だから結局これは何てアニメの曲なんだよ 1/まくら
メガネに貼りついてるように どこを見ても
変わりばえしないこの景色 今日も退屈でがっかり
「(みんな一体どんな、システムで感情コントロールしてんだ。気が狂いそうで泣き出した…ボクがまともなんだよ…)」
……
みんな、『ブルース・ドライブ・モンスター』って曲を知っているだろうか。ボクのこの……ポータブル音楽プレイヤーに入っている、今ボクが聴いている曲なんだけど。
これはどうも、昔父さんが好きだったアニメの曲らしい。それが何てアニメなのか、どんなアニメか、またこれを歌っているバンドがなんていうグループなのかも知らない。けど、小学生女子の趣味ではないことは確かだ。だから当時はあまり刺さらなかったが、でもそれしか聴くものがなく、ボクはこれを聴いてもう6年は経つ。
小学2年生の頃、誕生日プレゼントにニンテンドー3DSを望んだボクは、これを渡されたのだった。水色のポータブル音楽プレイヤーと、コードのよく絡まる小さなイヤホン。まあそれでも充分嬉しかった。問題は、これにはたった3曲しか入っていなかったってこと。そして大大大問題は、どうやってこれに曲に追加するかを教えてくれる前に、父さんは蒸発してしまったことだ。機会に疎い女子小学生低学年を残し、父はどこかに消えた。
「はあ」
おかげで、ずっとこの曲を聴いている。外で持ち運べる用の音楽プレイヤーはこれしか持っていないからだ。高校生になれば携帯電話にパソコン、インターネットとやらが解禁され、「どうやって音楽プレイヤーに音楽を追加するのか」を調べられるのだが……あいにく、ボクは今、中学2年生になったばかりだった。まだ2年は耐え、この音楽プレイヤーに入っている唯一3曲を聞いて退屈をしのぐしかない。
それに、最初から音楽プレイヤーに入っていた3曲だって。バリエーションがあってないようなものだ。なぜなら、その3曲というのが、
1.ブルース・ドライブ・モンスター
2.ブルース・ドライブ・モンスター(ライブ版音源)
3.ブルース・ドライブ・モンスター(まくらの父がカラオケで歌ったのを録ったやつ)
「もう曲の追加はいい……せめて、父さんのカラオケバージョンは消去させてくれ。素人の歌ったヘタクソなのはいらない。聴いてらんない」
遅い朝の、誰もいない通学路を、静かに彼女は歩いた。
彼女の名前は、「まくら」。漢字では書かない。きっと“枕”なのだろうけど、なぜか親は漢字をつけなかった。「まくら」。彼女自身も、「ヘンな名前だ」と思っている。
中学二年生である。髪は短め、肩にかからないくらいだ。前髪が長くて、たまに目をちくりとするのを鬱陶しく思っている。が、散髪屋さんと話すのが苦手で、なかなか切れずにいる。後ろの髪は長くなると自分で勝手に切ってしまうのだけど。
長い前髪のせいで目元が隠れてしまっているが、視力はかなり良い。だからこれまでの人生は裸眼で歩んできた。眼鏡をかけている自分の姿は想像できなかった。一方で、常に音楽を聴いているために耳はちょっとずつ悪くなってきているようだ。
瘦せ体形。だが不健康的といった感じではない。強いて言えば、猫背がちょっとひどいくらいだ。
本人も歩きづらそうにしている。猫背のまま歩き続け、もう閉ざされた校門に到着。既に1限目の授業が終わろうとしているころだった。しかし、彼女にそんなことは関係がなかった。他生徒が授業を受けているであろう学校本棟にちらりと目を向けて、すぐ、ぷい、と目を逸らした。
「まあ、おいおいね……」
彼女が向かうのは、保健室。
保健室前の廊下は独特の雰囲気がある。健康や感染症対策のポスターがズラリと貼られている。そして、不気味なほど静かだ。今週のポスター・『健康週間』は歯周病がテーマのようで、でかでかと人間の中身の真っ赤な写真が載せてあった。右が健康な人の口、左が歯周病ということだが……左は勿論、でも健康な人間のソレだって充分にグロテスクだ。
グロポスターを横目に、こんこんとノックをする。「は~い」と低めの中年女性の声が聞こえてきたので、それを合図に受け取って、がらりと扉をスライドさせる。
「おはようございます」
