犬計二匹人間一人 上/ツガル
裏山の化け熊の正体は、どうもそういう「祈り」を持ったヤバいジジイだったらしい。
「いや、どういう“そういう”だよ」
つい、突っ込む。
山に囲まれているタイプの田舎町。ツガルは、町にふたつしかない高等学校の、偏差値の低い方に通う3年生だ。受験は別に控えておらず、今日も「メディア部」の友人たちとのんびりだらだらと帰路を共にしていた。友人のくだらない噂話を左耳から田んぼの広がる右耳の向こうへと聞き流す。それよりも今日先生に渡された専門学校のパンフレットの方が気になっていた。
「この頃目撃相次ぐっ ゴキブリみたいに黒々した化け熊の正体は、体表に毛を生やすことのできる“祈り”を持ったジジイだったんだっ、て」
どうもくだらないことを言っているようだったが、しかし完璧に無視しては友情にヒビを入れてしまうかもしれない。話を聞いている“フリ”をするため、目を左に向けてやる。
「はー“祈り”、ねえ」
友人の頭越しに、左には左でまた田んぼが広がっており、この町の田舎っぷりに嫌気がさした。
メディア部。ツガルは1年の頃完全に帰宅部だったが、2年になりクラスメイトとなった友人に誘われて、入部した。つまり今で1年半くらいいることになる。メディア部とあるように、その活動内容はメディアみたいなことをする。早い話、生徒数の少ない本校において、ほか水準程度の生徒数を抱える一般高校の「放送部」と「新聞部」を兼ね備えるクラブだ。昼休み、昼食の時間にてきとうに曲を流したり、てきとうに作った新聞を学校や地域の掲示板に貼ったりする。そういう部活だ。
そいつが、まん丸のメガネがずり落ちそうになっているのも気にせずぺらぺら話をつづける。いつもそうだが今日は特に口が躓くようで、言葉の節々に促音が入っていた。それをぼんやりと聞いていたのだが、
「……」
ふと嫌なことを思いついてしまった。
「まて、まさか次の新聞、その化け熊について調べるつもりか?」
顔を見ると、ニィヤと気味の悪い笑みを浮かべている。まさか、まさか。
「まさかっ、そんな危険なことするわけない」
「だよな」
1年ちょっとの付き合いしかないが分かっている。こいつは、怖がっているときこの薄ら笑顔をよくする。頬に冷や汗も流している。化け熊の調査……なんて危険なことをする気は毛頭ないというのは、本心だろう。
「ただっ、ちょっと好奇心を煽られているだけだ」
化け熊。
メディア部のやつらと別れた後、ひとりオレンジ色になってきた世界を歩く。じっとりとしていて気持ちの悪い空気を切るように進む。思考することだけが暇つぶしだ。別に思考も、冴えているわけではない。考えたいことが3つくらいあって、それらが微妙に混じってぼんやりとしている。
……車も滅多に通らない道なので、何も気にすることはない。ぼんやり考えよう。
「(化け熊……)」
2つの家で、殺されているらしい。両方とも犬だったので、熊害としては犬が計2匹というだけ。と言うと、犬好きは怒るかもしれない。しかしどうしても、いち人間の立場から言わせてもらうと、「次は人間が殺されるんじゃ……」という恐怖と警戒が真っ先にきてしまうものだ。「犬、かわいそう」はその次だ。いよいよ熊害に「人1名」と載ってしまうのか、どうか。
しかし先ほどあいつらから聞いた話では、アレは熊ではなく人間だと言うではないか。ジジイだかオッサンだか分からないが、「祈り」によって体表に毛を生やしている人間だと。狂人だ。
「(そんなの、なんで分かったんだ?)」
うんうん言って少し考えてみたが、マトモに聞こえる推測すら立てることができない。……考えているうちに、ひとりでなんにもない道を歩いている今の自分の状況が少し怖くなってきた。太陽がもう向こうに行ってしまったせいで遠くに見える山々は黒く、こちらを睨むように冷たい風を飛ばしてきている。
別のことを考えよう。
「あー進路、どうするかな」
