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第8話 おかしな神主

 トトが松川の屋敷にもどったのは、一二時を過ぎたころだった。

 霧矢たちと帰宅時間をずらすため、村のあちこちを見て回っていると、いつの間にか見知らぬ場所に出てしまい、迷子になりかけたのである。

「ああ、またキリヤさんたちにバカにされますよ……」

 浮かぬ顔で、トトは門をくぐった。

 すると玄関のそばで、女の怒鳴り声がした。

 なんの騒ぎかと思い、トトは庭先をのぞいてみた。十数人の、ひとだかりができていた。その中央に、巫女服を着た若い女が立って、なにやらわめいていた。巫女は手に棒を持っていて、やたらとそれをふりまわしていた。

 トトは野次馬にくわわって、女の話に耳をそばだてた。

「祟りじゃ! これは大江春香の祟りなのじゃ!」

 祟り──女はそう繰り返し、屋敷の住人たちの失笑を買っていた。

 ふと見れば、野次馬には霧矢のすがたもあった。

 トトは霧矢に歩み寄り、彼女の素性をたずねた。

「犬神タエさんだよ」

「イヌガミ……タエ……?」

 どこかで聞いたことのある名前だ。

 けれども、それがどこだったのかまでは、思い出せなかった。

 トトがきょとんとしていると、霧矢は耳もとでささやいた。

「村の巫女だよ。大江春香をミイラにした張本人」

「あッ!」

 トトはおどろきの声をあげた。これに、タエは敏感に反応した。

 タエは血走った目で、トトをふりかえった。

「祟りじゃ! これは大江春香の祟りなのじゃ!」

「祟りって……オオエ・シュンさんが、死んじゃったことですか?」

「そうじゃ!」

 タエは、手にしていた棒をにぎりしめ、トトの衣装をしげしげとみつめた。

「……おぬしは何者じゃ? 魔界の住人か?」

 ふたたび失笑が起こった。

 トトは、ていねいに頭をさげて、

「わたしはトト・イブミナールと言って、警史庁の……」

 と、口をすべらせかけた。

 霧矢は素早く、あいだに割って入った。

「タエさん、今日はどうしたんですか? なにしに来たんです?」

 主人公に話しかけられたタエは、トトへの興味を失った。

 そのすきに、そばにいた公子が、トトのそでを引いた。

「こちらへ」

 公子に言われるがまま、トトは野次馬のそとに連れ出された。

 霧矢とタエは、なにやら話をしているようだ。しかし、野次馬の冷やかしにかき消されて、聞こえなかった。

 トトはもう一度、輪に加わろうとした。公子はそれを制した。

「あちらは霧矢さんに任せましょう。部外者が口出ししても、混乱するだけです」

「はあ……あのひとは、なんなんですか?」

「村の神主だと聞きましたが……どう見ても……」

 公子は、みなまで言わなかった。

「この村での障がいは、肉体的なものとは限らないようですね。タエさんは体のどこも欠けていないようですし、言動があの通りですから」

 公子の推測に、トトは納得した。

 その瞬間、ある疑問が、トトのなかで再燃した。

「あれ……もしかして、秋恵さんも……」

「呼びましたか?」

 野次馬のなかから、秋恵がひょっこりと顔を出した。

 トトはあわてて口をつぐんだ。

「な、なんでもないです」

 トトは、かえってあやしまれるような返事をしてしまった。

 公子はすかさず、フォローを入れた。

「鎌田さん、犬神タエさんは、なぜここへいらしたのですか?」

「あのひと、定期的にここへ来るんですよ。めいわくしてるんですが、ああいうひとを無下にあつかうのも、はばかられますので……」

 厄介者。そんな言葉が、トトの脳裏に浮かんだ。

 じぶんも警史庁の厄介者なのだろうか。トトはタエに、すこしばかり同情してしまった。

 そんなトトのとなりで、公子と秋恵は会話を続けた。

「祟りと言うのは、大江駿さんの件ですか?」

「そうだと思いますけど……あまり気になさらないでください」

 気にするなと言われても、トトは気にせざるをえなかった。

 もういちどタエを盗み見た。

 するとトトは、野次馬のなかに、ひとりの少女をみとめた。

 無論、少女など、めずらしくもなんともなかった。使用人らしき若い女性たちも、何人か庭先に顔を出していた。ただその少女は、ほかの娘とくらべて、目立った特徴を持っていた。車椅子に座っているのだ。ショートカットが似合う目つきの鋭い女で、まっすぐに背筋を伸ばして、ひとごみの中央を見すえていた。

