嗤って僕を殺した君
ある日、一人の少年が呟いた。
「…なぁ、殺人鬼って、なんで笑ってるんだ?」
文庫の小説を読んでいた少年は、目の前で数学の課題を片付けている少女に問いかけた。
少女は、問題集から顔をそらすことなく、その質問に答えた。
「人を殺すっていう時点で、人間の感情を制御するなんかしらが壊れているんだもの。ほとんどが狂人でもおかしくないわ。特に殺人鬼の場合は、『殺人』と『悦楽』を同軸上の行為として受け止めている場合がほとんどよ。だから、自分が楽しいことをするんだから、笑ってるんじゃないかしら」
「人を殺すことが楽しい?じゃあ殺人鬼にとって人殺しは趣味なのか?」
あまりにも安直な考えに、少女は思わず『x=2』と書こうとしたシャープペンを止めてしまった。
…だが、あながち嘘ではない。
「…確かにね、人を殺すことが楽しいんだから、趣味と言っても過言ではないわね」
「じゃぁ、なんで小説とかでは、『彼が行っているのは凶器の沙汰』とか書くんだ?『彼にとっては趣味なのだろう』とかでもいいような気がするけど」
頭の悪い考え方だ。
少女は、今度こそ完全にシャープペンを置いて眉間によっていたしわをほぐしながら、少年に答えた。
「そんな小説、ネット上探せばいくらでも出てくるわ。でも、大御所なら大御所ほど、そんな安直なことを書く人は少ないでしょうね」
「なんで」
「人の生命に対する思いが違うからよ」
少年は息をのんだ。
少女の瞳が、剣呑をはらんでいたからだ。
少女は、ため息をついた。アッシュグレイに染められている長い髪の毛を気だるそうに書きあげ、分厚いレンズのメガネをはずした。
「ネット上の人間たちはね、それが全てとは言わないけれど、命を軽く扱った作品を好む人が多いの。…いえ、違うわね。死後の世界や、死が美しいと感じる人が多いのよ」
「…なんで?」
メガネをケースに入れ、鞄の中に丁寧にしまう。
その屈んだ姿勢のまま、少女はため息をつく。
「『死』が、人間にとって最も近しい非日常だからよ」
少女の黒い瞳が、夕日に照らされて、真っ赤になっているようだった。
「…非日常?そんなもの、なんで」
「人間という生き物はね、あらゆる生物の中でも最も醜い進化をした生物よ。かつて、パンと見せものを要求していた時代が存在したでしょう?どんな生物の中にも、同族を争わせてそれを見て楽しむモノなんていないわ」
いったん、呼吸を置く。
「他の生物は、種の存続のために縄張り争いや伴侶の取り合い以外に争うことはほとんどないわ。でも、人間は違う。縄張り争いなら、役所に訴えるし、伴侶の取り合いなんて、よほどドロドロしてなければ人傷沙汰に発展しないでしょうし」
少年が、少女の語りに興味なさそうに頷く。
早速飽きてきたのだと分かるが、少女はかまいやしなかった。
そこで少女は、静かに、本当に、僅かに嗤った。
「人はね、存在自体がオカシイの」
それは、ある意味で決定的な言葉だった。
それで終わり、と言ったような響きを持った言葉だった。
「当たり前、の行為をすることが動物。でも人間は、『当たり前』が一番嫌い。だから、ゲーム会社とかは奇抜なストーリーとかを用意したり、今までにないもの、とかを作ろうとしたりする」
言われてみると、そうだった。
確かに、うちの犬は、ご飯を食べて、遊んで、寝て、散歩に行く。これが、普通だ。…いや、普通、犬と言うものはみんなこういうものではないだろうか。
違うものは、犬種ぐらいだ。
「でも…犬だって服を着せてもらったり」
あがこうとした少年を、少女は切り捨てた。
「それって、人間が考えた『娯楽』の一つでしょう?人はね、何をするにしても新しいものを求めるの。最新の何かを求めるの。…でも、それは人間だけ。人間しかできない、『浅ましさ』の進化」
ぐうの音も出なくなった少年を一瞥して、少女はさて、と間を置いた。
「でも、それじゃ満足できない人もいる。みんなに注目されたい。歴史に名を残したい。でも、どうしたらいいか分からない。簡単に、手軽に。どうしたらそんなことができるんだろう?…それで、人間が考え付いた行為が、『殺人』よ」
つまりは、と続ける。
「なぜ、ネット上の小説にそんな殺人鬼の小説が山ほどのっているのかと言えば、それが心のそこでの自分の本心だから。自分がこうなりたい、と思って書いている人が大半だから。そして、そうなりたい、と思っている人がそれを読めば、それは当然ベストセラーになる。でも、そんな小説がなんで市場に出回らないかと言えば、その小説が、あくまで自身の思いを書いた…いわば暴露本だからよ」
芸能人でもない人の暴露本読んで面白いと思う人なんて一握りでしょうしね。
達観したように少女がそう言った。
「…市場に出回っているのはね、人に何かを伝えたい、人を楽しませたい、そういう純粋な思いを持った、れっきとした『作品』だけよ。だから、この世の中には残酷すぎる殺人鬼が描かれた小説は市場にあまり出回らないの」
少女は、鞄を持って立ち上がった。
「…まぁ、最近の若い人たちはそう言う残酷で、救いようのない、非現実を望んでいる人が多いみたいだし。ただの人殺し小説が出てもおかしくないわね」
それは、寂しそうに呟かれた。
少女が、教室を出て行った。
少年は一人、教室に取り残された。