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誤算

 部屋に残された私は、改めて周囲を見渡した。真新しいベッドに、容量の大きなクローゼット、シンプルなデザインの勉強机まで備え付けられている。至れり尽くせりだ。そう思いながらも、私の心はどこか落ち着かない。まるで、豪華絢爛な鳥かごの中に閉じ込められた、羽をもがれた鳥のような気分だ。

 

 とりあえず、荷物を整理しよう。段ボールを一つずつ開けながら、私は改めて自分の決意を固める。


 彼らに舐められた時点で『パターン1』直行は確定事項だ。そして、『パターン2』は多くの人間が夢見る理想的な展開かもしれない。だが、「幸せとは何か?」という問いに対して、私は迷わず『自分の足で立つこと』と答える人間だ。人は一人で生まれ、一人で死ぬ。そんな、ハイスペックな男に寄生して安易な幸せを享受するなど、私のプライドが断じて許さない。ならば、どうするか?そう、私が彼らを凌駕するほどのハイスペックガールになれば良い。


 まずは長男の颯人という男の攻略についてだ。あの彫刻のような顔立ち……見るからに隙がない。ああいうタイプは、自分の完璧なテリトリーを荒らされるのを極端に嫌う。そして、自尊心が高い。おそらく、学業かスポーツ、あるいはその両方で常にトップの成績を収めてきたのだろう。だとすれば、弱点は……その守り抜いてきた完璧がほんの少しでも揺らぐことに対する、底知れない恐怖、といったところだろうか。

 次に次男。涼やかな眼差し、ね。あれは頭の回転が速い証拠だ。冷静沈着で、感情を表に出さないタイプだろう。こういう人間は、論理的な思考を好み、感情論を嫌う。下手に情に訴えかけるような真似は、火に油を注ぐだけだろうな。攻略するとすれば……知的な会話で認めさせるのが一番か。もっとも、私にそんな高度な会話ができるかどうかは、大いに疑問だが。

 そして、最後に三男の陸。あの人懐っこい笑顔は、ある意味一番厄介かもしれない。警戒心を解くのが上手い、つまり、人を操る才能がある可能性も否定できない。無邪気さを装って、裏で何を考えているか分からない、というのはよくあるパターンだ。ある意味、彼が一番の未知数だ。


…こうなったら、全員ぶっ潰してやる。


「……容赦はしない。私の平穏を脅かす存在は、徹底的に排除する」


 段ボールの隙間から、私は静かにそう呟いた。まるで、静かな宣戦布告だ。相手は手強いかもしれない。なにせ、向こうは生まれながらのハイスペック。こちらは後天的なハイスペックを目指す、いわば成り上がり者だ。だが、ハングリー精神だけは誰にも負けるつもりはない。

 

 夕食の時間になり、私は僅かな緊張を覚えながらリビングへと向かった。広々としたダイニングテーブルには、すでに新しい父と三人の息子たちが席についていた。豪華な食事が所狭しと並べられているが、私の目は自然と彼らの表情を観察してしまう。

 

長男の颯人は、相変わらず涼やかな顔で優雅に食事を摂っている。背筋もぴんと伸び、その姿はまるで一枚の絵画のようだ。だが、よく見ると、時折、ほんのわずかに眉をひそめている。何か気に障ることがあったのだろうか?もしかしたら、私の存在そのものが、彼の完璧な世界を微かに歪めているのかもしれない。ふっ、ざまあみろ。

 次男の玲は、無言で淡々と食事を進めている。その鋭い視線は常に冷静で、周りの状況を的確に把握しているように見える。一度だけ、私と目が合ったが、すぐに逸らされた。何かを値踏みするような、そんな冷たい視線だった。彼は、私の出方をじっくりと見極めようとしているのだろう。

 三男の陸は、食事中も何かと話しかけてくる。学校であった出来事、好きなアニメの話、くだらない冗談まで。その笑顔は相変わらず人懐っこく、警戒しながらもつい気を許してしまいそうになる。だが、ここで油断してはいけない。この無邪気さこそが、彼の最大の武器なのかもしれない。油断させておいて、隙を突く、というのは狡猾な人間の常套手段だ。


「つむぎさんも、遠慮しないでたくさん食べてね」


 新しい父が、穏やかな笑顔で私に声をかけた。本当に善良な人物なのだろうか?いや、全くそうは思えない。社会的な仮面が、状況に合わせて理想的な言葉を自動的に選択し、発音しているだけに違いない。誰のことも安易に信頼してはならないのだ。

 食事中、私は彼らの会話にも注意深く耳を傾けた。颯人は、最新の経済ニュースについて冷静かつ的確な意見を述べている。玲は、読んでいる哲学書の内容を持ち出し、知的な議論を展開している。陸は、学校の友人たちとの楽しかった出来事を父親に明るく報告している。それぞれが、自分の得意分野をさりげなくアピールしているかのようだ。……誰に?無論、父親だろう。この短い時間で彼らを観察しただけでも、なんとなく理解した。彼らの行動原理は、多分、『父親に認められること』なのだ。

