『火粉を払う、息を吸う 25』 史絵
・金切音楽 蟲の簡略化された「祈り」:
○皿に緑の絵の具を塗る
↓
◎トイレットペーパーの芯の中にある金属片を高速で射出する
彼女の背中で、夕の日を受けて何かが明るくきらめいていた。わずかにピンクの色をした長い筒。トイレットペーパーの芯を繋げたものだ。ラップのような何かでぐるぐるに巻かれており、そのためにきらめき、そのために元の胴よりひとまわりほど太っていた。……というだけなら、小学生の作ったバカみたいな工作作品だが。「というだけ」にはとどまらない、不気味な機構を持っていた。ペーパーの芯と芯をいくつも繋げているのなら、頭から尻まで一本の筒になっているはずであるのに、そうではなかった。片方の端にはプラスチックぽい材質のタンクが繋げられていたのだ。タンクの側面に皿が貼られている。タレとかを注いでおくような小さな皿だ。そして、尻尾みたく、紐が一本垂れている。
……はずだ。正直なところ、逆光でよく見えない。
「……」
彼女は何も喋らない。ただ引っさげた不気味な筒だけが、からから鳴いている。
だらだら流れていた汗が、ぴたりと止まった。暑さなんかよりもよっぽど生命を脅かす存在を、目の前に迎えているのだ。そう体が主張しているのかもしれない。
「史絵──」
まくらが静かに告げた。通学鞄をぼてっと落とす。隣で、今名を呼ばれた少女も同様に、そうした。紺の直方体をした鞄がプリンのように僅かに平べったく潰れる。
史絵の手には黒い筒が握られていた。目の前の蟲の持つソレに比べてずいぶん短い。通学鞄を自由落下に任せて落とすと同時に、鞄側面についていたポケットから引き抜いたのだ。シャ。振るうと伸び、すぐに蟲のと同様に長くなった。先端はU字型に曲がった奇形。さすまた「空心菜」だ。
商店街から一歩外へ出たところは、昼でも晴れでも暗い、古い家屋の並ぶ道だった。並ぶ窓の大くに養生テープでバツ印が描かれている。ドアの下の受け取り口からは色あせたチラシがはみ出ていた。「夜にはあまり通りたくない」帰り道の一か所だ。そして、予想していた通りに現れた。「世界そのまま社」なる組織より送られた、望まぬ使者。金切音楽 蟲。
「隣はご学友っスか」
蟲が口を開いた。名前の割に、別に声は高くない。目だって複眼じゃない。普通の人間の目が、史絵から逸れてまくらを向いた。次いで、もう片方の「隣」にも目を向ける。
「左は……ええと?姉妹なんているんだっけ」
蟲は少し驚いた顔を見せた。といっても数ミリ口の中を見せただけで、鼻より上のパーツはちっとも動いていない。次の瞬きをするまでの間、じっと史絵の左にいる長身の女を眺めた。「こんなの聞いてねっスけど」一本に束ねられた銀の髪。どこか見覚えがあったが──
「まあ、いいや」
するする腕を背に回し、乱暴にピンクの長い筒を体の前へ持ってくる。それからのことは、ビル風にビニール袋が舞うよりも速かった。
空を切る音を立て、蟲は長筒を史絵の胸に向け、筒の側面についてある小さな皿をバンと一度叩いた。緑色の飛沫が弾ける。
そう、彼女の手には、緑の絵の具チューブが握られていた。
皿に緑の絵の具を塗ると、彼女の「祈り」は実り────トイレットペーパーの芯の中にある金属片を高速で射出する。
ピンッ。
高い音を立て、何か黒く鋭いものが、飛び出した。
金属でできた円錐である。
ワッフルコーンのようなソレは、風をねじ切りながら走る!
ビュッ──!
