表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

異世界転生したのに、スキルが『日本語』だけでした

 死んだ。

 それだけは確実に分かった。


 俺――田所健太、三十二歳、独身。

 会社帰りに居眠り運転のトラックに突っ込まれ、あっけなくこの世を去った。

 ……はずだった。


「ようこそ、転生窓口へ」


 気がつくと、真っ白な空間にいた。

 目の前には、安っぽい魔法使いのコスプレをした青年が立っている。

 サイズの合っていないとんがり帽子、星柄のマント、「MAGIC」と刺繍されたチープな杖。


「私は転生神ツクヨ。あなたを異世界へ送る担当です」

「……は?」

「説明は省きます。時間がないので」


 ツクヨと名乗る神は、ペラペラの書類をめくりながら早口で続けた。


「あなたには転生特典として、一つだけスキルを付与します。本来は『剣術マスター』とか『無限魔力』とか選べるんですが……」

「それは素晴らしいですね! 俺は何がもらえるんですか」

「……すみません、今期の予算がギリギリでして」


 ツクヨは申し訳なさそうに目を逸らした。


「あなたに付与できるスキルは『日本語』だけです」

「……日本語?」

「はい。日本語を話し、読み、書くことができます」

「いやいやいや、それ元から持ってるやつですよね!?」

「そうですね。でも、これしかないんです。本当にすみません」


 俺は絶句した。

 剣も魔法も、鑑定も収納もない。

 あるのは、日本語だけ。


「あ、一応説明しておきますと、転生先の異世界では別の言語が使われています」

「……は?」

「つまり、あなたの日本語は誰にも通じません」

「ちょっと待ってください!」


 俺が叫ぶ前に、視界が真っ白に包まれた。


「では、良い転生ライフを!」


 その声だけが、やけに明るく響いていた。


---


 目が覚めると、森の中だった。

 木漏れ日が美しい。鳥のさえずりが聞こえる。

 ……そして、獣の唸り声も。


「うぉぉぉぉぉ!」


 気がつくと、巨大な狼のような魔物に追いかけられていた。

 走る。ひたすら走る。

 体は若い。十代後半くらいの感覚だ。

 転生時に若返ったらしいが、今はそんなことを喜んでいる場合ではない。


「誰かー! 助けてー!」


 叫んでも、返事はない。

 いや、そもそもこの世界では日本語が通じないのだった。


 森を抜けると、小さな村が見えた。

 農作業をしていた村人たちが、俺を見て驚いた顔をする。


「助けてください! 後ろから化け物が!」


 俺は必死に叫んだ。

 だが、村人たちはポカンとしている。


 通じていない。

 全く、通じていない。


 仕方なく、俺はジェスチャーで伝えることにした。

 後ろを指差し、走るふりをして、倒れる真似をする。


 村人たちは顔を見合わせた後、何かを叫びながら走り出した。

 どうやら伝わったらしい。


 数人の男たちが槍を持って駆けつけ、追ってきた魔物を撃退してくれた。

 俺は地面にへたり込んで、深く息をついた。


「……はぁ、はぁ……、助かった……」


 村人の一人が、俺に何か話しかけてきた。

 当然、何を言っているのか分からない。


「あー、えっと、サンキュー? ありがとう?」


 俺は両手を合わせて頭を下げた。

 万国共通のお辞儀だ。


 村人たちは不思議そうな顔をしたが、とりあえず敵意はないと判断したらしく、村に案内してくれた。


---


 それから一ヶ月。

 俺は必死に生き延びた。


 言葉が通じないというのは、本当に大変だ。

 「水をください」を伝えるのに、喉を指差して、飲む真似をして、汗を拭く仕草をする。

 「眠い」を伝えるのに、目をこすって、手を合わせて頬に当てる。

 全てがジェスチャーゲームだった。


 村人たちは親切だった。

 異様な格好(転生時に着ていたスーツのまま)で森から飛び出してきた怪しい男を、それでも受け入れてくれた。

 俺は農作業を手伝い、薪を割り、なんとか村の一員として認められるようになった。


 問題は、言葉の壁だ。


 この世界の言語は、発音も文法も日本語と全く違う。

 一ヶ月経っても、「こんにちは」と「ありがとう」しか覚えられなかった。

 語学センスがないにも程がある。


「はぁ……」


 ある日、俺は村の外れで溜息をついていた。

 このまま一生、ジェスチャーで生きていくのだろうか。

 神様にもらったスキルは「日本語」だけ。

 これが何の役に立つというのだ。


 その時、村に見慣れない一団がやってきた。

 立派な馬車に、鎧を着た騎士たち。

 そして、ローブを纏った老人。


 村長が慌てて出迎える。

 どうやら偉い人らしい。


 老人は村長と何やら話した後、俺を見た。

 そして、何かを言いながら俺を指差した。


