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私たち「初めまして」じゃありませんけど?

作者: 石動なつめ
掲載日:2026/03/08


 王立学園に入学したまさにその日、イザベルは二学年上の先輩の横っ面を思いっきり平手打ちしてやった。


 学園一の美青年と噂され、ファンクラブもあるお綺麗な顔の先輩は、イザベルの一撃によって空中を錐揉みしながら飛んでいく。

「わあ、すごい」と誰かがつぶやいて拍手をしてくれたおかげで、一瞬前までの最悪だったイザベルの気分はちょっぴり上を向いた。


 豪奢な金髪を手で払い、イザベルは自分が張り飛ばした先輩のもとへと堂々と進む。

 何とか体を起こした先輩は、イザベルが平手打ちした左頬に手を当てて呆然としている。


「――先輩」


 静かに、イザベルは先輩の前に立つ。

 先輩はびくりと肩を跳ねさせて、恐る恐るとイザベルを見上げた。

 イザベルのアメジスト色の瞳と、先輩のオニキス色の瞳が交差する。

 一呼吸分の沈黙。

 先に口を開いたのはイザベルだった。


「可憐? 素敵? 新入生の中で一番美人? そうですわね、分かりますわ。だって私は美しいですもの。でもね、先輩……いえ、ロテール様? さすがにひどいと思いませんこと?」


 さりげなく高い自己評価を混ぜつつ、イザベルは先輩ことロテールを見下ろす。


「あ、あの……えっと、お嬢さん……? ええっと、どうして怒っているのか教えてもらっても……?」


 ロテールは狼狽えつつも、おずおずとそう訊いてきた。

 イザベルの頬がぴくりと動いた。とたんにロテールは短い悲鳴を上げる。

 イザベルから放たれる殺気に、ロテールの額から冷や汗が伝う。その汗がベビーピンクの髪を濡らし、かっこいいと評判のロテールの顔に張り付いていた。


「先ほどご自分が何を仰ったかお忘れかしら?」

「さ、さっき? さっきって……初めましてとしか……」

「ええ、そうですわね」


 イザベルは頷いてみせる。


「正確には『初めまして可憐で素敵なお嬢さん。新入生の中では一番美人さんだね。良かったら一緒にお茶でもどう?』よ。あなた、そう仰ったのよ」


 他の新入生に対してまぁまぁ失礼な発言も混ざっていたが、そこはイザベルとしては別に構わない。

 問題なのは一番最初の台詞だ。


「初めまして可憐で素敵なお嬢さん……ですって? 私たち『初めまして』じゃありませんけど⁉」


 腰に手を当てて怒鳴るように言うイザベル。


 ――そう。

 ロテールは「初めまして」と気楽に口説いてきたが、イザベルとロテールは初めましての関係ではない。


「まったくお気付きになっていないようですから、自己紹介させていただきますけれど! 私はあなたに不細工だの何だの言われ続けた、シャンテ家のイザベルですわ! あなた、ご自分の婚約者の顔をお忘れですの⁉」



       ◇ ◇ ◇



 幼い頃のイザベル・シャンテは自分の外見にさほど興味がなかった。

 だから六つ年上の優しい姉が、婚約者に会うのだと化粧を施しお洒落をして、楽しそうに出かけて行くのがいつも不思議だった。


「お姉様はそのままでも素敵なのに、どうしてお化粧やお洒落をするの?」

「あら、イザベルったら嬉しいことを言ってくれるじゃない。そうね、どうしてって言われたら……やっぱり自分のためかしら」

「自分のため?」

「ええ、そうよ。婚約者に綺麗だねって思ってもらいたいの。だからお化粧をするし、お洒落もするわ」

「どうして綺麗だねって思ってもらいたいの?」

「もう、イザベルったらおませさんね。そんなの……好きだからに決まっているじゃない」


 そう言ってイザベルの姉は幸せそうに微笑んでいた。

 教えてもらったけれど、やっぱりイザベルにはよく分からなくて「そうなんだ」くらいの感想しか抱けなかった。

 姉の言葉を理解できたのは、イザベルに婚約者ができた時だ。


 お相手の名前はロテール・ロクス。

 多くの船舶を持ち、外国との交易で富を築いてきたロクス家の三男だ。

 イザベルの母親とロテールの母親がとあるパーティーで意気投合した結果、二人の婚約の話が持ち上がった。


 イザベルは、姉が幸せそうに婚約者との惚気話を聞かせてくれるので、実のところ少々期待していたのだ。

 まだまだ子供のイザベルには、恋とか愛とか分からないし、誰かをそういう意味で好きになったことはない。けれども姉のように、その人のためなら頑張れるくらいに好きになれる人と出会えるかもしれない。

