異世界転生したのに、スキルが『日本語』だけでした
死んだ。
それだけは確実に分かった。
俺――田所健太、三十二歳、独身。
会社帰りに居眠り運転のトラックに突っ込まれ、あっけなくこの世を去った。
……はずだった。
「ようこそ、転生窓口へ」
気がつくと、真っ白な空間にいた。
目の前には、安っぽい魔法使いのコスプレをした青年が立っている。
サイズの合っていないとんがり帽子、星柄のマント、「MAGIC」と刺繍されたチープな杖。
「私は転生神ツクヨ。あなたを異世界へ送る担当です」
「……は?」
「説明は省きます。時間がないので」
ツクヨと名乗る神は、ペラペラの書類をめくりながら早口で続けた。
「あなたには転生特典として、一つだけスキルを付与します。本来は『剣術マスター』とか『無限魔力』とか選べるんですが……」
「それは素晴らしいですね! 俺は何がもらえるんですか」
「……すみません、今期の予算がギリギリでして」
ツクヨは申し訳なさそうに目を逸らした。
「あなたに付与できるスキルは『日本語』だけです」
「……日本語?」
「はい。日本語を話し、読み、書くことができます」
「いやいやいや、それ元から持ってるやつですよね!?」
「そうですね。でも、これしかないんです。本当にすみません」
俺は絶句した。
剣も魔法も、鑑定も収納もない。
あるのは、日本語だけ。
「あ、一応説明しておきますと、転生先の異世界では別の言語が使われています」
「……は?」
「つまり、あなたの日本語は誰にも通じません」
「ちょっと待ってください!」
俺が叫ぶ前に、視界が真っ白に包まれた。
「では、良い転生ライフを!」
その声だけが、やけに明るく響いていた。
---
目が覚めると、森の中だった。
木漏れ日が美しい。鳥のさえずりが聞こえる。
……そして、獣の唸り声も。
「うぉぉぉぉぉ!」
気がつくと、巨大な狼のような魔物に追いかけられていた。
走る。ひたすら走る。
体は若い。十代後半くらいの感覚だ。
転生時に若返ったらしいが、今はそんなことを喜んでいる場合ではない。
「誰かー! 助けてー!」
叫んでも、返事はない。
いや、そもそもこの世界では日本語が通じないのだった。
森を抜けると、小さな村が見えた。
農作業をしていた村人たちが、俺を見て驚いた顔をする。
「助けてください! 後ろから化け物が!」
俺は必死に叫んだ。
だが、村人たちはポカンとしている。
通じていない。
全く、通じていない。
仕方なく、俺はジェスチャーで伝えることにした。
後ろを指差し、走るふりをして、倒れる真似をする。
村人たちは顔を見合わせた後、何かを叫びながら走り出した。
どうやら伝わったらしい。
数人の男たちが槍を持って駆けつけ、追ってきた魔物を撃退してくれた。
俺は地面にへたり込んで、深く息をついた。
「……はぁ、はぁ……、助かった……」
村人の一人が、俺に何か話しかけてきた。
当然、何を言っているのか分からない。
「あー、えっと、サンキュー? ありがとう?」
俺は両手を合わせて頭を下げた。
万国共通のお辞儀だ。
村人たちは不思議そうな顔をしたが、とりあえず敵意はないと判断したらしく、村に案内してくれた。
---
それから一ヶ月。
俺は必死に生き延びた。
言葉が通じないというのは、本当に大変だ。
「水をください」を伝えるのに、喉を指差して、飲む真似をして、汗を拭く仕草をする。
「眠い」を伝えるのに、目をこすって、手を合わせて頬に当てる。
全てがジェスチャーゲームだった。
村人たちは親切だった。
異様な格好(転生時に着ていたスーツのまま)で森から飛び出してきた怪しい男を、それでも受け入れてくれた。
俺は農作業を手伝い、薪を割り、なんとか村の一員として認められるようになった。
問題は、言葉の壁だ。
この世界の言語は、発音も文法も日本語と全く違う。
一ヶ月経っても、「こんにちは」と「ありがとう」しか覚えられなかった。
語学センスがないにも程がある。
「はぁ……」
ある日、俺は村の外れで溜息をついていた。
このまま一生、ジェスチャーで生きていくのだろうか。
神様にもらったスキルは「日本語」だけ。
これが何の役に立つというのだ。
その時、村に見慣れない一団がやってきた。
立派な馬車に、鎧を着た騎士たち。
そして、ローブを纏った老人。
村長が慌てて出迎える。
どうやら偉い人らしい。
老人は村長と何やら話した後、俺を見た。
そして、何かを言いながら俺を指差した。
「え、俺?」
騎士たちが近づいてくる。
ヤバい。何かまずいことをしたのか。
俺は両手を上げて、無害アピールをした。
だが、騎士たちは俺を捕まえようとはしなかった。
代わりに、老人が書類のようなものを広げて見せてきた。
そこには、奇妙な模様と文字が描かれていた。
そして、その文字は――
「……え?」
日本語だった。
間違いない。
「この先、危険。立入禁止」
そう書かれている。
「読める……」
俺は呆然と呟いた。
老人が目を輝かせて何かを言った。
騎士たちがざわめく。
俺は、その書類をまじまじと見つめた。
古びた羊皮紙に描かれた日本語。
どう見ても、この世界のものではない。
なぜ、こんなところに日本語が?
