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第9話 安寧は壊される

 朝のチャイムが鳴る前から、すでに校舎の一角ではひと騒動が起きていた。


「ああああの!ちょ、有眞、ここ校内……っ!!」

「ん~、知ってる。でも、咲ちゃんがかっこよすぎて我慢できん。」


 真壁有眞、生徒会長にして陽キャの象徴。その彼が、いま全校生徒の目に堂々とさらしているのは理詰めの優等生・綾瀬咲への全力の“バックハグ”。


「ほんとに! みんな見てますから……っ!」

「知ってるって。むしろ、見せつけたくてやってるとこあるから。」

「最低です!!」


 教室の前でも、廊下でも、昇降口でも、果ては職員室前でも。有眞はまるで反射神経のように咲の背中へ張り付き、ぎゅっと腕を回してくる。咲が何度振りほどこうとしても、まるで猫のようにまとわりついて離れない。


「真壁と綾瀬、あれ絶対そうだよね……。」

「あんな堂々と付き合う?というか学校で……あれ、アウトじゃ……。」

「むしろ有眞が猛獣過ぎるだけでは?」


 昼にはすでに、学年どころか他学年にも噂は飛び火し先生方の耳にも入る始末。


「真壁、生徒会長としての自覚はあるのか。」


「綾瀬もな、もう少し毅然とした態度を……って言っても振りほどけてないな?というか真壁、お前授業中もやってただろ。」


「咲ちゃん、ほんっとにモテるからな~。油断したら誰に盗られるか。」


「そうやって言えばなんでも許されると思うな……っ……!」


 とうとう限界を感じた咲は、有無を言わせず有眞の腕を引っ張って階段を下りた。


「もういい、保健室行きます。僕、頭痛ってことにするので。」


「じゃあ俺も腹痛ってことにする。」


「あなたは出席しなさい!!」


 保健室の扉ががちゃりと開くと、中にいたのは養護教諭。窓際で紅茶を淹れていた彼女は、ふたりの姿を見るなり目を細めた。


「あらあら。見事にくっついてるわね。」


「ち、違……違……!っても、ないですけど、でも違っ……くは……」


「咲、黙れ。どのみちバレてる。」


「君が黙れ!!一々そういう言い方すんな!!」


 有眞に背後からハグされながら、咲は必死に身をよじるが逃れられず。保健室の先生はと言えば、そんなふたりのやり取りを微笑ましく眺めながら、ティーカップを用意している。


「青春ねぇ。私も高校のとき、こんな風に保健室で恋人とサボってみたかったわ。」


「別に、サボってるわけじゃ……っ……」


「いや咲ちゃん、完全に逃げ場として来てる時点でサボりだろ。」


「だからお前は!! なんで一々正直に言うんですか!!!」


 先生は吹き出すように笑った。


「ふふ……ふたりとも、あんまり堂々とやると、さすがに校長先生から注意入るかもよ?でも、あんな風に笑って抱きついてくれる彼氏そういないと思うけどなぁ。」


 咲は何か反論しかけたが、ふと有眞の腕の中にある自分の身体と、その温かさに気づいて口をつぐんだ。有眞はと言えば、咲の耳元でこっそりとささやいた。


「な?俺以外にお前の隣、似合うやついないだろ。」


「……うるさいです。」


 咲の耳がまた赤く染まっているのを見て、有眞は満足げににやけた。保健室の柔らかい光のなか、ふたりだけの逃げ場所は今日も甘くて騒がしい。


「まぁ、ふたりとも今日は特例ってことで。」


 先生は、ちらりと窓の外に目をやりながら思案するような表情を浮かべたあと、カーテンの奥――さらにその奥、保健室の一角にある目立たない白い扉に手を伸ばした。普段、生徒が使うことはないその扉。立て付けの悪さゆえ、誰も気にしなくなったその存在。