蟲はもはや瞬きのひとつすらしない。
彼女の目には、真っ黒な登山用ジャケットが大きく映っていた。史絵の姉と思わしき人物が、金属錐の発射と同時に、史絵の前へ躍り出ていた。いくらかの瞬間を挟み、かん、からら、と地面に錐が落ちた音が立つ。信じられないが、あの速度で飛ばした錐を、振り上げた手刀──いや腕刀──によってむしろ弾き上げたらしい。
「驚いた」
鳥だって羽ばたく前に射貫けるんだけどな。そう思いながら、これはいよいよ史絵の姉などでは決してないと、蟲は確信する。目を凝らす素振りも見せず、銀髪の人物を眺めていると、銀髪はキッと鋭い目つきでこちらを睨んだ。
「もっと驚いた……」じゃこ。蟲は、言いながら奇妙な筒のタンクから垂れた紐を引いた。それは、リロードを意味していた。「咲先輩じゃないっスか」
トイレットペーパーの芯とその他材料で作られたキャノンの構造は、シンプルなものであった。対峙した瞬間に史絵とまくらも理解したほどに。……蟲の「祈り」は、皿に緑色の絵の具を塗ると実り、トイレットペーパーの芯の中の金属片を高速で射出する、といったものだ。キャノンの全長のうち8割ほどを占めるトイペの芯部分に、金属片がセットされている。そしてタンク部分に残りの射出用金属片が入っている。タンク部分はプラスチックっぽくて、恐らくトイレットペーパーの芯でできていないから、「祈り」の実りによってタンク内の金属片は射出されない。だから、一度撃った後に、またタンク部分からトイペ芯部分へ次の金属片──弾を充填しなければならない。そのためのリロードを担うのが、あのタンクから垂れさがった紐を引っ張るという動作なのだ。
ともかく……蟲は次の弾を充填し終えた。
なぜ組織の先輩がこんなところにいるのか、蟲はあまり出来の良くない頭を働かすことを早々にやめ、対話に打って出た。
「なんでこんなとこいるんスか。今『愛娘』と交戦してるんスけど……先輩が誘拐に失敗したせいで。今の先輩の担当は『紐育』の方では?」
第一の驚きはもう消えていた。ふつうの人間があの円錐弾を手刀ではじくことなどありえないのだが、正体が咲だったので納得していた。「そのまま社」実力行使要員の人間なら、まあ、できる芸当だ。……ただ、第二の驚き……なぜ咲がこんなところにいるのか。
「私はそのまま社を裏切ることにしたんだよ」
「そっスか」もう驚きは何もない。対話もやめだ。
短く言い切り、蟲は思い切り、皿を叩いた。割れるんじゃないかっていうほどの強さで。緑の飛沫が散った。ピッ!金属が弾き出される!
──“次”がやって来た。そう認識した頃、まくらと史絵は既に動き出していた。
咲は素早く両腕を振り、最後に左足を蹴り上げた。ガッ、カン。カン。カララ……。地面に3つの円錐が落ちる。
「(一度に打ち出される錐は、1つとは限らない……!)」
咲から前もって聞いていた通りだ。史絵はまくらの手をタッチして、叫んだ。
「行くよ!」
「うん!」
ダッ!少女らは左右に散った。後ろに戻れば人の多い商店街へ戻れるが、「そのまま社」というのは私たち僕たちの想像するよりよっぽど狂っているところらしく、人目は気にしないらしい。人目のあるところに出れば、人目のあるところで殺されるだけだ!人目のないところにいれば、人目につかず殺されるだけだ!勝つしかないのだ!勝つしか!勝つ以外、望みも、望むこともない!
退き戻るという道はもうない!勝算のある、左右へ!!
史絵は左に広がる廃屋群の、家屋と家屋の間の、猫しか通らないような道へ突っ込んだ!
ぎょろ。蟲の目は史絵の走っていったその方ただ一方向に向けられた。そして同じ方向に飛んだ。
地面を蹴り上げた足が次に地面につくのに4,5メートルかける。あまりに大股な走行だった。それであの隙間道を征くのは無理があるはずだった。しかし、彼女は“異常”だった。トイレットペーパーの芯で作られた大きなキャノンを、突撃体制の槍みたくかかえ、砲口と同じ向きへ突き進む!
一瞬遅れ、咲が飛び込んだ狭間へ次いで向かう。彼女もまた、ちょっとおかしいとしか言いようのない速度を出していた。刺繍針にたなびく糸のように、彼女の後を風が追いかける。
蟲の飛んでいるであろう狭間を咲の顔が覗き込んだ瞬間、咲は大きくかがんだ。蟲は、後ろを向いて飛んでいたのだ。そして、目が合った。蟲の瞳と、蟲の抱きかかえる巨砲の口。陶器を叩く、音がした。
ピン。──ビウ!!
深く沈めた咲の頭の僅か上を、漆黒でかつ白銀の、円錐が高速で駆けた。後ろでがしゃんと音がする。振り返る余裕もないが、咲は後ろで窓ガラスが割れたのだと思った。そして、その通りだった。咲の後ろでは、廃屋の窓ガラスが粉々に砕けて散って散らばっていた。
構わず追撃を放とうとする蟲から目を逸らさず、咲は肩のところまで折り曲げた手そして腕を思い切り振った。上弦を描いて振られた腕は、レールのように伸びる。伸び切った先端──つまり、手──からシャッと鋭く何かが投げられる。ひゅんひゅんと縦に回転しながら飛ぶソレは、ナイフだった。
「……」
蟲はトイレットペーパーの芯からなるキャノンをスッと下げ、立ち止まって左手を構えた。……そう、そうなのだ!高速の円錐弾を咲がキャッチできるように、「そのまま社」の実力行使要員なら、投げられたナイフを素手でキャッチすることくらいわけないのだ。
それも、片手で!
