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箱河豚の串刺し 下/志門

 全てがどうでもよくなったのはいつだ?それで失ったものを拾いなおそうと思えたのはいつだ?少なくとも後者だけは分かる。


 昨日だ。昨日、久しぶりに誰かに誕生日を祝われた。


 昨日あったことを思い出す。このケーキを見て、志門は昨日あったことをかみしめていた。

「(先にモンブランから食べよう)」

 これは昨日貰ったケーキだ。


 昨日あの後、店長がケーキを食べ終わっても少し話を続けた。


「(このケーキのケース、四角形だな。透明で形に注意がいきづらかったが、よく見ると四角だ)」


 よし、出勤だ。


「おはようございます」

「おはよう志門君!今日もよろしく」


 このコンビニは自分の永久の就職先なのかもしれないと思った。少し家からは遠いが、自転車で来れる範囲だ。そして何よりクビにされにくそうだ。これまでも志門は転々と店を変えてコンビニでアルバイトを続けてきたが、その度クビにされてきたのだ。

 アルバイト中に浮遊すると、クビになる。そんなのは当然なのだ。しかも、聞くとそれは、浮遊は「祈り」のせいではないか。ふつう「祈り」は意識してその複雑無秩序な手順を踏まないと実らない。仕事中に「祈り」をしてしまうなど、仕事に集中していない証拠に他ならないのだ。社会人失格。

 ふつうコンビニエンスストアというものはひっきりなしに人が来る。常に誰かが店内にいるのだ。そんな中、急に浮遊しては迷惑がかかるに決まっている。そういうわけで、半ば無意識に度々浮遊してしまう志門は、クビ、が妥当だった。


「(でもここは、)」


 しかしここは、このコンビニは、人が少ない。客も少ないがそれだけではない、店員も少ないのだ。志門が働いているときは、基本的に店長しか見かけない。そして店長もやさしい。

「(でもその優しさの上にあぐらをかいていてはだめだ)」


 志門はこれから、なるべく仕事中に「四角形を意識しない」と心に決めた。代わりに他のことを考えるようにした。


 人が少ないことにはメリットもあったが、大きなデメリットもあった。ここのように来客の少ないコンビニは、いつも作業に集中している必要はない。だからこそ脳のフリースペースが多くなってしまい、意識が“四角形”に行ってしまいそうになる。

 来客が多いコンビニにいたときは、常時作業に集中する必要があったので、意識が“四角形”に行きづらかったのだ。それでもふと気が緩んだときに四角形を意識し、そしてたまに「祈り」を実らせてきた。今度こそ気をつけよう。

「いらっしゃいませ」

「いらっしゃいませー」


 ……出来るのだろうか?10年以上、ずっと……自分でも不思議で不気味だが……ずっと、“四角形”のことを考えてきたのだ。人間の作った美しい四辺の線分で囲まれたとても美しい四角形、真ん中に引いた自分の線で“中”という文字を完成させたい。

「(狂いそうになる。おれは狂う前にいつか、自然の中で住むべきなのか。四角形の存在しない、自然の中で……)」


「タバコ、38番お願いします」

「はい」


 そうだ、新しい何かに興味を持てばいいのだ。そしてその趣味のことで一色だった思考を新しく塗り替えよう。今さら新しい趣味を開拓することは難しいかもしれない。しかし、他人(ひと)がどんな趣味を持っているかを知ることくらいはできる。それを取り込んでしまえばいい。


 昼、少し店長に聞いてみた。やはり人に話しかけるのは恥ずかしいと感じたが、ここで踏み出せなければ何も変わらない。

「店長、」

「んー?」

「突然なんですが、店長は趣味は何かとか…ありますか?」

「きゅ、ほんとに突然だね……でもそうだなあ」

 手をあごにあててちょっとして、店長は答える。

「……これはちょっと恥ずかしいんだけど、息子に付き合ってテレビの子ども向け番組を見ることがあるんだけど……それで自然とか科学の話をよくやってるんだよね。それが子ども向けなんだろうけど、でも、結構見てると面白くてね~!……ワニがいっつも大きく口を開けている理由を知ってる?」

 これはちょっと意外だった。


 自然か……。


 帰り、自然界にちょっと目を傾けてみた。

 信号を待っていて自転車を止めているとき、上を向いてみた。夜の空がそこにあった。しかし街の灯りが、夥しい数の街の灯りが、汚いせいで、星々の繊細な光はかき消されているようで、空はただただ暗く黒いだけだった。