「昔は先生たちが仮眠に使ってた個室があるのよ。今は使ってないけど。」


 そう言って扉を開けると、ほこり一つない小さな個室が現れた。ひとつだけ置かれたベッドに窓のカーテン。それだけの簡素な空間。


「保健室のベッドはもう定員オーバー。2時間サボりたい二人は、ここなら少し静かに落ち着けるかもね。」


 咲が「いやいやいや」と言いかけるよりも早く、有眞は手を引いて中へ踏み込んでいた。あれよという間に引きずり込まれた咲が困惑する中、先生は何も言わずに扉を閉めた。


 カチリ――


 鍵がかかる、わずかな音。


「せ、先生!?今、今の音……っ」

「咲ちゃん、もう遅い。」

「なっ……お前、何をっ……!」


 背中が壁に当たる。咲は反射的に有眞の胸を押すが軽くその手をかわされて間近に迫る顔を見上げてしまう。


 密室。狭い距離。鍵のかかった扉。


 いちいち現実味があって、心臓が早鐘のように騒ぎ始める。


「俺ね、あんたの全部が好きなんだわ。頭良くて、真面目で、理屈っぽくて、でもそうやって顔真っ赤にして戸惑うとこ、たまらん。」


「あの、ここ、学校……っ!バレたら……!」


「もうバレてるようなもんだし。」


 有眞は咲の顎を軽く指先で掬い上げて、彼の不安げな瞳を見つめる。それだけで、咲の視線が吸い込まれるように揺れていく。理屈で抗うには、この距離は近すぎた。有眞の熱が、呼吸が、瞳が、全部、自分を囲ってくる。


「キスしてもいい?」


 咲の睫毛が揺れる。一瞬の沈黙のあと、ほんのわずかにうなずく。有眞の手が咲の頬に添えられ、ゆっくりと顔を近づける。静かで深く焦がれるようなキス。咲が思わず漏らした息を有眞は逃さず受け止めた。指先が頬から首筋へ、喉元をなぞり、制服のボタンのあたりに触れる。咲の身体がぴくりと反応した。


「ま、待って、あの、さすがに――」

「うん、待たない。」

「は!? 意味が……んっ……!」


 声がかき消される。咲の背筋がぶるりと震え腕が有眞のシャツを掴む。体を預けるようにベッドへ押し込まれ倒れる。有眞が低く囁いた。


「お前が俺のもんだって、もっとちゃんと、わからせてやりたい。」


「……っ、お前……本当に……」


 密室の中で、ふたりはもう誰にも遮られることなく熱を確かめ合っていった。終業の鐘が、校舎中に穏やかに響いた。それはどこか日常への帰還を告げる合図。しかし、小さな個室の中で咲はその音を現実のものとして受け入れることができなかった。扉の鍵がカチリと音を立てて解錠される。時間が動き出すその音に咲はビクリと肩を跳ねさせた。


「い、今の、鍵の音ですよね?」

「先生、ちゃんと戻してくれたみたい。」


 有眞はベッドの脇で、制服のネクタイを緩めたまますっかりリラックスした顔。一方の咲はというと――顔を真っ赤に染め、髪を手櫛で整えながら、あからさまに焦っていた。


「無理無理無理……っ、あんな……こんなのバレたらもう、この学校にいられない……!」


「バレてるようなもんじゃね?」


「そういう問題じゃなくて!!」


 咲が速攻で立ち上がり、扉を開けて逃げようとするが――その前に立っていたのは、やっぱり保健室の先生だった。


「あら、そろそろ帰るの?」


 彼女は何も言わず、ただふわりと微笑んで咲の首元に視線を滑らせる。そして、そこにある――赤く色づいた首筋の痕を見逃さなかった。


「ふふ、青春っていいわねぇ。」


 咲の顔が一気に燃え上がる。口をパクパクとさせ何か言いかけてやめる。目をそらしながら、とにかく逃げるように保健室を出ようとするが――。


「咲ちゃん、ちょっと寄り道しよ?」


「は? もう帰ります……っ、まだ足りないわけか!?さすがにやりすぎって自覚しろ!!」


「ちげーよ、生徒会室。ちょっと書類見たいだけ。」


「いや、今その言葉に信頼性ゼロですよ!?僕は絶対行かない、帰る、今日はもう帰る!!!」


「はい、こっちこっち~」


「やだああああああああああ!!!!!!!」


 もはや力技で腕を引っ張られながら、有眞に連れられて昇降口を逆戻りする咲。道中ですれ違った後輩たちは、あまりに自然なスキンシップに目を丸くしつつも、つい口にしてしまう。


