表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/13

~氷輪~

朧家の奥方が突然倒れ、散華するように亡くなったのは、年明けを前にした冬の寒い日。

元々もの静かで従順な女性だったが、息子の不祥事以来 主家に憚り、表立った席には一切姿を見せなくなっていた。

訃報は燦月家にも伝えられ、弔問という名目で彩華にも外出の許可が下りる。

5年ぶりに朧家の敷居を通る事ができた。


無論、彩華の傍には厳重な監視と護衛の侍女が付いている。

喪主の朧当主は普段と変わらぬ様子で挨拶をしたが所用で妻の最期に間に合わなかった彼は、わずか一夜で随分老け込んだように見えた。

その隣には一人で母を看取った咲桜里が座っている。

「咲桜里…」

彩華は憔悴した様子の咲桜里に声をかけた。

「彩華様……わざわざご足労いただきまして…」

咲桜里はお辞儀するが、伏せた顔はそのまま上げず、畳についた手先は震えている。

「咲桜里、見苦しいぞ」

当主と彩華の前で嘆き悲しむ姿を見せるなと、父は言外に娘を咎めた。

こういう時に涙するのは人の子ならば当然なのに。

彩華は慰めの言葉もなく、無言で咲桜里の肩を抱く。

その時、わずかに咲桜里の瞳が上向いた。

一瞬、訴えかけるようなまなざしと視線が合う。

姉妹のように育った仲でもあり、彩華はすぐに何かを察した。

「咲桜里は疲れているようです。少し休ませてあげてはいかがですか?」

彩華にそう言われては是非も無く、当主は退室の許可を出す。

咲桜里を気遣うように彩華も付き添い、共に彼女の部屋へ入った。

そして後に続こうとする侍女を制止する。

「こんな時くらい、二人だけにしてくれない?」

確かに、襖一枚隔てただけの部屋から逃走など不可能だし、同性の咲桜里とならば、一対一でも問題は無い。

侍女は納得し、そのまま廊下にとどまった。


「彩華様」

入室して二人きりになると、咲桜里は極めて自然な動作で衝立の陰に移動し、母を亡くした娘が友と悲しみを分かち合うかのように縋りつく。

そして廊下に控える侍女たちに盗み見られてもわからぬよう、更には盗聴もされぬよう警戒し、細心の注意を払いながら、密かに告げた。

「――― 冬夜が生きております」

「!!」

瞬間、彩華の心臓が跳ね上がる。

生存を信じてはいたが、何一つ情報も無く、探しに行く事もできず、諦めかけていただけに驚きを隠せない。

彩華は驚喜の想いが表に現れぬよう抑制し、小声で問い返す。

「…本当に?」

「確かです。…母が、亡くなる前に教えてくれましたから」


朧家の当主は妻と主以外には息子の生存を隠蔽しており、姉の咲桜里でさえ、いまわの際の母に伝えられるまで弟は自害したと信じていた。

亡骸との対面が許されなかったのも、遺骨が朧家の墓に納められなかったのも、家名を汚したからと一言で切り捨てられ、疑う余地も差し挟めず。

主家第一の夫に逆らえず、一方的に引き離され、遂に再会も叶わず、無力さを許してくれと謝りながら死んでいった母。

その最期を見届けた咲桜里は、父と燦月の当主に背く事を決意した。

彩華が今でも冬夜を想っている事を、咲桜里は誰よりもよく知っている。

冬夜の生存を知った今、そしらぬふりで生きられようか。

五年前、何ひとつ助力できなかった事を、ずっと悔やんでいた。

だから今度こそ二人の為に力を尽くしたいと思う。

そして咲桜里には心強い味方がいた。

家庭教師として住み込んでいる虎堂家の子息は、まだ16歳だが、聡明で早熟で、老齢の当主の影で政財界を牛耳る天才少年である。

彼の助力を得られれば、冬夜の居場所を探し当てる事も不可能ではない。

「必ず彩華様をご案内してさしあげますから、希望をお持ちになって下さい」

「咲桜里……ありがとう」

凍るような冬の空、一筋の月光は希望の証。

咲桜里の部屋から出てきた彩華が涙を流していても、誰一人不審には思わなかった。


咲桜里を慕う虎堂少年は彼女の依頼を快く引き受け、即座に調査を開始する。

朧家当主の隠蔽工作もなかなか巧妙で、時間を要したけれど、春になる頃には冬夜の居場所は判明した。

同時に、彼がすべての過去を忘れている事も。

咲桜里も朧家に生まれた女である。父の施術で記憶を封印されたのだと察しはついた。

それでも一縷の期待を胸に会いに行ったが、冬夜は姉の顔を見ても、話をしても、何も思い出さない。

迂闊に『姉だ』と告げようものなら、どこかから父に知れて再度身柄を隠されかねない為、姉弟の名乗りも上げられない。

代わりに咲桜里は、ピンに偽装した鍼を忍ばせた。

朧流鍼灸術皆伝者のみが為せる秘技で封じた記憶を戻す事ができるのは、同じく皆伝者である冬夜自身だけだから。


彩華は逐一報告を受けていたが、じっとしてなどいられない。

日々会いたさがつのり、焦がれる思いは強くなる。それでも周囲を油断させる為に今までと変わらぬふりをして機会を待った。

その間に縁談は進み、結納を済ませ、花嫁衣裳も仕立て上がり、後は挙式の日を待つだけとなって、誰もが安心していた秋の日、遂に逃走を決行したのである。

咲桜里たちの協力のもと、密かに屋敷を抜け出し 彼等が手配してくれた車に乗り、いくつもの県境を越えた。

しかし村までは順調だったものの、寺へ向かう山道は次第に険しくなり、ガードレールも無く、未舗装の上に道幅も狭くて、さすがの四輪駆動車でも限界が来る。

遂には、無理に進んだ悪路に脱輪し立ち往生してしまう。

「駄目です、これ以上は進めません。いかがいたしましょう?」

「ここまで連れて来てくれただけで充分です。ありがとう」

礼を述べるや、彩華は車から飛び出した。

驚いた運転手が止める暇も無く、そのまま山に分け入ってしまう。

目的地まであとわずか。そう考えると居ても立ってもいられない。

長い髪や着物の袖が木の枝や茂みに引っかかる事も気にせず、歩き辛い獣道に下駄を脱ぎ捨て、息を切らしながら

ただひたすら冬夜が住まうという寺を目指した。


続く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