「(丸でもなく、四角でもない……ここには形そのものがないのか。)」


 信号が切り替わる。赤い光は一瞬の瞬きを見せてから、緑に切り替わる、その時、遠くで別の輝きが見えた気がした。そっちを注意深く観察する。目を凝らす。すると、見えた。

「(青白い……)」

 遠くで、一つだけ星が綺羅めいていた。煌々(きらきら)と輝くそれは、本当は綺麗な球体の恒星なのだろうが、ここからでは遠くて、そしてそれ自身の輝きが強すぎて、輪郭は認識できず、どの瞬間も変形しているように見えた。

「(あの星は何光年先にあるんだろう)」


 ただの職場の仲間に過ぎない、友達でもなんでもないことは知っているのだけど、このことを次の日、店長に話してしまった。


「へえ。何の星なんだろうね。ぼくも帰りでその星を探してみるよ。青白いってことは、表面温度がよっぽど高い恒星だね」

店長はそう言ってくれた。


 志門は、星に、宇宙に興味が湧き始めていた。そういえば10年前にこの世界を一変させたのも、彗星ではないか。…………宇宙か……。


 それから、志門は時間がある時、脳の空洞に、宇宙の思考を詰め込んだ。段々と四角形のことを考えないようになっていった。少なくとも無意識のうちに四角形から“中”という漢字を連想しないようになっていった。


 それは、「祈り」が弱くなっていったといってもいい。これまで神速で発動することができた「祈り」に、意識という壁ができたからだ。


 でもそれがどうした?「祈り」など何の役にも立ってこなかったではないか。「祈り」……「祈り」が実ると志門は空中浮遊ができるようになる、が、それが役に立ったことはこれまでない。と志門自身は思っていた。


……


 あっけないものだ、これまで意識せずとも実らせてしまうこともあった「祈り」をしなくなってから、一か月が経とうとしている。

「おはようございます」

「おはよう、志門くん!」


……


「いらっしゃいませー」

「いらっしゃいませ」


……


 今日は晴れだ。このまま夜まで曇らなければ、今日は細い月が見えるだろう。


……


「あ、あと、タバコの38番ください」

「はい」


……


 それと、一か月で、もう一つ大きく変わったことがある。それは、

「お~志門くん!」

「なんですか、急に」

店長とかなり仲良くなっていた。

「さっきの会計、870円だったよ。それも、おにぎり2個とタバコで、320足す550円の組み合わせ」

「ええ、そうでしたけど、何か?」

「……いや、もう無意識に“祈り”を実らせる事故はないんだな~って」

「ちょっと、思い出させないでくださいよ」


 相変わらず客は少なかったが、暇ではあったが、それなりに日々が楽しくなり始めていた。かといって風景描写が変わることもない。たまに新商品が入荷されたり入れ替わりで旧商品が割引のコーナー行きになったりしたが、ずっと店内で自動車免許の合宿所の宣伝の曲は流れているし、少ない常連の客が買うタバコはいつも同じだし、外の天気は晴れか曇りか雨だけだ。


「そうだ、今度さ、望遠鏡が家に届くんだよね」

店長がそんなことを言った。

「へえ!いいですね!でもかなり高価じゃなかったですか?」

 望遠鏡か、それはうらやましい。この頃になると、志門はそう思えるようになっていた。天体や宇宙に興味を持った、素直な人間の一人でしかなかった。

 店長が嬉しそうに笑う。

「いや、それがね~!なんと懸賞で当選したんだよ!……まあ、だから多分、そこまで高性能なものじゃあないんだろうけどね。でも月の表面のクレーターくらいならハッキリ見えるはずだよ」

「うわ~いいですね!土星の環や木製の対流も見れそうですね~。あ、そうだ。お子さんがもうちょっと大きくなったら、お子さんにも見せてあげることもできますね」

 店長は頬をぽり、と掻いた。何か照れているようだ。


「それでさ、よかったら今度、家で望遠鏡使いにこない?」

「え!?おれがですか!?」

 どうやらこの提案をするのに、少し照れていたようである。いや、照れというより、遠慮のようなものを感じた。

「あ、いや、やっぱ忙しいよね!ごめんね志門君」

「いえ……嬉しいです、この上なく!ありがとうございます、誘っていただいて!」


 その時、初めて知った。店長の住んでいるところが……このコンビニの真上だと。


 そう、ここは大きなマンションになっていた。一階がコンビニエンスストアになっているのだ。そして四階に、店長たちの部屋がある。そこで店長は毎晩、3さいになる息子と眠っているとのことだ。