「あれが噂の、真壁先輩の“彼氏”?」

「“犬猿の仲”って言われてたのに……っていうか、なんで首……赤……?」


 咲は聞こえないふりをしながら、有眞の背に拳を何度も打ちつけた。


「バカ!!変態!!陽キャの皮を被った痴漢!!!」


「咲ちゃんの罵倒、もはや愛の言葉にしか聞こえん~。」


「ほんと無理!!無理なのに……なのに……!!」


「……ん?何?」


「……っ、なんでもないです!!!」


 それでも、有眞の腕の中にいるのが――なぜか、いちばん落ち着く場所だったことを咲はまだ認めたくなかった。


 生徒会室のドアが開くと、すでに中には数名の生徒が集まっている。机に書類を広げている者、ホワイトボードにスケジュールを書き込んでいる者、それぞれが思い思いに作業していたが――。


「綾瀬先輩!!」


 ドアを開けた瞬間、ひときわ大きな声が響いた。ぱっと顔を上げたのは、生徒会書記の一年生・池田昂輝。小柄で中性的な顔立ちの彼は、にこにこと笑顔を咲に向けると一直線に駆け寄ってくる。


「今日も綺麗ですね!眼鏡が反射してキラキラしてます!」


「あ、ありがとうございます池田くん。もう少し落ち着きましょう?」


「綾瀬先輩ってほんと頭も良くて優しくて、白衣着たら絶対似合いますよね!僕、先輩の助手になってノート取りたいです!」


「おい、池田ァ〜。」


 ぴしゃりと低く、静かな声。背後から一歩、ゆっくりと足音を鳴らして近づいてきたのは有眞。昂輝は一瞬で背筋を伸ばし有眞を見上げる。


「あっ、有眞先輩。こんにちはっす。」

「こんにちはじゃねーよ。近い、離れろ。」

「え、なんでですか?綾瀬先輩に挨拶しただけで……って、あっ、まさか!」

「まさかじゃねえ。“綾瀬先輩”は俺のだから。」


 ドスンと咲の隣に立ち、あからさまに昂輝との間に割って入る有眞。腕を組んだまま完全に睨みを利かせている。


「ええ~……やっぱり噂ってマジだったんですね。ていうか“俺の”って、物扱いじゃないすか?」


「いや、俺にとっては一番に大事な存在なんで守備範囲ガチで厳重にしてんの。で、お前はその境界線に足突っ込んでる。わかる?」


「有眞、お前な……っ、後輩にそんな言い方しなくても!」


 咲がたしなめるように言うと、昂輝は口元を抑えて目を細めた。


「綾瀬先輩、優しい。やっぱり好き……」

「聞こえてんだよ。おい池田ァ。」

「威嚇やめろって!威圧してどーすんだよ!」

「いや、威嚇じゃなくて“警告”。俺は温厚だからさ~、でもさすがに“おれの咲”に手出されると……な?」


 咲が目をむく。


「“おれの”って言うな!!!」


「“おれの”以外の何なんだよ。こないだファーストキスも俺にくれたくせに。」


「っ!!!!!しっ、言うなああああ!!!」


 池田はと言えば、それを聞いて一瞬凍ったが天を仰いで拳を握りしめた。


「くっそおおおおおお!!!まだ僕が生徒会入る前にそんな展開が!あと半年早く入ってれば!」


「いやその前に、相手にされないからな。咲ちゃん、ガチで俺しか見てないんで。」


「言うなっつってんだろおおおおお!!!」


 生徒会室の端っこで、会計担当の真面目女子・田島らが無言で書類の山を手にしながら小声で呟いた。


「今日も平常運転だね、生徒会。」


「だね。むしろ池田くんが引かなかったことに驚いたわ。」


「え?いや、むしろ綾瀬先輩の彼氏になるにはあのくらいのライバルがいないと、燃えないっていうか。」


「ライバルになるつもりはやめろ。無理だ。命が惜しいならな。」


 有眞の低い声が聞こえた瞬間、昂輝はひゅっと背を丸めて目を逸らした。生徒会室には今日も騒がしくも熱い空気が流れている。それでも――咲の頬がわずかに紅潮していること、有眞の表情がいつもより柔らかいことに誰もがもう気づいていた。


「貴方のせいで僕の安寧どこいったんですか。」


「ん?安寧?ああ、俺がぜーんぶ壊して、ぜーんぶ新しく作るつもりだから。お前の隣に俺がいる未来。」


「本当に、貴方ってひとは……。」


 咲はため息をつきながらも、ふと小さく笑った。それは、有眞にしか見せない、ごく小さな甘い笑み。

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