15歳・1
――こいつを殺そう。絶対殺そう。
脳が痺れるほどの強い決意を抱いたのは、その日の授業が終わり、帰り支度をしているときだった。
進路相談室からもらってきた高校のパンフレットをかばんにしまいつつ、どこがいいかな、とぼんやり考えていた私の耳に、不快な声が響く。
「ねーっ! ホントうざったいよねぇ、アイツ!」
うざったいのはお前だ、と私は脳内でののしった。視線を向けるまでもなくわかる。その声の主は、隣のクラスの明美だ。
「ことあるごとに彼氏の話してきてさぁ。『付き合ってないヤツには人権ないよ』、と言わんばかりなの、マジむかつく」
明美はこの学年の女王さまだ。モデルをやってたほどの美人で、人の上に立つのがうまい。みんな彼女に一目置いてるし、彼女自身もそうされて当然と思い込んでいる。
「だよね~。進藤くんなんて、言っちゃ悪いけどランク高い男じゃないのに」
「調子乗ってる感ハンパないよね。明美だったら、付き合おうと思えばもっと上の男と付き合えるのに」
太鼓持ち共が明美を持ち上げる。
が、私は聞く姿勢になっている自分に気づき、荷物をかばんに入れる手を速めた。連中の馴れ合いなどどうでもいいし、興味もない。声が無駄にでかいから耳に入ってくる、ただそれだけの話。
しかし、そうして机の上に最後に残った筆箱を取ろうとしたときだった。いつの間にか寄ってきた明美が、ひょいとそれを持ち上げた。
「なにこれ、筆箱? だっさ」
呆気に取られている私をよそに、明美はそれを汚いものであるかのように端をつまみ、目の高さまで持ち上げた。
細長い、赤地に白の花の模様が入った巾着袋。機能性ゼロで、手作り感満載のそれは、婆ちゃんが私にプレゼントしてくれたものだった。小学校に入学したときから使ってる、私の大事な筆箱だった。
「ウケ狙いで使ってんの? これ。昭和かよって感じ。それとも貧乏で、まともな筆箱も買えない――」
ごちゃごちゃ言っているのを無視し、私は素早く手を伸ばして筆箱を奪い取った。大切なものを踏みにじられ、頭が怒りでいっぱいになっていた。
だが、明美の反撃は速かった。すぐさま私から筆箱を奪い返すと、それを教室の後方の壁に向かって投げつける。ガシャ、と音をたてて床に落ちる筆箱。
硬直している私に、頭上の明美は無機質的な口調で言った。
「あんまり調子に乗らないでね、二条さん。ぶっ殺したくなるから」
明美コワーイ、かわいそー、などと取り巻きたちが半笑いで茶化すが、明美はそれにつられない。真顔のまま私を見下ろし続ける。
私はそんな彼女に目を合わせていたが……やがて目をそらしてしまった。明美の圧に、耐えることができなかった。
満足したのか、明美は取り巻きたちとの談笑に戻り、私から離れた。
教室中からの視線を感じつつ、私はかばんを持って立ち上がり、教室の後ろに落ちている筆箱を拾った。その袋は破れ、裂け目からシャーペンの頭が飛び出していた。
――大昔の記憶が、頭をよぎる。
『ほうら玲ちゃん。これ、筆入れに使って。婆ちゃんが作ったの』
優しい笑顔を浮かべる婆ちゃんに対し、小学校入学当時の私は『サンキュ』と言ってプレゼントを受け取った。
たぶん可愛げのない仏頂面だったと思うが、その実、私はかなり嬉しかった。花の模様が綺麗で、一目見た瞬間に気に入ったからだ。
それを、その筆箱を、あのクソ女…………。
幾度も通った帰り道だったが、家に辿り着くまでの記憶が半ばなかった。破れた巾着袋を見たときから、私の頭は明美への怒りと憎しみでいっぱいだったのだ。
殺そう。
明美をぶっ殺そう。
なにも、筆箱の件だけでそう思ったわけではない。
前々から、明美は私に意味不明なほど辛辣だった。同じクラスになったこともないし、部活や委員会での接点もなく、そもそもまともに会話したこともないのだが、なぜか私はアイツに敵視されているのだ。
ヤツが『馬場明美』というダサい名前で、私が『二条玲』というカッコイイ名前なのが原因では――みたいな噂を聞いたことがあるが、真偽は知らない。確かめようもない。
いじめというほどではないが、明美は今日のように突然絡んできては一方的に私をディスり、去っていく。そんなことが週に一度か二度のペースで続けば、こちらからの敵意も膨れ上がっていくのは当然だろう。
女王である明美に嫌われているために、今では私と仲良くしようとする人間もいない。一年生のときには何人かいた友達も、今ではみんな疎遠だ。私に孤独耐性がなければ、とっくにおかしくなっていたかもしれない。
そして、婆ちゃんからもらった筆箱をいろんな意味でボロクソにされたとき、私の中の何かが吹っ切れた。アイツをこの世から消すという発想がふと生まれ、すぐさまそれが全世界にとって素晴らしいという確信を抱いた。
あんな他人を平気で見下し、傷つけるやつなんぞ、いなくなったほうがいいに決まっている。
「どうやって殺そうかなぁー……」
自室の座椅子に背中を預け、天井を眺めつつ、私はプランを練った。
一番重要なのは、私が殺人の罪で捕まらないことだ。明美は殺すべきだが、私の人生と引き換えではさすがに割に合わない。あんなゴミ女に人生を左右されるほど、私は軽くない。
――完全犯罪だ。
絶対に捕まらないよう、一切の証拠を残さず明美を始末する必要がある。
綿密な計画を立てるのはもちろん、明美の行動パターンを調べたり、私自身を鍛えなければならない。
「……よし、できることからやろう」
さっそく私は立ち上がり、スクワットを始めた。
可能なら今すぐにでも殺しにいきたいが、焦るわけにはいかない。失敗すればあまりに多くのものを失ってしまう。
私は気が長い。長大な計画を立てることは苦ではない。
ともあれ、最終的に明美を殺し、かつそれが私の人生に一切のマイナスをもたらさなければいいのだ。手間はもちろん、時間も幾らでも費やす覚悟がある。
そうして、私の明美抹殺計画が始動したのだった。