 妻とは別れているようで、普段はベビーシッターに息子を見てもらっているらしい。


「ふう」

 着替えが終わった。やっと今日の仕事が終わった。外はすっかり暗くなっている。

「では、お先に失礼します」

「うん!お疲れ様~!」

「はい、店長もお疲れの出ませんように」

「は~い」



……



 自動ドアが開いた。建物裏のでかいゴミ捨て場所の近くに、自転車を取りに行く。き、かちゃ。またがる。表にまた回ると、コンビニは大きなガラスに囲まれているものだから、内は透けて見えて、レジに出てきていた店長が見えた。まあ、店長ももうそろそろ勤務時間は終わるが。少し頭を下げて会釈すると、店長は笑顔で応えてくれた。

「(外はすっかり暗い。夏は日が暮れるのが遅い、といっても流石にこんな時間にはもう太陽の残滓すらも感じられないのだ。そうか、夏。ということは今度の店長の家で望遠鏡使わせてもらうときは、夏の大三角形なんかももしかすると……)」


 横断歩道を渡る。コンビニの反対の道に来た。ここから基本的にはこの道にそって自転車で数十分、で、帰宅。

「(ふと、)」

 向こうを見てみた。つまりコンビニエンスストアの方を。本当だ、今まで気付かなかったが、コンビニのある建物はどうもマンションのようだ。一階だけコンビニで、その上には3つくらいの階があった。その中で一番上の四階が、店長の家族が住むところなのだ。

「(だから、あそこらへんってことか……。もうベビーシッターはいない時間らしいけど、灯りはまだついているのかな)」

 見上げてみる。部屋からはちらほらと、光が漏れているところがあった。逆に暗いところは、住民がまだ仕事から帰ってきていないとかなのだろう。就寝による消灯にはまだ早い時刻なのだ。


 そんな中、やはり四階もいくつかの部屋には光が灯っていた。


「(あ……)」


 顔は見えないけど、誰かが四階のその部屋からこちらを見ている。小さい。しかしその小さな顔はぐんぐんと芽のように背を伸ばしている。

 そういえば後ろの方で何かチカチカしている。志門は振り返ってみると、そこに赤い光の光源を確認した。車だ。コンビニから車道を挟んで向こう側には、小さな駐車場があるのだ。そこに止まっている車が、真っ赤なライトを点滅させている。

 そして、その瞬間、





志門はこれから起きる最悪の事態を、全て理解した。





 ぞわ。


 一斉に毛穴が開き、この猛暑の夜に、冷え切った汗がドバ、ドバ、溢れ出す。


「(まさか……!!)」


 最悪だ!


「(あれが、店長のお子さんか!そして、その子はたった今、四階のベランダから落ちる数秒前だ!!)」


「クソ!!」


「(おそらく、外で何か赤く光っているのが気になり、見に来たんだ!そしてベランダまでやってきて、室外機か何かを踏み台に、よじ登り、今、ベランダの柵を乗り越えようとしている!────あと数秒後、あの幼児は四階から転落する!!)」


 そこからは、空を駆ける稲妻よりも早く起こった。


 まず、志門が自転車をそっと横に倒した。大きな音を立てれば、その拍子にあの幼児が驚き落っこちてしまうかもしれないからだ。背負っていたリュックを乱暴に投げ捨てる。そしてすぐに志門はトップスピードで走り出し、信号も無視して、コンビニに入っていった。

「いらっしゃ…」

言う店長を遮り、店長が来訪者は志門であると認識するよりも早く、志門は叫んだ。

「店長、お子さんがベランダから落ちそうになっています!!!──う、あ、レジ借ります!!」


 刹那、ぽかんとしていた店長はすぐに事態を理解し、焦りへとフェーズが移行した。

「ど、どうしよう!?────」

 もう何か指示を出している暇もない!!だから、店長に、その子の父親に伝えることはこれだけでよかった。志門は叫ぶ。

「────大丈夫です!!」

 そして、叫び終わるころには、志門はまた走りだしていた。コンビニの外に駆けていった。


 志門が借りたレジには、ある数字が表示されたままであった。それは、870。


「(こういうとき、本当はクッションや布団を地面に大量に敷くのが一番だ。でも、コンビニにはそんなものない!!だから、こうするしかない、)」


 タイミングとしては最悪だ。志門はこの一か月、この行為を忘れるために注意してきたのだから。まさか忘れかけた今、これを必要とするとは!!