---
その後、俺は老人に連れられて王都へ向かうことになった。
どうやら、この世界には「古代文明の遺跡」があるらしい。
千年以上前に栄えた超文明で、その技術は今の世界をはるかに凌駕している。
だが、遺跡に残された碑文は誰にも読めず、研究は行き詰まっていた。
老人は王立学術院の院長で、名をアルベルトというらしい。
俺がその碑文を読めることを知り、大喜びで連れてきたのだ。
王都について、俺は巨大な遺跡の前に立っていた。
石造りの神殿のような建物。
入り口には、大きな碑文が刻まれている。
「……『エルディア統一記念碑。建立:エルディア暦元年。設計:田中建設株式会社』」
俺は読み上げた。
そして、固まった。
田中建設株式会社?
エルディア暦元年?
アルベルト院長が興奮して何かを叫んでいる。
通訳――この一ヶ月で雇われた、身振り手振りで意思疎通ができる女性――が、必死に俺の言葉を伝えているようだ。
「ちょっと待って、これ……」
俺は碑文を読み進めた。
「『我々は、遥かなる地より来たりし者なり。神の導きにより、この地に降り立ち、新たなる文明を築かん』」
硬い文体だが、間違いなく日本語だ。
「『願わくば、後の世に我らと同じく、この地に降り立つ者あらば。この文を読み、我らの志を継いでほしい』」
俺は息を呑んだ。
「『記す者:佐藤一郎、元・東京都港区在住。享年四十五歳。トラック事故により死亡。転生神ツクヨの導きにより、この世界に転生』」
トラック事故。
転生神ツクヨ。
俺と同じだ。
「マジか……」
つまり、この古代文明は――。
千年以上前に、日本から転生してきた人たちが作ったものだったのだ。
---
それから、俺は遺跡の解読者として引っ張りだこになった。
各地の遺跡を巡り、碑文を読み、古代の技術を解明していく。
日本語しか読めない俺だが、この世界では「古代語の唯一の解読者」として尊敬されるようになった。
アルベルト院長は大喜びで、俺に豪華な住居と報酬を与えてくれた。
通訳のリーナという女性とも、徐々に意思疎通ができるようになってきた。
彼女は根気強く、俺にこの世界の言葉を教えてくれている。
「ケンタ、これ、読める?」
リーナが新しい碑文を持ってきた。
カタコトだが、彼女は俺の名前を覚えてくれた。
「ああ、見せて」
俺は羊皮紙を受け取り、目を通した。
「えーと……『冷蔵魔法陣の設計図。使用上の注意。一、魔力を流しすぎると凍る。二、食材は必ず密閉容器に入れること。三、定期的なメンテナンスを推奨。保証期間一年。株式会社サトウ電機』」
俺は思わず笑ってしまった。
「なんだよ、これ……。冷蔵庫の取扱説明書じゃねえか」
リーナが首を傾げる。
通じていないが、まあいい。
どうやら、千年前の転生者たちは、前世の知識を活かして様々な魔法道具を作っていたらしい。
その設計図や説明書が、今では「古代文明の秘宝」として扱われている。
皮肉な話だ。
日本語しかできない俺が、この世界で最も価値のある存在になるとは。
---
ある日、俺は最大の遺跡に案内された。
「始まりの神殿」と呼ばれる場所だ。
そこには、巨大な石碑が立っていた。
表面には、びっしりと日本語が刻まれている。
「これは……」
俺は石碑に近づき、文字を読み始めた。
「『後世の同胞へ。この文を読んでいるあなたは、おそらく私と同じく、日本から転生してきた者でしょう。ようこそ、エルディアへ』」
俺は息を呑んだ。
「『私は佐藤一郎。この世界に転生した最初の日本人です。最初は言葉も通じず、途方に暮れました。スキルは「日本語」だけ。何の役にも立たないと思いました』」
同じだ。
俺と全く同じ状況だ。