 そんな夢見がちな子供らしい期待を抱いていたのだ。


 その期待はロテールと出会った瞬間に打ち砕かれた。


「えっ、こんな不細工と……?」


 イザベルの顔を見たとたん、ロテールは愕然とした顔でそうつぶやいた。

 うっかり心の声が零れてしまったという風だったが、言うに事欠いて不細工である。

 自分の容姿に興味のなかったイザベルでも、さすがにショックを受けた。

 ロテールの母親が、目を吊り上げて自分の息子の頭を叩いたのはその直後だったが、彼の心ないひと言は幼いイザベルの心をそれはもう傷つけた。

 衝撃のあまり、その後でどんなお菓子を食べてとんな会話をしたかも、イザベルはまったく憶えていない。


 一つだけロテールを擁護してやれることがあるとすれば、彼が婚約相手を勘違いしていたから、というくらいだろうか。

 どうやらロテールは、自分が婚約するのはイザベルの姉だと思い込んでいたらしい。

 どこかの家で開かれたガーデンパーティーでイザベルの姉を見てひと目惚れしたロテールは、シャンテ家のお嬢さんとの婚約話があると聞いて、二つ返事で承諾したそうだ。

 その時すでにイザベルの姉は別の相手と婚約していたし、彼のご両親は妙に乗り気のロテールを見て「あ、知っている子なんだな」と思い、婚約相手の名前がイザベルだとさらっと伝えたくらいで済ませていた。


 その結果とんでもない勘違いと混沌が発生した。


 後日、ロテールからきちんと謝罪の手紙が届き、婚約も何故かまとまってしまったため、イザベルと彼は婚約者同士となった。


 けれどもあの日から関係は複雑なままだ。

 お茶会をしたりデートをしたり、一応はお互いに婚約者らしいことはしていたものの、顔を合わせるたびにイザベルとロテールは喧嘩をしていた。ロテールがことあるごとに「不細工」と言ってくるので、イザベルが「鏡を見て物を仰い」と言い返していた。


 そんな歪な状態はある日を境に終わった。

 ロテールが王立学園へ入学したからである。

 学業や交友関係の構築で忙しくなるのを機に、二人は同意のもとにお互い不快だった交流を一時中断することにしたのだ。

 長年のギスギスした空気から一時的でも解放されると決まったあの時、二人は初めて自然な笑顔で笑い合った。


 ――のだけれども。


 いざ交流がなくなったら、何だか胸にぽっかりと穴が開いたような妙な感覚にイザベルは陥った。

 ロテールと会わなければ憂鬱な気分にもならないし、不細工と言われて怒って言い返さなくて良いから疲れもしない。

 それなのに、どういうわけか妙に日常に張り合いがなくなってしまった。


 謎の感覚のせいで、日に日に元気がなくなっていくイザベル。そんな彼女を心配した両親は、嫁いで行ったイザベルの姉に連絡を取った。

 姉はすぐにシャンテ家へ帰ってきて、イザベルにいろいろと質問をした。


「それはずいぶん最低な婚約者ねぇ」

「そうですの! だからしばらく会わなくて良いって、せいせいしていたんですのよ。ですけれど……その日から何だか毎日があまり楽しくなくて……」

「イザベル、あなた……」


 姉は一度口ごもり、


「あなた、それは恋よ」


 断言した。


「恋? 私が? 誰に?」

「ロテールさんよ」

「私がロテール様に恋⁉ わ、私、そんなに趣味が悪くありませんわ!」

「それは……ちょっと否定できないけれど、でもそうとしか思えないわ。だってロテールさんと会わなくなった日から、そうなったんでしょう?」

「それは……そうですけれど……」


 だからってこれが恋と言われてしまうと素直に頷けない。

 イザベルは複雑な気持ちで下を向いた。


「自分を不細工って言ってくる人のことなんて、好きじゃない……」

「ええ、そうね。私もそう思うわ。でもね、なら――」


 姉はイザベルの手を取って、


「惚れさせてやればいいのよ」


 綺麗な笑顔でそう言った。


「惚れさせて?」

「そうよ。お化粧やお洒落を勉強して、こんなに可憐で素敵な子が自分の婚約者だったなんてって、ぎゃふんと思い知らせてやるの。そして惚れさせて、不細工なんてひどいことを言ったのを後悔させてやりましょう!」