 志門は物凄いスピードで周囲を見渡した。探しているものは一つ、以前までは意識せずとも勝手に視界に入ってきたそれが、今は認識し難い!!どこだ、四角形は!!


「あった、自動ドア!!」


 縦に長い長方形。一文字斬り、横に薙ぐように直線をイメージする。そして志門は文字を完成させる。──“中”という文字を。


 ────電卓による320+550=870の算出──4回の(まばた)き──そして四角形の認識に直線のイメージから成る、“中”という文字の脳内での組成!!


「こうするしかない──おれが、俺が飛ぶ!!」


「祈り」が、実った。


「(“祈り”が、実った!!15秒──15秒の浮遊能力!!でも実際のリミットはもっと短いハズだ!!あの子が落ちるまで……8,7,6…すぐに決着をつけるっ!!)」


 急速に体重の実感が無くなってゆく。ふくらはぎのあたりに力を入れる。ふよ、とジャンプしたわけでもないのに地から足が離れる。浮遊の開始だ。

 この状態から、いつもなら、以前までの“いつも”なら、望めば、まるで風船のようにふよふよと空を漂うことができる。できた。しかし、でも、それでは、そんなでは、それだと、


「お せ え!!!!───う、あ、あ、あああぁぁッ!!!」


 それはもはや咆哮だった。そして、みるみるふくらはぎに力が込められてゆく。血管がぶちぎれても、お構いなしの様子だ。鋼鉄のように硬くなってゆく脚、そして、「祈り」は、フルパワーの浮遊へ…上昇へと至った。炎のついたロケットのように飛ぶ。


 ぎゅん。すぐコンビニのある一階より高くなり────二階を抜けるより速く──三階を飛ぶ!!

 ここは地から15メートル。ここから落ちたら頭蓋骨の中の脳は豆腐のようにぶしゃりと潰れ、水風船が弾けたように血と肉でコンクリートの地面は汚れるだろう。つまり、間違いなく死ぬ。そして、そうさせないように、志門は────


「捕まえた……!」


 ぎゅううう。強く、強くその幼児を抱きかかえる。「きゃあ」とか「ぱあぱ」とか喃語を言っている。もう柵に両の手と、そして右足もかけていた。本当にあと1秒でも遅ければ、この子は真っ逆さまに地面に落ちていただろう。

 抱えたまま、ごろりとベランダの内の方に転がり込んでゆく。この子が頭を打たないように、優しく。

「はあ、ふう…ああ……」

 安心すると、無茶したからだろう、急にふくらはぎが痛くなった。あんまり身体を動かしてこなかったせいだろう。

「こら、おまえ、もうこんな危ないことしちゃだめだぞ。おまえのお父さんはあんなに焦っていたぞ」

そう言っても、

「……なんだその顔は、まんまるだな。はは」

幼児はただ無邪気に笑うばかりだった。


 汗でびっしょりの右手でしっかりその子を抱える。少し汗臭いかもしれないが、我慢しておくれ。汗ばむ左手で、ごそごそと携帯を取り出す。かけるとすぐに店長は出た。

「もしもし、もう大丈夫です。それと、すいません、家に勝手に入ってしまいました……え、ああ、今はベランダにいます……はい、はい、いえ……ありがとうございます」

 ピ。電話を切った。すぐに店長は階段を駆け、ここに来るだろう。これにて、一件落着だ。




 この名前も知らない幼児が落っこちようとしていた、ベランダの外を見てみる。真夏の暑い空気が充満した、熱帯夜が見える。星はなんにも見えない。望遠鏡を覗けば何か見えるだろうか。


「(本当に、宇宙には形なんてものはないのか)」


 右手が熱い。ずっと強く、この子を抱えているからだ。幼児を抱える手を入れ替えて、空いた右手を、自分の心臓の近くにあててみる。


「あつい。……あったかいなあ」


「(暖かさが浸透してゆく。これは槍だ。俺を貫く、ぬくもりの槍だ。まあこうしてずっと寝転がっているわけにもいかない。上半身だけ起こそう)」


「よいしょ、っと……」


 ちょっと向こうで、がちゃ、と、扉が開く音がした。そして、店長の叫び声がした。誰かの名前のようだ。ああ分かった、この子の名前と、俺の名前か。




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