「はい、おはよう」
保健室の先生がいる。
この先生はまあ好きだ。優しそうだから。でも何より好きなところは、あまり関わらないで済むところだ。
「まくらちゃん、今日は体調はどう?」
「まあ…まあ、です」
「そう。それは良かった。じゃあ、大丈夫な範囲で、今日もお願いね」
「はい」
そう、これで一日の会話は終了だ。他の大人たちと違って、あまり深入りしようとしてこない。
それでは今日も先生の「お願い」を叶えに行くとしよう。職員室へ向かう。あそこはあまり好きではなかった。大人が大量にいるからだ。
「失礼します」
こんこん、がらら。自分の上の名前を言って、それから要件を伝える。
「図書館の鍵を取りに来ました」
それに応えるように、名前も覚えていない何かの先生が「はーい」と返事した。だから、図書館の鍵を、鍵かけチェーンホルダーから取る。
これこそが、保健室の先生の、まくらへの「お願い」だ。それは、図書館に居ること。他の生徒が授業を受けているとき、好きに使っていいから図書館に居てほしい、ということだった。
「……今日は、一段と暑いな」
まだ、春だというのに。
遠くで鳥が鳴く。その向こうに、大きな雲がいる。
小学校2年生のとき、不登校になった。理由は彼女自身も忘れた。家では毎日のように、夫を無くした母が狂っていた。無くした……まだ見つかる可能性がある分、「無くす」というのは「亡くす」よりも酷い。薄っぺらな希望こそが人間にとって最も悪い毒だ。母は狂うのに夢中になっていて、まくらの不登校を咎めも見守りもしなかった。
「(母さんはまだあの約束を覚えているだろうか……ボクが高校に上がったら、携帯電話を買ってくれるという約束を……)」
4年間ほどの不登校が続き、あるときまくらは思い至った。「このままでは多分、ヤバい」と。……そして、中学に上がるのを機に、登校を再開したのだ。ただ、いきなり教室で他の生徒と雁首を並べて教師に教えを乞うというのは、しんどい。そこでまずは保健室登校から始めたわけだ。
気づけば、保健室登校はズルズルと半年つづいた。そこらの時期で、ある日、あの保健室の先生に提案されたのだ。「毎日保健室で同じ風景を見ても飽きるだろうから、図書館にいてはどうだろうか」と。
一般生徒は休み時間しか立ち入ることができない、図書館。窓からは、運動場や門をくぐる生徒の姿も見える。そこにいてみてはどうだろう。
あれから、まくらは平日はいつも、図書館で過ごすようになった。一般生徒がやって来る休み時間、それ以外であれば、本を読んでもいいし、イヤホンを繋いで音楽を聴いてもいいらしい。
先生がああ提案したのは、もしかすると、毎日やって来ては保健室のベッドを一つ埋めるまくらのことが、邪魔だったからかもしれない。でも、別にいいのだ。結果としてまくらは、図書館で…保健室より楽しい場所で、過ごせているのだから。
図書館棟へ行く。
き…。鍵を差し込む。がちゃ。
「けほ…ホコリが……。あ、マスクつけ忘れてた」
ちなみに、仕事とかはない。ただ図書館にいるだけでいいのだ。一般生徒の本の貸出・返却なんかは、まくらとは別に、普通に図書委員会の役員たちがやっている。
ただ、授業で配られるプリントはまくらの元にもやってくる。保健室通い時代から日々用意されてきた。これを提出することでまくらの成績はつけられている……らしい。詳しいことは彼女自身、知っていない。
「(……それもいつものことだね。自分自身、自分に関することはよく知らないままだ)」
ぱち、ぱち。電気を…灯りをつけ、エアコンもつける。ごおおお、重たい駆動音がなり始めた。涼しい風が吹く。エアコン…は、一応、環境省が地球温暖化対策として推進している「冷房時の室温28度」で設定している。
今日は登校が遅かったから、図書館を開けた時点で、1限の終わる数分前だった。
いつもまくらが座る席、机の上に、いつものようにプリントの束が置かれていた。昨日は……国語と英語、理科、音楽、そして道徳があったらしい。昨日の曜日なら確か体育もあったはずだが、体育という教科には授業プリントというものがない。なのでその分をまくらがこなす必要もない。ありがたい。