「『しかし、私は諦めませんでした。言葉が通じないなら、態度で示せばいい。技術がないなら、前世の知識を活かせばいい。そうして、私は仲間を集め、この文明を築きました』」
石碑の文字は続く。
「『やがて、同じく転生してきた日本人が増えました。彼らと協力し、私たちはこの世界に新しい技術と文化をもたらしました。冷蔵庫、照明、水道、建築。全て、前世の記憶を頼りに作り上げたものです』」
俺は黙って読み進めた。
「『しかし、私たちの寿命には限りがあります。やがて、この言葉を読める者はいなくなるでしょう。だからこそ、この石碑を残します。いつか、新しい転生者がこれを読むことを願って』」
そして、最後にこう書かれていた。
「『あなたへのお願いがあります。私たちが残した技術を、この世界の人々に伝えてください。言葉の壁を越えて、知識を繋いでください。それが、私たちの願いです』」
「『追伸:日本語スキルしかもらえなかったあなたへ。心配しないでください。それは予算の問題ではなく、ツクヨさんの計らいです。この世界には、日本語を読める人が必要だったのです。あなたは、選ばれた人なのですよ』」
俺は石碑の前で立ち尽くした。
選ばれた人。
俺が。
「……マジかよ」
涙が頬を伝った。
日本語しかできないと、ずっと嘆いていた。
役立たずだと、自分を責めていた。
でも、違ったのだ。
俺には、俺にしかできない役割があった。
千年前の先人たちが残した知識を、この世界に伝えること。
それが、俺の使命だったのだ。
---
石碑の隣に、小さな祭壇があった。
そこには、古びた木札が置かれている。
俺は木札を手に取り、裏を見た。
「『転生神ツクヨより。あの時は説明不足ですみませんでした。あなたなら、きっとうまくやれると信じています。応援しています。P.S. 日本語スキルは、実は最高レアリティです』」
俺は思わず吹き出した。
「最高レアリティって……。もっと早く言ってくれよ」
でも、なんだか嬉しかった。
ツクヨは、最初から分かっていたのだ。
俺がこの世界で、何をすべきかを。
「よし」
俺は木札をポケットにしまい、石碑に向かって頭を下げた。
「先人たち、ありがとう。俺も、やれるだけやってみるよ」
そう言って、俺は遺跡を後にした。
---
それから俺は、王立学術院の「古代語解読官」として正式に雇われた。
給料は良いし、住居も豪華だ。
リーナは俺の専属通訳兼、言語教師になってくれた。
俺は各地の遺跡を巡り、碑文を解読し、古代の技術を復活させていった。
冷蔵魔法陣、浄水システム、照明魔法。
千年前の日本人たちが残した知恵は、この世界を少しずつ良くしていった。
もちろん、言葉の壁はまだある。
この世界の言語は、相変わらず難しい。
でも、少しずつ覚えていけばいい。
何より、俺には日本語がある。
この世界で、俺だけが読める言葉。
それは、千年の時を超えて先人たちと繋がる、特別な絆だった。
「ケンタ、次の遺跡!」
リーナが新しい地図を持ってきた。
「おう、今度はどこだ?」
「遠い! でも、大きい碑文!」
リーナはジェスチャー混じりに説明する。
俺は笑って頷いた。
「よし、行くか。何て書いてあるか、楽しみだな」
窓の外には、青い空が広がっている。
俺は立ち上がり、旅支度を始めた。
スキルは日本語だけ。
でも、それで十分だ。
千年前の先人たちが紡いだ物語を、俺が次の世代へと繋いでいく。
それが、俺に与えられた役割なのだから。
「……にしても、田中建設株式会社って。千年前から建設業かよ」
俺は碑文のことを思い出して、一人で笑った。
異世界転生。
スキルは日本語のみ。
でも、意外となんとかなるものだ。
【完】
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