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犬計二匹人間一人 下/ツガル

 犬喰(いぬばみ)は決して、人間とは戦わない。もうひとつ、鉄の筒には近づかない。左わき腹の(えぐ)れは、あそこの山の連なりを超えた向こうの村で撃たれたものだった。人間はひとりが殺されると大勢が出向き、どこまで追いかけてくる。気味が悪かった、恐ろしかった。()()()()喰わぬと誓った。

 今でも夢を見る。あの村に一歩踏み込んだ瞬間、あの大きな脳でいつまでも自分のことを忘れてくれぬ“人間共”が、自分を撃ってくるビジョンを。


もう人間は喰わない。

絶対に敵対していい(しゅ)ではない。

……それに、人間より、犬の方が、美味かった。特にあの犬は美味かった。


 化熊(ばけぐま)は、そんな犬喰(いぬばみ)の過去を知る(よし)がない。しかし、犬喰が人間と鉄砲とは戦わないことは、この半年で分かっている。そこで「祈り」が役に立つ。化熊が化け熊へ化ける「祈り」……正確には、体中から熊のような毛を生やす「祈り」だ。


 犬喰を倒すために、今日も「化熊」に成る。彼の「人間」でいる時間は今、もうほとんどなかった。といっても「祈り」が実って変わるのは毛が生えること、その表面的なところに限った。あくまで変化するのは外見と臭いだけで、剛毛に覆われようと知能は下がらず、四足歩行になることもなかった。それは裏を返せば、獣のような身体能力も別に得られないことを示している。ともかく錆びた釘を、取り出した。

「ふぅッ!」

 振りかぶり、思い切り振り下ろす。ここで手を離してはだめで、突き刺さるその瞬間までしっかり握っていなくては、“効果”が落ちる。


 ずくくと、水分を含んだ白い土壌に、腐った釘が深く刺さる。くさい香りが鼻を裂く。①錆びた釘を酢飯に刺す。


 ここ半年は働かずこうしている。村を徘徊、犬喰を見かけなければ家に帰り、また「祈る」。6月ももう終わるが、夜のある一瞬に冷たい風が吹く。そろそろだ。いつどういう風が吹くのか分かっているかのように、狙ったように、植木鉢に刺さっていた風車(かざぐるま)を抜きだす。夜がこちらを見てくれるように掲げると、薄いピンクとオレンジの羽はからから廻った。②冷たい風を受けて風車を廻す。


 から、ら……。風は過ぎ、風車を再び植木鉢に捨てる。植木鉢には母が育てているチューリップが植わっている。屋根だけの小屋には他にも色々置いている。柱に打ち付けられたポケットから、ライターを取り出す。オイルはもう入っていない。③ライターをポケットから出す。


 小屋を照らす蛍光灯には蛾が(たか)っている。裏に回り込み、四方のうち一方だけある小屋の壁に、影を作るように立つ。ぷっ、と口を尖らせ液を飛ばす。羽音も聞こえない小さな生き物たちが、蛍光灯から一斉に羽ばたき闇へ消えてゆく。④蛍光灯に唾を吐く。


 ざわざわと夜の黒い森が揺れるように毛に覆われてゆく。こうして彼は────化熊(ばけぐま)となる。顔面と大胸(だいきょう)だけを残し全身に、逆立つ黒く硬い毛を(まと)う。


……


 半年前にこの子を殺されてから、犬喰を見かけたのは6度だ。

 まず最初、この子の墓を荒らされた夜。次とその次、彼は人間の姿で出くわした。まずその時既に「復讐」は心に決めていたが、それでも相手は巨大な化けオオカミだ。たじろぎ、恐れた、しかし逃げるつもりはなく、立ち向かおうと自分のすくみたがる足をぱんと叩いて気付けをしたところ、むしろ逃げたのは犬喰……巨大な化けオオカミの方だった。

 逃げる相手を討つには飛び道具だ と考えそれから猟銃を持ち歩くようになると、出会うことすら減った。四度目の邂逅は、既に何かから犬喰が逃げている場面であった。来た方向を探ると、腐食して赤くなったパイプ管が茂みに落ちていた。確信する。犬喰は、人間を、特に人間の作り出した……鉄砲を恐れている。


 五度目、遭ったのは二匹目の被害が出た後だった。「祈り」を実らせ化熊になった状態での発見だった。獣を装うために四足歩行での接近。犬喰は一定の距離を空けてこちらの存在に気付くが、攻撃も逃走もはかる様子さえなかった。四足を地に付け同じ目線を持ってはじめて分かったが、犬喰は化熊と……つまり人間と同じほどの大きさだった。やはり大きい。巨体……巨大な体躯をしている。そして左わき腹に、毛が(たお)れてピンクの肉が丸見えになっている(こん)を見つける。間違いない、銃に撃たれた跡だ。それで過去に犬喰に何があったか、おおよそさえ推測することはできないが、かつて人間ともめたことがあり以降人間を恐れていることは間違いない。

