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『火粉を払う、息を吸う 26』 史絵

 がくん。(むし)は膝から崩れ落ちた。手を、血が噴く肩まで持ってきて、僅かに迷った表情(かお)を見せてから、でもなにもせずだらんと垂らした。栓となっているナイフを変に抜いて出血量が増えることを気にして、やめたようだった。ともかく、動けないでいた。

 そこへ、ようやく咲がやってきた。服はぼろぼろになって、端の方は灰となって崩れている。下はもともとダメージジーンズだったので、あまり変化は見られない。「けほっ」と黒っぽい粉をはき、蟲へ近づく。

「私らの勝ちだ、蟲」

「……これからどうするつもりっスか、先輩」

「とりあえず、お前を()()して拘束して家に持って帰る」

「そ、その後っス。まず大前提として、そのまま社相手にこのまま戦い抜けるわけがないっスよ。……なにより、よりよく会の“世界を変える出来事”を阻止する最前線がそのまま社っス。()()()()()は、そのまま社っスよ。……今や、あなたは正義の敵だ」

 どこかで聞いたことのあるような言い回しだ。咲は三回分ほど歩みを止め、「血反吐を吐いてるのによく、まだ喋れるな」とだけ言ってまた足を上げた。

「必要とあらば少女を殺すのが、正義、か」

「必要とあらば正義は、悪の役も買って出ます」

「世界が変わっちまうのを止めるだと。ノストラダムスの大予言さえ外れたのに、そう簡単に世界が変わるわけないだろ」

「変わったじゃないっスか。我々はこうして、“祈り”を持つようになっている……」

「……」

「……」


「史絵、まくら、モクラ。家屋の間に隠れろ。蟲はまだ銃を持ったままだ」

 蟲はまだ銃を持ったままだった。トイレットペーパーの芯と、プラスチック製のタンクから出来た、長く、大きく、幼稚な銃。咲の声に呼応するように、蟲はわきに抱えていた銃を太ももに乗せた。肩から流れる大量の血のせいか、手はぶるぶる震えていて、動きも遅い。

 すぐさま肩に乗っていたモクラが離れる。史絵の方に向かう。湿った土の体でどれだけ金属の弾を受け止めることができるのかは分からないが、モクラは史絵を守ることを行動の第一原則として、まくらから命じられていた。


 廃屋の窓から顔を出しているまくらを確認し、史絵は建物と建物の間の狭い道へ飛び込んだ。後ろにモクラを連れている。更に後ろから、こちらを射貫くような雰囲気を感じていた。蟲が、銃を、()()()ようだった。

「はぁッ、はぁっ……もう史絵を追うのは無理そっスね。だから咲先輩だけでも殺して……おこうかな」

 べりべりと音が立つ。「……」咲は蟲の奇妙な行動を警戒した目つきで睨んだ。せっかくいくらか近づいたのに、また距離を取ることにする。もう動けないと思っていたが、まだ銃を構えることができたのだから、目の前の人間がこれから何をするのか──何ができるのか、もはや想像するだけ意味がない。なんでも起こり得る。なんでも起こされ得る。警戒する。


 べりべりべり、ばちっ。蟲は、プラスチックタンクから、皿を引っぺがした。がん、からんからん。陶器が地面を踊って、次第に停止した。チンチロでも始まりそうな恰好だが、たれ皿では平らすぎてサイコロも覆えないだろう。地面に置かれた皿と、バレルの長いおもちゃみたいなライフル。

「……」

 ぐりぐり、くぽん。素っ頓狂な音は、ラップと硬質な紙のこすれる音だった。見ると、蟲は肩と頬で銃を支えていた。では手に何を持っているのかと言うと、芯だ。バレル部分を二分に断ったのだ。装填されている金属錐の視点で例えると、これから己の通るトンネルを抜けてすぐに、次のトンネルが待ち構えているようなものだ。

 肩と頬で固定されたキャノン、その銃口の延長上に添えるように、分離された芯を手で持っている。反対の肩では血の噴水の勢いもなくなって、だくだくと腕を伝って赤い川を流すばかりだ。


 ぼこぼこと頬が膨らんだ。次の瞬間、蟲は────唾をぺぺっと吐いた。緑色の唾だ。緑色の絵の具の混じった唾である。どうやったかは分からないが、口の中で()()したのだ。唾は、団子のように二連に連なっていて、その両方がほとんど間を空けず、地面の皿にパタタと湿った音で着地した。

──シュパァーーン!!

 衝撃波を纏った金属の円錐が、高音を破って空を割く!蟲の放った攻撃は、完全に音速に達していた!!


 2つに分けられたトイレットペーパーの芯からできたバレルを、タンクにくっついたままの方をA、切り離されて今は蟲の手に支えられている方をBとする。蟲の吐いた緑の唾は皿に色をつけ、と同時に装填された円錐弾は高速で芯を──トンネルAを駆け上がる。──のだが、トンネルを抜けた先は、再びトンネル。トンネルBである。そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この僅かな()に、第一の唾を追うように飛ばされた第二の唾が皿へ着く。先に実ってからコンマ数秒にして、再度、「祈り」が実る。トイレットペーパーの芯は──トンネルBは、()()()()()()() ()()()()()()()!!