「え、俺?」


 騎士たちが近づいてくる。

 ヤバい。何かまずいことをしたのか。

 俺は両手を上げて、無害アピールをした。


 だが、騎士たちは俺を捕まえようとはしなかった。

 代わりに、老人が書類のようなものを広げて見せてきた。


 そこには、奇妙な模様と文字が描かれていた。

 そして、その文字は――


「……え?」


 日本語だった。


 間違いない。

 「この先、危険。立入禁止」

 そう書かれている。


「読める……」


 俺は呆然と呟いた。

 老人が目を輝かせて何かを言った。

 騎士たちがざわめく。


 俺は、その書類をまじまじと見つめた。

 古びた羊皮紙に描かれた日本語。

 どう見ても、この世界のものではない。


 なぜ、こんなところに日本語が?


---


 その後、俺は老人に連れられて王都へ向かうことになった。


 どうやら、この世界には「古代文明の遺跡」があるらしい。

 千年以上前に栄えた超文明で、その技術は今の世界をはるかに凌駕している。

 だが、遺跡に残された碑文は誰にも読めず、研究は行き詰まっていた。


 老人は王立学術院の院長で、名をアルベルトというらしい。

 俺がその碑文を読めることを知り、大喜びで連れてきたのだ。


 王都について、俺は巨大な遺跡の前に立っていた。

 石造りの神殿のような建物。

 入り口には、大きな碑文が刻まれている。


「……『エルディア統一記念碑。建立:エルディア暦元年。設計:田中建設株式会社』」


 俺は読み上げた。

 そして、固まった。


 田中建設株式会社?

 エルディア暦元年?


 アルベルト院長が興奮して何かを叫んでいる。

 通訳――この一ヶ月で雇われた、身振り手振りで意思疎通ができる女性――が、必死に俺の言葉を伝えているようだ。


「ちょっと待って、これ……」


 俺は碑文を読み進めた。


「『我々は、遥かなる地より来たりし者なり。神の導きにより、この地に降り立ち、新たなる文明を築かん』」


 硬い文体だが、間違いなく日本語だ。


「『願わくば、後の世に我らと同じく、この地に降り立つ者あらば。この文を読み、我らの志を継いでほしい』」


 俺は息を呑んだ。


「『記す者:佐藤一郎、元・東京都港区在住。享年四十五歳。トラック事故により死亡。転生神ツクヨの導きにより、この世界に転生』」


 トラック事故。

 転生神ツクヨ。


 俺と同じだ。


「マジか……」


 つまり、この古代文明は――。

 千年以上前に、日本から転生してきた人たちが作ったものだったのだ。


---


 それから、俺は遺跡の解読者として引っ張りだこになった。


 各地の遺跡を巡り、碑文を読み、古代の技術を解明していく。

 日本語しか読めない俺だが、この世界では「古代語の唯一の解読者」として尊敬されるようになった。


 アルベルト院長は大喜びで、俺に豪華な住居と報酬を与えてくれた。

 通訳のリーナという女性とも、徐々に意思疎通ができるようになってきた。

 彼女は根気強く、俺にこの世界の言葉を教えてくれている。


「ケンタ、これ、読める?」


 リーナが新しい碑文を持ってきた。

 カタコトだが、彼女は俺の名前を覚えてくれた。


「ああ、見せて」


 俺は羊皮紙を受け取り、目を通した。


「えーと……『冷蔵魔法陣の設計図。使用上の注意。一、魔力を流しすぎると凍る。二、食材は必ず密閉容器に入れること。三、定期的なメンテナンスを推奨。保証期間一年。株式会社サトウ電機』」


 俺は思わず笑ってしまった。


「なんだよ、これ……。冷蔵庫の取扱説明書じゃねえか」


 リーナが首を傾げる。

 通じていないが、まあいい。


 どうやら、千年前の転生者たちは、前世の知識を活かして様々な魔法道具を作っていたらしい。

 その設計図や説明書が、今では「古代文明の秘宝」として扱われている。


 皮肉な話だ。

 日本語しかできない俺が、この世界で最も価値のある存在になるとは。


---


 ある日、俺は最大の遺跡に案内された。

 「始まりの神殿」と呼ばれる場所だ。


 そこには、巨大な石碑が立っていた。

 表面には、びっしりと日本語が刻まれている。


「これは……」


 俺は石碑に近づき、文字を読み始めた。


「『後世の同胞へ。この文を読んでいるあなたは、おそらく私と同じく、日本から転生してきた者でしょう。ようこそ、エルディアへ』」


 俺は息を呑んだ。


「『私は佐藤一郎。この世界に転生した最初の日本人です。最初は言葉も通じず、途方に暮れました。スキルは「日本語」だけ。何の役にも立たないと思いました』」


 同じだ。

 俺と全く同じ状況だ。


「『しかし、私は諦めませんでした。言葉が通じないなら、態度で示せばいい。技術がないなら、前世の知識を活かせばいい。そうして、私は仲間を集め、この文明を築きました』」