「(人間の姿でこいつと戦うことは不可能か……対人間ではすぐに“逃亡”へ走るのだろ……)」


 六度目は、朝に訪れた。ツガルの家から帰った次の日。

「はッ、はッ」

 自分の家の庭だ。


 目の前に、あの子の骨を咥えた犬喰を見据えている。もう恐れはなかった。むしろ殺すための咆哮こそを叫びたかった。当然、(ヒト)語で、だ。「おまえ、よくもあの子を殺しやがって、ぶち殺してやる。お前は人間と敵対したから死ぬんじゃない、人間と言う種に負けて死ぬことすら許さない。ただの“犬の飼い主”に殺されるんだ、今から!」と言いたいところを圧縮して「殺す!」の一言をショットガンのように一撃放ちたかったがそれさえ許されない。

「(人間の言葉で叫べば、恐らくこいつは逃げる。こいつは何があっても人間とは戦おうとしない)」

 だから獣になったのだ。犬喰は暗い灰色の毛を朝日に光色に染めながら、低い声で、あるいは高い声で唸った。それを鼓膜で受けながら、肺を膨らます。口を開けると、溜めた空気は音となり一気に放出される。

「ごうぉおぉおおお!!!!」

 叫びだ。何語でも……人語でもましてや獣の言葉でもなかったがその意味するところは犬喰には通じる。殺意だ!


 犬喰はたじろぐ。「警告」を、「殺意」で返事されるとは思ってもいなかった。

 逃げてもよかったが、相手は妙に間抜けに思える存在で、なら勝って喰ってしまおうと思ってしまった。だって相手は猿と熊の中間のような、微妙な格好。このような半端者に対して逃亡の選択肢は不正解に思えた。


 ここは山の裏、普段は誰も通らない。化熊の母はジジババの集会のようなものに出席しているから、今日、家に用事のある者もいない。小さな空間だが地面は平らだ。

 犬喰は、曲線を描くように動く。こうすることで普通の相手は、距離を保つために同様に動き、両者の描く曲線は、直径を同じままに円となる。……しかし今回、相手は合わせてくれなかった。化熊、彼はただ四足で棒立ちをする。セオリーが破れたようで、犬喰は不気味さを覚える。これで不意に、犬喰の方から、数メートルも相手に近づいてしまった。


 構う、ものか。ここまでしたら。犬喰は だんと土を蹴り駆け出す。当然狙うのは喉だ。なぜだか知らないがあの猿とも熊ともつかぬ奇妙な黒毛は、顔から上半身上半にかけて毛が生えていない。そのメガネザルみたいな顔めがけて飛び掛かる────

「うぅがああっ!!」

 読んでいたかのように化熊は立ち上がり、思い切り足を上げた。どすんと深く、犬喰の胸に蹴りが突き刺さる。しかし犬喰は勢いを落とすだけで止まらない。そのまま覆われるようにされ、化熊は背中から地面に落ちる。同じく自分の腹に犬喰の牙が深く突き刺さっている。離れられる前に鼻を殴ると、だらりと血が垂れた。オオカミも鼻血は流すんだな、と思う。生きものなら当然だ、と続けて思う。生きてるんなら、死ね!

「はッ」

 口を大きく開け、犬喰の喉元に、歯を立てた。ごわごわした灰色の毛が柔らかい顔の肌にぷすぷす刺さる。鬱陶しい。ぐっと力を入れると、肉に歯が入り込む感触がした。

ひね(死ね)゛!!」


 犬喰はせめて、化熊のわき腹に突き立てた牙を抜き頭を自由にすればまだ抵抗できた。しかしそうせず戦い続けることを選んだのは、やはり化熊を「人間」ではなくあくまで獲物の範疇、自分と同じ「獣」として見たからだった。

 そのことを直感的に理解し、化熊は、犬喰の喉を噛むことに忙しく口を動かせないために、頭でこう考えていた。考えるというよりは感謝に近かった。「祈り」への感謝。そう、「祈り」とは……10年前に人間の獲得した「祈り」とは、一見無秩序に見えて、決まりがあるのではないだろうか。犬喰の心情理解同様、直感でしかないが。きっと、いや間違いなく、「祈り」は、人生で一度は────少なくとも人生の中で一度は所有者の役に立つときが来るのではないか。だから「祈り」。人々は()()、そして救われるのではないか。ありがとう「祈り」、おかげで犬喰を殺せる。

 もし俺があの子を殺され犬喰(コイツ)と戦うような運命になかったのなら、俺の「祈り」はあの子が喜ぶような、例えば石からドッグフードでも作り出すような「祈り」になっていたんじゃないか。だとすれば、10年前既にこの運命を定めた張本人かもしれない「祈り」は憎むべきなのかもしれない。……「かもしれない」ばっかりだ。