「まずは国語からでいいか……」
二年生一学期 『空中ブランコのりのキキ』その4。
①ブランコから落ちて死んでしまったキキの父への言及は、物語にどのような効果を与えているでしょうか。
②キキの「いいんです、死んでも。」という台詞には、どのような表現技法が使われていますか。また、作者がそれを用いたのは何故でしょうか。
③おばあさんから小瓶を受け取ったときのキキの心情を考えてみましょう。
「こんなのを、たったこんなのを、ホントは授業受けて50分間もだらだら考えなきゃいけないのか」
ぼそりと呟き、持ってきた鞄から国語の教科書を出す。『空中ブランコのりのキキ』のページを開く。てきとうに、文中から問に関係のありそうなところを引用して、それ同士をくっつけ、それらしい回答に仕上げる。
1限が終わると、休み時間がやって来る。この時間のことをまくらはあまり好いていなかった。なぜなら、一般生徒が図書館にやってくるからだ。目障り。それでしかなかった。
「(はあ。それに、休み時間は……)」
それに、休み時間はまくらも音楽プレイヤーの使用はできない。誰もいない授業中は事故で音が漏れてもまあいいとして、読書・勉強しに一般生徒がやって来ている休み時間は、万に一つでも図書館にポップな音楽をばら撒くことは許されないのだ。さっさと音楽プレイヤーの電源を切る。OFF。
「……」
といっても、10分しかない休み時間のうちに図書館にやって来る奴なんか、相当少数だけだ。長い昼休みならまだしも。10分で何ができる、何が読めるというのか。だから、
「(げ、まだいる……)」
休み時間終了のチャイムまであと2分、今、自分の目の前に座っているコイツは、相当狂っているのだ。まくらはそう思った。
目の前に座っているその一般生徒はいつも、休み時間にここにやって来た。そしてなぜか、まくらと一緒の机の席に座るのだ。何故か?……実はまくらには、心当たりがあった。ソイツがいつも読む本のジャンル、そのジャンルの棚と、一番近いのがこの机なのだ。読み終わればすぐ本を棚に戻し、すぐ新しい本を拾い出せた。ソイツは最高の効率で、そのジャンルの本棚を読破し進めているというわけだ。
ソイツはいつも似たような本を読んでいた。ソイツはいつも同じジャンルの本を読んでいた。それは、自然でも文学でも科学でも歴史でもエッセイでも児童文学でもない。それは、「祈り」。
無論、宗教や祭事で人々が成す心の所作としての祈りではない。かつて地球を駆けた恐怖の彗星が人々に与えたとんちきな力の、「祈り」の方だ。
『地域の違いとそこに住まう人々の“祈り”の関係性』
「(キモ、なんだよその本…………それ前も読んでなかったか?)」
「!」
目が合いそうになって、あわてて目を逸らす。さあ宿題だ。宿題に目を落とす。……それに、もう今さら観察する何かもない。ソイツは、まくらが図書館に通うようになった最初の最初から、毎日いた。だから平日はいつも会うのだ。そしてお互いの向かいに座る。ただ一回も言葉を交わしたことはない。
「……」
でも、中学校生活のうち、どれだけ会っているというのか。いつもちらちら見ているうちに、もう容姿から仕草まで完全に覚えてしまった。知らないのは、それ以外の全て、声とか名前とか好きな食べ物とか、それだけだ。
ソイツは、女だ。長い髪をしている。眼鏡をしている。鋭い目つきをしている。白くて並んだ歯をしている。薄い唇をしている。自分と同じ色の肌をしている、が自分に比べてちょっと白い。細い脚をしている。そしていつも、
「(いつも、本を読んでいる。“祈り”に関する本を)」
思えば、自分とはずいぶん対照的だ。まくらはそう思った。まくらは髪は短めにしているし、眼鏡もかけていない。何より、まくらはあまり、「祈り」に興味がなかった。一度も「祈り」を行ったこともない。そう、彼女は、まだ自分の「祈り」すら知らないのだ。もう今さら知りたいとも思わない。
……ただ、最近気になることはある。
「(目の前の、この眼鏡のコイツは、どんな……どんな“祈り”なんだろう)」
いつだって、自分に関することは知らないものだ。無論、他人のことなら、尚更。