 石碑の文字は続く。


「『やがて、同じく転生してきた日本人が増えました。彼らと協力し、私たちはこの世界に新しい技術と文化をもたらしました。冷蔵庫、照明、水道、建築。全て、前世の記憶を頼りに作り上げたものです』」


 俺は黙って読み進めた。


「『しかし、私たちの寿命には限りがあります。やがて、この言葉を読める者はいなくなるでしょう。だからこそ、この石碑を残します。いつか、新しい転生者がこれを読むことを願って』」


 そして、最後にこう書かれていた。


「『あなたへのお願いがあります。私たちが残した技術を、この世界の人々に伝えてください。言葉の壁を越えて、知識を繋いでください。それが、私たちの願いです』」


「『追伸:日本語スキルしかもらえなかったあなたへ。心配しないでください。それは予算の問題ではなく、ツクヨさんの計らいです。この世界には、日本語を読める人が必要だったのです。あなたは、選ばれた人なのですよ』」


 俺は石碑の前で立ち尽くした。


 選ばれた人。

 俺が。


「……マジかよ」


 涙が頬を伝った。


 日本語しかできないと、ずっと嘆いていた。

 役立たずだと、自分を責めていた。

 でも、違ったのだ。


 俺には、俺にしかできない役割があった。

 千年前の先人たちが残した知識を、この世界に伝えること。

 それが、俺の使命だったのだ。


---


 石碑の隣に、小さな祭壇があった。

 そこには、古びた木札が置かれている。


 俺は木札を手に取り、裏を見た。


「『転生神ツクヨより。あの時は説明不足ですみませんでした。あなたなら、きっとうまくやれると信じています。応援しています。P.S. 日本語スキルは、実は最高レアリティです』」


 俺は思わず吹き出した。


「最高レアリティって……。もっと早く言ってくれよ」


 でも、なんだか嬉しかった。

 ツクヨは、最初から分かっていたのだ。

 俺がこの世界で、何をすべきかを。


「よし」


 俺は木札をポケットにしまい、石碑に向かって頭を下げた。


「先人たち、ありがとう。俺も、やれるだけやってみるよ」


 そう言って、俺は遺跡を後にした。


---


 それから俺は、王立学術院の「古代語解読官」として正式に雇われた。

 給料は良いし、住居も豪華だ。

 リーナは俺の専属通訳兼、言語教師になってくれた。


 俺は各地の遺跡を巡り、碑文を解読し、古代の技術を復活させていった。

 冷蔵魔法陣、浄水システム、照明魔法。

 千年前の日本人たちが残した知恵は、この世界を少しずつ良くしていった。


 もちろん、言葉の壁はまだある。

 この世界の言語は、相変わらず難しい。

 でも、少しずつ覚えていけばいい。


 何より、俺には日本語がある。

 この世界で、俺だけが読める言葉。

 それは、千年の時を超えて先人たちと繋がる、特別な絆だった。


「ケンタ、次の遺跡!」


 リーナが新しい地図を持ってきた。


「おう、今度はどこだ?」


「遠い! でも、大きい碑文!」


 リーナはジェスチャー混じりに説明する。

 俺は笑って頷いた。


「よし、行くか。何て書いてあるか、楽しみだな」


 窓の外には、青い空が広がっている。

 俺は立ち上がり、旅支度を始めた。


 スキルは日本語だけ。

 でも、それで十分だ。


 千年前の先人たちが紡いだ物語を、俺が次の世代へと繋いでいく。

 それが、俺に与えられた役割なのだから。


「……にしても、田中建設株式会社って。千年前から建設業かよ」


 俺は碑文のことを思い出して、一人で笑った。


 異世界転生。

 スキルは日本語のみ。

 でも、意外となんとかなるものだ。



【完】


【作者からのお願い】

もし、「おもしろい」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク登録をしていただけるとうれしいです。また「いいね」や感想もお待ちしています!

また、☆で評価していただければ大変うれしいです。

皆様の応援を励みにして頑張りますので、よろしくお願い致します!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