この時期にまだ定まってないのもヤバい。「進路」。こっちはこっちで、熊だとか狂人だとかとは別の怖さがあるな、と思った。
なだらかな道が伸びる。それに「進路」という言葉を重ねて比喩しかけたとき、ぼんやりと踏み出した一歩が何かを蹴った。カツン。カン、カン。
2回跳ねてから、くるくる地面と平行に回転して止まった。感触からして軽い。そして、暗くなってきた道の中でも白いため、姿も形もすぐに認識できた。できてしまった。
「骨、」
骨だ。なぜだろう、解剖学やら生物学などには一切精通していないのに、これが犬の骨だと分かるのは。
「うっ────!!!」
わああああと叫びたかったが、何もない田舎道では声が響きすぎてしまう。口を抑え、あっちの方向に転がっていった骨を見る。環を割ったような曲線。内臓たちを抱えていた肋骨だろうか。
なぜか拾ってしまった。犬の骨だと思ったのは、人間のものにしてはきっと小さいからだ。人のじゃないと思ったから犬のだと思った、こう思ったからこう思った。推測に推測を重ねて出した結論に糞ほどの信憑性を自身ですら感じれないが、一度直感してしまったものは思考にこびりつく。ツガルの中で、もはや確信になりつつあった。「これは犬の骨だ。化け熊に殺された、犬の骨だ」
家に持ち帰ろう。明日、学校でメディア部の友人たちに尋ねよう。
……
晩飯、テレビではバラエティー番組が流されていた。名前も知らぬ若い人気女優が、「わたし~犬が死ぬ映画見れないんですよー」と言っていた。どうもそういう人間がいるらしいのは知っているが、あまり共感はできない。確かに悲しいが、映画なんざフィクションだ。「進んで見ない」なら分かるが「見れない」とは、どういうことだ。ツガルは「(ま、犬を殺すことでお涙頂戴を狙うチープな映画なら、たしかに見れたものではないけども)」と思うことにし、コロッケを箸で割った。
歯磨きのとき空く左手でいつもは雑誌などをめくり暇をつぶす。今日は代わりに、化け熊に殺された犬の肋骨と思われる白い物体を握る。机にぶつけるとカツーン、カツーンと鳴る。やはり骨のように思う。そして、中は空洞だとも思った。もしかするとこれは、殺されてから……肉体と切り離されてから長いこと経ったものではないだろうか。
「(でも、にしては土汚れも全くなかったんだよな)」
家に持ち込む際にウェットティッシュで拭いたわけだが、その前、拾ったときか妙に綺麗だった。なんというか、まるで誰かが手入れをしているかのような。
くるりと裏を向ける。僅かにへこんだ溝が走る面。奇妙なのは、中央部だ。楕円を割った曲線を描く骨を、二次関数のグラフに見立てたとき。頂点にあたる部分に、小さな釘が打ち込まれているのだった。その錆びかけた銀色に天井の照明含む部屋の姿を小さく小さく反射させ、きらきら金属光を放っている。
「(化け熊が殺した犬の、骨……を、誰かが剥製にしたもの)」
ここまで来たら推測を超えて妄想の域だ。仮にも「報道」を活動内容とするメディア部にあるまじきことかなと思う。いや、高校のメディア部なんて所詮は学生のごっこ遊び、妄想の自由を縛られるいわれはないか。
「ふわァーーあ──」
まあ明日、明日メディア部のみんなに話してみてから決めよう。化け熊の本格的調査は危なすぎてやらないしやりたくないが、興味を持っているのも事実。話のタネくらいには──ふいに窓の方を見る。黒い夜より近いレイヤーに、影が見えた。人間大の影。
「あぁああああああ!!!!!!」
誰もいない家に悲鳴が響く。
影に表情が浮かぶ。闇に慣れた目に輪郭が描かれる。人間大の影の正体は人間だった。そこそこ焦っている顔で、右の人差し指を立て、「しー」のポーズをしている。
「な……中に入れてくれ」
あ。
化け熊は、ホントに人間だったのか。そいつの顔と胸部より後ろの体躯には毛が生えていた。黒い夜に反射して黒く光る、ごうごうとした毛が。




