6話 繋ぎ止めているもの
「僕たちをこの世界に繋ぎ止めているものって何だと思う?
この場所、この時間、ここに意識を存在させることだよ。
そして、その感覚を持つって大事なことなんだ。」
功はそう言った。
「急に何?」
俺は問い返した。
「長屋さんと僕があの木に抱きついて音を聞いていた時、だけど、宗司は何か違うとこ見てた。」
「そうだっけ?」
「そうだよ。」
「ガキだなあ、って呆れ顔でタバコ吸ってた。」
「そうだったかな。」
「ま、いいんだけどさ。」
あの木に気持ちを集中させていたんだよ。
その時の感触ってさ、僕たちはこの地球にこの世界に繋ぎ止められている。僕はここにいるんだ、いていいんだ、安心していいんだって肌で感じた。
理屈じゃなくそういうこと。
僕の気持ちがふわふわと不確かな位置をさまよって、どうでもいい小さなことにくよくよと悩んでブルーになっている時でも、この木はずっと変わらずここにどーんと居座っているんだ。それってすごいことだと思ったよ。
何年も、何十年も、何百年もだよ。
「功が言っていることわかるよ。」
「本当に?」
功は口の端をあげて、いたずらっこのような顔をした。
川岸の向こうに電車が通り過ぎるのが見える。
俺たちが立っている場所からかなり距離があるのに、電車の重みにレールがきしむ音がかすかに聞こえる。それと同時に、電車の車輪がレールの上を移動する時に、車体が右へ左へと傾く。それに伴うガタン、ゴトンという音も聞こえてきた。
川沿いに引かれたレールの上を、ゆっくりと3両編成の電車が通り過ぎる。
赤い電車の車体の色が、功の背中越しに見えた。
現実存在しない功の後ろに、現実存在している電車が通り過ぎる光景が不思議に見えた。
世界はどこで境界線を持っているのだろう。
川岸の線路の向こうには色濃い緑色の樹木が立ち並び、赤い電車の姿をより際立たせていた。
功の青いシャツの色がはっきりと目に飛び込んできた。
触れたい思いに駆られて、手を伸ばしかけた。
俺は思いとどまった。
触れたら消えてしまうかもしれん。
ジレンマ。
功はそこにいる。
確認したい。
いや、確認してはいけない。
ぼーんと耳鳴りのような耳障りな音が聞こえ始め、俺の神経を苛立たせる。
それでも、耳障りなノイズの中から、功ははっきりとした声で俺に話しかける。
「宗司はいつもどこか遠いとこ見てた。
ここにいるのは俺じゃないんだって顔してた。」
「そうか?」
そんなこと言われたの初めてだった。
功とのつきあいは何年にもならない。あっという間だった。
だから、俺たちの間には話し足らないことがいくらでもあったのかもしれない。
「そうだよ。」
功は川岸に腰を下ろした。足を投げ出して川岸の土手に直接尻を下ろした。
夕暮れの風が吹き抜けて功のシャツの裾を膨らませる。
「僕が山へ行って楽しかったのは、山へ登ると自分がちっぽけな存在に思える。悩んでいることが馬鹿らしくなってくる。だけど山はそんな自分を包んでくれる。何も言わないで。
汗をかいて、息が苦しくなって、足が棒のようになって、だけど楽しい。
なりふり構わず頂上だけ目指して、無になっていく感覚が僕には必要だったんだよ。
それを得ることが楽しいと思った。
たぶん宗司もそうだったと思う。
山にいる時の宗司は、宗司だった。ここに現実存在して息をしている宗司だった。林道を宗司の後ろを歩いている時、屋根に出て一息ついて宗司の顔を見てる時、あ、宗司ここにいるなって思っていた。だから宗司と山へ行くのが楽しかった。山へ入って生き返ったような宗司を見るのが嬉しかった。」
思ったこともなかった。
功がそんなふうに俺を見ていたことなんて。
功は続けた。
「話は変わるけどさ、スタンドのバイトの女の子たちとご飯食べに行った時さ。」
よくバイト先の女の子たちと飲みに行った。
仲の良い女の子が3人程いて、大学受験の為、バイトを止めても付き合いは続いた。
功とその子達5人でよく食事をした。
深夜のファミレス。
食事して、飲んで、2、3軒店をはしごしても、何か物足りなくて、会話が尽きなくて、皆でいると楽しくて、最後は24時間開いているファミレスに寄り、お代わり自由のコーヒーで何時間も粘った。
あの頃は、とりとめもない話をして、今から思うと無駄とも思える時間の使い方が何故あんなに楽しくて仕方なかったんだろう。
「心理テストした。覚えてる?」
「心理テスト?どんな?」
「鯉だよ。」
「鯉?」