犬計二匹人間一人 終/ツガル
「エディー、……」
「え、何ですか。化熊さん」
「エディ。」
はたりと最後の腕を倒し、それを最後に、化熊は何も話さなくなった。死んだのだ。
彼が最後に何を言おうとしていたのか。聞き取れたのは「エディ」という単語、恐らく何かの名。だけ。
死んだことがさほどショックでないのは、やはり彼の姿が人間から離れているからだろうか。道端で獣の死んだ体を見かけることは、田舎では珍しくもない。
……いや、彼が獣でないことは分かる。最期の言葉まで人間の言葉だったから。しかし一体何を伝えようと……?
別れが悲しくないのは、出会ってまだ一日も経っていないからだろうか。
なぜか、口の中を覗きこんだ。口の中に、まだ言葉の残滓が残っているかもと考えたのかもしれない。言葉は音だ。何処かに留まるなんてことがあるはずも、ないのに。
「わ、……」
口の中はズタズタだった。真っ赤になって、歯もほとんど残っていない。そして、いたるところに灰色の毛が付着しているところを見るに、「(いやまさか)」もしかしたら、彼は犬喰に嚙みついたのかもしれない。
太陽から目を背けるような寝転がり方は、向こうで死んでいる犬喰とそっくりだった。どうするか困った。
「通報……とりあえず、通報?」
と同時に救急車か。十中八九既に亡くなっているが、いずれにせよ動かなくなった人間を運ぶには車がいる。豆腐のような白くて大きい車が。携帯電話など、たかが田舎の高校生が持っているわけもない。どこかの家で借りなければ。
「あれ、化熊さんの家だよな……」
猟銃を拝借した小屋に散らばっていた、無秩序なアイテム。酢飯であったり錆びた釘、ライター、風車。化熊の「祈り」で用いられるものだったと考えなければ説明がつかない。すると小屋の隣の大きな家は化熊の住んでいたところだろう。
「よし、行こう」
鍵は開いていた。電話も玄関からすぐのところにあった。借りる。
「ふう……」
警察はすぐ来れるだろう。しかし救急車は田舎ゆえ、少し時間がかかる。近くの住民を呼び、そのまま病院に運ばせた方がいいか?とも考えたが、化熊の状態は良くて死までのカウントダウンの始まっているか、悪くてカウントダウンを終えている。やはり救急車が求められる。
再び化熊の体のところに戻ると、彼が最期に倒した己の腕は、少し不自然な方を向いていた。いや、人間の身体構造に反しているわけではない、健全な可動域の内を向いている。そう、だから不自然という表現は少し違ったかもしれない、不自然というよりは「自然ではない」。「意志」を持って倒していた。偶然ブラシを持った手が歯をこするように動くのではなく、歯を綺麗にしようという意志によって歯磨きが成されるのと、丁度同じように、彼は意志によって腕を倒していた。
つまり、彼の腕は命の尽きると共に胴体に平行に縦に倒れたのではなく、何かを指すためにやや角度をつけて地面にへたっていた。腕の先から、見えない直線が伸びる。
「何を……」
指し示すというのだ。人生最後の瞬間に。
骨
「あ……」
そうか。エディは。
「犬の名前……」
犬喰の死体から少し離れたところに、白骨が落ちていた。何か丸いものを支えていたかのような、曲線を描く一本の細い白い骨。きらんと光るのは、裏に打たれた銀のネジ。エディの肋骨だ。
名前と骨を教える理由なんてひとつしかないそのひとつをすぐに理解できた、できてよかった。
駆け出す。そもそも化熊はなぜ犬喰を殺したがった。
「犬喰に荒らされた。墓を作った初日の夜に、俺は持っていた遺骨の三分の二を盗られた。」
鼓膜に残った昨日の言葉が再生される。
「犬喰を殺すまで、あの子の墓が作れない」
鼓膜に残った昨日の言葉が再生される。あそこの死体が自分に語りかける。
「お願いだ、エディの墓を作ってくれ」
……
「まさかっあんなに“化け熊”の調査に否定的だったツガルが、その新聞を書くとはねっ」
「化け熊じゃねえよ、犬喰だ」
「なんだっそのよくわからんネーミング。……しかしメディア部始まって以来一番真面目な記事になったんじゃっないか。ま、誰も読んでくれんだろうが」
校内掲示板に貼りだされる方も、ホームルームの時間に生徒に配布される方も、彼が述べた通り読んでくれないだろう。誰も学級新聞なんて読まないのだ。
「お前たちが読んでくれる」
「そりゃっメディア部なんだから、自分の作品くらいチェックするだろ」
「誰かは読んでくれたじゃないか」
「ああ そうね。」
ツガルが予想外に反撃したことに、隣にいた友人は少し笑いながら言ってしまった。ぴー、とセロテープを伸ばし、切る。緑色の掲示板に、印刷したてでまだ少しあったかい新聞を貼る。
「そういやツガルっ、進路の紙出したのか?」
「いや、まだ……。お前は?」
「おれっ、記者!」
「小学生の“しょうらいのゆめ”じゃねんだぞ。具体的な大学名とか学校名とか、企業名を書けよ……」
「いいじゃん。あこがれのおしごと、だっ。ツガルお前は?」
「さあ……それもまだ、決まってないな……」
ツガルは警察らの到着までに簡単な墓を作ったあと、一連のことを新聞にした。といっても、あの夜の会話や、化け熊の正体、化熊と犬喰の戦いなんてそのまま新聞に書けるわけがない。特に最後の、戦いなんて終盤しか見ていない。知っているのは化熊が犬喰を撃ち抜いた瞬間だけだ。書きたくても、書いてよくても書けない。
だからこの一色刷りの誰も読まない新聞には、犬を殺した真犯人・犬喰のことをフォーカスして書いた。猟銃で倒された化けオオカミ。今の日本にオオカミなんているのかとかの検証で文字を水増ししている。動物園からの脱走、ニホンオオカミかエゾオオカミの生き残り、大型犬の見間違え、様々なことを考え調べその結果を書いた。結論を要約すれば「ま田舎なんだしこんなことも起こるんじゃね、こんなところだし」を丁寧に書いたに過ぎないが、誰も読まない新聞のオチなのだからもういいだろう。重要なのは注意喚起だ。
「(今度、名前を彫りにいくか。……石って、彫刻刀で彫れるのか?)」
化熊の正体を書くことはなんとなくできなかった。しかしこういう風なことを書いた。
犬喰を倒したのは、熊のような大男で、猟銃で仕留めた、しかし彼も犬喰にやられていた。彼の名前、そして二匹の犬の名前をそれぞれの家に聞き、墓を作るつもりだ。最後に、被害をまとめてこの記事を終える。
犬喰
狼害最終報告
犬計二匹 人間一人