 少女は、トトの視線に気づいた。首を曲げてふりむいた。トトは目を逸らそうとしたものの、あとの祭りだった。少女は器用に車椅子を動かし、輪のなかから抜け出て、トトに近寄ってきた。

「秋恵、このひとが例のお客さん?」

 少女の質問に、秋恵はうなずきかえした。

「そうよ」

「ふーん……本当に肌の色がちがうんだ……」

 そう言って、少女はトトの手の甲にふれた。

 トトはびっくりして、うでを引いてしまった。

「ごめんなさい。ちょっとめずらしかったから……私は繁山しげやま夏子なつこ。夏子でいいわ」

 繁山夏子。トトはその名前を覚えていた。

「あ、もしかして、キリヤさんの花嫁候補のかたですか?」

 トトの質問に、夏子は無表情にうなずいた。どうでもいいと言った感じだ。

 一方、となりにいた秋恵は、おもしろくないような顔をした。

 やはりライバル関係なのだ。それに気づいたトトは、この話題を避けようと思った。

「夏子さんは、この近くに住んでるんですか?」

「ううん、ちょっと離れたところ。川を渡った林の近く」

「川……? 川って、この屋敷を流れてる川ですか?」

 トトは、離れのそばを流れる小川を思い出した。

「ええ、そうよ。車椅子を買うまえは、小船でこの屋敷に遊びに来てたの」

「そうなんですか。舟が通れるんですね」

 ここで、秋恵がわりこんだ。

「みなさん、そろそろ屋敷のほうへ……」

 秋恵はそう言うと、トトたち三人に、屋敷へ入るよううながした。

 タエと霧矢の話は、依然として続いていた。初対面同士、なにをそんなに話すことがあるのだろうと、トトは不思議に思った。それとも、一方的にタエが妄言をまき散らし、霧矢がそれに付き合っているだけなのだろうか。

 トトは、

「キリヤさんも呼びましょう」

 と言って、声をかけようとした。

 が、これは秋恵に止められた。

「それは私があとでします。タエさんは、話を邪魔されるのがおきらいなので」

「……そうですか」

 トトは名残惜しそうに、野次馬の輪をながめた。

 そして、玄関から屋敷のなかへと入った。

 外での喧噪をよそに、秋恵はまず公子とトトを上げ、それから夏子のために、屋内用車椅子をもちだした。

 トトは、

「用意がいいんですね」

 と感心した。秋恵は車椅子を夏子のまえに置きながら、

「この村には歩けない者も多いので、常備されているんです……さあ、夏子さん」

 と、夏子に乗り換えをうながした。しかし、それを手伝おうとはしなかった。

 トトは手をさしだして、

「つかまってください」

 と言った。

 夏子なそれにつかまって、車椅子を乗り換えた。

 秋恵は、

「夏子さんの部屋は……」

 と言いかけた。

 夏子は、

「梅の間でしょ。わかってるわ」

 と、ぶっきらぼうに返して、中庭に向かうろうかへと、姿を消した。

 秋恵はそれを見送ったあと、トトたちを部屋へ案内した。べつに道がわからないわけではなかった。ただ、秋恵はなぜか、部屋までついて来た。まるで監視しているかのようだった。

 ヘタに首を突っ込むとあやしまれる──サダコの忠告を、トトは思い出した。余計なことは言うまいと決めて、だまっておいた。

「昼食は遅れる予定です。一時ごろかと思いますので、しばらくお待ちください」

 ことづてを終えた秋恵は、そそくさと仕事にもどって行った。

 公子とふたりきりになったトトは、やや気まずくなった。

 カールした髪に、ととのえられた眉毛と睫毛。日本人にしては色白なほうで、爪も奇麗にブラッシングされていた。公子のお嬢様らしさに、トトはあらためて感嘆した。なぜ彼女が第八課のアドバイザーを務めているのか、不思議に思い始めた。

