかし、草履はお手製だったので、細部の形状がちがったのですよ。また、沈みこみ具合もちがったので、ひとりの自作自演でもありません。犯人は二人一組です」
風が流れた。
ひんやりとしていて、山からの湿気を運んでくる。
サダコは、ひとつタメ息をついた。
「しかし、目星がつかないのです。だれと、だれが犯人なのか」
トトは、うわめづかいでしばらく考えたあと、
「ひとりは、ゴンゾウさんじゃないですか?」
と言って、権蔵犯人説をとなえる村人がいることを、サダコにつたえた。
サダコは、いいアイデアですね、と返しつつ、
「私もあのあと、権蔵の足取りを追っています。大江駿が殺された日、六時頃に権蔵は、屋敷の見回りに出ました。玄関から出発して、屋敷をぐるりと回るそうです」
と答えた。
「え、それってめちゃくちゃあやしくないですか? 離れにも来たってことですよね?」
「ええ、権蔵が離れのろうかへ向かうところを、目撃したひともいました。権蔵は見回りの時間におそろしく厳格で、その日もいつもの時間に目撃したそうです」
だったら決まりじゃないかな、と、トトは思った。
しかし、サダコは煮え切らない顔をしていた。
「権蔵が犯人のひとりだとすると、相方は二択なんですよね」
「え? だれとだれですか?」
「秋恵さんか、松川老人です。権蔵は聴覚障がい者でした。彼に細かい指示を出すには、手話ができないといけません。複雑な手話をおこなえるのは、秋恵さんか松川老人しかいないそうです」
トトは納得しかけたものの、すぐに、
「紙に書いて、それを見せればよくないですか?」
と言った。
「筆談は考えにくいです」
「なんでです?」
「筆談はスピードがないうえ、メモという物証がのこります。焼却する手も考えられますが、それはそれで目立ちます。焚火をしたり、炊事場で時間外に火を使ったひとはいないか、と訊いてまわりましたが、そういう目撃談はありませんでした。それともうひとつ、こちらのほうが決定的なのですが、暗闇で筆談はできません」
トトは、こんどこそ納得した。
「だったら、アキエさんかマツカワさんも犯人、で決まりですね」
「いえ、そうはいかないから、困っているのです」
サダコは、右手のひらをうえにして、ひとさしゆびと中指を立てた。
そして、中指を折り曲げた。
「理由はふたつあります。ひとつ、聴覚障がい者を共犯に使った場合、手話のできるキャラが、当然にあやしまれます。秋恵さんも松川老人も、この点にはすぐ気づくはずです」
続いて、ひとさしゆびを折り曲げた。
「もうひとつ、首を切断し、それを天井へぶら下げ、胴体を隠す。このトリックを、女性と聴覚障がい者、あるいは老人と聴覚障がい者のペアで、うまく遂行できるとは思えません。死体や凶器を手にしていれば、そもそも手話が困難になってしまいます。本末転倒です」
トトは、なるほどなあ、と思い、勉強を教えてもらった学生のように、しきりにうなずいていた。
「じゃあ、ゴンゾウさんは、家出しただけってことですかね?」
サダコは沈黙した。
トトは、なにか変なことを言ったのかな、と、じぶんの発言を後悔しかけた。
けれども、サダコはその後悔のひまを与えなかった。
「トトさん、私たちが出動するときの、簡単なクイズをおぼえてますか?」
「え……ああ、ドアがどうこうのですか?」
「あのときと同じ感覚で、率直に述べてください。犯人は、なぜ首を切断したと思いますか?」
トトは腕組みをして、青空をみあげた。
こういう景色は、彼女にとっていつも新鮮だった。
イブミナール族は森に棲んでいるので、一面の空というものを、滅多に見ないからだ。
あの鎮守の森をうろうろしているほうが、どこか馴染み深いところすらあった。
「……おどろかせるためじゃないですか?」
この推理は、サダコの脳髄に、一ミリたりとも浮かんだことがないものだった。
「トトさん、やっぱりあなた、おもしろいですね……しかし、おどろかせるために首を切断するというのは、犯人の真意ではないでしょう。もちろん、演出はおぞましいものでしたが、なんらかのトリックのために切断したのだと思います」
トトは逡巡した。
先輩にこんなことを言っていいのだろうか、という表情で、くちびるを動かした。
「でもやっぱり……おどろかせるためだったと思うんですよ」