 犬喰の爪に体を裂かれ、黒い獣の毛の奥に鮮血と肉を見せるようになった。まだ戦い初めて5分も経っていない。

 爪を持つのは化熊も同じだ。鉄を使うと犬喰にニオイで“鉄砲”を警戒され逃げられるかもしれないので、セラミックを仕込んだ。セラミック包丁を加工した、白き光の爪。両手にはめている。ソレで犬喰の肉を掴んで離さない。目を左に向けると、地面に、吹っ飛ばされたメガネが落ちている。どちらにせよ額の汗で視界はかすむ、もう裸眼視力など関係ない。ぶちん、犬喰の喉の一部を喰い千切った。獣の叫びがこだまする。

「ヴゥオォォォッ!!」

「あぁ゛ーーっ!!」

 だくだくと噴きだす血の源に、尖らせた手を突っ込む。一気に決める。弱った犬喰をドッカと蹴り飛ばすつもりで蹴るが、獣は重く、よたよた数歩先に転がっただけだった。銃を使わないとどうなるかというと、こうなるのだ。つまり「殺しきる」ことがとても難しい。


 最初の一撃をこちらのものにできたことで戦いをなんとかここまで進めることができたが、化熊はあくまで人間であり、全ての身体能力でオオカミに劣る。特に足。逃げられたら厄介だ。今の姿まで警戒され近づかれなくなれば、もう永劫に復讐のチャンスはないだろう。……いや、どっちみちここで決めなければ待つのは“無”の永遠だ。さっきから痛みが無い。腕の肘関節がぶらぶらして、そこから先はもう肉でしかない。どこもかしこも、千切れかけている。

「ぶっ、」

「げぇエェっ」びちゃびちゃ酸っぱい液体とともに、犬喰から齧り取った犬喰の喉の肉を吐き出す。血生臭い。


 ずり、ずり、這い寄る。いつ犬喰の体が動けるようになるかは分からない。その前に、仕留めなくては……

「わっ」

 跳びそうな意識の中、たしかに人間の声を聞いた。ぎょろんと目を向けると、茂みの向こういたのは、昨日会った少年だった。考えるよりも先に叫ぶ。

「銃!!」

 少年は化熊の声を聞いて、すぐ小屋へと駆けていった。


・化熊の「祈り」:

 ①錆びた釘を酢飯に刺す

 ↓

 ②冷たい風を受けて風車を廻す

 ↓

 ③ライターをポケットから出す

 ↓

 ④蛍光灯に唾を吐く

 ↓

 ◎体から黒い獣のような毛を生やす




 ツガルは混乱していた。今日は土曜日。学校はない。散歩のつもりだった。朝の散歩の。

 山の方から聞こえた叫び声はなんだか獣ぶっている人間の声に聞こえた。のこのこ様子を見に来たところいたのが、化熊(ばけぐま)だ。そして彼が戦っている相手、この目で見るのは初めてだったが名前は一発で分かる。

犬喰(いぬばみ)!?」

 化熊の腕はもう、片方がほとんど千切れている。犬喰も喉がかっ切られていて、両前足とも包丁で刺されたような切れ込みから血を流している。さっき化熊が「銃」と叫んだのは、言うまでもない、とどめを刺そうとしている。

「ひぃひぃぃ」


 銃を置くなら小屋だと思った。


 小屋には、様々なものが散乱していた。酢の強いにおいの方を向けば桶いっぱいの冷や飯に虫が(たか)っている。植木鉢にはあまり見たことない色のチューリップが咲き、そばにピンクとオレンジのかざぐるまが刺さっている。腐った釘が床中に散らばっており、靴の下でがらがら鳴る。踏み分け進むと、一方面のみの壁に、乱暴に長い鉄の筒が立てられてあった。猟銃だ。

「おもっ」

 ゲームではもっと簡単に振り回しているのに、銃とは結構重いものなんだな。思考すると同時に、化熊のそばによる。


 化熊はまだくっついている方の腕……左腕でツガルから長い銃を受け取ると、口でガチャガチャ何かした後にすっと構えた。

「メガネいります……?」

 少し遠い近くにメガネが落ちていることを発見し、いるか尋ねる。

いわん(いらん)!」

 だん!!音がして、鼓膜がびりびり震えた。


 がっしゃ、銃を地面に放り投げ、化熊は倒れた。小屋にあった、「用途の分からないものたち」から分かるように、化熊のこの……化け熊みたいな姿は「祈り」を実らせたものなのだろう。昨日見たときは顔こそ人間……都会の冴えないサラリーマンのようだった。しかし今では真っ赤に染まり、上からつま先まで獣……バケモノにしか見えない。

 遠くに、ぴくりとも動かなくなった灰色の巨大なオオカミを見る。自分だけだ、ここに人間は自分だけ。犬をめぐり争った獣が二匹、巻き込まれた人間が一人、ここにいるだけだ。




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