 重苦しい沈黙。トトはそれに耐え切れなくなり、思わず口をひらいてしまった。

「キミコさんは、これまで何回事件を解決してるんですか?」

「二回です」

 この返事に、トトはおどろいた。

「二回? ってことは、今回でノルマ達成ですね」

「解決すれば、のお話です」

 トトは、そうですね、と返した。

「すごいです。第八課で二回もちゃんと解決してるなんて」

 トトは、第八課がとても恐ろしいところだと知っていた。

 恐ろしいというのは、そのメンバーが、という意味ではなかった。

 サダコ自身が言っていたように、殉職率が三割もあるのだ。

 三人にひとりが亡くなる職場など、トトはほかに聞いたことがなかった。

 しかも、死亡でない事故──重度の障害を除外しての話だ。健康なまま勤めあげるエルフは、もしかしたら半分もいないかもしれないのだった。

 これは、アドバイザーにも言えた。検史官が殉職するということは、アドバイザーも死亡するということである。もちろん、アドバイザーはもともと死んでいる身だ。ここでいう死亡とは、二度ともとの世界にはもどれなくなり、死亡が完全に確定するという意味だった。

 公子は、そっと言葉を返した。

「第八課には、どのようなかたが配属されるか、ご存じですか?」

「志願制だと聞いたことがあります……けど……」

「ええ、そしてふつうは、志願など致しません」

 トトはその先を知っていた。風のうわさで。第八課に志願するエルフは、なにかワケありの人物が多い、と。例えば犯罪者だ。定年まで勤めあげると、重罪でも放免してもらうことができるといううわさがあった。エルフの世界には終身刑もあったから、それと引き換えに危険な任務を引き受ける者がいても、不思議ではなかった。

 アドバイザーも同様で、ワケありの人間の魂は、第八課に回されるらしかった。

 しかし、サダコも公子も、そのような人物であるとは、思えなかった。

 トトが黙っていると、公子は質問をした。

「トトさんは、なぜこのお仕事を?」

 公子に話を返され、トトはとてつもなく動揺してしまった。

 それをいぶかった公子は、再度たずねかえした。

「話したくない、ということでしょうか?」

「あ、その……なんと言いますか……じぶんでこの仕事を選んだわけじゃないんです」

 公子はその眉毛を、弓なりにそらせた。

「選んだわけではない……? 強制だった、と?」

「いえ……強制っていうわけでもなくて……わたしの場合は特別なんです」

 トトは思った。あんな質問などしなければよかった、と。

 公子にたずねてしまった以上、じぶんだけ答えないわけにもいかなかった。

 トトがまごついていると、公子はなにかを察したように、言葉をつないだ。

「特別ですか……お話になりたくないなら、それでもかまいません」

 公子はそう言うと、静かに目を閉じた。

 トトはあわてて先を続けた。

「は、話したくないわけじゃないです……ただ、ちょっと色々……」

「色々事情がおありなら、ムリをなさらなくても、けっこうです」

 目を閉じたまま、公子はそう返した。

 トトはそれが、彼女なりの優しさの表現だと気づいた。

 もちろん、一般人がみせるようなやりかたでは、ないのだろう。トトが知っている人間の数は、たかが知れていた。けれども、エルフと人間の共通点は、多いように思われた。喜怒哀楽の表現方法にも、大差はない。だから、無関心をよそおっている公子のしぐさも、人間のあいだではふつうのやさしさの表現ではないのだろう。トトはそう考えた。

 この人間になら話してもよいと、トトのなかでなにかがささやいた。

「じつはですね……わたしは、特別枠で入ったんです」

 公子はまぶたをあげた。

 トトの瞳をみつめかえす。

「特別枠? 推薦ですか?」

「いえ……アファーマティブアクションって、ご存知ですか?」

 公子は表情を変えなかった。

「知っています。試験のとき、なんらかの理由で、成績下位の者を上位の者に優先させる制度ですね。私たちの世界でも、まま見られます。もともとはアメリカで人種差別を抑制するために導入されたようですが、それが逆差別だと言うひともいますわね」

