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8話 俺の周りに集まる鯉

「その時、水が跳ねました。その水はあなたの体のある部分にかかりました。さあ、それはどこでしょう?」

「腕かな?」

功は一瞬宙を見て考えそう答えた。

「腕だって。」

女の子たちは顔を見合わせて、黄色い歓声を上げた。

「何それ?」

ホープの先を灰皿に押し付ける。

「宗司くんは?」

自分に振られたので、功と同じように一瞬宙を見て、

「足かなあ。」

そう言うと、

「足だって。」

さっきと同じように女の子たちは歓声を上げる。

「で、何それ?」

回答を求めると、

「鯉が跳ねて水がかかったところが、自分の体の中で一番自身があるところなんだって。」


へえ。俺は足で、功は腕か。

カーキ色のTシャツから伸びた褐色に日焼けした功の太い腕をちらりと眺めた。

なるほど。

「宗司くんも、功くんも山で鍛えてるもんね。」

奈美が俺と同じように功の腕にちらりと目をやり、少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「何で奈美、顔赤くしてるのよ。」

恵理子と、結が奈美をからかった。

「赤くなんかないわよ。次いくわよ。次の質問は?」

女の子たちは心理テストの続きを始めた。

奈美は功のことが好きなのかな。一瞬そう思った。

「そしてボートをこぎ続けていると鯉があなたの周りに寄って来ました。さあ、鯉は何匹寄ってきたでしょう。」

「えっ。何匹でもいいの。」

功は笑顔を向ける。

結が、

「そう、何匹でもいいのよ。」

「じゃあ、7匹。」

功は即答した。

「7匹ね。なるほど。」

女の子たちは顔を見合わせてうなずく。

「何それ。失恋した数とか?」

俺が茶々を入れると、

「もう、回答は後よ。宗司くんは?」


鯉か。ボートを漕ぐ俺の周りに集まってくる鯉。

あれ、いつだっただろう。中学生くらいの頃かな。

両親と兄と一緒に近くの公園にボートを漕ぎに行った。そんなに広くないけど、一周すると1時間くらいはかかるだろうと思える池があって、休日には1時間500円で貸しボートが出ていた。カップルや小さい子供を乗せた家族連れがボートを漕いで、池の散策を楽しんでいた。

その時、父親がボートを借りて、俺と兄を乗せてくれた。

その後、ふいに思いついて親父にひとりでボートを漕いでみたいと言った。

中学生になっていた俺に安心して親父は

「時間までにはちゃんと戻れよ。漕げるんだろうな。」


そう。頷いた。

親父が漕いでいたのを先程まで見ていた。

漕げると思った。

ひとりでボートに乗り込み、恐々オールを水面に滑らせると、思ったように水が動いた。

オールが濃い緑色の池の水を掻くと、新緑のさわやかな風がその動きを共にした。

夢中で水を漕ぎ続けた。

滑らかにオールが水の中を潜り、気がつくと池の中央まで来ていた。

オールを動かすのを止めると、あたり一面がしんとなった。

現実と夢の境目のような空間。

あの静けさ。

遠くで鳥の鳴き声が聞こえ、水面は小さな小波を作った。

深い緑色の水面を見ていると引き込まれそうだった。


俺はその時のしんとした池で、たったひとりでボートの上に乗っていた。

あの時の光景を思い浮かべる。

「ゼロ匹。」

「ゼロ匹?」

恵理子が繰り返した。

「そう、ゼロだよ。一匹も寄ってこない。」

「それじゃあ、駄目だよ。」

結が口を挟んだ。

「何で。」

不思議そうに結の顔を覗き込んだ俺の表情が可笑しかったのか、向かい側の席に座った功がくすくす笑い、

「宗司、駄目だよ。ゼロ匹っていう答えはないらしいよ。」

「でも。」


言いかけたところへ、白い小さなエプロンをつけた店員がコーヒーのお代わりはどうかと、銀色に光るステンレス製のポットを持ってやってきた。

〝僕、お代わりもらうよ。皆は?〟

功がそう言うと、恵理子だけが同意した。

結と奈美は、〝パフェでも食べようか。〟とメニューに目を走らせていた。

目元が真っ黒になるほどマスカラを塗りたくった小柄な店員の女の子が、ふたつのカップに黒い液体を注いでカウンターに戻るのをみると、俺はもう一度言った。

「だって、一匹も寄ってこないよ。しょうがないじゃん。」

「そんなの答えじゃない。」

女の子たちは軽い笑い声を上げた。

ふうん。女の子たちって何で心理テストが好きなのかな。

心理テストで人の何がわかるんだろう。

心理テスト自体、別に好きでも何でもなかったが、女の子たちが喜んで楽しい時間が持てるならそれはそれでいいと思っていた。


「あれってどういうことだったんだろうな。」

俺はその時の回答を聞きそびれてしまった。

何故だろう。

トイレにでも立ったのだろうか。

それとも、話題がそこで違う方向へずれたのだろうか。

思い出せなかった。

「ああ、宗司忘れちゃったんだね。」

功は草むらの上にまだ腰を下ろしたままだった。

小さな黒と白のツートンの背黒セキレイが、数匹群れを成して川の水面を飛んでいた。

ささやかな泣き声がこだました。

もうそろそろ鳥たちも巣へ帰る時間か。

功は腰を下ろしたままじっとしていた。

川にかかる高架の向こうにある空が、薄いラベンダー色に染まりつつあった。


もうすぐ日が暮れる。

功は尻についた草を手で払って立ち上がり、ジーンズのポケットから何かを取り出した。

「これ、宗司にあげるよ。」

白い半紙に何かが包んであった。

とても軽かった。

「何?これ。」

半紙を手にしたまま、顔を上げるとそこには功の姿はなかった。

胸が締めつけられた。

今までいたのに。

何の前触れもなく、いきなり消えるなんて。

煙のように功は消えてしまった。


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