 高速を超えた高速。“音速”で、流線型の頭をした金属片が飛ばされたのだ。


 パ──パ─パ─パパパッ。円錐弾の通ったところから、古びた窓ガラスが、次々とはじけ飛ぶ。人間の肉眼では「一斉にはじけた」ようにしか見えない。北海道内陸部に舞うダイヤモンド・ダストのように、無数のガラスの子が空を泳いで地に降りる。そして……うるさすぎる。これでは流石に、商店街の方から人がやって来るだろう。

「いッ!!」

「きゃっ!」

 轟音のために、まくらは廃屋の2階で、史絵は路地裏で、とっさに身を伏せた。遠くの近くで人々の「なんだ なんだ」とかそういった声が聞こえる。


 蟲はかすんできた視界の中、勝利を確信していた。多少無理してでもその景色を収めようと、目を開く。きっと胃より上から全部、咲の体はねじ切られて跡形もないはずだと思った。


──しかし、咲は立っていた。四肢も頭もなんともない、マネキンのように美しい五体に涼しげに銀髪をたなびかせている。


「(あれ……?)」

 ばらばらに散りかけた衣服を纏いだくだくと汗を流し、しかし、それでも咲は立っていた。こちらを、荒い息で見下ろしている。

 蟲はいよいよ手がどうしようもなく痛くなり、持っていたトイレットペーパーの芯を落とした。見ると、音速の弾の射出に耐えられなくなった芯が、薔薇のようにバックリと咲いている。そんな芯を先ほどまで持っていた手も、異様に熱を帯びていて、風がなでるたび、肉が削がれるように痛い。乾いたペンキみたく皮膚が剝がれて、肉がむき出しで空気にさらされていたのだ。

 肩も手も耳も、泣きたいほど痛い。そんな中、ある小さな痛みにも気づく。それは肘だ。肩にナイフが突き刺さっている、だとか、手の皮膚がまるまる剥がれている、だとか、あるいは鼓膜が破れているだとか……それらに比べれば些細も些細な痛みではあるが、どうも()()()()()()。感覚で分かる。擦りむいている。

「(……そうか、)」

 ようやく蟲は気づく。自分の体は今……自分は今、後ろへ倒れかけているのを、地面につけた肘で支えているような体勢をしている。当然、抱えているキャノンも斜め上を向いていた。……蟲は、「祈り」を実らせる直前、くらりと後ろへ倒れはじめていたのだ。体に蓄積されたダメージが、最後の最後で自身をふらつかせた。瞬間、キャノンはバレルごとやや上へ向けられ、音速の円錐弾はやや上空へ射出されてしまった。

「く、そ……」

 円錐は咲の頭上を凄まじい速度で過ぎ去り、空の彼方へ消えていったらしかった。

 もう何も残っていない空を見上げるようにして、蟲は完全に地面へ倒れた。


……


 史絵は、

「こんなとこに車を停めていたんですか」

とぼそりと言ってからドアを閉めた。バタン。

 咲の愛車・ハイドラグーンには今、運転席に咲、助手席に史絵、後部座席にまくらと……拘束された蟲の4人が乗っている。その更に後ろ、荷物として咲のぼろぼろになった服や中学生2人の通学鞄、べきべきにへし折られたトイレットペーパーの芯からなるがらくたが載せられている。

「殺さないんスか?」

 後部座席から前へ声が飛ばされる。

「いや……あのなあ。ふつう、人間に、人間を殺すなんて選択肢、入ってないからな。お前ももう、殺そうとするなよ」

 蟲は両手の甲同士を咲の「祈り」で()()され、腕ごと背中へ回されている。太ももにも2回分の()()が施されていて、蟻の通る隙間さえない。そこからさらにシートベルトがしっかり袈裟(けさ)となってかかっているので、立つこともできないはずだが、一応隣の席では(もも)にモクラを乗せて、まくらが目を光らせていた。

 蟲は制服を着ていた。戦いの最中は見ていられなかったが、今こうしてみると、彼女は高校生でしかなかった。「(ボクたちより数歳上ってくらい?)」まくらは汗を流す。自分たちより年上でこそあるが、目の前の人間は、人間を年齢でカテゴライズするにあたって「少女」の域にすっぽり入っているではないか。包帯でぐるぐる巻きにされた肩に、赤い花が(ひら)いている。それがやけに赤く、だから包帯がやけに白く見えた。


 すぐ路地裏へ駆け込んだためほとんど咲と蟲の戦闘は見れていないが、蟲の肩にナイフを突き立てたのも、次にモクラを使って二度目を刺す作戦を立てたのも、咲である。咲の戦いはあんなのでも殺意を込めていないというのか。

「(咲さんは、殺すなんて選択肢入ってない、って言ってたけど……ふつうの人間はあんなナイフを2度も突き刺されて生きているのかな……)」

 口にこそ出さないが、史絵は疑問だった。しかし、蟲はこうして、死ぬどころか気を失いもしなかった。咲に拘束されているときも、「抵抗する気がないだけ」といったカンジだ。あれは「死にかけていた」のではない。ちらりと後ろを覗くと、蟲はぼーっと窓の外を眺めていた。さっきまでこちらに殺意を向けていたようには見えないし、死に瀕しているようにも見えない、ただ「疲れた」とでも言いたげだ。そうか、咲は「こいつはあれくらいでは死なない」と思いながらあんな作戦であんな攻撃をしたのだ。……もし、咲が人を殺そうとしたなら、どんなものを武器に選ぶのだろう、ナイフよりも鋭くより恐ろしいもの……。

「ん?どうした?」

「あっいやっ、なんでもないです」

「そうか。もう着くぞ」

 もう何度も来たことのあるところが見えてきた。大学生が住んでいるようなアパートだ。




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