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~春朧~

季節はとどまる事を知らずに流れゆく。

十夜が寺に身を寄せて六年目の春、天空寺の周囲に自生している桜の木々も、

淡い薄紅色の花が咲き誇っていた。

境内にまで舞い落ちて来る花びらを掃除する手を止めて、十夜は桜の木を見上げる。


「十夜さまは、花がお好きなんですね」

ふいにかけられた小僧の言葉に、十夜は振り向いた。

「……そういうわけではないが」

「そうですよ。いつも季節の花が咲くたびにうっとりと眺めていらっしゃる。お気づきではないのですか?」

「…………」

今更ながら、十夜は己を顧みる。

花が好きなどと、まるで婦女子のようで恥ずかしいが、確かに言われてみればそうかも知れない。


夏には朝顔、秋には彼岸花、冬には寒椿、そして春には桜と、山寺の周りでは季節ごとの花が咲く。

それらの清楚で美しい姿を目にすると、何かとても懐かしい、いとおしい気持ちになるのだった。

記憶には無い誰かを追い求めているかのように。


「…それより、何か急用か?」

虚しい思考を切捨て、十夜は小僧に問いかける。

思い出したように、小僧は告げた。

「和尚様がお呼びです」


十夜は村長に招かれたという住職に、道中の供を言いつかった。

村はずれの街道沿いにある桜並木は、ちょうど満開。

住職はしばらく花見でもしていろと告げて、一人、村長の屋敷に入ってゆく。

いつもは軒先か庭で時間を潰すのが常だが、今日は住職の言に従い、桜並木の散策に出た。


はらはらと、涙のように花びらが降る。

潔くも美しい、儚い命を惜しむかのように。

見惚れながら歩を進めていた十夜は、ふと足を止めた。

一本の桜の木の下に、一人の女性が佇んでいる。

年齢は十夜とあまり変わらないだろう。今まで一度も見た事が無いし、雰囲気からも、村の住人ではないと察せられる。

黒い小袖に桜色のショールをまとう、長い髪の美しい女だった。

(……?)

白い頬には、花の雫とみまごう涙。

その様子が妙に心にかかり、十夜は女に歩み寄った。

「……どうなさいました」

女はますます悲しそうに涙を流し、十夜の視線から逃れるように目を逸らす。

「あの…」

「……母が」

二度目の問いかけをする前に、女は口を開いた。

涙に震えてはいるけれど、涼やかで綺麗な声だった。

「母が……亡くなったのです」

十夜には家族の記憶は無いが、何年も寺で過ごしているから、身内を亡くした

遺族の悲しみの深さは推し量れる。

「そうですか……ご愁傷様です」

住職に倣った仕草で掌を立て、祈るように目を閉じた。

僧職ではないけれど、せめて故人の冥福を祈るべく。

「…突然倒れて、あまりにも早く逝ってしまわれました。親孝行してさしあげる事もできずに…」

「貴女はとても悲しんでいる。それだけでも母君への孝行でしょう」

十夜の言葉に、女は再び はらはらと涙をこぼした。

「母より前に……弟を失くしています」

言うともなしに女は言葉を続ける。

こういう時は、誰かに話す事で心が軽くなるのかも知れないと考え、十夜は耳を傾けた。

「私は…弟も助けられませんでした。……何ひとつ真実を知らず、母の苦悩もわかってあげられなかった。もっと早く気づいていたら、せめて一目だけでも…」

「自分を責めてはいけない」

無意識に、十夜は女の肩に手を回した。

「貴女は何も悪くない。そのように己を責めては亡き母上が悲しまれるだけだ」

言いながら、まるで我が事のように胸が締め付けられる。

ともすれば自分まで泣いてしまいそうで、ぐっと涙腺を堪えた。

「……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…」

自然に抱きしめた十夜の腕の中で女は謝罪を繰り返す。

もはや届かぬ相手へ、必死に伝えるように。


十夜は不可思議な感情を自覚する。

このせつなさは何だろう?

とても懐かしいような気がした。

まるで、ずっと以前からこの女性を大切に思っていたかのように。


「ごめんなさい………とう……」

嗚咽に消えた語尾に、ふと思考を戻される。

今、自分の名前を呼ばれた?

しかしその疑問はすぐに解消する。

寺預かりとなって六年、今やこの狭小な村内で十夜の事を知らぬ者などいないのだ。

誰かが茶飲み話に出したのなら、よそ者である彼女が知っていても不思議は無い。

十夜の胸にすがったまま、女は暫し泣いていた。


やがて村長屋敷の方から住職の呼び声が聞こえ始める。

「……ごめんなさい」

何度目とも知れぬ謝罪の言葉と共に、女は身を離す。

どちらからともなく、互いの顔を見つめあった。

「母君は貴女の中に在る。貴女を慈しみ育んでくださった母君の事を忘れず、これからも強く生きてゆかれると良い」

「……ええ」

女は迷いの無い口調で返答した。

「では、達者で」

「とう――― ……」

踵を返した十夜の背に、思わず飛び出した声がかけられる。

「何か?」

「……いいえ」

しかし振り向いた十夜に、女は悲しげに口をつぐむ。

そしてゆっくりと頭を下げた。


遠ざかる後姿を、追いかけたい衝動にかられる。

それを必死で堪えながら、女はまた涙を流した。

亡き母を偲ぶ為ではなく、救えなかった弟の為に。



「十夜、懐に何を持っておる?」

「え?」

寺への帰路、住職に指摘されて十夜は初めて気づいた。

着物の袷の隙間に、ピンのような物が刺してある。

「和尚を待っている時に、母君を亡くされたという女性と話をしました。あの方の持ち物でしょうか?」

ならば返さねばと考えるが、日没も近いし今から引き返しても会える可能性は低い。

困惑する十夜に、住職は穏やかな口調で言った。

「預かっておきなさい」

「ですが…」

「袖すり合うも他生の縁じゃ。御仏のお導きがあれば、お返しできる時も来よう」

「……わかりました」


寺に戻った後、十夜は改めてピンを検分した。

先端は鋭く尖っているものの、髪や衣服に刺すには長すぎる。

女性は こんな装飾品を身に付けるものなのだろうかと不思議に思う。

それは身を飾るというより、むしろ―――

(針のようだ)

縫い物に使う物よりは細く長いけれど。

それが率直な印象だった。


出会った女性の姿を脳裏に思い描く。

まとっていたショールと同じ淡く優しい色のイメージで、まるで桜の花精のようだと思う。

できることなら、もう一度会いたい。

涙ではなく笑顔を見せて欲しい。

(――― もしかしたら、あの女性に恋をしたのだろうか?)

そんな思考に苦笑する。自分は、どこの誰とも知れない身の上なのに。

そう考えた瞬間、十夜は彼女の名を聞いていない事に気がついた。

否、聞かなかったのだ。

初対面にも関わらず、なぜか既に知っているような気がして。

どうして、そんな勘違いをしたのかわからない。

だけど出会えて嬉しかった事は事実。


手の中のピンを握り締める。

これは彼女に繋がる唯一の手掛かり。

大切に保管して、再会を願う事にしよう。

そう誓った。


桜の下で出会った、桜の花のような女性。

それはまるで春光が見せた幻の如く遠く、そして儚い兆しだった。



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