だが、さすがに片手間でできるわけではない。現に蟲は自らのメインウェポンの口を下に向け、利き手に集中力を注いでいる。──これを咲は狙っていた。この瞬間、蟲の円錐弾が飛んでくることはない──!
「(蟲はまだ、あのキャノンをリロードしていない!)」
はしっ。蟲が、高速回転かつ高速飛行するナイフの、柄を見事にキャッチした。そのとき既に咲は蟲に二丈ほどといったところまで距離を詰めていた。
ナイフの使用方法に「投擲」が選択肢として入っているような人間が、投擲用にナイフを1本しか持っていないわけがない。咲は当然のように、袖から滑らせるようにして次のナイフを手首あたりまで持ってきた。再び肘を曲げ、肩に手を置くようにして、ナイフ投げの姿勢に入る。この至近距離では流石にキャッチできまい。それッ!
「──なッ!?」
手から、ほとんどナイフが離れていた。そんな際際の瞬間に、咲は気づく。気づくことができた。──蟲は、咲の放った1本目のナイフをキャッチしたと同時に、そうして握った左手をまた別の形に変形させていた。子供があそびで「てっぽうごっこ」をやるようなかたち……「フレミングの左手の法則」の左手のようなかたちだ。親指を立て、人差し指をこちらに向けている。銃口に見立てられた細い指には──すっぽりと紙でできた細い筒がはめられていた。丁度、小さなトイレットペーパーの芯といったカンジだ。
それは一度トイレットペーパーの芯を切ったものを小さくくるめてテープでつなげた、ふたまわりほど小さなトイレットペーパーの芯だった。そして蟲にとっては、銃でしかない。
蟲は極めて、無い表情を崩さずに、右手を、抱えていたキャノンのタンクにタッチした。とん、とソフトタッチな音がした。つまるところ、皿に緑色の絵の具を塗った。蟲の「祈り」が実った。
「まずッ──」
大きなキャノンには、さっき咲に向かって以降まだ次の弾がセットされていないはずだ。となると「祈り」が実って出るところは──この、蟲の人差し指の先なのだろう!
──ぱちっ。蟲の指先にはめられた小さな筒から、小さな金属の弾が飛び出した。
ぢっ。
弾は、咲の腕にめり込んだ。いや、より正確に言うと、咲の腕を守る服にめり込んだ、か。防弾材を覆う薄い布の部分が一瞬のみ螺旋の構造を見せて、ばちんとねじ切れる。
「ッてぇな!」
「防弾っ──!?」
蟲が鳴き終える前に、咲はほとんど手から離しかけていたナイフを強く握りしめ、蟲の肩につき立てた。ざくり。いとも簡単に蟲の制服の上から刺さったナイフは、月面の星条旗のように輝く。
──しかしすぐに抜け落ちた。
ぽろり、といったカンジで、蟲の肩から落下した。かん、かららん。2本目のナイフが地面に転がる。
「くそ、浅かったか」
深くは刺さらなかったのだ。このことは、蟲の肉体にギチギチに筋肉が詰まっていることを示していた。それでも彼女の左肩は真っ赤に染まった。肩から腕、手、指を伝って地面に血がぱたたと落ちた。
家と家の間の狭い道なので、2人とも体をすこし斜めにして立っていたが、蟲は無理に腹をひねって前を向く。史絵の追跡を再開する気だ。
今の咲と蟲の攻防は時間にして数秒ほどしか経っていない超高速戦闘だった。そのため鈍足の史絵はそれほど遠くへ逃げられてはいないだろうし、蟲の俊足で今から充分追いつけそうだった。蟲にもその自信はある。だッ。隙間道の湿った土を蹴り上げ、ダッシュする。飛ばされた土が口にでも入ったらしい咲が、ぺッ、と唾を吐くような音を吐いた。
蟲は途中、キャノンのタンクから伸びる紐を思い切り引っ張った。
「ずぼっ」みたいな擬音でもつきそうなほど爽快に、蟲は狭間から抜け出した。と同時に振り返りもせずに、キャノンのタンクをバンと叩く。べちゃりと緑が皿の上で踊り、蟲の背中から向けられた銃口が円錐を吐いた。ぴかっ。円錐は、光り、そして、爆ぜた。特殊なリロードをすると、タンクから特殊な金属弾が充填される仕組みになっているらしい。タンク内は数層に分かれているのだろう。
「(今ので咲先輩はちゃんと死んだだろうか)」
と一度のまばたきの間だけ考え、また目を開く頃には目の前のことだけを考えた。史絵はどこだ。