 夕食後、私は自室に戻り、改めて彼らの攻略方法について深く思案した。彼らの行動原理が父親からの承認欲求だとすれば、私が取るべき戦略は明白だ。父親の信頼を勝ち取り、彼らの優位性を根底から揺るがす。

 まずは、新しい父、一ノ瀬浩二についてもっと深く知る必要がある。彼はどんな価値観を持ち、どんな人間を評価するのか。夕食中の会話から察するに、彼は穏やかで常識を重んじる人物のようだ。成功した経営者であるにも関わらず、人を威圧するような雰囲気は微塵も感じられない。むしろ、私たち家族を温かく迎え入れようとしてくれているのが伝わってくる。浩二さんの信頼を得るには、まず彼の期待に応える必要があるだろう。高校生である私に期待することといえば、やはり学業だろうか。幸い、私は勉強は得意な方だ。むしろ、これまでの人生で数少ない自信のあることの一つと言える。


 翌日、私は浩ニさんに話しかける機会を窺っていた。朝食の席で、勇気を振り絞って声をかけた。


「あの、浩二さん」


 浩司さんは、いつもの優しい笑顔で応じてくれた。


「つむぎさん、おはよう。何かあったかな?」

「はい。あの、学校のことで少しご相談がありまして……」


 私は、転校の手続きや、これからの学習計画について、事前に考えておいた具体的な質問をいくつか投げかけた。浩ニさんは一つ一つ丁寧に答えてくれ、私の抱える不安を優しく解きほぐしてくれた。さらに、彼は私の学業に対する真摯な意欲を認め、温かい言葉をかけてくれた。


「つむぎさんは、とても真面目な方だね。何か困ったことがあれば、いつでも遠慮なく頼ってください」


 その言葉に、私は内心で小さくガッツポーズをした。まずは第一段階クリア、といったところだろうか。ハイスペック三兄弟どもよ。首を洗って待っていろ。お前らが私の平穏を脅かす前に、私がお前らの築き上げてきた平穏を奪い取ってやる。


 だが、翌日、私のささやかな目論見は、まるで安っぽいメロドラマの脚本のように、あっけなく瓦解した。


「実は、急で本当に申し訳ないんだが……今日から一年ほど、つむぎさんのお母さんと一緒に海外へ行くことになったんだ」


 食卓に響いた浩司さんの穏やかな声に、私は危うく手にしていたトーストを床に叩きつけるところだった。一年?海外?そんな寝耳に水な話、一ミリだって聞いていない。私の緻密な(と自分では思っていた)計画は、まずこの善良そうな(あるいは善良を装うのが巧みな)父親の絶対的な信頼を勝ち取り、それを盾にハイスペック三兄弟の足元をじわじわと崩していく、というものだったはずだ。それが、まさかの保護者不在。ゲームで言えば、頼みの綱の回復役がいきなりパーティーから離脱したようなものか。いや、そもそも回復役どころか、ラスボスに挑むための必須アイテムすら手に入れていない初期状態だった。


(……マジか。何なの、この三文芝居。ベタすぎる展開に眩暈がする……!)


 内心の悪態とは裏腹に、私は努めて平静を装い、咀嚼を続けた。隣の長男、颯人は涼しい顔で「そうですか。お気をつけて」と完璧な息子像を演じている。次男の玲に至っては、軽く頷いただけ。反応を示したのは三男の陸だけで、「えーっ、父さん一年も!?寂しいじゃん!」と子供らしい(あるいは計算された子供らしさか?)不満を口にした。


「ああ、すまないな、陸。だが、仕事なんだ」

 

 浩司さんは申し訳なさそうに陸の頭を撫でている。その光景すら、どこか作り物めいて見えた。


(……最悪だ。虎の威を借る狐作戦頓挫。完全に詰んだか?)


 頼みの綱がいきなり消え、残されたのは、腹の底が読めないハイスペック兄弟という名の地雷原。しかも、こちとらまだ装備もレベルも初期状態だ。


「あの……いつ、ご出発なんですか?」


 かろうじて、私は声を発した。喉が妙に渇いている。


「明日の朝なんだ。本当に、急な話で済まないと思っている」


 明日。もはや考える時間すら与えられないらしい。どこまで私を追い詰めれば気が済むのか。


……いや、まだだ。まだ終わっていない。


 計画が頓挫したなら、書き換えればいい。正面突破が無理なら、奇襲をかける。父親という後ろ盾がないのなら、尚更だ。私が頼れるのは、私自身だけ。


(……いいだろう。受けて立つ。父親の庇護なきこの屋敷で、誰が真の『主』か、思い知らせてやる)


 私は内心で静かに闘志を燃やしながら、空になった皿をテーブルに置いた。ここからが、本当の戦いの始まりだ。

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