 公子は言葉を切った。

 トトは、意を決して先を続けた。

「わたしたちの世界にも、キミコさんの世界みたいに、いろんな種族が住んでるんです。わたしはそのなかでも、人口のすくない部族の出身です。何年かまえ、少数部族の優遇政策が出て、検史官をひとりも輩出していない部族のなかから、優先的に合格させた年がありました。わたしは、その年に受験したんです」

「それは、じぶんでお受けになったのですか?」

「いえ、村の長老に受けるように言われまして……」

 沈黙──公子はふたたび目を閉じると、軽く息をついた。

 トトは、じぶんの秘密を人間にしゃべったことで、なぜか気が楽になった。公子がなんらかの道徳的評価をくわえようとしないことも、理由のひとつだろう。トトはそう感じた。

「わかりました。世間話はこれくらいにして、事件について考えましょう」

 事件という言葉に、トトは身がまえた。

 公子は彼女のアドバイザーではない。異なる部署間で協力体制を取ることは、出世競争の激しい警史庁では、あまり見られないことである。

 とはいえ、トトはそんな縄張り争いに、まったく興味がなかった。こころよく公子の提案に乗った。

 トトは、

「どこから始めます?」

 とたずねた。

 公子は、数秒ほど思案した。

「時系列や現場については、サダコさんがまとめてくれました。おたがいに、気づいたことを出し合ってみましょう。まずはわたくしからですが……トトさん、障子ごしに目撃した人影は、本当に大江駿のものだったのでしょうか?」

 トトは、すぐに返事をした。

「はい、キリヤさんがそう言ってますし……」

「キリヤさんの証言は忘れてください。ご自身の記憶だけで、お答え願いますか」

 公子はそう言って、トトの瞳をのぞきこんできた。

 トトはあごに手を当て、あのときの記憶を呼び起こしてみた。

 風呂上がり──霧矢との会話──障子の音──人影──

「……駿さんだったと思います」

「ご自身の証言として、たしかですか?」

「はい、障子に映った影は、キリヤさんの言う通り、ショートヘアでした。秋恵さんのシルエットは、何度か見たことがあります。彼女はおさげをしてて、それが影でも目立つんです」