 そう言った姉の目は燃えていた。姉は、自分の可愛い妹に不細工なんて言い続けたロテールに、妹以上にぶちギレていたのだ。

 めらめらと燃える姉に気圧されて、イザベルはうっかり頷いてしまった。


 それからイザベルは姉の指導のもと、自分磨きに励み――容姿に自信があると胸を張って誇れるくらいの、今のイザベルへと変わったのである。



       ◇ ◇ ◇



「まったく、元は私の顔なんですから、ちゃんと見れば分かるでしょうに」


 王立学園の中庭の中央――そこにある噴水前のベンチに腰掛けたイザベルは、隣に座る婚約者の顔に水で濡らしたハンカチを押し当てていた。


「簡単に言うけど、二年前とまるで別人なんだから仕方ないじゃないか」


 憮然とした顔のロテール。

 拗ねたように口を尖らせる彼を見て、イザベルは肩をすくめた。


「あら、二年経っていたって私はすぐにロテール様に気が付きましたのよ。それに百歩譲って見た目では分からなかったとしても、声は何も変わっていませんわ」

「そ、それは……その……急に平手が飛んできたから吃驚して……。ああもうっ、気付かなかった僕が悪かったよっ」

「分かれば良いんですのよ。私も頬をぶって申し訳ありませんでしたわ」


 ふふんと形の良い唇で笑って見せた後、イザベルもそう謝れば、ロテールは一瞬だけ呆けた顔になった。それから彼はハッと我に返ったふうに顔を逸らす。


「……それで? 一体どうしてそうなったんだ?」

「そうなったとは?」

「見た目のことだよ。二年前と全然違うじゃないか」

「あら。女性の二年は大きいんですのよ。二年も顔を合わせなければ、劇的に変化していたっておかしくないですわ!」

「それにしたって変わり過ぎだろう……」


 言って、ロテールはイザベルの顔をちらりと見た。

 イザベルは自分の金髪を指でいじりながら、


「それはもう努力しましたもの」

「努力?」

「ええ。ロテール様にぎゃふんと言わせるための努力ですわ!」

「は? 僕?」


 イザベルの言葉に、ロテールはポカンと口を開けた。


「どう――どういう……」

「私、可愛くなったでしょう? 美人になったでしょう? そうですわよね? だってさっきご自分で仰っていましたもの。一目見て分からないくらいの大変身! これがロテール様が不細工だと仰っていたイザベルですわ。どうですの、思い知りまして⁉」


 さあどうだ、とイザベルはロテールに顔を近付け反応を待つ。

 ロテールはぎょっと目を剥いて仰け反った。


「近い近い近い!」

「私だと気が付かないくらい目が悪いロテール様ですから、これくらいの距離が必要なのではなくって?」

「そんなわけないだろ! ああ、もう、中身はまったく変わってないな!」

「当たり前ですわ! 私、中身は元から良いですもの!」

「本当に何も変わってないな!」


 ロテールは呆れたようにため息を吐くと、


「……したよ、ぎゃふんって。美人になっていて吃驚した。気付かなくてごめん」


 観念した様子でそう言った。

 イザベルはぱちぱちと目を瞬いた。自分から言っておいて何だか、こんなに率直な言葉が返ってくるとは思っていなかったのだ。


「…………」

「何だよ、その顔」

「いえ、ロテール様が素直なので明日は雪でも降るのかなって」

「降りません。僕は一体どういう認識をされているんだ……ああ、まぁ、悪い方には思われているだろうけど……」


 がっくりと肩を落としたロテール。

 そんな彼にイザベルは首を傾げた。


「悪くは思っていますけれど、どうでも良いとは思っていませんわ」

「うん?」

「興味のない相手や、嫌いな相手にぎゃふんと言わせるためだけに、ここまで努力しませんもの」

「…………は」


 ロテールがぴしりと固まった。イザベルが何を言ったのか理解できなかったようで、彼は何度も何度も瞬きをしている。


「それはどういう……」

「私、ロテール様のこと好きみたいですの」

「――――えっ、は? す、好き⁉」


 動揺してベンチから立ち上がるロテール。

 その顔が少し赤くなっているように見えるのは、イザベルの気のせいだろうか。


「僕は今まで君にさんざんひどいことを言っていたんだぞ⁉ さすがに趣味が悪い!」

「ご自覚があるようで何よりですし、自分でも趣味が悪いと思いますわ。そんな相手のことが好きだなんて、そりゃあ私だって信じられなかったんですのよ? でも……ロテール様と会わなくなってから、毎日に張り合いがなくなってしまったんですの。あんなに腹の立つやりとりだったのに、懐かしくなってしまって……」

「…………イザベル」

「ですから!」

「うわっ!」


 イザベルもベンチから立ち上がり、ずい、とロテールに近付く。


「惚れさせて、今までのことを後悔させてさしあげますから、覚悟しておいてくださいな!」


 満面の笑みで高らかに宣言するイザベル。

 ロテールはあわあわと動揺したように、数歩後ずさった。

 顔は、やはり赤くなっているかもしれない。まずは順調に第一歩という感じだろうか。

 イザベルはよしよしとご機嫌に頷いた後、


「ところでロテール様?」

「な、何だ」

「私という婚約者がいながら、いつもあんな風に女性を口説いていますのかしら? それは今回とは別の問題ですから――」


 両手をぐっと握り、ファイティングポーズを取るイザベル。


「しっかりお話をする必要がありますわね!」

「そこは本当にごめんなさい!」


 そんなイザベルを前に青褪めたロテールは、流れるような勢いで東の国で行われる最敬礼(土下座)をしたのだった。


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