隙間から抜けた先は……やはり廃屋の並ぶ味気ない道だが、さっきまでいた場所とは比べ物にならないほど広々している。そして、目の先には、探すまでもなく史絵がいた。片目をつぶっているのは、先ほどの爆発に顔をしかたためだろう。
「げぇーーッほっ!」
大きな咳が僅かな音で後方から聞こえる。どうやったかは分からないが、あれくらいでは咲は死ななかったらしい。
史絵は道の真ん中であたりをきょろきょろ見ているようだった。うろたえているわけではないが、怯えているのは隠しきれなかった。構わず、蟲はキャノンを構えた。早く史絵を撃ち殺さないと、すぐ後ろから咲がやって来る。
「ん……?」
史絵は何かを両手で掴んでいた。真っ黒な長い竿のようなもの。先端のU字に分かれた物干しざおみたいな。それを、ハンマー投げみたいに胸より低い位置で体ごと回転して振り回している。これでは、円錐弾一撃で致命傷を狙うことが難しい。注意深く観察し、蟲は、あの黒い棒の先に何かビニールっぽい袋が引っ掛かっていることに気づいた。
「(こっちへ投げ飛ばしてくるつもりっスか)」
ご名答だ。
「だぁあああッ!!」
奇声と共に、史絵は回転をビタリと止めた。ぶるんと一度大きく揺れ、棒に引っ掛けられていた袋が吹っ飛んだ。ラクロスのシュートのように。袋の中には何か重りでも入っているらしく、端をばたばたはためかせながら、ソレは真っ直ぐ飛んだ。蟲めがけて。
トイレットペーパーの芯でできた銃身をちらりと覗くが、円錐弾では撃ち落とせそうにない。
「(蹴り上げて弾くか、)」
咲先輩がそうしたように。蟲はスっとつま先を地面に垂直に立てた。
「(今──)」
瞬時に脚に力が込められる。植物の茎のようにギュンと筋を走らせ、鋼のように硬くなった。蹴り返してやるつもりで思い切り脚を振り上げ──ようとした、そのとき、
「剣!!」
目の前のとはまた別の少女の叫び声が聞こえた。きっと最初、史絵の隣にいたご学友だろう。
すぐ思考を切り替える。今は、こちらへ向かって飛来する得体の知れない袋を蹴り飛ばすことに集中だ。植物的なしなりと金属的な硬さをイメージさせる、細い脚の鞭を地面から離す。
ぱん!
蟲のつま先、ローファーが袋に接触したとほとんど同時かその僅か前に、袋は破裂した。むっと蒸された空気が広がる。そして、中央から茶色い塊が飛び出した。土でできた人形のようであるのを、蟲の優れた動体視力が把握する。人形は、銀にきらめくナイフを握っている。なるほど突然袋が破裂したのはコイツが中から切り裂いたからか。
上から声が降ってくる。さっき「剣!」と叫んだ、咲でも史絵でもない少女の声と同じ。声は、「足、上、2、」と絶え間なく、まさに激しい雨を連想させた。短い時間で地上をドっと通り過ぎてゆく雨。「──剣ッ!」
蟲は目を大きくした。口を僅かに開け、脳と身体を回すための空気を取り込む。少女の声が人形に飛ばされた「指令」だと分かったのは、目前の泥人形が、彼女のハイキックポーズで固定している足を踏み台に上へ跳躍し、人形の人形から見て2時の方向に自由落下をし始めた頃である。小さな泥の手には剣が──ナイフが握られている。体のサイズもあって、まるで大剣のようだ。もう1秒もしないうちに人形は自分の肩に着地し、その大剣をブッ刺してくるだろう。
しかし蟲は既に目の前の「敵」を排除する準備に移っていた。肘より先の腕から手にびきびきと筋が走る。手刀がつくられる。これでその土の胴を地平の彼方へフッ飛ばしてやる──
ビィン。弦を揺らす矢のように、手刀が放たれる。だが──
「「咲 今っ!!」」
少女共の絶叫に近い声に気をとられたのがまずかった。結果から言うと、「咲」は「今」ではなかった。咲は家屋同士の隙間から抜け出すのにまだ手間取っていた、つまりあの叫びは2人の嘘だった。意識が一瞬ばかり泥人形から逸れたその瞬間に、攻撃を完了させてしまった。咲に先ほどつくられた肩の傷と全く同じ個所に、今度は深く刺さったらしい。銀の剣。ぶぶぶぶ、ムシの羽音のようなやかましさで、血が噴いた。