「キリヤさんの証言に引きずられて、トトさんもそう思い込むようになった、というわけではないのですか?」

 トトは首を左右にふった。

「っていうか、たぶん逆なんです」

「逆?」

「わたしがあのシルエットを秋恵さんだと思ったのは、障子の音が、秋恵さんの部屋からした……ような気がしたからなんです」

 トトの新たな証言に、公子は眉を持ちあげた。

「つまり、秋恵さんの部屋から、駿さんが出て来たと?」

「そ、そんな気がするだけです……キリヤさんは、駿さんの部屋から聞こえたと言ってましたし、一瞬の出来事だったので……あまりよくおぼえてません」

 公子の顔が、真剣さを増した。

 背筋を伸ばしたまま、じっと思考の海にしずむ。

「……秋恵さんの障害とは、いったいなんなんでしょうか? なにか思い当たる節は?」

 話題の転換に、トトはとまどいをおぼえた。

 それとも、先ほどのテーマと繋がっているのだろうか。トトはよくわからないまま、あいまいに返事をした。

「タエさんみたいなひともいますから、外見ではわからないのかもしれないですよ?」

「秋恵さんが精神障害または知的障害にみえますか?」

 トトは、公子の意見に同意した。

 秋恵には、嫉妬ぶかいところがある。けれどもそれは、精神疾患ではなかった。

 トトは、秋恵の容姿を、もう一度よく思い出してみた。

 そして、ある記憶にたどりついた。

「そういえば……」

「なにか思い出しましたか?」

「キリヤさんと初めてここに来たとき、秋恵さんが、玄関でころんだんですよね。そのとき、妙な印象を受けたんです。雰囲気が一瞬で変わったような」

「ころんで雰囲気が変わった?」

 公子は、眉間にしわをよせた。そのしぐさでもなお美しさを損なわない公子を、トトはうらやましく思った。

「ころんで雰囲気が変わったというのは、どういう意味ですか?」

「なんと言うか……そのままの意味です。玄関でころぶまえと、ころんだあとで、容姿がどこか変わったような……」

「顔に土ぼこりがついたなど、そういうことではないのですか?」

 トトはうでを組み、あのときのシーンを、鮮明に思い出そうと努力した。

「……ちがいます。顔が変わったんじゃないんです。もっとべつの……」

 そのとき、ろうかの奥から、小さな足音が聞こえて来た。

 サダコだ。

 ふたりは会話を中断して、サダコの入室を待った。

 障子は、すぐに開いた。

「すみません、遅くなりました。現場を再調査していたもので」

 障子をうしろ手に閉めながら、サダコは小声でそう告げた。

 三人は、三角形をえがくように座りなおした。

 議論を再開する。サダコは、

「トトさん、公子さん、なにかわかりましたか?」

 とたずねた。

 公子は、これまでのトトとの会話を、サダコに報告した。

 すべてを聞き終えたあと、サダコは、ふたつの重要な点をぬきだした。

「人影は、秋恵さんの部屋から出て来たような気がする……ですか。興味深いですね。それともうひとつ、秋恵さんのイメージが変わったというのは、どういうことですか?」

「すみません……わたしもよくわかってないです……」

 トトは気を落とした。

 サダコはそれを手帳に書きとめ、今度はじぶんの報告を始めた。

「こちらでも、ちょっとおもしろい発見がありました。この屋敷のろうかを調べたところ、床に血痕が見つかったんです」

 トトは吃驚した。

 サダコはひとさしゆびをくちびるにあてて、注意した。

 けれども、トトの興奮は収まらなかった。

「それって、シュンさんの血ですか?」

「ちがうと思います」

「え? じゃあ、だれのですか?」

「トトさん、ちょっと足のうらを見せてもらえますか?」

 いきなりの頼みに、トトはびっくりしてしまった。

「あ、足のうらですか?」

「はい、確認したいことがあるので」

 トトはしぶしぶ靴下を脱ぐと、ひかえめに足のうらを見せた。

 サダコにのぞきこまれて、トトはとても恥ずかしくなってしまった。

「思ったとおりです……傷がありますね」

「え?」

 トトは、じぶんの足のうらを見た。

 右足のうら、ちょうどかかとのところに、小さな傷ができていた。

「あれれ、どこで?」

「私のメガネを踏んだときだと思います。ガラスで切ったのでしょう」

 そう言われ、トトは合点がいった。

「でも、あのときは気づきませんでしたよ?」

「事件の発生で、痛覚が麻痺していたんだと思います。それに、かかとは神経がニブい箇所でもありますからね……とにかく、これではっきりしました。血痕は、私とトトさんがぶつかった場所から、離れのほうへ、点々と続いていましたので」

 それのどこが興味深いのか、トトにはさっぱりわからなかった。

 それどころか、公子にも伝わらなかったようだ。公子は、

「どこがおもしろい発見なのですか?」

 とたずねた。

 サダコはニヤリと笑った。

「トトさんの血痕は、離れのろうかまで、間隔をあけて続いていました。ところがですね……離れのなかには、血痕が一滴も残っていないのです。手前で消えているのです」

 意外な新事実に、公子とトトは顔を見合わせた。

 公子は、疑わしげにこうたずねた。

「ということは、トトさんのものではないのでは?」

「いえ、あれはトトさんのものだと思います。血痕は、私のメガネが落ちた場所から、正確に続いていました。あの衝突の現場に立ち会ったのは、この三人しかいません」

 サダコの説明に、公子は、不承不承というようすだった。

 それから、ハッと顔をあげた。

「もしや、犯人が血痕を消したのでは?」

「私も、その可能性が高いと思います」

 目の前で交わされる推理に、トトはついていくことができなかった。

 そのことを察したサダコは、トトに向きなおって解説を始めた。

「つまり、こういうことです。犯人は離れで、大江駿を殺害したあと、血痕を念入りにふき取ったものと思われます。もちろん、人力では限界がありますから、殺害時になるべく血が飛び散らないように、配慮したのでしょう。とにかく、犯人は血痕をふき取りました。そのとき、トトさんの血も、いっしょに消してしまったのです」

 トトは、ふんふんとうなずいた。

 そして、その事実の重大性に気づいた。

「え……ってことは……」

 サダコは声を落とした。

「そうです。現場の清掃がおこなわれたのは、私たちが死体を発見したあとなのです」

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